東玉川

東玉川1丁目28番地

馬頭観音

場所は東玉川小学校から、奥沢小学校へ向き、旧セブンイレブンがあった信号の次の左手角にあります。多分、小学校在学中には見たことはあっても、あまり気にしてはいなかったかも知れません。

馬の頭をのせた観音様という意味で、馬が草を盛んに食べつくすように、まわりの悪いものを食べつくす仏様としてお祭りされていました。左右には「池上道と九品仏道」と道しるべの文字があり、もとはここにはなく、東玉川小学校の近くにあったのを、道路拡張時に移したそうです。その隣に、赤いエプロンを着けて昔から村境に祭られている地蔵様もあり、馬頭観音に道しるべがあることと合わせて考えると、村境か道の分かれている所にあったと思われます。(”てくたくぶっく”より抜粋)

東玉川1丁目32番地8

東玉川神社

「世田谷区の歴史」によれば、

「東玉川神社の祭神は大山咋命(おおやまぐいのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)。天文20年(1551年)以後に勧請したのであろうが、この等々力村飛地大平分(のちに諏訪分と改名)には諏訪神社があり、明治以前は十戸の鎮守的存在であったが、明治41年(1908年)、等々力村本村の玉川神社に合祀されて、この地には神社がなくなってしまい、大正の末期から急増した移住者は鎮守の所在を知らず、地域住民としてよりどころがなかった。・・・」

1929年(昭和4年) 現在の末社(御嶽神社・伏見稲荷神社)を創建。

1940年(昭和15年) 東京府知事から「諏訪神社」を社名変更し、「東玉川神社」とする認可を得る

1999年(平成11年)東玉川神社社殿修復落成。


東玉川交番

昭和4年、奥沢巡査部長派出所配下玉川地区に15か所設置された巡査駐在所の一つが諏訪分駐在所(場所は東玉川1丁目28,早川家の近く)

昭和10年10月、世田谷警察署から分離独立し、玉川警察署が開設。昭和14年2月、玉川警察署の東玉川駐在所が現在の場所に設置される。
昭和27年に駐在所から派出所に昇格、平成6年7月、東玉川派出所が「東玉川交番」に名称変更。

東玉川1丁目36番地

東玉川更科

東玉川1丁目40番地

東玉川郵便局
ドミノピザ東玉川店開店
平成30年12月14日に「ドミノピザ」の東玉川店が開店しました。場所は、奥沢小学校近くの元サークルKのコンビニがあった所です。このため、環8から石川台に抜ける通りには「ナポリの窯 奥沢店」、「ピザハット 自由が丘店」に続き3軒目と乱立する事となり、さながら宅配ピザ通りになりました。食べる側にとっては、チョイスのバラエティが増え嬉しい話ですが、作る側にとっては、競争が厳しくなりますね。
もとは、昭和10年代に三安商店として開店、スリーエイト東玉川店、サークルKになりました。

東玉川2丁目21番地

田園調布学園

大正15年(1925年)7月、諏訪分3712番地に調布女学校と調布幼稚園を創立しました。

昭和2年(1927)年2月に3年制から5年制の認可を受け、調布高等女学校になりました。

昭和18年(1943)年7月に東京市と東京府が合併して東京都が発足し、東京都世田谷区東玉川町136番地になる

昭和22年(1947年)及び昭和23年(1948年)に調布高等女学校から調布学園(新制)中学校及び調布学園(新制)高等学校を設立しました。

昭和42年(1967年)6月に新住所表示が導入され東京都世田谷区東玉川2丁目21-8となる。

平成16年(2004年)4月に調布学園から田園調布学園に名称を変更し、現在に至ります。

東玉川2丁目30番地

慈光山浄行寺

銀の鈴幼稚園

1950年3月、宗教法人浄行寺により銀の鈴幼稚園として設置・認可

 リニア新幹線と東玉川

ご存じのように、201410月にリニア新幹線が認可され、12年後の2027年に品川から名古屋まで、開通します。このニュースは、東玉川と全く関係ないように思われますが、実は関係があるのです!

リニア新幹線のルートは、品川を出発して、東海道新幹線の下又は沿いに走るのですが、戸越辺りから離れ洗足池、川崎武蔵中原方面経由で名古屋に向かいます。そのルート線上に、奥沢地区はありませんが、東玉川地区があります。

東玉川地区のルートは、中原街道の雪谷総合式場辺りから、大田区石川台2丁目に入り、東玉川小学校の南側を経由し、東玉川1丁目13番に入ります。その後、1丁目19番の東玉川地区会館の下、1丁目24番、1丁目23番を経て、東玉川交番近くで自由通りと交差し、東玉川2丁目19番に入り、2丁目20番、2丁目21番の田園調布学園の下を通過、環八を超え、大田区田園調布に入ります。掘削は、直径約13mのシールド工法、トンネルの深さは、大深度地下即ち地下40m以深との事です。
因みに、港区高輪にある品川駅から始まり品川区⇒大田区⇒世田谷区東玉川⇒大田区を経て川崎市に入ります。よって、東玉川は、ご存じのように世田谷でも大田区に突き出たような形をしていますので、都内で唯一リニア新幹線が通る世田谷区の町になります。又、発表されている資料から計算すると、距離は、品川を出発してから約7km台の約750mの区間位で、深度は80m位かと推定します。 

奥沢

奥沢1丁目番地

奥沢本村由来碑

場所は、馬頭観音から通りを挟み奥沢側に1ブロック入ったところにある大音寺墓地の入り口近くにあります。墓地内に在るので、最初は見つけるのが難しいかも知れません。小学校在学中には、見たこともない人も多いと思います。

奥沢は昔から本村と新田に分かれていました。勿論、本村が古いのですが、詳しいことはわかっていません。そこで、古くからの言い伝えを基にして、この石碑を建てたのです。元亀年間といえば、今から400年以上前のことで、小田原の北条氏が滅んで、織田信長が出てきた頃のことです。(”てくたくぶっく”より抜粋)

石碑には:

「和田義盛の二男朝盛より八代の嫡流朝清、元亀元年家臣十二名と共に武蔵の国荏原の里に来住。江戸時代奥沢本村と称し旗本渡辺某氏の領地(禄高二十二石)となる。明治の初期、東京府荏原郡玉川村大字奥沢となり本村の氏神「正一位子安稲荷大明神」は内務省令により明治四十三年十月二十四日奥沢神社に合社大正に至る。昭和七年十月一日東京市に併入、世田谷区玉川奥沢一丁目となりその後東京都に統合。」

更に追加すると、昭和45年(1970)に住居表示法に基づき世田谷区奥沢一丁目となる。 

奥沢1丁目8番地

ガソリンスタンド

東玉川小学校と奥沢小学校の間にあった出光のガソリンスタンド染谷商店が、平成25年1月31日に閉店となりました。この近辺では最後まで残った唯一の、50年近く地元の人に愛されたガソリンスタンドでしたが、残念ながらなくなりました。今後は、一番近い所でも、石川台又は雪谷の中原街道沿い又は田園調布の環八沿いになり、大変不便になりました。平成25年6月30日現在、完全に更地になりました。
何か変わるような事がありましたら、記事にするつもりですが、この近辺では最後まで残った唯一、かつ地元の人に愛されたガソリンスタンドでしたので、前を通ると未だに思い出し、時代がハイブリッド・電気へ変わりつつあるとは言え、寂しい限りです。

ファミリーマート奥沢一丁目店に生まれ変わる

 平成30102日にコンビニの「ファミリーマート奥沢一丁目店」が誕生しました。場所は、奥沢小学校近くにあった出光ガソリンスタンド(染谷商店)の跡地です。車が4台とめられるファミマで便利になりました。前にありましたサンクスKは、ドミノピザになりました

 ファミリーマートは、東玉川二丁目店(東玉川2-5-1)が環8沿いにありますが、東玉川小学校近くにありました「セブンイレブン」がなくなってからは、結構不便でしたが、これにより大分便利になるかと思います。

奥沢1丁目11番地

子安稲荷神社

東玉川小学校と場所は、由来碑の近くで、跡地が公園になっています。

奥沢本村の氏神様である「ウガノミタマノミコト」を祭った子安稲荷神社がありました。西側の村道から入ると並木があり、南は境にお茶の木があったそうです。奥に社殿があり、周りには大きな木が茂り、一番大きい杉の木は3人の大人が抱えるほどの太さでした。本村の氏子は26戸と少ないため、秋の祭りも毎年はせず、明治43年(1910年)、八幡神社(後の奥沢神社)に一緒に祭られました。明治の初め頃、この辺りは「稲荷山」と呼ばれていたそうです。(”てくたくぶっく”より抜粋)

奥沢3丁目15番地
奥沢まちづくりセンター
令和2年3月23日に3丁目5番から奥沢駅方面に140m寄った3丁目15番地に引越しました。
奥沢あんしんすこやかセンターも同時に2丁目23番地から奥沢まちづくりセンターの新ビル内に移転しました。

奥沢駅(MG07)

奥沢駅です。2000年に目蒲線はなくなり目黒線になりました。蒲田からではなく武蔵小杉から東横線と平行して走り、田園調布から分かれ目黒へ行き、目黒で営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線に連絡します。多摩川駅から蒲田への路線は多摩川線として残っています。昔は、池上線か目蒲線のどちらが先に東横線のお古の車両を貰い受けるかと言われてましたが、今や6両編成の最新車両が走っています。
1972年、駅は立派なビルになり、駅前の原カメラ店はサンケイカメラとなり、ビルの中にあります。駅前の噴水がある広場では、奥沢駅前音楽祭等いろいろなイベントが開催されます。

2022年に新駅舎と駅ビル、跨線橋(歩道橋)が出来、やっと上りと下りの改札口が一緒になり、便利になりました。

1923年(大正12年) 東京目黒蒲田電鉄の奥沢駅として開業。改札口は上りと下り別々に作る。

1972年(昭和47年) 駅を改築し、駅前に噴水がある広場を設置する。

1992年(平成4年) 「ふんすい広場」と名付けられ、イベントが開催されるようになる。

2000年(平成12年) 目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分割され、目黒線の駅となり、6両編成車両が走る。

2018年(平成30年) 8両編成の東急新横浜線の乗り入れのためプラッットホームを延伸する。

2022年2月    北口の新駅舎と駅ビル、跨線橋(歩道橋)が出来、上りと下りの改札口が一緒になる。

諏訪山商店街ファミリーショップ商店会・奥沢東通り商交会 

奥沢駅すぐ南の交差点、東へと伸びる街路に沿った商店街が諏訪山商店会で、対面に東京明日香病院(旧大脇病院)があります。駅横にあるマンションと公共施設(奥沢区民センター、世田谷区立奥沢図書館等)の入った大きな建物の下にもたくさんの店舗がありますが、別商店街でファミリーショップ商店会となります。更に東に進むとやや下り坂となり、奥沢東通り商交会と繋がり奥沢中学校方面に続きます。

奥沢本町商店会

踏切から自由通り沿いに南下(雪谷方面)する商店会で早川自転車、城南信用金庫奥沢支店、玉川消防署奥沢消防出張所、奥沢まちづくりセンター、とんかつが美味しい「ミカド」等があります。

奥沢銀座会&奥沢親交会

自由通りから鮪寿司で有名だった「入船」(2019年11月閉店、現在は駐車場)を入口に本町商店会から別れる商店会で、新奥澤線(1928年~1935年まで短命運行)の新奥澤駅があった東玉川2丁目41番地に合流します。昭和初期、奥沢駅と新奥澤駅を結ぶこの商店街は栄えたのではないかと想像します。 

神社

昔この地を領した吉良氏の家臣、大平氏が室町時代に奥沢城を築城するにあたり守護神として勧請したと伝えられ、八幡神社と称し、明治時期に近隣の神社を合祀した際に奥澤神社と改称した。江戸時代中期から続く大蛇お練り神事は、2016年に東京都の無形民俗文化財に指定された。 

奥沢海軍村

1923年(大正12年)に起きた関東大震災の後、都心から山手線外側の地域へ移動する人が増え始め、そのような状況下、海軍士官の人達は、海軍省がある虎ノ門と軍港がある横須賀の中間になり且つ土地の値段も手頃な奥沢2丁目に住むようになりました。昭和になる頃は30軒ほど集まり「海軍村」と呼ばれるようになりました。

上級海軍軍人は、海軍が田園調布に家を用意しました。

雪谷大塚

雪が谷大塚駅(IK09
1989年(平成元年) にできた今の駅は、2階に改札口があります。写真は踏み切りを渡った商店街側の入り口です。下の写真が、昔はありませんでしたが、中原街道に面している入り口です。改札口を出ると、東玉川町方面と案内があり、それに従っていくとこの入り口に出ます。踏み切り脇の雑誌販売の店は健在です。電車は相変わらず五反田・蒲田間を3両編成で運行していますが、ワンマン運転になり、運転手が車掌を兼ね、ホームの状況を運転席に付いているTVを通して監視しながら、運転席からドアの開閉操作をしています。ホームには、カメラとセンサーを設置し、安全を図っています。 

1923年(大正12年)池上電気鉄道の雪ヶ谷駅として開業、当時の駅は現在より約百メートル五反田寄り

1927年(昭和2年)現在の車両基地付近に調布大塚駅が開業

1928年(昭和3年)新奥澤線、雪ヶ谷―新奥澤間が開業

1933年(昭和8年) 雪ヶ谷駅と調布大塚駅を統合し、現在の位置に移設、雪ヶ谷駅とする

1935年(昭和10年)新奥澤線が廃止

1943年(昭和18年) 雪ヶ谷大塚駅と改称

1966年(昭和41年)雪が谷大塚駅と改称

1989年(平成元年) 雪が谷大塚ビルが完成、地上駅舎から橋上駅舎となる

雪ヶ谷大塚駅(バスターミナル)

昔、東急ストアの中原街道並びで自由通りを挟んだ反対側の芝信用金庫雪が谷支店横の駐車場(現タイムズ)は、雪ヶ谷大塚駅のバス―ターミナルとして機能し、バスが発着していました。特に、終戦1947年(昭和22年)に東京急行電鉄(大東急)及び東京都交通局(都営バス)との共管路線である雪ヶ谷線(雪ヶ谷大塚駅~東京駅南口間)を新設した当時は大型トレーラーバスが入出庫し、直接雪が谷から銀座へ行けました。

現在は普通のバス停で、多摩01(多摩川駅~東京医療センター)及び蒲12(田園調布駅~蒲田駅)のバスが通過しています。

雪ヶ谷商店街
踏切を渡ったすぐ亀屋万年堂がありました。覚えてますか?
今は、商店街通りにバーミヤン等の店もでき、雪谷市場があった所はスーパーのオオゼキになりました。奥にあった雪谷デパートは、綺麗になりました。
文房具店のクニミツがあった方の通りは、Cando 等ができました。

中原街道沿い
覚えてますか?駄菓子屋の福田屋です。おじさん(当時75歳位)元気で、2005年3月19日現在までやっていましたが閉店し、牛丼の吉野家になっています

東急ストア、小林金物店の角です。調布薬局、三州堂書店です。漫画の立ち読みをしていたのでは?
雪が谷大塚駅前にある東急ストアがテナントとして入っているビル「豊田ビル」が新築改装のため平成29年3月1日から解体開始、平成29年8月1日から建設が始まり、翌年平成30年7月31日に完成予定とのことです。現在の5階建から6階建になります。そのため、テナントとして入っていた「三州堂書店」が平成28年6月に閉店(但し、雪谷商店街奥にある店はそのまま継続)、平成29年1月にビル地下にあるカラオケが閉店、平成29年2月28日「東急ストア」が閉まりました。又、ビル自体が違うので影響がないはずの「小林金物店」も平成28年12月に閉店しました。間に挟まれている「調布薬局」はそのまま残るみたいです。よって、近くには、石川台の「ピーコック」、御嶽山の「イオンスタイル」「オオゼキ」がありますが、当面、雪が谷大塚周辺のスーパーマーケットは雪が谷商店街の「オオゼキ」一店のみになるかと思います。

雪が谷の東急ストアは、豊田ビルが昭和37年(1962年)5月に完工したその年の9月16日に「東光ストア」として開店、昭和50年には、現在の「東急ストア」に商号が変更となり、今程55年の幕を閉じました。開店当時はセルフサービス方式を導入した最先端のスーパーマーケットであったため、雪が谷商店街に影響が出てつぶれる店がでるのではないかとの懸念がありましたが、当初は買物客の慣れと値段の問題で直ぐに影響は出ませんでした。その後徐々に影響が出てきて、2003年頃に「雪が谷市場」がなくなり、その跡地にマンションが建ち、その中にオオゼキができ現在に至ります。地元にとっては、とても便利なスーパーマーケットでしただけにとても残念です。平成29年5月の時点、東急ストアが平成30年8月のビル完成後、再開するかは不明です。これは余談で、まだ決まった訳ではありませんが、「オーケー田園調布」が元「ユニクロ田園調布」の跡地にできるという話があります。そうなれば、雪が谷周辺のスーパーマーケットの環境が大分改善されると思われます。

オーケー田園調布店が開店!

 前述の中でお話しましたが、その噂通り元「ユニクロ田園調布」の跡地(環八・田園調布(旧東調布)警察署近く)に「オーケー田園調布店」が平成30313日に開店しました。

 オーケーとは、ディスカウント・スーパーマーケットで、創業は1958年に上板橋で始めましたが、米国のウォルマートを手本に価格戦略を取り入れ、東京・神奈川・埼玉・千葉の人口密集地を包み込む国道16号の内側を主体に展開、現在14県に89店舗を構え、ここ近年都内に浸透してきたスーパーです。今まで東玉川からは、仲池上店と新用賀又は用賀駅前店が一番近かったのですが、車で行く必要がありこれで歩行範囲内に出来ました。 

東急ストア雪が谷店が再オープン

 平成301017日、「東急ストア雪が谷店」がリニューアルして再オープンしました。同店は昭和37年(1962年)9月開業しましたが、テナントとして入っていたビルが平成292月より耐震のため新築改装し、休業していましたので、17ヶ月ぶりのオープンになります。

 近くには石川台の「ピーコック」、御嶽山の「イオンスタイル」「オオゼキ」、また平成303月には「オーケー田園調布店」が出来ましたが、一時期雪が谷のスーパーマーケットは「オオゼキ」1軒だけでした。よって、開店当日は、待ち焦がれたのか、開店セールのお陰か分かりませんが長蛇の列ができました。

 これで、雪が谷周辺のスーパーマーケットの環境、特にサービス・価格の面で大分改善され、近隣住民にとってはうれしい状況になると思われます。
東急ストアから自由通り挟んだ反対側(現在駐車場)に元雪が谷バス終点駐車場がありました。昔はトレーラバスがここでUターンし、銀座経由で東京駅に行きました。
元魚秀があった所です。「ひょうろく」という蕎麦屋に変身しました。柳橋のうなぎは健在です。その先の城南信用金庫は変化なし。

雪谷保健所とアルプス電気

覚えている方もいらっしゃるのではと思いますが、調布幼稚園の中原街道側に大田区の雪谷保健所がありました。50年位前は、狂犬病予防のため、野良犬を捕獲していたりしていた記憶があるのですが?

1994年に保健所法が改正され地域保健法となり、1997年に制定された折、名前が大田西地域行政センターとなりました。しかしながら、場所が雪が谷大塚と石川台の中間位に在るため、乳幼児健診など の時は、駅を降りて歩いていくにはちょっと不便な場所で、大田区としては、かねてから駅の近くに移転したいと考えていました。

2006年頃、丁度、雪谷税務署の脇の土地の水道局の用地が空いており、又、アルプス電気社が古い建物であるため耐震補強も含めて改築したいという計画があった事から、大田区は水道局の用地を買収及び旧保健所の用地をアルプス電気社に売却する事により、調布地域庁舎を建てる計画を組みました。

2008年10月14日に庁舎が完成、調布地域福祉課、調布地域健康課、生活福祉課及びまちなみ維持課の四つの課があります。雪谷税務署はそのまま裏にあります。 

アルプス電気は、社屋を一新しました 。

石川台

石川台駅(IK08) 

小学校を取り巻く電車駅、雪が谷大塚駅、田園調布駅、奥沢駅及び緑が丘駅は、改装等がなされ新しくなりましたが、石川台駅は相変わらずです。大きく変化していないので、今までニュースとして取り上げませんでしたが、逆に変わっていないのでニュースにしました。
勿論、改札は最新の自動改札器になっていますが、建物自体特に、ホームは昭和のレトロのまま変わっていません。 


1927年(昭和2年)池上電気鉄道の石川駅として開業、駅名は荏原郡池上村大字雪ヶ谷字石川に由来

1928年(昭和3年)石川台に改称

石川台ゴルフ場

小学校前の通り沿いにあった石川台ゴルフ練習場(石川町2-25-12)はなくなり、2003年に6階建てマンション(ジェイパーク石川台)が建ちました。 

写真手前のプレハブ小屋跡地に、2022年3月新セブンイレブンが出来ました。

緑が丘

緑が丘駅(OM09)
緑が丘駅が、変わりました。改造工事をやっていましたが、2013年(平成25年)3月に完成しました。写真の如く、とても現代的に綺麗で便利な駅になりました。逆を言いますと、昔風の駅の風情が無くなってしまいました。さびしい気もします。 

駅は1929年(昭和4年)東京工業大学大岡山キャンパスが置かれている丘陵地の名称が「中丸山」を頂き、中丸山駅として開業。1933年(昭和8年)に緑ヶ丘駅と改称、1966年(昭和41年)に緑が丘駅と改称。


東京工業大学大岡山キャンパスが置かれている丘陵地には、戦中掘られた沢山の防空壕がありました。

1927年(昭和2年) 目黒蒲田電鉄が大井町―大岡山間を開業、路線名は大井町線

1929年(昭和4年) 二子玉川線として自由ヶ丘―二子玉川間を開業、二子玉川線を大井町線に統合し、大井町―二子玉川間の直通運転を開始

1963年(昭和38年) 大井町線を田園都市線に改称、大井町線という名称一時消滅

1979年(昭和54年) 田園都市線から二子玉川園―大井町間が大井町線として分離され大井町線の名称が復活

田園調布

田園調布駅(TY08/MG08)
1923年に目黒蒲田電鉄・目黒―丸子間の調布駅として開業。1926年に駅名を田園調布駅と改称。1927年に東横線が開業。
1964年に線橋が廃止され地下道になる。1990年に駅地下化のため旧駅舎解体。1996年地下駅竣工。
2000年旧駅舎を駅のシンボルとして復元写真の駅舎は銀杏並木から見た面影を残すため建てた飾りの建物で、駅の役目はしていません。実際の改札口は、この駅舎裏側(東側)にあり、地下にプラットホームがあります。東横線、目黒線が走っています。ただ東横線の急行は止まりますが、新たに設定された特急は止まりません。
1975年(昭和50年)頃は、田園調布駅から東横線で上りは渋谷駅、下りは桜木町駅まで、目蒲線で上りは目黒、下りは蒲田まででした
現在は、田園調布駅から東横線経由で上りは池袋・所沢・川越市駅、下りは元町・中華街駅まで、目黒線経由で上りは赤羽岩淵・浦和美園・西高島平駅、下りは武蔵小杉・日吉まで行けます。

東横線(TY)

1926年(大正15年)東京横浜電鉄が丸子多摩川-神奈川駅間を開業

1927年(昭和2年)渋谷駅―神奈川駅間直通運転開始、路線名を「東横線」とする

1932年(昭和7年)渋谷駅―桜木町駅が全通開業

1935年(昭和10年)急行運転開始

1964年(昭和39年)営団地下鉄日比谷線(北千住―中目黒―日吉)との相互直通運転開始

1970年(昭和45年)中目黒駅―都立大学駅間が高架化

2001年(平成13年)特急運転開始

2004年(平成16年)横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転(渋谷―元町・中華街)開始

2005年(平成17年)女性専用車両設定

2013年(平成25年) 渋谷駅―代官山間が地下化され。東京メトロ副都心線と相互直通運転開始、副都心線経由で東武東上線、西武池袋線との相互直通運転開始、日比谷線との相互直通運転終了。

目黒線(MG)

1923年(大正12年)目黒線として目黒―丸子(現沼部)間を開業、丸子―蒲田間も開業全通し路線名を「目蒲線」と改称する。

1994年(平成6年)田園調布駅を地下化

1997年(平成9年)大岡山駅、目黒駅を地下化

2000年(平成12年)目蒲線から目黒―田園調布間を分離し且つ田園調布―武蔵小杉を運行追加し目黒線と改称、営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線と直通運転する。

2001年(平成13年) 営団地下鉄南北線を介して埼玉高速鉄道線と相互直通運転開始

2023年(令和5年)相鉄新横浜線と直通運転開始予定

田園調布駅西口周辺
所謂大邸宅がある噴水側の西口は、ハンバーガーがおいしかったジャーマンベーカリーがなくなりウィンディーに変わり現在それもくなり、反対側にKFCが出来ました。洋菓子喫茶のレピ・ドールは建て直しをしましたが、健在です。 交番は、昔は駅を出て左側でしたが、右側に変わりました。佐治動物病院は同じ場所に健在です。 

田園調布駅東口周辺
東口は、全体的に建物は新しくなりました。巨人ファンが集まる焼き鳥屋鳥鍈等が健在です。隣にあった神戸やがなくなり高級食パン店「嵜本」ができました。
線路が地下に潜った横浜側のその上に東急ストア(等のショッピングビルが出来ました。渋谷側の線路の上にはバス停が集合されました。
開かずの踏切があった場所は、一時地下トンネルになりましたが、1996年線路が地下に埋設されたため又地上へ出てきました。


田園調布商店街
田園調布商店街は六間通り(田園調布駅東口から旧中原街道まで)沿いに旭野会、福徳商店街、六商会とります。
旭野会
東口側に出て、坂を下りる途中左側三井住友銀行の隣ビル2階に銀座鳥ぎんの田園調布店があったのを覚えていますか?焼き鳥や釜飯を食べに行った方も多いと思います。狭い階段を上がり店内に入ると、真ん中に長いカウンターがあり衝立を挟み両側に座れるようになっていて、又それと平行し畳座席がありました。2008年9月から、ブレス・キュイジーヌという、イタリアン・レストランに変わ りました。老舗和菓子屋のあけぼの、老舗花屋の赤キ屋、有明家佃煮店、中華の羅山等は健在ですが、ラーメンの日高屋及びインド・ネパール料理エベレストキッチンが出来ました。坂を下りる途中右側には、マックがなくなり、セブン・イレブン、ちよだ鮨、居酒屋の目利の銀次、すし三崎丸等ができました。

福徳商店街(旭野会から続く商店街)

菊池硝子・画材店、老舗八百屋「八百森」がある道から福寿司、田園調布一郵便局までの六間通り
元栄喜堂があった辺りにマイばすけっとができました。
2008年頃、田園調布学園(調布学園)から田園調布駅へ行く時、信号で六間通りに会いますが、その交差点を右に曲がってすぐ左側に駄菓子屋が出来ました。”さんぽ”という名前の店で、まだ中には入ったことはありませんが外から見る限り、店内は昔と今が融合した感じです。

 

六商会(福徳商店街から続く商店街)

田園調布―郵便局から旧中原街道(桜坂に繋がる)までの六間通り
旧中原街道は多摩川を沼部近くの「丸子の渡し」で渡ったが、1933年頃現在の中原街道が整備され丸子橋(1934年に完成、老朽化と交通量増大のため2000年架け替え完成)に繋がり多摩川を橋で渡る。

荏原青果市場玉川分場があったが、1972年世田谷・玉川・調布の3市場を統合し世田谷市場開場になり消滅する。

多摩川

多摩川駅(TY09/MG09/TM01) 

多摩川駅は1923年3月に目黒蒲田電鉄により目黒~丸子(現沼部)間が開通した時に出来ました。1926年に丸子多摩川駅に改称、1931年に多摩川園遊園地の名前を取って多摩川園前駅に改称、1977年12月に多摩川園駅に改称、2000年8月に多摩川駅に改称され、最初の駅名に復活し現在に至ります。

1923年11月に目黒~蒲田間が全通し、途中東京急行電鉄に運営が変わりましたが、目蒲線として有名でした。しかしながら、2000年8月6日、同年9月26日からの営団地下鉄南北線(現東京メトロ南北線)及び都営三田線との相互直通運転開始に先立ち運転系統が分断され、旧目蒲線は、目黒~武蔵小杉間の目黒線と多摩川駅~蒲田間の東急多摩川線になりました。東急電鉄によると、正式名は東急多摩川線で、これは西武鉄道に既にある多摩川線との混同を防ぐためだそうです。 

多摩川駅(バスターミナル)
多摩01 東京医療センター行き(雪が谷、東玉川町、都立大学駅前経由)2018年に廃止された渋谷33系統を受け継いだバス路線
    渋谷33系統(1959年運行開始:渋谷―大森/丸子橋/多摩川と延びる)
玉01  二子玉川駅/瀬田営業所行き


多摩川駅バスターミナル隣接の「東急スィミングスクールたまがわ」が2016年に大田区西嶺町(沼部と鵜の木に間)に移転しました。
跡地には5階建ての田園調布中央病院が2025年に建つ予定です。

多摩川遊園地

多分、第30期卒業生の方々位まで覚えていらっしゃると思いますが、当時、多摩川園遊園地と二子玉川園遊園地の二大遊園地がありました。この多摩川園遊園地では、夏にはスリラーショー、秋には菊人形展が開かれ、子供のころは多摩川園に行く日を心待ちにしていたものでした。1964年の東京オリンピックには、開園以来最高の入場者数93万人を数えましたが、昭和50年代になると、人気に陰りが見え始め、東京ディズニーランドができる3年前の1979年に閉園、大正14年開園以来55年の歴史に幕を閉じました。
閉園後、東急は跡地に、多摩川ラケットクラブという超高級な会員制テニスクラブを設立、当時会員になるためには、3百万~5百万円を払わなくてはならなかった記憶があります。クラブは、経済不況のためか?2000年3月に閉鎖になり、跡地が公園として一般に公開され、多摩川ラケットクラブ跡地公園と呼ばれていました。最近、大田区が名前を広く一般から公募し、田園調布せせらぎ公園に改称されました。

多摩川台公園

多摩川駅からちょっと田園調布駅方面戻った左手奥(多摩川側)に正門がある公園です。

記憶違いかもしれませんが、昔は亀甲山公園と言っていたと思います。どちらにしても、昭和20年~40年頃まで、小学校最初の遠足はここだったと記憶します。亀甲山古墳は、現在、柵により囲われ中に入れませんが、昭和30年後半までは中に入れ発掘というよりか地表にあるものを拾う事ができたように思います。今は古墳展示室があり、多摩川台古墳群の歴史等が展示されています。

今では、あじさい園、四季の野草園、水生植物園、富士山が見える見晴台、虹橋等ができ、春には300本ある桜の下でお花見で賑わいます。
又、今はなくなりました巨人軍の多摩川グランドへ練習を見に行く時は、横を通っていけました。 

その他

病院

1)関医院(東玉川1-32-1)閉院
2)及川医院(東玉川1-22-14)閉院
3)松野医院(東玉川1-6-11)は、東玉川診療所を経て、2019年閉院
4)明石医院(東玉川2-32-10)閉院
)黒田病院(東玉川1-23-13⇒東玉川2-14-11)

6)橋本 愛神経科クリニック(東玉川2-9-23)閉院
7)新井産婦人科(東玉川2-2-19)閉院
)味沢耳鼻咽喉科(雪谷大塚町6)、鼻の悪い方、たくさん通った方もいらっしゃるのでは? 今はやっていませんが、建物は当時のままで、看板さえ付けばあたかもやっているように見えます。
)大脇病院、東京明日香病院(奥沢3-33-13)
10)橋本病院・奥沢病院(奥沢2-11-11)
11)押切接骨院(奥沢4-27-2)、昔は柔道場で、骨折捻挫したりした場合はここしかありませんでした。
12)田園調布中央病院(田園調布2-43-1) 、2025年に新病院を丸子橋近くに建設予定。

歯科医院

1)宮本歯科(東玉川1-7-18)、閉院
2)檀歯科医院(東玉川1-16-15)、閉院
)鈴木歯科診療所(東玉川2-10-19)、閉院
)寺岡歯科(東玉川2-39-19)、閉院。
小坂歯科(東玉川2-14-17)、閉院
)保母歯科クリニック(東玉川2-8-17)
)和田歯科(東玉川2-11-22)、
酒井歯科クリニック(東玉川2-41-8)
東玉川歯科(東玉川2-41-1)、2021年開業

理髪店
)かさい理容室(東玉川1-40-13奥沢小学校前
2)ヘヤーサロン田園(東玉川2-41-1)(環八沿い)
)理髪ヤング軒(雪谷大塚町6-5)ちょっと路地裏の床屋さん。
)バーバータナカ(南雪谷)今はありません。