第4回
物語が伝えるアイヌの世界
概要
開催日:2022年10月
課題本:中川裕『NHK 100分de名著 知里幸恵 アイヌ神謡集』(2022年、NHK出版)
(副読本:石村博子『ピㇼカチカッポ(美しい鳥)知里幸恵と「アイヌ神謡集」』(2022年、岩波書店)
参加者:K、Y、薪、アズシク
内容:『アイヌ神謡集』について学ぶ
選書担当:アズシク
議事録作成担当:薪、アズシク
標題作成:K
選書の理由
アイヌ文化の象徴的文学作品について学ぶため
100分de名著の放送時期と読書会の時期も重なったため
メモ
良い入門書
アイヌについて学ぶ入門書として良いと思う。簡潔に、簡単に、よくまとまっている。(それはつまり単純化されているということでもあるけど)
和人が土地を奪った話や男性のピアス禁止など、差別について踏み込んだ内容だった。
知らなかったこともたくさんあった。バランスよく作られていたと思う。「外国語」という枠組みにも批判的に触れていた。
アイヌ文化の現状についても的確にまとめられている。リアルタイムな状況を簡潔にまとめているテキスト(文章)はなかなかないので良かった。
アイヌ文化についてYoutubeで発信するアイヌの若者がいたり、アイヌ音楽のアーティストがいたりする現代の状況について、著者の中川裕さんは「私が研究を始めた40年ほど前には、全く考えられなかったこと」と述べているが、自分(メンバーの一人)が勉強を始めた15年前でも考えられなかった。
差別問題についてこの数年しか知らないと「まだ全然進んでいない」と感じてしまうけれど、運動について長く知っていると「でもこれだけ進んだ」と落ち着いて捉えられる。アイヌ差別問題に限らず、女性差別問題などでも同じことがいえる。
『ゴールデンカムイ』以前は、アイヌ語についてのデマ(悪質で、とんでもなく事実と異なるようなもの)が今よりももっとたくさんネット上に転がっていた。本当に大きく変わった。
だからこそ、ゴールデンカムイのラストは良くなかったなと思った。大団円じゃない。知里幸恵の時代はアイヌは滅びゆく民族だったのにゴールデンカムイでは「文化を残せました」とされてしまった。
言語学寄りの内容で、口承文学の説明がすごく丁寧だった。
アイヌ語は難しいなと思いながら読んだ。でも、母語以外の言語は意味がわからなくても語感だけでおもしろい。元々の言語のニュアンスを正確に翻訳するのは難しいので、原文のおもしろさも楽しめて良かった。
番組も良かった
かなりアイヌ民族に気を使って作られていた。朗読に木原仁美氏(知里幸恵記念館の館長/知里幸恵の姪の長女)、ナレーションに宇梶剛士氏(俳優)を採用していた。
実際の神謡の中身から番組は始まる。知里幸恵の才能や物語、物語を紹介したあとに、最後に民族の歴史を述べる。こういう構成だと一般の人にも入りやすい。少数民族の権利が…から始まるのではなく。
物語を映像で見れたのも良かった。チャランケの音声も聴けた。これまでアイヌのことにはあまり関心のなかった自分の家族も興味を持ってくれた。
身近な人が興味を持っていると、そこから興味の輪が広がる。それはすごく大切なこと。
伊集院光がチャランケをラップバトルと表現していたのが面白かった。きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつけま つけまつける」も。視聴者と専門家をつなぐコメント。
第一回をまるまる割いてアイヌの世界観について説明して、第二回がサケヘなどの文学的な話。回ごとにテーマを絞っていたのでメリハリがついてわかりやすかった。
金田一の問題点についても触れていた。アイヌ語を残そうとした功績は大きいけれど。皮肉なところにも触れている。
「序文」は同化政策に賛成だった金田一に気を使って書かれていた。その中で表現された幸恵の願い。
「100分de名著」のテキストは本屋で平積みされる。関連書籍も売れる。影響力は大きい。
ゴールデンカムイを読まなかった(観なかった)人もいるので、「100分de名著」で扱われた意義は本当に大きい。
知里幸恵について
今まで「ユカㇻの記録をした人」としてしか知らなかったけど、知里幸恵のすごさが分かった。
副読本の『ピㇼカチカッポ』のほうも読んで、知里幸恵が大好きになった。歴史上の好きな人物は誰?と聞かれたら、これからは知里幸恵と答える。
アイヌ差別を内面化していた人なのか?ーーそんなに焦ることはなかったのにとは思う。「滅びゆく民」というパブリックイメージに一矢報いる気持ちはあっても、「滅びてしまう」とは本人も思っていたのかもしれない。でも容易には語れない。
昔はあんまり注目されていなかった人。多くの人が、それぞれが自分の知里幸恵像をもっている。アイヌの象徴的な人物。
10代の女の子が象徴的人物とされてしまっていることにウッ…となる気持ちはある。でも本当にすごい。
金田一京助について
「自分を慕っていた女の子が若くして死んでしまって…」というセンチメンタルな感じには(現代の人間としては)少し気持ち悪さを覚えてしまう。
大日本帝国的な考えでいうと(和人以外の)アジア人女性は低く置かれている。アイヌコタンの女性も暴行されたり。アイヌ女性である幸恵が金田一の家に出入りしてることで彼女を金田一の愛妾だと思う人もいた。(当時、家庭の外に愛人を持つ男性は多かったため、どうしてもそのような噂が立ってしまった。なので金田一だけに責任があるわけではないけれど、結果として彼女は流言蜚語にさらされてしまった。)
野田サトルは金田一について「アイヌ文化(語)を残すのに協力した和人」と位置づけた。でも彼はアイヌ同化論の人。
学問の功罪。例えば児玉コレクションなども。
ゴールデンカムイにも出てきたところ
金塊発見のシーンは「銀の雫降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」のオマージュ。あのシーンのもとになったのはこれかぁ、と思った。
カムイが自分から矢に当たるところ
シマフクロウが位が高いカムイだという話
鹿と鮭がカムイではないという話も。いっぱいあってよくとれるからではなく、群れて動くから(一頭一頭、一匹一匹がそれぞれ意思を持ってこうどうしているように見えないから)なんじゃないかという話が載っていてなるほどと思った。
和人がやってきて川が汚れてしまったという話もアシㇼパのフチがしていた。
疑問に思ったところ
「左翼的な政治運動とアイヌが関連づけられた」から「エンタテイメントの世界ではアイヌを描くことを忌避する時代が長く続きました」とはどういう意味か?
左翼運動がアイヌ問題に絡んでいくことも多かったし、左翼運動の中には攻撃的な人もいた。なので「アイヌを扱うと苦情が来るからエンターテイメントにできない」と認識されてしまっていた状況があった。
サブタイトル
読書会のまとめとして、『100分de名著 アイヌ神謡集』に続くサブタイトルをそれぞれが考えてみました。同じ本を読んでも、出てくる感想は人それぞれです。自分はこの本をどのように読んだのか?を一言で表現して残すために、このような取り組みをしています。
「アイヌの世界観に耳を傾ける」(薪)
「いま注目が集まるアイヌ語、アイヌ文化の扉を叩こう」(Y)
「けして我々は滅びない」(アズシク)