ファビオ・アンドリコ氏来日:2019年秋「気づきの呼吸法」東京3日間コース

Breathing for Presence and Wellness with Fabio Andrico Autumn 2019 Tokyo

一般社団法人インターナショナル・ゾクチェン・コミュニティ・ムンセルリンは、インターナショナル・ゾクチェン・コミュニティ(本部:スペイン/カナリア諸島)の公式な提携団体です。

ゾクチェンコミュニティは、ゾクチェンの修行をおこなうメンバーの集まり。1976年、チューギェル・ナムカイ・ノルブ・リンポチェは、興味を持つ少人数のグループの要請に応えて、イタリアでゾクチェンを教え始めました。弟子達は世界各地に広がり、ゾクチェンコミュニティというサンガを構成しました。

ゾクチェンコミュニティのセンター(ガルと呼ばれる)は世界に計11ヶ所(イタリア、ロシア、ウクライナ、ルーマニア、アメリカ、アルゼンチン、ヴェネズエラ、メキシコ、オーストラリア、スペイン、中国)に置かれています。また各ガルには所属する支部(リンと呼ばれる)やコミュニティが近隣の国や都市に置かれ、現在では世界40ヶ国以上に数千人のメンバーが存在します。

リンポチェは過去に11回来日され、1989年の最初のリトリート以来、12回にわたるリトリートでゾクチェンの教えを伝授してくださっています。日本では伝授を受けた弟子たちが個人的に集まるコミュニティとして、東京と関西を中心にガナプジャ、ヴァジュラダンス、ヤントラヨーガ等のプラクティスを続けています。日本のコミュニティに対し、リンポチェは「ムンセルリン」と命名してくださいました。「ムンセルリン」とは「暗闇を取り除き、光をもって照らし出す島」という意味です。

ムンセルリンは2017年6月に法人化し、一般社団法人インターナショナル・ゾクチェン・コミュニティ・ムンセルリンとなりました。また2018年1月、京都にムンセルリンの西日本の拠点となるムンセルリン・ウエストを開設。

東京23区内に東日本の拠点となるムンセルリン・イーストの開設も目指しています。





チューギェル・ナムカイ・ノルブ・リンポチェは、古代の叡智である「ゾクチェン」の教えを現代に伝える、世界的に高名なチベット人導師です。1938年、東チベット・デルゲ生まれ。

2歳のとき、ゾクチェンの偉大なる導師アゾム・ドゥクパの転生活仏として、また5歳のとき、シャプドゥン・リンポチェ(ブータン国の建国者であり、同国のドゥクパ・カギュ派宗主であったペマ・カルポの転生活仏でもある)の転生活仏として認定され、このとき「法王」を意味する「チューギェル」のタイトルを与えられました。

8歳から、多くの導師について、チベット仏教全体にわたり徹底的な教育を受け、16歳でサキャ派の僧院大学での学問を終えた後、チベット青年の代表として、中国に招かれ、四川省の少数民族大学で、チベット語を教えるとともに、モンゴル語、中国語を学びました。17歳で故郷のデルゲに戻り、アゾム・ドゥクパの弟子でもあり、根本導師となるチャンチュブ・ドルジェ・リンポチェと出会います。1958年、20歳のとき、中国人民軍のチベット侵攻により、シッキムに脱出。22歳のとき、チベット学の権威であるトゥッチ教授によりイタリアに招かれ、ローマ極東中東研究所研究員を経て、1964年から1992年まで、イタリアのナポリ大学東洋インスティテュートの教授としてチベット語、モンゴル語、文学の教鞭をとりました。1976年から、ゾクチェンの伝授を開始。ゾクチェン・コミュニティを設立し、後にシャンシュン・インスティテュート、A.S.I.Aもチベット文化保存のために設立。日本では、『虹と水晶』(法蔵館)、『ゾクチェンの教え』(地湧社)などの著書によって知られています。2018年イタリア共和国功労勲章(コンメンダトーレ)受章。2018年10月遷化。

「ゾクチェンの教え」はチベット仏教ニンマ派とボン教において千年を超える年月、連綿として伝えられてきた心の教えです。私たちの心の本質〈明知〉はもともと、円満な完成をとげています。この明知を直に悟り、日常生活のあらゆる局面で保ち続けることが、そのエッセンスです。

ゾクチェンとは、ゾクパ・チェンポというチベット語の短縮形で、「大いなる完成」(大円満もしくは大究境)、すなわち、すべての生きとし生けるものに、最初から内在的に備わっている心の本然の状態、すなわち「あるがままで完成している心の状態」もしくは「原初の境地」を意味します。

ゾクチェンの教えは、チベットにおいては、おもに、ニンマ派とボン教の二つの流れを通じて伝承されてきました。 チベットには、日本とほぼ時期を同じくして、仏教が伝来し、多くの経典がインドやウディヤーナ(ゾクチェンの発祥地)の言語からチベット語に翻訳されました。これらの経典に基づく伝統を、後に登場する新訳派と区別するために古訳派(ニンマ派)と呼びます。チベットでは一時期、廃仏政策が採られましたが、再度11世紀にインド後期密教が伝来し、それらの経典の翻訳がなされました。この経典に依拠する派を、古訳のニンマ派に対し、新訳派(サルマ)と呼びます。ゲールク派、カギュ派、サキャ派がその中心です。

一般に、ウディヤーナの地に出現した金剛サッタの化身ガラップ・ドルジェに由来し、パドマサンバヴァやヴィマラミトラ、ヴァイローチャナなどの高僧たちによってチベットに伝えられたニンマ派の修行・哲学体系の核心部分を「ゾクチェン」と呼び、新訳派が有する修行・哲学体系の核心部分を「マハームドラー」(大印契)と呼びます。

ゾクチェンのもうひとつの流れはチベット土着のボン教を通じて相承されてきました。古代ボン教は、ユーラシア全域に広がるシャーマニズムの一形態でしたが、後に改革が行われ、特に西チベットのシャンシュン王国を中心に発達しました。古代シャンシュン王国は、現在の西チベットに位置し、ウディヤーナと密接に関係する国ではなかったと想定されています。

ゾクチェンの教えの核心は、「心の本性とは何か」を知り尽くすことであり、日常生活を尊重する点に大きな特徴があります。その特徴について、ナムカイ・ノルブ・リンポチェは次のように述べられています。

「ゾクチェンの修行者は、完璧な覚醒した知恵を保ち続けれなければならない。自分自身の心を真に知り抜き、支配していくのである。そうでなければ、たとえ多くの説明を聞いたところで、その説明も紙の上のインクの染み、知識人の議論や理解に過ぎない。その真の意味を理解する可能性も生まれてはこない。ゾクチェンのアーガマの一つ、「クンチェ・ギャルポ」にはこのように書かれている。「心こそが、サンサーラ(輪廻)とニルバーナ(涅槃)をともに生み出す。だから、すべてを生み出すこの王を知れ!」

サンサーラ(輪廻)の幻のような不浄な顕れの中を私達は彷徨い続けている。だが、本当の意味で彷徨い続けているのは、私達の心なのだ。清浄な悟りも、それを悟るのは自分自身の心だ。心が浄化された時、初めて悟ることが出来る。すべての土台となっているのは、私達の心なのだ。心から、サンサーラ(輪廻)とニルバーナ(涅槃)、あらゆる有情と仏陀、すべてが生じてくる。

サンサーラ(輪廻)の不浄な顕れの中を彷徨っているのは何故なのか。「心の本然」、すなわち、私達の心の真の本質は、すべての始まりから、染み一つなく清らかだ。ただ、清浄な心は、一時的に無知の汚れによって曇らされ、自らの本来の境地であるリクパ(明知)を、知ることが出来ずにいる。自分自身の本然を知ることが出来ないために、幻のような思考や煩悩に基づく行為が生まれ、それによって、様々な悪しきカルマ(業)を積み重ねる。悪いカルマ(業)が結果に熟していくのは避けがたいから、六道の世界を彷徨いながら、ひどい苦しみを味わうことになる。このように、輪廻の根源は、自らの心の本然の境地を知らない点にある。そのため、幻影に惑わされ、心の本性であるリクパ(明知)から遠ざかることになってしまう。そして、幻のような行為が強力な習慣になってしまう。清浄な悟りについても同じだ。自分自身の心以外のどこかから、目の眩む様な光が差し込んで目覚めるということなどありはしない。本然のリクパ(明知)の境地が、すべての始まりから清らかなもので、ただ一時的な汚れによって曇らされているに過ぎないことを、はっきり理解する。そして気を散らすことなく、覚醒したまま、この理解を保ち続ける。そうすれば、汚れはすべて溶け去っていく。これが、ゾクチェンの道の心髄だ。」


『虹と水晶 チベット密教の瞑想修行』ナムカイ・ノルブ著、永沢 哲訳、法蔵館 (The Crystal And The Way of Light)より