Oxford Internet Instituteの哲学者であり、Alan Turing Instituteの情報倫理の中核をなしているLuciano Floridiによる「情報論」についての入門書です。内容としては、「情報」とは何かについて、フロリディによる「食洗機」「自動車のランプ」などの例を踏まえて分類・定義を施し、それを踏まえて実世界で我々がよく見る「情報」(例えば、DNAや電気通信、市場など)を議論します。
本書はその分類の核自体については、議論を踏み込みません。なので、その分類の正しさ自体は本書からは評価できないです。しかし、現実社会の分析事例として彼があげる実世界における「情報」をめぐる議論には、十分にマッチしています。彼が展開する情報社会論については、『第四の革命』に詳しいです。
数学的実力がなくても読めますが、ある程度統計的手法を使ったことがあったり、実験デザインをしたことがあったり、科学やエンジニアリングといった"Applied Mathematics"の実領域に触れたことがある必要はあると思います。(逆に、広く日常的にそういった計算を選択的に使っている人にとっては、あまり情報量はないかもしれません。)
冒頭の応用数学の意義のところに、著者の科学観が顕著に合わられています。予測精度-計算量のバランスの中で、計算モデルを科学者は自由に選択していくという考え方です。
それに基づいて、応用数学上のテクニックについて、「どう計算量をへらす」ことにコミットするのか、「どう予測精度に影響を与えないのか」みたいなことについて説明してくれます。
「意識」に関する本であって、「心の哲学」の本ではないです。意識に関して議論されてきて、後の時代に心の哲学の中心的問題にもなってきた事柄を紹介する形式の本です。具体的には、カルテジアン劇場や「コウモリであるとはどういうことか」などなど。とうぜん認知科学や脳科学についても触れられています。
ブラックモアは、時折コメントをつけるみたいな感じで「この考え方には納得がいかないけど、紹介するね」みたいなこと付け加えます。
科学哲学の解説を、科学史の文脈や時系列的説明ではないほうほうで、段階的になす本です。(具体的にいうと、クーンよりもまず、推論から内容がはじまります。)
非常にコンパクトに、いままで科学哲学で問題とされてきたポイントが整理されており、おカーシャはそれから一歩離れて記述しているので、教科書的に使うのに最適だと思います。
日本語訳は旧版だと思いますが、違いについてはわかりません。
医学を、臨床、書物、病院、共同体(都市、国家)、実験室、現代とそれぞれ異なる場面を中心とした歴史として説明する良著です。
日本語版は、慶応の鈴木晃仁先生。
Bioethics(生命倫理)ではなく、Medical ethics(医療倫理)であることに注意です。
自殺幇助の例をとって、医療倫理的な考え方流派を順番に紹介していくところから始まります。
日本語訳で読みました。著者のケン・ビンモアは関心は僕に非常に近いように思えました。科学哲学とかやってる同じ分野の人は、ゲーム理論を学ぶという観点以外でも、ビンモアの考える「ゲーム理論」観が非常におもしろいんじゃないかと思います。
実際訳者によるあとがきでは本著やビンモアの研究(ロールズの政治哲学の研究)は、政治哲学者というよりも科学哲学者に関心を持たれているとあり、この本を読む限りでは納得です。科学哲学者の考えるような、知識や信念、正しさといった問題意識がゲーム理論という思考の方法に上手におとしこまれている良著だと思います。ゲーム理論の入門書としてどうなのかはまだわかりません。