世の中は答えでできているようにみえる。だが人を整えるのは答えではなく問題である。君が集めた正解が増えるほど、心が軽くなるとは限らない。むしろ頭の中に小さな断片が散り、判断が遅くなることもある。私は数学を学んできた。数学は答えが明確だと思われがちだが、要は問いの立て方で決まる。問いがよければ道が開き、問いが浅ければ足場が崩れる。若い頃私は解ける問題を増やすことに力を注いだ。しかしあるとき、解けるのに納得できない感覚が残った。その原因は、問いが自分の中心から出ていないことだった。問いは頭だけで作れない。情緒が静かに定まると、問いは自然に形をもつ、情緒が乱れると問いは他人のまねになり、答えも借り物になる。賢さとは知識の量ではない、自分が何を知らないかを正しく見つける力である。その力は問いの質として現れる。君が今、迷いや焦りを抱えるなら、答えを探すまえに立ち止まるとよい。何を決めたいのかではなく、何を確かめたいのかを見る。その違いだけで思考は静かに整い始める。
岡先生の言葉は、研究活動の本質を突いた考え方だと感じたので、忘れないようにHPに書き留めてみました。
人は、つい他人との比較の中で自分の価値を測ろうとする。誰かより優れているか、誰かより遅れているか。そのような見方は、一時的な刺激にはなるかもしれない。しかし、それを基準にしてしまうと、自分の歩みは他人の速度に支配される。重要なのは、誰かに勝つことではなく、昨日までの自分よりも少しだけ前に進むことである。
アドラー心理学をこのように解釈している文章に出会って、それ以来のお気に入りになりました(原典を忘れてしまいました。もしご存知の方教えてください。)。