第3回
サイレント・マイノリティのアイヌたちが「開拓」の裏を語る

概要

開催日:2022年8月

課題本:石原真衣 編著『アイヌからみた北海道一五〇年』(2021年、北海道大学出版会)

参加者:K、Y、薪、アズシク

内容:アイヌの視点で見た北海道の近現代史を学ぶ

選書担当:アズシク

議事録作成担当:薪、アズシク

標題作成:Y、アズシク

選書の理由

  • アイヌ自身の言葉で語られた、アイヌ目線の北海道史を学ぶため

    • 今までに読んだ2冊の本は、(おそらく)和人が書いたものだった

    • 史料批判を重要視する近代歴史学の枠組みでは、どうしてもアイヌ史は「日本」や「ロシア」などの「周縁史」になってしまいがち。

    • 前回の『いま学ぶ アイヌ民族の歴史』で「私たちは、将来的に日本史の時代区分とは別のアイヌ民族自らの視点にたった、アイヌ民族自身の語りを組み込んだ独自の歴史が提示できるようになることが理想的であると考えています」という一文を読んだのもある。

メモ

  • 現代のことがよくわかった

    • 一般の方から研究者まで、さまざまな人の思い

      • 北海道や政府のこと

      • アイヌとしてのアイデンティティ

    • 現代のアイヌの人々がどういう状態にあって、どういうことを考えているのか。アイヌ民族として近年は(2018年前後まで)どんな活動をしてきたか、今のアイヌの人々が置かれている課題など

      • 差別されることによって、自分のルーツを否定し「アイヌ」を捨て去ろうとする。上の世代がそういう意思を持ってしまうような状況だった。そのためにアイヌ語やアイヌ文化が伝承されなくなり、多くのものが失われてしまった。

        • 『進撃の巨人』のアッカーマンの話を思い出した。

      • アイヌは、一度失われたものを史料を引っ張ってきて復活させたり、親から引き継いでいないストーリーを祖母からもう一度聞き取って残したりしている。連続して残らず、断絶がある。コロナで日本の祭りの継承が危ぶまれたり(まだ生きている)、歌舞伎や能が保存されてずっと続いているのとは違う。

      • 白老町のウポポイ(民族共生象徴空間)に訪れた際、職員の方々がアイヌ文化を紹介する語り口は客観的だなと感じた。職員にはアイヌ当事者も多いようだが、全員ではないとのことだった。もし当事者であるアイヌの職員だとしたら、自分たちの文化を紹介する際の語り口にしては、少しよそよそしさを感じた。てっきりアイヌ自身が説明していると思っていたので、説明を受けたときは、生きた文化としては失われてしまった面が大きいのだろうかと感じた。

  • 一人ではなく大勢で語ることの良さ

    • マイノリティはその属性で一括りに見られがちだが、さまざまな人がいる。しかし少数の人だけが語ると、語られた内容全体が属性を代表するものになってしまう。そう考えると、自由に物が言えないのではないか。

    • この本では、色々な立場の人が色々なことを書いている。だからこそ責任を感じすぎず、自由に書けたのではないか。

    • 読む側も、同じアイヌでもさまざまな経験や考えがあることが、これを読むとわかるだろう。

  • 個人の歴史から社会が見える

    • 例えば新冠から上貫気別への強制移住。日高地方はサラブレッドの街として有名だけど、こんな歴史があるなんて知らなかった。なぜ御料牧場で馬を育てるのかというと、戦争で利用するから。

    • 個人の歴史を通じて世の中の歴史を見ると、より歴史が身近になったり具体的になったりする。ミクロな視点で歴史を学ぶことの大切さ。

  • 「地道な活動が役に立ったのか アイヌは自分たちの文化を先祖代々守り伝え受け継いでいった」(=アイヌ文化を継承できました、めでたしめでたし)という、ゴールデンカムイ最終回への違和感。アイヌ=文化 という話になりすぎているのでは?

    • 戸塚美波子氏「それと近年、アイヌの文化がもてはやされていますが、アイヌは文化民族なのでしょうか?」(52頁)⇨「文化民族」とは?

      • 豊かな文化を持つ民族?文化を継承することでしかアイデンティティを保てない民族?

      • 「観光民族」に対応した言葉なのでは?観光民族はネトウヨによるヘイトスピーチ。

      • 「文化活動に取り組んでいるときだけ民族として認識される」民族、という意味?

      • 同じ段落の「アイヌを名乗れない人」という言葉が印象に残る

    • 新井かおり氏の指摘(93-97頁)

      • アイヌであることが、アイヌ文化の継承実践に固く結び付けられている。アイヌが滅亡しないためにはアイヌ文化の証明が必須になり、アイヌの運動=文化復興運動 を指すように。(94頁)

      • 90年代〜アイヌ文化の継承実践は「絶滅への抵抗」というナラティブから「自然との共生」というナラティブ(和人にも受け入れられやすい)に変わってしまった。(96頁)

      • 「アイヌ文化を知ることで差別・偏見がなくなるように」というアイヌ文化実践者の願いは叶わなかった。2000年代以降、排外主義者によるヘイトスピーチがマイノリティの生活を脅かす大きな問題に。(97頁〜)

    • 文化を知ることは、差別・偏見の解消には(直接的には)繋がらない。

      • 例えば、ラーメンや焼肉が好きな人が中国人や韓国人を差別することは当たり前によくある。

      • 文化を知ることが(その民族に対する)リスペクトを持つ一つの手段にはなるだろうけど、差別解消への必然的な繋がりがあるとは思えない。

      • マイノリティからマジョリティに対してポジティブに働きかけるやり方が文化のPR。強い言葉で人権問題を訴えた場合、「そんな言い方じゃ聞いてもらえないよ」というトーンポリシングもされたのかもしれない。マイノリティは「わきまえさせられ」ている。

      • 民族の定義は「共通のストーリーを持っている」こと。人種的な問題ではない。アイヌは文化継承に「共通のストーリー」を求めた、ということ。

    • 「自然と共生するアイヌ」というナラティブの問題とは

      • 女性差別の問題に置き換えてみる。例えば「女性には察する力がある」というステレオタイプ(※)など。プラスのイメージで語ることが必ずしも良いこととは限らない。

      • 「自然との共生」は、スピリチュアルブームも絡んでいるナラティブ。

      • 「滅びゆく民族」から「自然と共生する民族」にイメージが変わると、「アイヌから学びます」というスタンスになり、和人の加害性が薄れる。

      • 「自然と共生するアイヌ」イメージが先行すると、「そうじゃないアイヌ(都市で暮らすアイヌ)」は「アイヌじゃない」と捉えられてしまう危険性がある。

      • それは結果としてアイヌ否定論にも繋がってしまう。アイヌへのヘイトスピーチでは「純粋なアイヌやアイヌ文化については尊重する」という言い訳(新井かおり氏説明、98頁)にも繋がってしまう。

      • さらにややこしいことに、「自然と共生してきた」先祖のことをアイヌ自身も尊敬している。それを否定することは自分のアイデンティティを否定することにもなる。

    • 誰がアイヌなのか?という問題は、アイデンティティの問題であると同時に、現代を生きる人間の権利問題に繋がる問題

      • 和人の加害性が薄れると「お互い平和になったよね」で終わってしまい、それは結局のところ補償の話に繋がらなくなってしまう。

      • (アイヌだけでなく)マジョリティにとっても「価値のある」文化を残そうとはしても、進学率や貧困率の解消の話には直接繋がらない。

        • (補足)全く繋がらないわけではない、とは思う。しかし時間がかかる方法。

      • 生活が苦しい人は、文化活動する余裕がない。例えばアイヌ語教室やアイヌの踊りの教室を開くと、和人の希望者のほうが多くなってしまうなど。別け隔てなく対応すると、和人の優位性がアイヌの文化活動の場にも及んでしまう。

      • やっぱりアファーマティブ・アクションが大事。

      • そしてマジョリティは自分が下駄を履かせてもらっていたことに気付くこと。

        • ややこしいのは、北海道の和人が全員豊かなわけではないということ。自分たちの優位性に気付きにくい構造や、個々の状況がある。帝国主義ドミノの終着点が、北海道やサハリン。


※「『女性には察する力がある』というステレオタイプ」について

これは一見、女性を褒めているようでいて、実際は「女性に察してほしい」という抑圧である。もし実際に世の中の多くの女性の「察する力」が高かったとしても、それはジェンダーロールによる抑圧の結果として女性たちが身に付けざるを得なかったスキルである。つまり、プラスのイメージで語ることが必ずしも良いこととは限らないのである。

サブタイトル

読書会のまとめとして、アイヌからみた北海道一五〇年に続くサブタイトルをそれぞれが考えてみました。同じ本を読んでも、出てくる感想は人それぞれです。自分はこの本をどのように読んだのか?を一言で表現して残すために、このような取り組みをしています。

  • 「当事者の声を通して見えてくるアイヌ史」(アズシク)

  • 「当事者のさまざまな声」(薪)

  • 「北海道150周年の『裏』~サイレント・マイノリティのアイヌたち、語り出す~」(Y)

  • 「それぞれが語る物語」(K)