第5回
知里幸恵の強火オタク、爆誕。
概要
開催日:2022年11月
課題本:石村博子『ピㇼカチカッポ(美しい鳥)知里幸恵と「アイヌ神謡集」』(2022年、岩波書店)
参加者:K、Y、アズシク
内容:知里幸恵について学ぶ
選書担当:アズシク
議事録作成担当:アズシク
標題作成:アズシク
選書の理由
前回『100分de名著 アイヌ神謡集』を読んだ。『アイヌ神謡集』の作者、知里幸恵についてさらに学ぶため、評伝を選んだ。
メモ
知里幸恵の評伝だけが書かれた本ではない
内容が多岐にわたっている。知里幸恵の伝記だけでなく、アイヌの歴史や現代の状況、著者のエッセイ的な要素や感想も含まれている。
金田一との出会いや家庭環境など、知里幸恵がユカㇻをたくさん知っていた理由もわかった。
『100分de名著』で取り上げられていたユカㇻも出てきたので読みやすかった。
知里幸恵以外のアイヌについても書かれていた。知里幸恵だけでなく、様々な人の事例や人生がわかって良かった。昔のアイヌや、知里幸恵に影響を受けた現代の和人の話もあった。
知里幸恵の恋愛事情にまで踏み込んだ本は、なかなかない。そういう意味でも硬すぎなくて面白い本だった。
事実と著者の解釈(想像)の区別を明確にしてほしかった
史料批判もしている点が良かった。例えば、幸恵の日記の「てっくらてっくら」のんびり通学する様子は違う(52頁)、金田一の思い出話は話を盛っているのでは(58頁)、など。
ただ、「歴史的事実」なのか「著者の感想・想像・解釈」なのかがわかりにくいところがあった。そのあたりの区別を明確にしたら、もっと完成度が高くなったと思う。良い本だったので、その点がもったいない。
「村井とは文化が違う、教養が違う、追い求めるものが違う」(87頁)は「これは筆者の解釈だが…」と一言あると良かったのでは。
「教養レベルが違うから一緒にはなれない」という感覚自体はわかるけど、それは史料から読み取れない。知里幸恵がそのような階級意識を抱いていたと解釈するのは良くない。自分の解釈を披露するなら二次創作にしてほしい。
とはいえ「知里幸恵が村井と結婚したら(農家なので)文章を書く仕事はできないんじゃないか」という部分には共感した。親戚のおばさんのような気持ち。例えば、自分の友だちが結婚して仕事を辞めてしまうときにもったいない…と感じる気持ちにも近い。大好きな友だちのパートナーは誰であっても気に入らない、みたいな感情にも似ている。
結局、作者も読者である自分たちも知里幸恵のことが好きなオタクである。オタクだから解釈違いには厳しくなるし、好きだからその子のパートナーに対する目線は厳しくなる。
知里幸恵の魅力とは
知里幸恵のルーツや生まれてから死ぬまでの詳細が書かれている本だった。彼女の少女時代には共感できる部分もある。逆に「生き急いでいる」という印象もある。でも、彼女にとってこの生き方は必然であり、こう生きざるを得なかった。結果、早くに命を亡くしてしまった。少女だった自分を重ねて読んだ。10代でこんなに自分のルーツや色々なものを出し切るすごさを感じた。
とはいえ、なぜ知里幸恵がこんなにも有名なのか
アイヌ文学・アイヌ語は他にも色々と残っている。しかし、その中でもなぜ知里幸恵がこれほど人を惹きつけるのか。
社会は「短命の少女」に弱い。アンネ・フランクやジャンヌ・ダルクなど。
村井からの返信がなかなか来なかった時期、日記には聖書の言葉が頻繁に引用されていたが、返事が来てからは希薄になったというエピソードについて。著者は「聖書や教会通いにのめりこんだのは、手紙の来ない焦燥感から逃れる心情もあったのかもしれない。」と解釈する。(111頁)こういう姿は、現代の「自分の心情を重ねて歌詞をツイートする若者」を思い起こさせる。そういうところも魅力なのかもしれない。若い女の子だからアイコンにされてしまうけれど、若いからこその心の揺れ動きが史料に残っている。それが人の心を動かす。
知里幸恵は汚い言葉を避けていた、という部分が意外だった。そのことも書いてあったのが面白かった。アイヌの世界観の中には、下品な話もある。その点でいえばゴールデンカムイで紹介されていたエピソードのほうがリアルなのかも。
知里幸恵がアイヌのアイコンになったことは「自然とともに生きる神秘的なアイヌ」イメージの形成の一助にもなったのでは。
補足:「自然とともに生きる神秘的なアイヌ」イメージの問題点については第3回参照。
カムイユカㇻはアイヌ文化のほんの一部。知里幸恵が生きていれば、きっと他のもの(英雄譚など)も残していたはず。この神謡集を読むだけでアイヌの世界を全て知ることができるわけではない。
もっと長く生きていれば、例えば「2児の母」とかになっていれば汚いものも書き残していたかもしれない。育児エッセイ。
体が弱くて結婚できない、という話も出てきたので、長く生きていても結婚したかどうかはわからない。生きていても、当時の社会情勢や本人の体の弱さを思うと、幸せになれたのだろうか…と思いを馳せてしまった。
「病気でもない、短命でもない」知里幸恵という世界線も見てみたかったけれど、彼女が命をかけて残したからこそ『神謡集』ができた。
もし彼女が現代にいたら、きっとTwitterアカウントを持っていた。
(※詳細は内緒ですが「きっとこういう内容でつぶやいたはず」という想像で盛り上がりました。こんな話で盛り上がるほどみんな知里幸恵のことが好きになっていました)
その他
金田一のアイヌ白人説(105頁)は注釈をつけるべきなのでは。あくまでもこれは金田一の言葉ではあるけれど、現在、アイヌ白人説は否定されているので。
知里幸恵の”罪”とは何なのか?
「自分は偽善者」(101頁)
「自分は自然に逆らった罪人」(121頁)
そもそもキリスト教自体に原罪という考え方がある。
誰かに読まれることをどこかで想定している日記であっても、自分の心の一番深い部分はハッキリと書かない(=知里幸恵が自分で考えていた”罪”が何かはわからない)のでは。
「ぽっちゃりタイプの女の子」(45頁)という表現は良くない。
ルッキズムが批判されるようになったのはここ数年の話ではあるけれど…
その人物の容姿が歴史的事実に関係するなら記述は必要(例:ナポレオン一世のイメージ戦略など)だが、知里幸恵の容姿と本作の内容は関係なかった。
知里幸恵強火オタクになったので、こういう表現は気になってしまった。
ところで「カムイユカㇻ」はどのように発音するのか?
その場で調べてみた。結果は「カムイユカㇻ」だった。「ム」と「ユ」を強く発音する。
「全文検索」→「アイヌ語テキスト」を選択→”yukar”を入力して検索
«以下、都合により読書会に参加できなかったメンバーの感想を掲載します»
薪
いろんな資料を行き来しながら、きわめて読みやすい読み物として成立させている。すごい。
さまざまな情報を行き来してくれた分、自分はうまく吸収はできなかったとも思う。また繰り返し読んでいきたい。
金田一の話を創りがちなところの指摘が、すごい。よく気付いて書いてくれた。ほかにもそこかしこで、著者の豊かな想像力を感じる。(「創造」でなくて「想像」なのが大事なところですね)
幸恵の思いにここまで迫れる、追えることの有り難さ。
幸恵の思いにフォーカスしながら、当時のアイヌの状況への目配りも充実していると感じた。
これだけ彼女の思いや具体的な窮状を鮮やかに描いていれば、否定論などというものは安易に唱えられないだろう。多くの人に読んでほしい。
金田一や森鴎外の、悪人ではないがうっすら見下しがあるところが、胸が痛くなる。わたしは良識的でありたいと願う和人であり、そのためか、むしろ彼らがおおむね「いい人」である感じを強く受けた。いい人、というだけでは駄目なのだと気が引き締まる。その一方で、あくまで当事者の次という優先順位でだが、彼らにもフォローがあってほしいと考えてしまう自分がいる。
言語に興味がある自分にとって、「ああそういうことか」と思える程度に詳細な説明と、その発見者が幸恵であることの記載がうれしかった。
はらわたが引きずり出されても死なない超人の神謡があったそうで、あれは杉元を思い起こしますよね!!(既出ですよね、賛同します)
サブタイトル
読書会のまとめとして、『ピㇼカチカッポ(美しい鳥)知里幸恵と「アイヌ神謡集」』または『ピㇼカチカッポ(美しい鳥)』に続くサブタイトルをそれぞれが考えてみました。同じ本を読んでも、出てくる感想は人それぞれです。自分はこの本をどのように読んだのか?を一言で表現して残すために、このような取り組みをしています。
「著者の知里幸恵愛の深さに、これを読めばきっと貴方も『幸恵さん』ファンになる!」(Y)
「今も人々の心を揺さぶる少女の人生」(K)
「知里幸恵という『アイドル』に魅せられて(アズシク)