アジア・太平洋戦争(第二次世界大戦)の末期、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島に一発の原子爆弾(ウラン型原子爆弾)が投下されました。
強烈な熱線と凄まじい爆風が街を破壊し、放射線が人々を容赦なく襲いました。
そして3日後の8月9日午前11時2分、長崎に原子爆弾が投下。日本は一瞬にして火の海と化したのです。※犠牲者の数は、広島の人口35万人のうち約14万人、長崎の人口28万人のうち約7万人。
あの日から80年。現在も世界で紛争が起きており、唯一の戦争被爆国である日本は「被爆の実相」を世界に伝える大きな役割を担っています。