研究の趣旨

 近年大学教育の領域では、量的データを用いた実証研究が増加してきましたが、その一方で質的研究については研究手法や評価枠組みが十分確立しておらず、良質の論文が生み出されにくい状況にあります。

 研究代表者とコアメンバーである山田・上畠・森は、大学教育学会2019年度第41回大会のラウンドテーブル「質的研究を考えるー学生、教員、職員の学びと成長を捉える学習研究の手法としてー」(以下、RTとする)を企画し、質的研究に焦点化した事例報告を行うなかで、大学教育を対象とする質的研究の持つ可能性について検討を重ねてきました。

そこでは、

[1]収集されたデータの背景にある現場のリアリティや手応えをどう適切に捉えるか

[2]個別の要素に還元し得ない固有の文脈やホリスティックな状況それ自体をどう分析・記述するか

[3]質的なアプローチによって得られた知見を学修成果の可視化に関連した大学教育現場に山積する課題解決にいかに実際的に活かすのか

[4]ひいては学生の学びと成長にどう研究知見を活かしていくのか

という問いについては、萌芽的な段階に留まっていることを議論しました。特に、[3]は未着手でありながら、緊急性も高い課題であり、適切なアプローチで解明していくために、まずは先行する優れた質的研究の事例収集から分析視点を導出することが直近の課題となることを指摘しました。

 さらにRTでは、大学教育における質的研究をめぐる支援ニーズを抽出するねらいから、参加者にアンケートを実施しました。このアンケート結果から、大学教育を対象とする質的研究に関する交流を通した場づくりのニーズが確認できた一方、

[5]今後本学会でどのように良質の質的研究を数多く生み出し、制度設計していくべきなのか

という点にも議論が及びました。大学教育学会員が、多様な研究手法を適切に使いこなすことができるような支援の仕組みづくりも課題であることを確認しました。

 このような課題認識をもって、大学教育を対象とする質的研究のあり方として研究目的に応じた様々なアプローチや手法があってよいとする立場から、山田らは大学教育研究力向上委員会との連携を視野に入れて、大学教育学会員のニーズに照らした質的研究方法の普及を積極的に行っていくことを本課題研究で目指しています。


以上より本課題研究では、以下の3つの取組を、特に②を取組課題の中心に位置づけて進めます。

①大学教育実践を対象とした優れた質的研究論文のレビューの推進 [1],[2]

 大学教育実践を対象とした優れた質的研究論文には、[1]収集されたデータの背景にある現場のリアリティ・手応えを適切に捉える方法や、[2]個別の要素に還元し得ない固有の文脈やホリスティックな状況の分析・記述方法に関する多くの知見が埋め込まれているが、それらを構造化された大学教育実践知として示します。またレビューを通して、大学教育を対象とする質的研究の多様性を確認することができるものと考えられます。こうした取組を通して、本課題研究における中心的な取り組み課題②にとりかかるための基盤を作り上げることを目的とします。

②質的研究手法を用いた学修成果の可視化を含む幅広い学びの研究、及びその活用に資する調査研究[3],[4]

 既存の学修成果に関する学生調査は、各大学という個別の研究フィールドに閉じられてしまい、大学生の学びに関する研究の学術知として蓄積されていません。そこで①の取組を踏まえて、取組②では学生の学びの質的研究の知見に関する活用可能性を探ることを目的とします。質的研究の活用可能性の探索については、人類学者ジョージ・E・マーカスによって提案されたマルチサイテッドエスノグラフィーを援用し、複数大学の学生を対象に研究者間で統一化された手続きの質的研究手法でアプローチしていきます。その結果を、個別の大学で得られた学生の学びに関する知見の差異と共通性を総合的に検討することを通して、質的研究の知見の活用可能性を探索します。

③質的研究方法の普及のための、年に複数回企画・実施する会員のニーズに照らしたワークショップ型研修[3],[4],[5]

 ①及び②の取組成果を現場に還元します。


※[ ]は、本課題研究の問題意識を示した箇所を指し、数字は取組内容との対応を示すために付記したものである。