年会長挨拶

第65回大気環境学会年会を「心事の棚卸し」の機会にいたしましょう! 

第65回大気環境学会年会長

慶應義塾大学理工学部教授 奥田 知明

第65回大気環境学会年会を2024年9月11日(水)~13日(金)の3日間、横浜市の慶應義塾大学日吉キャンパスにて開催いたします。皆さまのご参加を心より歓迎いたします。


慶應大では2009年の第50回記念の年会から15年ぶりの開催となります。2009年と言えば日本ではPM2.5の環境基準(1年平均値 15 μg/m3以下 かつ 1日平均値 35 μg/m3以下)が告示された年でした。PM2.5の年平均値と環境基準達成状況は、2010年の時点では一般局で15.1 μg/m3(環境基準達成局34%)、自排局で15.1 μg/m3(同8.3%) であったものが、2021年の時点では一般局で 8.3 μg/m3(同100%)、自排局で 8.8 μg/m3(同100%)となっています。もちろんPM2.5濃度が下がった主な要因には日本以外での原因物質の排出減が効いていますし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大による社会活動の抑制の影響は大きかったと思われますし、そもそも環境基準値そのものの妥当性の議論は残っていますし、さらにはPM2.5以外にも解決すべき大気環境問題は多くあるわけですが、少なくともPM2.5の環境基準達成状況に関しては、この15年足らずの間に日本社会は大きな成功を得たのです。そしてその取り組みを継続的に支えてきたのは大気環境学会員の皆さまであったことは間違いのないところであり、大いに誇るべき事実であると私は考えています。


さてこの15年で世界は大きく変わりました。2011年の東日本大震災による甚大な被害は国内外に大きな衝撃を与え、その影響は今も続いています。2017年のドナルド・トランプ氏アメリカ大統領就任に前後して世界では分断が進み、COVID-19は発生から約4年が経過して一時期の混乱から収束が見えたものの、2022年のロシアによるウクライナ侵攻や2023年のイスラエル・ハマス戦闘などは現在も出口が見えません。そのような激動する情勢下においては、安定した成長は望めないと考える方もいるかも知れません。しかし現実には、G7各国(アメリカ、ドイツ、日本、イギリス、フランス、イタリア、カナダ)の中で、2009年から2023年にかけての名目GDP(米ドル建て)が低下したのは日本だけです。2021年から続く円安基調に象徴されるような経済面だけでなく、被引用数トップ1%論文といった科学技術研究面の指標をみても、日本の「弱体化」を示すデータには事欠きません。私たちは、このままでよいのでしょうか?


慶應義塾大学での年会開催にちなみ、福沢諭吉の「学問のすゝめ」にそのヒントを探してみますと、その第十四編に「心事の棚卸し」という言葉が出てきます。「世の中を良くしようと思うその大義名分は良いが、自分自身を見つめ、改善することを忘れてはならない。人間は自分が思っているよりも賢くないことを自省し、『自分は何事を為したか、今は何事を為しているか、今後は何事を為すべきか』を常に点検しなければならない」という意味と解釈できます。大気環境学会の現状を日本の縮図ととらえますと、今こそ会員個々人が「心事の棚卸し」をすべきなのではないでしょうか。すなわち、自身が学び経験し研究を進めてきた成果と試行錯誤の過程を客観的に認識し、いま自身ができることを冷静に見つめた上で、今後何をすべきかを考える時間をぜひ持っていただきたいということです。学会員の皆さまの多くは、現時点で既に何かしら独自の知見・技術・アイデアなどのspecialtyをお持ちだと思います。それを学会内で磨くだけでなく、学会の外で活かすことをぜひ考えていただければと思います。他の方々には難しいことが、我々大気環境学会員には簡単、ということが世の中には数多くあります。専門家同士で学問を高め合うことはもちろん大切ですが、大気汚染研究全国協議会として発足し、今日まで発展してきた当学会の歩みを考えれば、「社会のお役に立つ」ことは大気環境学会員としての使命の根幹をなすものではないでしょうか。そして皆様が大気環境学会で培った多くの専門的知見は、学会の外を見ることで「社会のお役に立つ」機会が飛躍的に増えると私は考えています。


福沢諭吉は、盲目的に西洋の模倣をするのではなく、日本には日本の良い所があり、それをよく理解し活かすことが大切だと述べていますが、その一方で、自然科学でも文化でも、肯定から反論まで常に多種多様な議論が交わされ、その過程で物事の真理にたどり着く西洋の方法論には大いに学ぶべきとも指摘しています。各個人も旧習を捨て、学問をし、人と交わり、様々な事物に関心を持ち、自由に議論を交わす(多事争論)ことでこそ、社会は発展していくのだ、とも書いています。年会とは正にそのような場を提供する貴重な機会です。第65回大気環境学会年会にて、皆さまが「多事争論」を経て「心事の棚卸し」に至る機会となりますことを心より願っております。