イントラムロス

マニラの観光地の一つ「イントラムロス」

ここは複数の観光ポイント(主に戦場跡)があり、カレッサ(馬車)や自転車サイドカーで案内を行うガイド業の人達がいる

そのうちの一人、自転車サイドカーのガイドに値引き交渉して350ペソでイントラムロスを見てきました!(笑)

ちなみにカレッサのガイドは500ペソくらいが平均値だったので、自転車サイドカーの方が安いし、移動速度が遅いので移動中もじっくりとイントラムロスを見ることができ、ガイドが運転中もずっとしゃべっているので間が持つし、ガイドが一応英語が喋れるので理解しやすいです。

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた①

~Revellin dela Puerta Real de Bagumbayan(レベリン・デラ・プエルタ・リアル・デ・バガンバヤン)~

リサール公園で自転車サイドカーのガイドに350ペソを支払い、リサール公園からRevellin dela Puerta Real de Bagumbayan(レベリン・デラ・プエルタ・リアル・デ・バガンバヤン)~へ行ってみましたw

(フィリピン) イントラムロスに行ってみた②

~ Revellin dela Puerta Real de BagumbayanからSan Diego Gardensまでの道中 ~

Revellin dela Puerta Real de Bagumbayan(レベリン・デラ・プエルタ・リアル・デ・バガンバヤン)を見学した後、San Diego Gardens(サン・ディエゴ・ガーデンズ)へ向かいます。

移動中に戦時中の弾丸の跡や戦時中に日本軍が使用していた武器等も道中に展示されていました。

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた③

~ San Diego Gardens&Baluarte de San Diegoに行ってみた ~

San Diego Gardens&Baluarte de San Diegoに到着して、実際に中を見てきました。

旧日本軍の大砲があったりもしていますが、一番なのはマニラの高層ビルと昔の城壁が同じ視界に入る不思議な風景です。

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた④

~ San Diego GardensからThe Bayleaf Intramurosまでの道中 ~

San Diego Gardensを見終わり、次の見学ポイントであるThe Bayleaf Intramurosまでの道中 動画になります。

イントラムロスにはいろんな学校や会社があるのが分かりました。

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた⑤

~ The Bayleaf Intramurosの最上階レストラン ~

イントラムロスにある4つ星ホテル「The Bayleaf Intramuros」の展望台からイントラムロスとマニラが一望できるとのことで・・・・したが、喉が渇きすぎて脱水症状を起こしそうだったので、展望台の1つ下のフロアである最上階のレストランに行ってきました(苦笑)

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた⑥ ~ The Bayleaf IntramurosからPuerta del Parianまでの道中 ~

The Bayleaf Intramurosを出て、Puerta del Parianに向かう道中動画になります。 思いのほか距離が短かったので、あっという間に到着してしまいました(汗) 道中に工科大学があったり、学生たち御用達のお店があったり、ちょっとおもしろかったですw

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた⑦ ~ Puerta del Parianに入ってみた ~

次はイントラムロスの東側のゲート「Puerta del Parian」 イントラムロスの壁が建設されたとき、最初に建設された壁の1つは、中国の商人コミュニティに面した地域でした。このコミュニティは、Parian de Arroceros、または略してParian。 このコミュニティに通じる門は、 プエルタデルパリアンとして知られています。 中には東南アジア諸国連合(ASEAN)の設立を記念したASEAN Gardenがあります。 1967年8月8日にASEANの設立に道を開いた宣言であるバンコク宣言の5つの署名者の胸像を見ることができる小さな広場です。

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた⑧ ~ Puerta del ParianからFort Santiagoまでの道中 ~

いよいよイントラムロスシリーズも終盤! 最終見学地点「Fort Santiago」(サンチャゴ要塞)へ向かう道中動画になります。 途中電動キックボードに乗った人がおり、そっちに気をとられてしまいましたが(笑) だいぶ時間が過ぎて、もう日も落ちてきて夕方から夜にシフトし始めたこの時間、それでも最後のサンチャゴ要塞は絶対に見るとばかりに回っていますw 夜暗くなるとこの辺りの治安は悪くなると聞いていたので、ちょっとドキドキしながらの見学ですが、まあガイドがいるので大丈夫でしょうと思いながら・・・・

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた⑨ ~ Fort Santiagoまでの道中 Plaza Morionesが思いのほか広かった ~

イントラムロスシリーズ第9弾!!(動画のタイトル間違えた(汗)) とうとう最後の見学地の前に広がる公園「Plaza Moriones」に来ました! 時刻は夕方~夜にシフトする直前(確か17:00くらいだったような) 暗くて見えなくなる前に見学を終えたいところですが、意外とこの「Plaza Moriones」が広くて、「Fort Santiago」のゲート前までで1本動画が作れたのでアップしてみます。 静かで広くてきれいな公園で、気持ちもマッタリしてきた感じでしたw そよ風がある公園内にかかるBGMもいい感じで「どうせならここで屋台みたいなのを出して飲食ができるようにすればいいのに」と思ってしまいましたw 公園のサイズ感もリサール公園を一回り小さくした感じで、個人的には「ちょうどいいサイズ」の公園でした。 今回はFort Santiagoのゲートの前までの動画になりますが、是非お楽しみください!!!

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた➉ ~ Fort Santiagoに入ってみた・前編 ~

とうとうイントラムロス最後の見学ポイント「Fort Santiago(サンチャゴ要塞)」に入ってみます! そして、動画を編集してみたら割と広くて、1本の動画にすると長くなってしまうので、前編・後編に分けてみることにしましたw しかし、中に入ってみて、旧日本帝国軍ってかなり東南アジアで虐殺を繰り返してきたんだなと・・・・(汗) 2004年~2007年に中国遼寧省大連市に半ば駐在に近い状況で滞在して中国人と仕事をしていたときも、この手の記念碑に「旧日本帝国軍」への恨みなどが刻まれているものもあり、戦争を知らない世代とはいえ、日本人であることが申し訳なくなるような感じでした。。。。 中国では、年配の人の中に強く日本人を忌み嫌っている人もおりました。 しかし、フィリピンでは、どの年齢層の人も親日的な感じだったので、この記念碑に書かれている文字の意味を理解したとき、こんなひどいことをされても「旧日本帝国軍」を恨んでも「日本人」を恨まないというスタンスに、少し感動して涙が出そうになりました。 フィリピン人はいい意味で大人だなと思いました。

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた⑪ ~ Fort Santiagoに入ってみた・後編 ~

とうとう一連のイントラムロスシリーズも11弾まで来ましたw Fort Santiago(サンチャゴ要塞)の続きです! で、サンチャゴ要塞を出るころには辺りは真っ暗で、電気が綺麗だったので・・・・もう一本くらい動画を作ろうかな?と思っていますwww サンチャゴ要塞は旧日本帝国軍がフィリピン人を大量に殺した場所なのが分かり、辺りが暗くなった時に、少しだけ「やばい」と感じ、急いでサンチャゴ要塞を出てきました(汗)

(フィリピン)イントラムロスに行ってみた⑫ ~ 夜のPlaza Moriones ~

ついにイントラムロスシリーズ完結!! まさかの12本分割の大作になるとは、作り始めた時には想像できませんでしたwww ちなみにイントラムロス、自転車サイドカーに乗って、撮影しながらしっかり見て回って、トータルで約2時間ほどかかりました。 値段交渉の時点で1時間300ペソという事を自転車サイドカーのガイドが言っていたように記憶していたのですが、道中いろいろと英語で会話をして仲良くなったので、約2時間拘束したのに1時間分の300ペソでイイと言ったので、それじゃ悪いからとチップを入れて400ペソ渡したら物凄く喜ばれましたw このことから、本来のフィリピン人の性格は素朴で、仲がイイ人からはお金をボッタクったりしない、結構真面目な性格なのが見えてきました。 クレイジー(?)なマニラだと、何かと「金クレ」「チップクレ」と言われたり、いろいろと日本人価格(ボッタされたり)になったりしますが、田舎の方に行くと本来の陽気で真面目で素朴な性格の人が多くなるような経験からくる印象があります。 しかし、打ち解ければマニラでもこういう事があるということは、現在のクレイジーなマニラは「マニラに染まったフィリピン人」ということなのかなと思いました。 今回の自転車サイドカーのガイドはそういう意味では最初は「日本人価格」で吹っ掛けてきてはいるのでしょうけど、打ち解けた結果、適正価格(言い換えると地元フィリピン人用の価格?)でやってくれたのかも?と、半分マニラに染まって、でもマニラに染まり切っていないフィリピン人なのかもしれないと、このガイドとの出会いはラッキーだったといまさらながらに思いましたw