第1回「犬聞録」 白翁会副会長 石黒和守

吾輩は「太助」である。ご主人が時代劇が好きなため、一心太助から命名されたようだ。最近、人間共はバウリンガルとかいうものを発明し我々、犬族の言葉が翻訳されると嘘ぶいているがチャンチャラ可笑しい。人間共は戦争とかいうお互いの殺し合いをする愚かな種族で好きになれないが、ご主人様は餌をくれるので好きである。そこでご主人の日頃の生活を回顧してみよう。

ご主人は幼少時からアトピー性皮膚炎に悩まされ皮膚科医になったようだ。今まで発汗は悪玉で汗をかかない指導がされてきたが、ご主人の経験では汗をかくことはいい事で汗をそのままにしておくから痒いので、「汗」と「発汗」の違いを明確にして、汗をかいて洗い流す指導にガイドラインを書き換える事がご主人の死ぬまでの夢らしい。そのために学会でそのテーマのシンポジウムを企画して皮膚科学会の代議員になり、ガイドラインにコメントを言える立場になり頑張った結果、なんと今年発表されたアトピー性皮膚炎の新しいガイドラインに発汗と汗の違いが明記されたらしく、ご主人の喜びようは物凄いものであった。やはり有言実行で夢は叶うのである。吾輩の美犬の彼女と結婚したい夢も叶うであろうか(笑)。

ご主人も吾輩と同じで女性の趣味は良く、美人の奥様と結婚して毎週夫婦で老人施設に往診している。我々、犬族にも犬疥癬というメチャクチャ痒い憎きダニがいるが、人間共にも流行しているらしい。ご主人は角化型疥癬と通常型疥癬の中間型疥癬である老人施設型疥癬があると感じているらしく、教科書には記載がないので、次の夢は「老人施設型疥癬」が教科書に記載されるのが夢らしい。人間は欲張りで一つの夢が叶ったら次の夢に邁進する生き物らしい。

ご主人は左目の白内障の手術を3年前にしたが(アトピー性皮膚炎の人間は早く白内障になるらしい)今年の誕生日前日に今度は右目の手術をして、人生初の眼鏡が必要になったらしく、東京のドイツマイスター(日本に4人しかいないらしい)がいる眼鏡院で眼鏡を作製した。ドイツマイスターの人間もオシャレなシャツを着ていたため、意気投合して二つも作ったらしい。ご主人はオシャレが好きで毎日その日のラッキーカラーを着るアンポンタンである。アンポンタンは一人だけと思ったら本多のオジジというもう一人のアンポンタンがいるらしく、二人で片町とかいうところに、夜な夜な徘徊し、お酒が飲めないので高いジュースを飲まされて騙されているらしい(笑)。いつぞや二人のラッキーカラーが被ったらしく、真っ赤なジャケットでサンタクロースのようであった。吾輩に餌をくれなくなると困るので病気で倒れないように夜遊びもホドホドにして欲しいものだ。そろそろ吾輩も野良犬のジョセフィーヌのところに夜遊びに行くのでおしまいにしよう。

白翁会副会長 石黒和守


第2回「本気で生きてるか? 愛するひとのため」 11期生 福井県済生会病院 里見裕之

皆様、お元気ですか。今年度から福井大学医学部白翁会のリレー・エッセイが始まることとなりました。開業医の先生、勤務医の先生、看護師の皆様の三つの流れでバトンを渡して行きたいと思います。まず、勤務医部門は副会長の私から始めさせていただきます。今後ともバトンが渡った皆様、よろしくお願いいたします。

「福井県済生会病院に赴任して」

私は産婦人科医として気がつけば20年を経て、済生会病院での勤務も14年になりました。ベテランと呼ばれる域に達しましたが、まだまだ、四十路の青春、社会人大学院生として、学位取得にも挑戦しております。

長女が今年10歳になりました。昨年4月より、長男も小学校へ入学しました。児童クラブ、児童館に大変お世話になっています。今までは帰宅すると、どちらかの両親が留守番をしてくれ、2人の子供に夕飯を食べさせてくれていました。最近は、2ヶ月毎は、家族4人になり、それでもなんとかやれるようになって来ました。パナソニックのビストロや食器洗浄乾燥機も大活躍です。忙しいときは、僕が残った仕事を片付けるために、病院に戻ります。以前は子供たちが寂しがるのがつらいところでしたが、前ほど、手がかからなくなってきました。みんな賢くなっています。

ここまでなんとかこれたのは、紙谷先生、金嶋先生、細川先生、福野先生の寛容な気持ちのお蔭です。紙谷尚之先生は70歳になられても、元気に毎日変わらず、たくさんの患者さんを診ておられ、誰よりもたくさんの手術に入っておられます。金嶋光夫先生は主任部長の業務の傍ら、病気のお父さんを1年間、見守り、看取られました。1期生の細川久美子先生は、産婦人科医減員のなか当直回数を倍増して、頑張ってくださいました。2期生、福野直孝先生は、ここ10年、最も多く、当直をこなし、外来をされ、主治医としてほぼ全ての分娩に立会っておられます。さらに12期生、河野久美子先生には日直だけでなく当直もしてもらい、20期生、三屋和子先生にも当直に復帰してもらいました。みんな頑張っています。結婚された23期生、熊谷亜矢子先生をはじめ、後期研修をしてくれた若い先生にも感謝しています。

「女性医師の復職は本当に大変」

振り返れば、そんな僕も長女が生まれた頃は、子育て、家事は妻、義母に丸投げでした。妻は産休のあと、医局の計らいで1年間、育児休業をいただくことができ、臨床を1年間、完全にお休みしてくれたのです。その後、彼女は、パートタイムで戻りたいと思ったようですが、「育児休業を取得したのだから、元の職場に常勤として戻るべき」と僕と義父が背中を押しました。今なら少しは、良かったのでしょうが、当時の大学病院の医局では育児休業後の復職の前例がありませんでした。当直の免除など配慮してもらったようですが、他の医師の不公平感を減らすために、妻は遠方の外勤や救急のコンサルテーションや学生さんのプラカンなどを受け持つことを申し出て、チーム内のバランスを取っていました。帰宅すれば、家事、育児で大変ですし、臨床現場でも合計2年、ブランクを埋めるのに苦労したようです。よく頑張ったと思います。子育て中の女性医師が「大学病院の医師」としての仕事を全うするのは大変困難があると思います。臨床、研究、学生(研修医)教育に時間をとられ、早朝から出勤し、帰宅は午後10時過ぎになることがしばしばでした。でも、好きだから続けていると信じて、それをサポートするくらいしかできませんでした。そのため、2人目の子供は1歳から保育園に預けることとし、両家の両親に交替で助けてもらう体制としました。長男が1歳の時、済生会病院の産婦人科医が9名となり、大変ながらも少し病院を離れられる時間を作ることができ、朝、夕の保育園の送り迎えを僕がするようになりました。

「子育てを楽しむべき」

子育てにかかわるようになると、わかるようになるのですが、子供はまず、言うことをきいてくれませんでした。言葉がまだわからないのですから、当たり前です。朝、起こして、ご飯を食べさせ、パジャマから保育園の制服に着替えさせるのが一苦労でした。長男はトーマスの服が好きで、それを着て行きたがります。制服の上に、お気に入りの服を着せたり、その逆をしたり、機嫌を壊さない様に大変でした。長女は自分である程度してくれますが、長男は寝起きが悪ければ、車の中でおにぎりやリンゴを食べさせたりと、家を出発し保育園に着くまでが大仕事でした。今となれば、どなったり、怒ったりしてやらせる方が簡単なこともあるのでしょうが、結局は「急がば廻れ」で、子供の信頼感を勝ち取る(迎合することではなく)ことが大事なのだと気付きました。子供達もよく見ています。そして約束を覚えています。大人がいい加減なことを言ったり、したりすると、後で「約束を守ってない自分」を突き付けられます。僕はほとんど怒らないようにしています。もちろん、大事なこと、危険なことなどは注意しますが、大人の基準をすべて当てはめて、良し悪しを決めないようにしています。パパのお願いとして「喧嘩をしない(喧嘩は両方が悪いが、上のものが喧嘩にならないようにすることができる)」「できるだけ泣かない(泣かずにどうして欲しいか言えるようにする)」を伝えています。後はほとんど見守るだけです。時間がかかって、イライラすることもありますが、成るようにしか成らないと自分に言い聞かせています。言葉がわかってくるようになると良かれと思って注意したりしてしまいます。しかし、否定の言葉が増えると、その時は一見上手くいったように見えますが、お互いの信頼関係が育ちにくくなります。しつけは大事ですが、子育てで、完全な正解はないと思っています。子供たちがして欲しいと思っていることが大きく外れていないことであれば、瞬間、瞬間で考え、できる範囲でそれに合わせてやっていくことが大体合っている答えのような気がします。子どもたちといると、Eテレ(NHK教育テレビ)を見ることが多いです。一緒に、見ていて、印象に残った曲があります。ファンキー加藤の「まわせ!」という曲です。


「まわせ!」 作詞:ファンキー加藤

地球が回る速度は何キロメーター

置いてかれてるのは気のせいか

キリキリマイだよAny time

付いて行くだけでも精一杯

報われないむなしい足跡

それでも今日の悔し涙を

笑い声に変えるのはきっと

明日への小さな一歩


はやる気持ちで空回りでも無力じゃないぜ

風は起きるよ


まわせ まわせ 今世界を俺たちの力で

まわせ まわせ この願いを未来のはてまで

本気で生きてるか 愛する人のため

ほらその声をあげろ

ほらその声をあげろ

指先だけで ツイートするよりも

本当の声で叫んでいたいよ


踊れ 踊れ この世界はお前が立つステージだ

踊れ 踊れ その命が燃え尽きる日まで

人生は一度きり お前が主役だろ

ほら その声をあげろ

ほら その声をあげろ

人生の主役は自分です。子育てや家族を守ることも、本気でやれば、自分の中の葛藤や愚痴が減っていくような気がします。


「子育ては研修医教育にもプラス」

「人は誰かを幸せにしたいと思ったときに、初めて幸せになれる!」という言葉を故、丸尾眞理子先生にご縁のある女医さんに教えていただきました。ここ数年、振り返ると、本気で生きてきました。テニス部のキャプテンの時以来です。大変だったと思います。大変なのですが、子育てを経験すると、大きな力が身についたと思います。そして自分の両親の有難さがわかるようになり、感謝の気持ちが湧いてきます。以前の自分は仕事に逃げ込んでいたのかもしれません。医者として必要とされていることに自己満足感がありましたし、育児休業中の妻の不安など理解できませんでした。女性医師として、子育ては大変やりがいがあることです。しかし現場から離れてしまうことや、先行きへの不安感があることに気付きませんでした。同じ経験とは言いませんが、自分の時間を割くことによって初めて、妻や同じ立場の女性医師の気持ちも理解できるようになりました。共感できると思いやりが生まれ、言葉かけやちょっとしたサポートが自然にできるようになります。妻はどう思っているかはわかりませんが。

現在も、臨床現場を中心に学生さんや研修医の先生たちと係わらせてもらっています。10年前には「子育て」が研修医の教育にも当てはまることに気がつきませんでした。昔、自分が楽をするために後輩を教えていた時があります。その時は教えるというより、「伝達」だったのでしょう。「教育」は自分の子供にするように「見守る」しかないことに気付きました。自分より能力が高いかもしれない素材に、自分のやり方を押し付けて、七掛けの自分を作っても仕方がありません。プロ野球で2軍の打撃コーチのアドバイスを聞いて一流になった打者はいません。素材をつぶさずに伸ばせた場合に、活躍できる可能性があるのでしょう。「教育は共育」なんだと思います。永遠の上司、紙谷先生は、決して怒られない方です。治療の方針を型通りに決められることはありません。僕が迷って相談した場合にも、自分の考えを押し付けられずに、僕に話させて、思っていることを上手に出させます。出した考えを肯定し、それに対してベターなアドバイスを下さります。エビデンスやガイドラインも大事でしょうが、ひとりひとりの背景に基づいた治療方針を一緒に考えてくれる指導医のもとで働けていることが本当に幸せです。若い先生は、紙谷先生と手術に入りたがります。危ないところがない限り見守ってくれるからです。僕ではまだまだ力不足かもしれません。それでも一緒に冷や汗をかいていますが。紙谷先生のように生涯医者として、若い医師に慕われるような指導医にはなかなかなれませんが、医者の幸せは「これ」なんだろうなと最近、思い始めています。

「先生方、白翁会に力をお貸しください」

本年度は、同窓会副会長、福井県医師会女性医師対策委員長に加え、福井県産婦人科連合の「みらい委員会」の仕事にも携わることになりました。天命、天職だと思って、この仕事にも「本気」で生きてみたいと思います。7月7日には、医学部同窓会白翁会主催の「くずりゅうサマーパーティー」が3期生の吉田教授の下、開催されました。産科婦人科学教室の皆様の力で、学生さんだけでなく卒業生である、研修医や我々が楽しめる会になりました。母校の素晴らしさ、「福井」の素晴らしさが伝わってくれればと思います。福井に残って初期研修を行い、専門研修を母校の医局にスムーズに入局できる流れを作れればと思います。

最後に、ご存知の方も多いと思いますが、来年度より同窓会の運営に、大きな変革が行われる予定です。「一般社団法人化」に向けて、定款の見直しや、理事、代議員の選出など、問題は山積しております。今まで、同窓会の運営にはボランティアの精神で携わってきました。内にいても、疑問が無いわけではなく、その都度、「耳の痛い言葉を」発言していますが、1期生の先生方の「熱い思い」にはかないません。本当の意味での民主的な運営にはまだまだです。そのためには、お忙しいと思いますが、2期生以下で、研究など、一仕事やり遂げた先生方に、同窓会運営の参画を是非お願いしたいと思います。そろそろ、必死で頑張ってきた先生のバトンを受け継いでいただく方が、必要とされています。優秀な部下がいる先生方、子育ての手が離れた先生方、よろしくお願いいたします。暇ができた、65歳を過ぎてからより、やるなら、経験値が高く、頭がシャープな今だと思います。

(次回は、9月下旬に髙野智早(福井大学附属病院・がん診療推進センター)さんにお願い致します。)

11期生 福井県済生会病院 里見裕之

第3回「藤田晋という男」医療法人 越仁会 こしの医院 院長 越野 雄祐

皆さんは藤田晋という人物を御存知でしょうか?この人、IT企業「サイバーエージェント」の代表取締役社長で、楽天の三木谷浩史やライブドア堀江貴文と並ぶ、いわゆる“ヒルズ族”と称された人物の1人です。サイバーエージェントの代表的コンテンツとしてはSNSのアメーバなどがありますね。以前、この人は女優の奥菜恵と結婚して話題になったことを覚えている方もいるでしょう(現在は離婚して別の女性と再婚)。実は、この人福井県出身です。もっと言えば私と同じ鯖江市出身です。武生高校から青山学院大学に進み、卒業後に起業して、今や日本を代表する若手経営者として活躍しています。私がなぜこの人に興味を持ったかというと、最近サイバーエージェントが手掛けたインターネットTV「AbemaTV」というコンテンツがあり、これを見るようになったのがきっかけでした。インターネット環境さえあればいつでもどこでも様々な端末で視聴できて、しかも基本無料というのが魅力です。まず地上波では見られないようなスポーツやバラエティなど多くの番組があるのですが、この中に「麻雀」というチャンネルがあります。これは1日中様々な麻雀大会の録画やDVDが流されていて、時々はライブ放送などもあります。私は実はこのチャンネルが大好きで早朝や寝る前などに視聴しています。基本的に麻雀プロ達の様々な対戦が放送されていて、プロの打ち筋がみられて非常に面白いのですが、じつはこの中に、ひとりの雀士としてかの藤田晋氏が登場するのです。もちろん彼はプロ雀士ではありません。ただの麻雀愛好家です。しかし腕前はプロ級で昨年は麻雀関連雑誌社が主催するプロアマ混合麻雀大会「最強位戦」で見事最強位に輝いたほどです。自らがRTDマンスリーリーグというプロ主体の麻雀大会を主催し、そこに自らも参加して並み居る現在の凄腕プロ雀士達と互角に渡り合っています。私が感心するのは、自分の仕事関連として参加しているのではなく一人の雀士としてすごく真剣に向き合っているということがAbemaTVの画面を通じてよく伝わってくるのです。おそらく彼は億万長者だと思うので賞金などには目もくれないでしょう。先だって彼は個人として数ある日本のプロ麻雀団体のチーム対抗戦という大会を初めて企画開催しました。その大会の表彰式で彼はこう語りました。「私はこの大会を通じて麻雀団体の垣根を壊したい。そしてゆくゆくは一つの団体となって、麻雀が囲碁や将棋と並ぶプロ競技となって欲しい」。これを聞いて私は「ああこの人は本気で麻雀を愛しているのだな」と感じました。まあ、そうでなければ忙しい本業があるのに、こんなに本気で麻雀に取り組めないでしょう。こんな熱い男が私と同郷であることが何かちょっと誇らしいような気分でした。ひるがえってわたしはどうでしょうか。開業して15年経ちます。本業もそこそこ忙しい上に、地区の医師会の仕事もあり、数年前からは県の医師会の仕事も加わって多忙を極めています。まあ気持ち的には充実していますが、さてこれがなくなったら私に何が残るでしょうか?今、わたしが胸張って趣味ですと言えるものは何もないということに愕然としてしまいます。藤田氏のように本業以外で真剣に取り組める何かを探さねば。中学時代からの開業医の友人は開業してから水泳に真剣になっていて、数々の大会で入賞を果たすまでになっています。勤務医時代の先輩医師は今、ギター演奏に取り組んでいて近々演奏会に参加するようです。皆、50歳を過ぎてなお生き生きしています。このままではいけない、と思ってはいます。しかし日々の忙しさにかまけて酒ばかり飲んでいる自分が情けない。とりあえず、FaceBookに何か投稿でもしてみましょうか。

医療法人 越仁会 こしの医院 院長 越野 雄祐

第4回「いつでも100%~音楽の柱」13期生 福井大学内科学(3) 森川 美羽

2000年卒、13期生の森川美羽と申します。第2回に登場された里見先生からバトンをいただきました。現在は福井大学内科学(3)教室・呼吸器内科に勤務しています。12年前に出産後2か月で職場復帰してから(まだ育児・産休体制が試行錯誤なゆるやか時代)、実家の千葉から呼び寄せた実両親に子育てをお任せし、遠くの学会に行くなら病院にも泊まらなきゃなあ、、、と乳飲み子時代に当直もじわりと再開し、「普通に」常勤で働き続けて今に至ります。家族や同僚、指導医の先生方をはじめ、周囲の支えに恵まれ、

治療がうまくいけば喜び、

様々な知識や手技を習得しては更に知りたくなり、

学会の演題締め切りにあえぎ、

オンコールや当直の夜中の呼び出しに「もう夜通しの踏ん張りがきかない四十路、、、」と嘆き、

奇跡的に入院患者さんの数が激減すると「干されてるのでは、、、」と怯え、

両手に余って激増しては「無理無理~」とこぼし、

と日々上がったり下がったりしながら好きな仕事を楽しく続けられる環境に感謝しています。

毎日を全力で生きる、やりたいことを迷わずやり抜く。ということがモットーなのですが、自分を作る軸の大事な一本が、趣味である音楽です。9歳の時に、近所のお姉ちゃんが吹いている姿に魅了されて始めたフルートとの付き合いはどんな友達よりも長く、30年を越えました。小学校から、吹奏楽部、オーケストラ部、と部活といえば音楽部に所属していましたが、福井に来てからは、大学在学中から社会人の吹奏楽団・福井ブラスアカデミーに、また数年前より福井交響楽団に所属し、いまだに楽器を続けています。

「吹奏楽」、部活も盛んで最近はメディアでも取り上げられることも多く、日本人の10人に1人は吹奏楽経験者、とも言われていますね。所属楽団は「吹奏楽の甲子園」と言われる夏のコンクールにも出場し、大人たちも、中高生に負けない熱い気持ちで激しく練習しています。この12月4日に40周年記念の定期演奏会を1200人のお客様をお迎えして盛大に開催したところなので、熱気冷めやらず・しかも燃え尽きている、というテンションでこの原稿を書いていますので、これからどう文章が転がるかわからないところですが、楽団に所属して、年齢も立場も出身地も違う大勢の仲間たちと気持ちを共有し、音楽の世界に向かう、ということは、とても言葉では尽くしきれないたくさんの感情が生まれます。曲を演奏した時の喜びや、心の震える感動はもちろん、団体の運営や練習の過程では困難も、悲しみも、たまには怒りも、あらゆる情動が起こるといっても過言ではありません。こうした気持ちの揺さぶりは、瑞々しい感覚を保つことができ、常に他者と関わりあう、コミュニケーションが柱となる仕事においてポジティブに作用しているなあと感じています。

また、音楽があるということは単純に、努力の目標というかハナ先の人参というか、頑張りへのご褒美・及び癒しとしての効果も絶大で、国家試験や研修医時代、勉強の日々の中でも「これが終わったら思う存分楽器を吹こう」と趣味封印のモチベーションで頑張ることができたり、仕事が混んできて頭痛になったり、多少の体調不良も、楽団の練習に出かけたら治ってしまっていたり。最近は楽団のほかにも楽器のつながりがどんどん増えて、個人的に演奏する機会もたくさんいただき、どちらが本業かわからない状況になりつつありますが、間違いなく「自分」を作るピースの大事な一つであり、人生の柱と感じています。

長いようで短い人生、明日が確かにある保証は何もなくていつでも終わりうる、ということは同窓の皆様は、人一倍実感していらっしゃるところかもしれません。呼吸器内科医としての毎日は、常に緩和医療を意識しながら進行肺がんの患者さんと向き合うことでもあり、医師になってからの私の人生観や死生観は、多少変遷しながらも徐々に形ができたように思います。その一つは「いつ人生が終わってもよいように生きる」。できることは試す、やりたいことはやる。今を100%味わって、悔いのない人生を送ることが、これまで・そしてこれからの目標です。その姿勢と後ろ姿を、(今回全く触れられていないけれどきちんといますよ!)子供に残すことができればということが子育ての目標です、、、

あと働ける時間、楽器と共に過ごせる時間がどれくらいかはわかりませんが、折り返し地点は過ぎたと思われるこの頃、これからも100%の気持ちで邁進したいと思います!

13期生 福井大学内科学(3) 森川 美羽

第5回「共に支えあい医療現場に深化を!」1期生 福井大学病院 緩和ケアチーム 高野 智早

こんにちは。福井大学(旧福井医科大学)の看護学科1期生の高野智早です。

私が看護学生だった頃、看護学科棟は建設前でした。そのため医学科の空いているお部屋を借りて授業が行われました。この部屋というのが冷暖房“非”完備のため、夏はうちわ、冬はコートとマフラー、手袋が必須アイテムでした。特に福井の冬はつらく、かじかむ指先でノートを書き込んだ当時の記憶は、今では良い思い出です。そして1期生のメンバーは、ちょっと変わっている子が多く毎日が刺激的でとにかく楽しかったことを覚えています。久しぶりに同窓会で会うと、宇宙人みたいだった友達が、社会人になり、お母さんになっていたりするので、地球人っぽくなった!と感動します。

私はというと、卒業後は福井大学医学部附属病院に務め、同じ福大卒業の先輩・同僚・後輩に支えられ、看護師としてのびのび育つことができました。ずっと関心のあった緩和ケアの道を歩みはじめ、昨年は、福井県で3人目となる、がん看護専門看護師の資格をとることができました(褒めてください)。そして現在、緩和ケアチームの専従看護師として活動しています。

緩和ケアチームの看護師が関わる対象は、がんのような命を脅かす病気と診断された患者さんとそのご家族だけでなく、主治医や看護師が含まれます。治療だけでなく患者さんのQOLが重要視される時代です。けれどQOLを支えることは、個々に異なるニーズへの対応で、とても大変です。また、私の働く職場は大学病院という特徴から、治療期から治療を中断もしくは継続したまま終末期を迎えるような、多様な病期および治療経過の方々がおられます。そのため告知後のショックや治療に関連した苦痛、終末期の緩和困難な苦痛など複雑で多様な苦痛を抱えた患者さんに提供する医療のあり方について医療者は苦悩することがあります。緩和ケアチームとして、そのような主治医と看護師さんを支える存在でありたいと思っています。そして臨床実践だけでなく、今後は看護師さんや看護学生さんの教育や研究サポートにも力を入れていきたいと思っています。中でも、福大看護学生さんへの講義は私の楽しみなので続けていきたいです。私達1期生には看護の先輩がいませんでした。そのせいか、後輩が可愛くてしかたありません。白翁会を通して今後も先輩や同期、後輩とつながりながら、時に支え合い協力して同じ医療の道を歩ませて頂けたら嬉しいです。

最後に、そんな私の楽しみは海外旅行です。今まで訪れた国は、ウズベキスタン、シリア、ヨルダン、チュニジア、トルコ、エジプト、モスクワ、カンボジア、インドネシアなどなどです。ご興味のある方はご一報ください、たくさん写真あります。いつかハワイに行ってみたいな~と夢みています。それでは、これまでに訪れた旅の写真を載せてお別れとさせて頂きます。


1期生 福井大学医学部附属病院 緩和ケアチーム 高野 智早

第6回「子育てをしながら働ける環境の素晴らしさ!!」1期生 福井大学医学部看護学科 精神看護学 川口 めぐみ

皆様。はじめまして。わたしは、看護学科1期生の川口めぐみです。リレー随筆看護学科担当として、高野さんからご紹介を頂きました。現在わたしは、福井大学医学部看護学科で教員としてお仕事をしております。早いもので、8年目に突入いたしました。学生教育では悩むこともありますが、自分も遊びほうけてばかりいた学生時代で、決してまじめではなかったので、教育として関わる学生に共感する部分も多々あります。

そんなわたしですが、今年度は大きな変化がありました!!我が家に10年ぶりのコウノトリがやってきたのです。我が家には、すでに13歳の娘と10歳の息子がおり、まさかこのタイミングで???と信じられませんでした。もう、「命の母」に頼る年だと考えていたくらいだったので、自分の生殖能力にビックリです。

妊娠に気づいた頃のわたしは、あまりの驚きと、この年になって大丈夫なのか、仕事との両立などが不安で事実を受け入れられていなかったように思います。ただ、子どもたちは純粋に赤ちゃんが来たことに大喜びしてくれました。時間の経過と共にわたしも喜びが大きくなり、家族全員が赤ちゃんの誕生を楽しみにしています。

そのようなことから、7月下旬から1年2か月ほどお休みを頂き、赤ちゃん中心の生活になります。お仕事から離れ長期にお休みを頂くため、福井大学特に看護学科の先生方には、たくさんのご配慮を頂きました。皆様非常に忙しい中で、わたしの妊娠を快く受け入れてくださったこと、育児に対してご理解を頂けたこと、本当に感謝しかありません。

それでは、わたしはしばらく赤ちゃんとの生活を思う存分楽しみたいと思います。同窓会のお仕事も少しの間お休みさせて頂きますがお許しくださいね。


1期生 福井大学医学部看護学科 精神看護学 川口 めぐみ