マジョリティによるカウンター

概要

開催日:2022年12月

課題本:岡和田晃編・マーク・ウィンチェスター 編『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房、2015年)

参加者:K、Y、薪、アズシク

内容:元札幌市議の金子やすゆきによる「アイヌ民族なんていまはもういない」という発言に対してカウンターをしている本を読む

選書担当:アズシク

議事録作成担当:薪、アズシク

標題作成:薪

選書の理由

  • 現代のアイヌはどのような形で差別されているのか知るため

メモ

  • 自分は2015年の出版当時に買ったが、いま改めて読むと忘れてることがたくさんあった。そのときの世の中の状況、特にインターネット上での差別は、書籍化しないと「なかったこと」にされてしまう。インターネット上の発言が世の中の言説を作っているからこそ、こういう本が大事。

  • 自分がアイヌに関心を持ったのは最近なので、この本が出版された2015年以前はどんな状況だったのか(どんな視点で語られていたのか)を知ることができて良かった。今までに読んできた本の著者の言説も出てきて、これまでに勉強してきたことが役立った。

  • それぞれの個人的体験を語るものも多い。自分たちのライフヒストリーの中でこういうふうにアイヌについて思っていて、こういう出会いがあって変わった、という話。そういうきっかけがないと無自覚の偏見を持ったままになってしまう。違和感を放置せずに向き合える人が自分の偏見を克服できる

  • マジョリティこそが差別者にカウンターしないといけない、という姿勢の本

    • この本に文章を寄せている人の中にマイノリティ(アイヌ)は少ない。あまりにも色んな人、関係ない人が書いている。アイヌにとってこのカウンターはどうだったのか気になった。

    • 香山リカも、アイヌのことにあまり詳しくない状態で書いている。「知らなくても」抗議しているとも言えるし、「知らないのに」口を出しているとも言える。

    • 危ういと感じる部分もあるが、こういう話のほうが無関心な層には届きやすいかも

  • マイノリティを矢面に立たせないようにするため?

    • 炎上に対してマジョリティ側が声を上げることが大事だが、マイノリティ側の声を大事にすべきでもある

    • しかし、マイノリティ側からのカウンターの難しさもある。アイヌの年配の方はインターネットやSNSに疎く、若い人でSNSをやっている人は逆にアイヌとしてのアイデンティティについて考える機会が少なく、レイシズムに無頓着。2015年当時はまだ、一部の人しか危機感を持てていない状況だった。

    • 最初は誰でも無邪気な偏見を持っている。例えば香山リカの場合は、直接当事者に失礼なことを言ってしまった反省や申し訳なさが原動力だった。

    • 無邪気な偏見をマイノリティにぶつけないよう、マジョリティによるカウンターが要る。ワンクッション置く。

    • マジョリティ側が「自分も最初は偏見を持っていた・知らなかった」と開示することは、カウンターのハードルを下げる。最初から向き合える人はいないので。向き合った過程が赤裸々に書かれているのが良い。

    • 完璧に答えられないから黙ってしまおう、とはならないのが大事。「わたしはうまく言えないけどそれはおかしい!」と言える勇気。

  • 差別者側とカウンター側とで説明コストが違いすぎる。

    • この本を読んで、差別者側の言説はガバガバなんだなと思った。専門家ではなかったとしても「おかしい」と指摘できる。

    • 差別者側はめちゃくちゃな論理を展開しても平気な顔ができるけど、カウンター側は用意周到に論理を展開しないといけない。言葉を発するうえで必要なエネルギーが違いすぎる。

    • 差別者側の論理は非常にバカバカしいけれど、本人はバカバカしいと思っていない。カウンターしている人たちにとっては「くだらない」と捨て置けないこと。誰かを傷つけている言葉なのだから。バカバカしいと一笑に付せない状況がある。

    • 反論できる人が反論することが大事。精緻な反論じゃなかったとしても、ここおかしいよね、と言うのが大事。それぞれのカウンターに同意できない部分があったとしても、まずは差別側に対して「おかしい」「間違っている」と声を上げるべき。

  • 「今」と2015年当時の状況は少し違うのでは

    • 「アイヌ民族なんていない」という言説は「アイヌ民族なんてそもそもいない」と言っている人もいるイメージだった。自分自身、アイヌ差別や歴史上に登場することは知っていたけれど、どんな民族で現在のアイヌがどのような状況にあるかということが分かっていなかった。

    • そこから比べると独自の文化や言語をもつアイヌ民族がいたという周知は進んだ(そのあたりを金カムも丁寧に描いていた)が、そこから一歩先の「もうアイヌ民族は同化してしまっていない」「でも今はそんな生活してる人いないよね」という言説が問題になっている。カウンターすべき言説も変化しているのかなと思った。

    • 昔、「マル・マル・モリ・モリはアイヌ語」というデマが拡散されてしまったことがあった。当時はまだ「それはデマでは?」と調べる人すらいない時代だった。

  • 寮美千子は、自分を「一介の公務員の娘」つまりは平均的な人間であると位置づけるが、そんな自分であっても「差別者という存在にまったく出会わないまま暮らせて」しまう、と述べる(72頁)。しかし、寮氏は「一介の公務員の娘」ではあるが、国立大学の附属小学校・中学校に通い、県内トップレベルの高校に進んだ。自身は「育ちが良いと自慢しているわけではない」とするが、この経歴は「育ちが良い」のでは?

    • 年代も違うので昔は公務員は中流という感覚だった?

  • 池澤夏樹が「沖縄から歌のうまい人がたくさん出てくるのは、沖縄の特性」「在日朝鮮人や朝鮮半島の人たちの芸能の力もすごい」と述べている部分(46頁)が気になった。それは社会や文化の話であって、「生まれ持っての特性」ではない。また、「ナショナリズムというのは誇りなんです」(49頁)も気になった。

    • 確かにナショナリズムのくだりは引っかかる部分だけど、例えば50年代、60年代の「アジア・アフリカの独立の時代」には、「民族の独立」というポジティブなイメージで使われていた言葉だった。今のわたしたちが「ナショナリズム」という言葉に持つイメージとは少し違う。池澤夏樹はその頃のイメージで使っているのかも。

      • ここ以外にも、少し引っかかる部分がいくつかあった。呼びかけるだけでなく監修や編集もすべきだったのでは?

      • 編者二人の対談で「自分たちは編者であっても監修者ではない」と述べている(5頁)ので、それぞれの原稿の監修はしなかったらしいけど…

      • 監修が入らないからこそ、名の通った人達が原稿を引き受け、各々の想いを綴った書籍となったのかもしれない。広くカウンターの活動を広げていくという視点では、戦略的というか、有効な形式だった可能性もある。

  • 村井紀「Tokapuchi(十勝)——上西晴治のioru(イオル=アイヌ・ネイション)の闘争」が面白かった。文学では多くの場合、アイヌを「滅びゆく民族」とばかり描いてきた。そういう意味で金カムは「生きた」アイヌを描いた作品であることに意義?

  • 倉数茂の「〈おぞましき母〉の病理――レイシズムについてのノート」で述べられていた「母」と「乳児」の関係は、今ちょうど自分が母親として授乳中なので気持ち悪いなと感じた。例えば「ここから、乳児と母親の身体との壮絶な闘争が始まる。乳児は、自分の中の悪しき要素を、糞便のようなかたちで外部世界に投げ返す。…(中略)…悪しき母親からもたらされる要素が、自分の身体をずたずたに引き裂こうとしている」(296頁)等の説明があるが、乳児自身には快・不快の感情しかないのでは。乳児にとって、不快を与えるものは空腹、眠気、周りの環境など母乳の出が悪いなどの母親由来のものに限らない。母親は母乳やオムツ替え、寝かしつけなど不快を取り除いてくれる部分の方が大きいのではないかと思う。男性による母性の押し付けなのでは、という印象もあった。

  • アイヌ民族否定論を広めてきた的場光昭は、あるアイヌ女性による「自分をいじめてきたのは教育を受けられない、下働きのような仕事をしている人々だった」という証言を引いて自分の論理を展開していたそうだが(183頁)、おそらく同じ人の証言について野田サトルがインタビュー(※)で言及している。この証言者自身の個人的な体験としては間違いなくそうだったのだろうけど、マジョリティ側が「当事者がこう証言している!」と証明に利用するのは良くないと思う。

    • 編者二人の対談でも、知里真志保の言葉の奪用について言及していた(15頁〜)。

    • 違星北斗の言葉の奪用についての章もあった。(山科清春「違星北斗の言葉の『悪用』について」)

      • Twitterでは短い言葉だと強い言葉が勝ってしまうように、文学でも強い言葉が独り歩きしてしまうことがある。でも言葉の意味は文脈によって変わる。

  • 違星北斗について説明した章では、同化について考えさせられた。

    • アイヌ民族否定論は「アイヌは同化したから民族ではない」というもの。

    • 同化とは何なのか。

    • 当事者の「同化したい」を額面通り受け取るべきではない。つまりは「差別されたくない」という意味でもあるから。

※『ゴールデンカムイ』最終巻ラストの真相…野田サトル1万字インタビュー#1
https://shueisha.online/entertainment/41195?page=4
「ちなみに、クラさんは「アイヌ」への差別について、著書でこう書かれています。…(中略)…結局、自分より下の相手を見つけたい弱い心が、差別を作るのでしょうね。」

サブタイトル

読書会のまとめとして、『アイヌ民族否定論に抗する』に続くサブタイトルをそれぞれが考えてみました。同じ本を読んでも、出てくる感想は人それぞれです。自分はこの本をどのように読んだのか?を一言で表現して残すために、このような取り組みをしています。

  • 「2015年当時のインターネットレイシズムに対して、立ち上がった様々な立場の人々の想いの記録」(Y)

  • 「バカバカしい差別論」と一笑に付さないために(アズシク)

  • 「無邪気と無知と学問的言説の恣意的な悪用に向き合う」(薪)

  • 「『ヘイトスピーチ』へのカウンターメッセージ」(K)