2025年3月2日、同20日に金沢市立玉川図書館近世史料館にて志賀町米浜の存立寺からレスキューした史料の整理を行いました。いしかわ史料ネット(金沢大学・金沢学院大学の学生・院生含む)から2日は10人、20日は7人に参加していただきました。集中して作業を進めた結果、両日合わせて10箱以上の整理を進めることができました。
存立寺の史料は多くが浄土真宗関係の典籍で、普段使用しない漢字なども多く、目録作りの手が止まることもありますが、興味深いものばかりです。仏教関連だけではなく、同寺の子供が使ったものなのか、明治頃の高等学校や女学校用の教科書もありました。
現段階で約1500点の史料整理が終わりましたが、まだ未着手のものが100箱近くあります。今後4、5月にも存立寺の史料整理ボランティアを開催する予定です。これからもこつこつ取り組んでまいります。この活動が能登復興における文化的側面の一助となれば幸いです。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
若林 彩乃
2025年2月9日(日)、石川県立歴史博物館で下張りはがしWSを開催しました。神戸の歴史資料ネットワークから河野未央氏・小野塚航一氏を講師にお迎えし、いしかわ史料ネットから8名が参加しました。
珠洲市宗玄の旧家からレスキューされた襖について、一つのグループは下地骨から下張りをはがして、まくりを作り、さらに1層目の記録をとってはがしました。もう一つのグループでは、既にまくりにされ、1層はがされた下張りから100点以上の古文書をはがしました。
剥がされた文書は、加賀藩の郷村支配を担った十村(他藩の大庄屋に相当)同士の書状や役務関係文書でした。珠洲郡の村々における猟船売買や炭生産に関わるもの、地震や台風被害に関する記述のある書状など興味深い古文書がありました。
午後にはご所蔵者もお越しになり、作業をご覧いただいたり、実際に下張りをはがしていただきました。
なお、2024年11月から当月まで、文化財防災センターによる文化財レスキューが続けられています。いしかわ史料ネットからも、この間のべ30名余りが断続的に参加しています。また、2024年9月以降も毎月1回、石川県立歴史博物館で珠州市蛸島のD家文書の整理を進めています。今後もレスキュー・資料整理に地道に取り組んでまいります。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
上田 長生
2024年10月23日(水)、能登町松波の旧家で文化財レスキューを行いました。能登町職員2名、文化財防災センター4名、いしかわ史料ネット3名が参加しました。
江戸時代には肝煎・山廻などの代官を勤めた家で、役目のかたわら、学問にも通じていたようで、書物も確認されました。最近まで呉服業を営んでおり、帳簿などから商人としての姿も垣間見ることができました。
梱包した約20箱分を町内の保管倉庫へ搬入しましたが、その道中の町内では、先月発生した「令和6年奥能登豪雨」による、川の氾濫の爪痕が所々で見うけられました。懸念されていた二重被災により、一刻も早い復興が期待される中で、改めて文化財救援の一助となりたいと強く感じました。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
鎌田 康平
2024年9月21日・22日の豪雨で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
9月21日には、金沢市立玉川図書館近世史料館で志賀町米浜の存立寺からレスキューされた典籍・書籍類の整理を行いました。専修大学の近現代史ゼミのゼミ旅行で来られた皆さんと、いしかわ史料ネットの15名(金沢大学・金沢学院大学の学生・院生は9名)が参加しました。15箱の整理を終えることができました。午後の作業中に、奥能登での豪雨の情報が入り始め、心配しながらの整理となりました。
9月22日には、石川県立歴史博物館で珠洲市蛸島のD家文書の整理を行いました。朝から金沢でも風が強く、開催を危ぶみましたが、8名(金沢学院大学・金沢大学の学生・院生は4名)が参加して、整理を進めました。所蔵者の方にも整理の様子を見ていただくことができました。
両日の豪雨で奥能登が再び甚大な被害を受けたことに、強い衝撃を受けました。今後、いしかわ史料ネットとしては、許されるタイミングでレスキューに入らせていただき、一方で歴史資料の整理・保全を進めていくことで、微力ではありますが、被災地の復興の一助になればと考えています。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
上田 長生
2024年9月4日~5日に輪島市鳳至町および、能登町鵜川で歴史資料のレスキューを行いました。文化財防災センター、県文化財課、いしかわ史料ネット(学生・大学院生も含む)から2日間を通じて約30名の参加がありました。両日とも残暑厳しい中での作業となりましたが、こまめな休息を取りながら、全員無事で予定していた工程を終えることができました。
輪島市鳳至町の旧家からは漆器類を中心に、襖や屏風など計200箱以上の資料を搬出しました。同家は輪島塗の塗師を家業としていたこともあり、緑漆の椀器が見つかるなど、輪島の高度な技術力を物語る資料が数多く見つかりました。
能登町鵜川の旧家は近世に十村役を勤めた家であり、その関係文書を中心に搬出を行いました。特に寛文期以降の年貢割付状や皆済目録などがまとまった状態で残されており、今後これらの資料整理が進むことで、同地域の歴史が詳細に明らかにできるものと思われます。
私は今回、初めてレスキューに参加させていただきました。移動の車内から輪島や能登町の街を見渡すと、至るところで公費解体が進められており、史資料のレスキューが待ったなしの状態であることを実感させられます。それと同時に、実際に活動に参加してみると、レスキューというのは一軒のお宅の資料を救出するのに何十人の人手と体力を要する重労働であるということも実感させられます。
一軒でも多くの家から史資料を救い出すためには、一人でも多くの人手が必要であり、今後もできる限り参加していきたいと思いました。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
山田 拓実
2024年8月29日に、いしかわ史料ネットとしてレスキュー資料の整理を始めました。
珠州市蛸島のD家文書は、現在石川県立歴史博物館に保管されている、漁業や土地・金融関係などが多い文書群です。いしかわ史料ネットの会員や、金沢大学・金沢学院大学の学生・大学院生のべ17名の参加でした。
当面、D家文書は月1回ペースで整理をしていく予定です。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
上田 長生
2024年8月27日(火)に、珠洲市三崎町で歴史資料のレスキューを行いました。いしかわ史料ネット(学生・大学院生もふくむ)・文化財防災センターだけではなく、新潟歴史資料救済ネットワークからも参加者がありました。総勢は12名です。
猛暑下でヘルメットやマスクを着用して作業をすれば、どうしても汗まみれになります。はやる気持ちをおさえて、のどを潤し、しばし小休止をすることを忘れませんでした。こうして近世には村役人を務めたお宅の蔵の中から、古文書、写真、屛風、絵画、掛け軸などを無事に救出することができました。
今回、訪れたのは能登半島の先端です。コンビニや飲食店も、少しずつオープンしています。それでも、海沿いを車で走ると、息をのみました。あまりにも多くの家屋が、倒壊したままだったからです。この光景を目に焼き付けて、これからもレスキュー活動に取り組みたいと思います。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
武井 弘一
2024年7月13日(土)、志賀町末吉の旧家にて文化財レスキューを行いました。志賀町、文化財防災センター、神戸の歴史資料ネットワーク、そしていしかわ史料ネットから総勢で20名を超える参加があり、大規模なレスキューとなりました。
母屋・蔵・工場といわれる3ヶ所の建物からの史料搬出となり、段ボールやエアキャップで包んだ物を合わせると、120個以上にも及ぶ搬出となりました。近世から続いた薬商の家ということで、看板や薬のラベルなどが確認できたほか、什器や経典といった家の歴史を感じさせる史料も多く残されていました。石川県知事岩村高俊からの褒状(困窮者への施米)からは、地元の名士としての当家の様相もうかがえます。
この日は、連日のように降雨が続くなかでの晴天となり、幸いにもレスキューを実施することができましたが、気温は30度を超えて日差しが強く、日陰でもかなり蒸し暑い1日でした。レスキューに参加する場合は、日々健康に留意し、当日は暑さ対策が必須だと感じました。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
宮下 和幸
2024年6月14日(金)に志賀町米浜の真宗寺院、存立寺で歴史資料のレスキューを行いました。志賀町職員2名、金沢市立玉川図書館近世史料館職員1名、文化財防災センター9名、いしかわ史料ネット5名(うち院生1名)が参加しました。
地震で半壊した経蔵には、歴史資料を収蔵した木箱が数多く並べられており、地元の方々の手によって事前に本堂へ運び出されていました。それらを木箱ごとにラベリングして段ボールに詰め、金沢市立玉川図書館近世史料館へ搬送しました。幕末から明治期にかけて蒐集されたという仏教関係の典籍を主とし、一部、文書やノート類も含まれていました。今回救出した4000点以上に及ぶ史料群は、同史料館に寄贈される予定です。
平日にも関わらず多くの人が活動に参加し、非常にスムーズに作業が進みました。何よりも、経蔵から資料を運び出すという大変な作業を、地元の方々が済ませてくださっていたことが大きかったです。レスキュー活動に関わった一人として、地域で大切にされてきたその思いを受け止めるとともに、新たな場所で歴史を刻み始めた資料の行く末を見守っていきたいと思いました。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
岡野 有里香
2024年6月12日(水)、石川県立歴史博物館・いしかわ史料ネットの共同で、能美郡川北町において被災資料の状態確認をおこないました。
資料は、もともと珠洲市蛸島町の旧家に伝わったものです。地震後、お家の解体前に子孫の方が川北町のご自宅に資料を運んでいました。一部の古文書は雨で濡れており、その対処方法について4月に歴史博物館にお問い合わせいただき、貴重な資料の存在を知りました。濡れた古文書はご所蔵者の方の適切な処置により、状態の悪化を防ぐことがでました。資料は主に近世~近代文書で漁業関係、政治関係のものが多く確認できました。なかには、蛸島の漁場を描いた絵図もあり、今後の資料整理によって同地の新たな歴史が明らかになると思われます。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
石川県立歴史博物館
林 亮太
2024年6月11日(火)に能登町宇出津の旧家で、歴史資料のレスキューを行いました。能登町職員1名、文化財防災センター6名、いしかわ史料ネット5名が参加しました。
公費解体が予定されている母屋と収蔵庫にあった、近世から近現代の古文書・典籍など約30箱を一時保管場所へ搬入しました。網元を務めたお家なので、漁業関係の数多くの書類が残っていたほか、寛文10年(1670)の「宇出津町御印」(藩主御印による年貢割付状)の原本も確認しました。
たくさん残されていた多彩な典籍からは、宇出津町で営まれた文化活動の豊かさが伝わってきます。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
上田 長生
2024年6月6日(木)に能登町九里川尻の旧家で、文化財レスキューを行いました。能登町職員2名、文化財防災センター5名・いしかわ史料ネット5名(うち学生2名)が参加しました。
土蔵の2階に、衣類や漆器が入った長持などと共に、近世・近代の古文書・仏教関係の和本・軸の史料が残されていました。江戸時代に肝煎を務めたお宅で、当時の村落構成を知る上で、貴重な持高帳も含まれていました。これらの史料を梱包し、一時保管先へ搬入しました。
数日前には大きな揺れが再び起こり、能登では倒壊した家屋もありました。史料救出も急務となっていますが、1つ1つ着実に作業を行っていきたいと思います。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
鎌田 康平
七尾市街地にある商家の文化財レスキューです。活動には七尾市教育委員会から2名、文化財防災センターから2名、当会から10名(うち3名は金沢大学学生ボランティア)が参加しました。
分担して作業にあたり、壁が破損した蔵の2階から資料を搬出、土間をお借りして記録、梱包した後、隣接する中能登町内の一時保管場所へ搬送、搬入しました。所蔵者の方は文化財ドクターによる建造物の調査と並行してご対応、近所の方々も当活動にご理解・ご協力くださり、搬出から搬送まで円滑に取り運ぶことができました。近代を中心とした文書等で、ダンボール箱約90箱の一大資料群でした。
まだ梅雨入り前にもかかわらず、蔵からの搬出は汗だくの作業になりました。これからの季節は滴る汗や体調の変化などにも注意して、資料や自身の安全を確保していかなければならなくなることを、身をもって感じました。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
堀井 雅弘
2024年5月25日(土)に能登町宇出津山分の旧家で文化財レスキューを行いました。能登町の職員1名、いしかわ史料ネット・金沢大学の学生ボランティアなどから10名が参加しました。また、古い輪島塗を新たな持ち主に引き継ぐ活動をしている一般社団法人「能登地震地域復興サポート」の方も参加しました。
近世には、宇出津山分村の村役人を勤めたお宅であり、蔵には漆器や陶器、軸物や屏風、近世・近代の古文書などが収納されていました。所蔵者のご協力を得て、慎重に資料の搬出を行い、梱包することができました。
かつて『能都町史』(1982年)に掲載された資料のほかにも、新たな近世文書や屏風類が確認され、今後の資料整理によって、宇出津山分の歴史を紐解くことが期待されます。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
岩田 裕斗
2024年5月21日(火)に能登町宇出津の商家で文化財レスキューを行いました。能登町の職員2名(1名は応援職員の方)、文化財防災センター・いしかわ史料ネットなどから7名が参加しました。近世には様々な商売を行い、近現代には化粧品を商われていたお宅です。車庫の2階に、商売道具や漆器・食器・古い衣類などとともに、近代文書や軸物・屏風類が収納されていました。地震によって2階に登る階段に壁が倒れ掛かってしまったため、階段を昇降や資料の搬出には注意が必要でしたが、参加者の連携によってスムーズにレスキューを行うことができました。
レスキューされた資料の中には、乃木希典が揮毫した書や宇出津の人によって書かれた屏風もありました。今後の資料整理によって、奥能登の主要な町場のひとつであった宇出津の繁栄が明らかになっていくものと思われます。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
上田 長生
国道249号に沿った内陸部に、午前中にうかがった高豊山最安寺があります。こちらでは倒壊した五輪塔を7人で直しました。土手の下に落ちた水輪は晒と荒縄で引きあげ、ベニヤ板の上を滑らせて元の位置に戻しました。そして予期せぬ地震で再び落ちていかないよう、四隅に杭を打ちロープで囲いました。
午後にうかがった積宝山萬福寺は、松波城主畠山氏の菩提寺です。幸いご本尊の如意輪観音は無事のようでしたが、その左右奥に階段状に並んだ像は、台座が大きく損傷していたため、配列を維持したまま別置しました。その他光背の取れた像、足元で折れて本体が分離した像なども順次降ろしていきました。
最安寺から山へ上がる道沿いには、能登の復興にかける思いを綴った看板が掲げられています。聞けば、終始作業に付き添ってくださったお寺の方が書いたそうで、我々の活動が少しでもその役に立てればと、気持ちを新たにしました。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
岡嶋 大峰
いしかわ史料ネットとして第2回の文化財レスキュー活動は、輪島市の上時国家で行いました。平家の子孫に由来する、江戸時代には能登天領(幕府領)の大庄屋を務めた家で、その屋敷は重要文化財に指定されています。茅葺きの屋根が落ちて、被災した資料を救出するため、会員11名が参加しました。
雨水に濡れた資料を搬出する輸送部隊、文書箱ごとにビニール袋に包み込む梱包部隊に分かれて作業しました。県指定文化財の資料も含む約8千点を救出し、状態記録をとった後、薄葉紙とビニール袋の二重梱包による密閉を行いました。今後はカビの繁殖等を防ぐため、一時的な冷凍保存処理が行われる予定です。
徐々に復興の音が聞こえてくるようになった今、こうした文化財をレスキューしていかなければならない段階に入りました。歴史を教えてくれる地域の貴重な財産を、後世にも繋いでいくため、レスキュー活動に邁進したいと思います。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
鎌田 康平
令和6年4月13日(土)に羽咋市歴史民俗資料館で開催された、ふすまの下張り文書はがしワークショップに、羽咋市の古文書を楽しむ会の皆さんと一緒に参加しました。前回と同様に、歴史資料ネットワークから講師をお迎えし、講義と実習がおこなわれました。
前回の経験もあり、はがし作業も順調に進むかと思いきや、のりがきつく、力の加減を誤ると文書が破れるかもしれない場面に何度も遭遇しました。とはいえ、ためらっていても作業は進みません。下張り文書はがしの目的は、はがした文書から情報を引き出し、地域の様子を明らかにすることです。何が大事なのかを考えつつ、はがし作業に没頭しました。
前回に引き続き、ふすまの下張り文書をはがすという貴重な経験をさせていただきました。地域の歴史資料を保存・活用していく際に、今回の経験を活かしたいと思います。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
麦居 和真
3月30日に羽咋市歴史民俗資料館で開催された、ふすまの下張りはがしワークショップにいしかわ史料ネットの会員も参加しました。歴史資料ネットワークから河野未央さん、小野塚航一さんを講師にお招きして講義と実習がおこなわれ、羽咋市の古文書を楽しむ会の皆さまと一緒に作業しながら、地域の歴史資料を守るための知識を深めることができました。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク
宮下 和幸
当会の発足後、初めての文化財レスキュー活動を能登町鵜川で行いました。救出したのは、江戸時代に村役人を務めていたお宅の土蔵で保管されていた古文書や掛け軸などの歴史資料です。依頼を受けた能登町教育委員会と連携し、文化財防災センターの協力の下で3月29日から3日間にわたって行われた活動に、会員9名が参加しました。
初日に現場確認と導線の確保、2日目に土蔵からの搬出・梱包・一時保管場所への搬入、3日目に整理作業を行いました。作業スペースが限られる中で、資料を安全に運び出す作業には柔軟な対応が求められ、緊張感のある中で活動が行われました。現場で得られたノウハウを蓄積し、貴重な歴史資料を守り伝えて来られた所有者の方々の助けとなれるよう、引き続き歴史資料の保全に努めたいと思います。
いしかわ歴史資料保全ネットワーク・石川県立歴史博物館
吉田 朋生
いしかわ歴史資料保全ネットワーク(通称:いしかわ史料ネット)を立ち上げました。