國重君の訃報に接して

齢 50 歳を過ぎる頃、夜中に冷や汗をかき目が覚め、自分で脈が速いことを確かめ寝付け なくなることがよくある。医学の教科書にも、先輩にも教えられなかったことだが、医師として他人の人生に影響することの怖れによって、自身の心の安定が危ういことにも気づかされる。亡くなっていった患者さんの顔や言葉を思い出し、その一人ひとりに家族があり、命が永代つながってきたものを終わらせる瞬間を宣言する光景がフラッシュバックして、その責任に押しつぶされそうになる。これでよかったのかと。

國重君、君はなにを我々に残してくれたのだろう。大阪の下町で逆境の中育ち、そして福井で我々に社会の違った見方を授け、そして帰阪し、事業を興した。子孫を残し、國重の名前を後世に語り告がれることも、人並み以上のことを達成したと思うが、きっと君は満足していないだろう。あの頃の話をもう一つ残そう。男というものは、金、名誉、女がすべてのモチベーションの源。君はそれの多くを手に入れたと思うが、一方でこれがすべての転落にもつながる。ついでにもう一ついうと、こいつらは多く手に入れるほど、もっとほしくなる。あの頃は何も手にしていなかったが、なんとか工夫してそれらを得ようと二人とも必死だった。過去を自慢しあったが、現実には一人の女性に精神的に支えられながらお互い卒業した。名誉も金も、そちらの世界にはもってはいけない。時間とともに消え去る。逆境こそ、原動力。奨学金を作る時「稼いだもので生活を作り、与えたもので人生を作るって俺はいつも思っている」と言ったら、そんなきれいごと言うなといった目は、かつてのギラギラした学生時代のものだった。

今必死に三途の川の流れに逆らって泳いでいると思うが、無駄だ。楽に流れに身を任せ、 心の安穏を目指せ。君の人生の苦悩と奮闘は我々同級生の心の中、同門の中に生き続ける。私もこれを見ている皆もすぐにそちらの世界に行くことになる。


君は僕にこれからの行く先を見せてくれた。心の葛藤も、弱さも、そしてやせ我慢の仕方も。

國重君、君は永遠に私の兄貴分です。

2018 年4月3日、通夜の夜に記す 北 井 隆 平