第5章
外国人材受け入れと言語政策
外国人材受け入れと言語政策
現在、日本は少子高齢化で労働力不足の中、外国人労働者の手に頼らなければ経済を動かすことができなくなっています。第5章では、これまでになく海外から人が移動してきている日本社会の現在と、外国人受け入れに関する政策の議論、その中で起きている日本語教育の課題をみていきましょう。
第5章 目次
2020年、日本で生活する在留外国人は288万5,904人にのぼりました。これは大阪市の人口約275万人よりも多い数です。2020年はコロナ禍で人の流れがストップし、前年より1.6%減少しましたが、日本で生活する外国人の数は近年増加傾向ににあります。
出入国在留管理庁「令和2年6月末現在における在留外国人数について」
OECD(経済協力開発機構)の2018年の調査では、日本の外国人流入者数が、ドイツ、アメリカ、スペインに続いて37カ国中4位になっています。
2020年の外国人労働者数は 172万4,328 人。前年比で 4.0%増加し、コロナ禍にあって増加率は低下したものの、過去最高を更新しています。
厚生労働省(2020)「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ」(令和2年10月末現在)
「国籍別外国人労働者の割合」を見てみると、1位ベトナム、2位中国、3位フィリピンとなっていて、ベトナムは増加率でも1位となっています。これは、国家間の経済連携や技能実習制度とも関係しています。ベトナム人留学生も急激に増加しています。
厚生労働省(2020)「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ」(令和2年10月末現在)
それでは、外国人はどのような職種で働いているのでしょうか。
「産業別外国人労働者の割合」を見てみると、一番多いのは製造業です。次に卸売業・小売業、3位に宿泊業・飲食サービス業です。他に、建設、 教育・学習、情報通信、医療・福祉など私たちの生活のあらゆる面で外国人労働者に頼っていることがわかります。
皆さんは、コンビニエンスストアやファストフード店などで働く外国人を見かけると思いますが、彼らは外国人労働者のほんの一部に過ぎません。普段目に入らない様々な分野でも、日本の社会や経済を支えています。
厚生労働省(2020)「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ」(令和2年10月末現在)
留学生が学業のかたわら行うアルバイトも、実は、貴重な労働力となっています。外国人留学生は、「資格外活動」として、アルバイトが週に28時間、長期休暇中は40時間の範囲で認められています。筆者が教えていた日本語のクラスでも、コンビニエンスストアや飲食店でアルバイトをしている留学生がいました。皆さんのアルバイト先でも外国人留学生が働いているでしょうか。
上の棒グラフ(「在留資格別外国人労働者数の推移(図1-1)」)で外国人労働者の内訳をみると、留学生のアルバイト等が入る「資格外活動」の割合が高くなっていることが分かります。このグラフからも、留学生が実質的に「外国人労働者」に含まれ、経済活動を担っていることがわかります。
留学生は将来日本で就職し社会や経済を支える人材になることも期待されています。下のグラフは、外国人留学生数の推移です。1980年代、当時のフランス並みに10万人の留学生を受け入れる「留学生10万人計画」が打ち出されました。10万人が達成されると、2008年には「留学生30万人計画」を打ち出されました。2019年に30万人が達成されています。こちらは優秀な人材の確保、卒業後に日本企業等への就職を見据えた労働力確保のためと位置づけられています。
日本では労働人口が将来的に減少していくため、社会や経済を支えるのに、外国人の労働力は不可欠となっています。つまり、さまざまな文化的言語的背景を持つ人々が共生する多文化共生社会へ、日本人の意識も変化していく必要があるということです。
独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)(2020)「2019(令和元)年度外国人留学生在籍状況調査結果」
多文化共生社会の実現を目指す神奈川県川崎市では、43,854人(令和3年12月末現在)の外国人が暮らしています。これは全人口1,539,352人の3%弱です。割合でみると少ないと感じるかもしれませんが、言語的文化的マイノリティーの市民にとっても暮らしやすい町にしていくことは重要です。
2019年に、市内在住の満18歳以上の外国人に行った「川崎市外国人市民意識実態調査報告書 【概要版】」調査によると、出身地域は中国が最も多く、次いで韓国、フィリピン、ベトナムとなっており、東アジアや東南アジアが多いことがわかります。日本語能力は、日常会話ができる人が80%以上を占めており、日本語を読んでわかる人も80%と高いのが特徴です。しかし、住居探しでは「外国人であることを理由に入居を断られた」人が26.1%、「外国人であることを理由に物件を紹介してもらえなかった」人が14.2%もいました。川崎市では2019年に、不当な差別の解消と人権尊重の町づくりを推進する条例を制定しています。差別をなくすには、条例を定めるだけでなく、日本人側が差別の実態について理解する公教育の機会や、様々な年齢層の人が職場や学校、居住地区で外国人と交流する機会を増やすことも重要だと思います。
参照:川崎市ウェブサイト(2020)「川崎市外国人市民意識実態調査報告書【概要版】」
戦後の外国人受け入れの経緯を、日本の経済や社会構造の変化と労働力確保という点から、詳しく見てみましょう。日本で働く外国人が増えていった要因がわかると思います。
第二次世界大戦以前から、日本には華僑と呼ばれる中国人や、在日韓国人、朝鮮人が住んでいました。彼らは、オールドカマーと呼ばれています。
戦後、東南アジアからの留学生の受け入れや、1970年代のベトナム戦争後のインドシナ難民や中国残留邦人の受け入れがありました。これらは労働力としてではなく、国際協力や戦後補償、そして人道的見地から行われたものでした。
1980年代後半から1990年頃のバブル期になると、当時ビザなしで観光に来られたイランやパキスタン、バングラデシュなどから外国人が来日し、建設現場や工場で職を得ました。そのほとんどは不法就労でしたが、日本の若者が就きたがらない職種で人手不足の中、外国人労働者は必要とされました。
しかし、専門的、技術的能力を持つ外国人は受け入れるが、単純労働の外国人は受け入れないというのが日本政府の基本方針です。1989年、日本は「出入国管理及び難民認定法」(いわゆる「入管法」)を改正し、外国人の不法就労や非正規滞在を取り締まります。
政府は、不法労働者を取り締まる一方、日系人の受け入れを開始しました。ブラジルやペルーなどの日系3世までが「定住者」の在留資格で日本で生活することができるようになりました。地方都市でも、外国人が集住する地域ができてきました。
戦前からいた外国人に対して、新しく来日し定住した外国人はニューカマーと呼ばれます。
この時期に来日した人々は、19世紀末から第二次大戦後の高度経済成長期にかけて、中南米へ土地や職を求めて移住した日本人の子孫です。当時の日本は、耕作地や雇用が不十分だったので、日本から外国へ人が出ていきました。20世紀後半に日本経済が発展し人手不足になると、今度は中南米の日系人が日本に働きに来ることになったのです。 そのまま定住し、現在では、その子や孫も日本で生活しています。
このように、日本は日系人受け入れ政策をとりましたが、その後も少子高齢化や地方の過疎化が進んでいき、人手不足は解消されません。外国からの労働力を確保していくその後の政策を見ていきましょう。
1993年 外国人研修・技能実習制度が開始されました。
この制度は「技能実習生への技能等の移転を図り、その国の経済発展を担う人材育成を目的としたもの」と位置付けられ、労働力の確保ではなく、あくまで「研修」だとされました。「日本で最新の技術を習得して自国の経済発展に役立ててもらう」という国際協力・国際貢献を謳っていますが、それは建前で、この制度によって日本と経済格差のある東南アジアから低賃金で労働力を確保できることになりました。その後受け入れを拡大していき、2018年には最大5年まで滞在が可能になりました。外国人労働者は都市部だけでなく、若者人口が流出し高齢化が進む地方の町でも、地元の産業を支えています。
2021年1月時点で、技能実習制度の対象は83職種に拡大しています。
➡技能実習制度移行対象職種・作業一覧(83職種、151作業)
2018年 入管法改正で「特定技能1号・2号」を創設し、2019年に施行されました。
「特定技能1号・2号」専門的・技術的外国人労働者の受け入れをより積極的に推進していくための政策です。ただし、基本方針で「深刻化する人手不足に対応するため」と述べているように、これは、非専門的・非技術的分野である「技能実習」の実質的な受け入れ拡大ととれます。それまでの技能実習制度では、日本にいられるのは最大5年ですが、そのあともいられるように、労働力の不足する分野で外国人労働者に受け入れを拡大しました。
1号は最大5年まで在留期間の更新が可能で、技能実習と合わせると10年滞在できます。
2号は家族の帯同がみとめられ、上限なしに滞在の更新ができます。
〈分野〉介護、ビルクリーニング、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業、★建設、★造船・舶用工業、自動車整備、航空、宿泊、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業
特定技能1号は14分野で「相当程度の知識又は経験を必要とする技能」を要する業務に従事する外国人、2号は2分野(★印)のみで「熟練した技能」を要する業務に従事する外国人への資格です。1号では日本語能力試験N4相当以上の合格も条件となっていますが、技能実習2号を終了した人は日本語および技能の試験が免除になります。下の「就労が認められる在留資格の技能水準」は、専門的・技術的分野として受け入れる特定技能と、そうではない技能実習との差を示しています。
厚生労働省(2019)「新たな在留資格『特定技能』について」
特定技能1号での外国人在留数は、2021年2月末で2万386人、11月末には速報値で4万5970人に伸びています。国籍地域別ではベトナムが圧倒的に多く、次いでフィリピン、中国、インドネシアとなっています。また、分野別には、「飲食料品製造業」が36.1%、「農業」が13.1%、「介護」が10.3%となっており、この3分野で約60%を占めています。(2021年9月時点)
受入れ機関は,外国人に対して「特定技能1号」の活動を安定的かつ円滑に行うことができるようにするための職業生活上,日常生活上又は社会生活上の支援の実施に関する計画を作成し,支援を行うことになっています。その中には、住まいの確保、銀行口座の開設、行政サービスを受けるための手続き等の他、日本語学習の機会の提供、生活上のルールや災害時対応の説明、日本人との交流促進なども含まれています。このような支援は、受け入れ機関とともに、地域の行政が一体となって進めていく必要もあります。
出入国管理庁「外国人の受入れ及び共生に関する取組」動画
2008年、看護師・介護福祉士候補者の受け入れが開始されます。この受け入れは、EPA(Economic Partnership Agreement 経済連携協定)に基づくものです。
2008年インドネシアから候補者一期生(計208名)が来日
2009年フィリピンから候補者一期生(計310名)が来日
2014年ベトナムから候補者一期生(計138名)が来日
EPAとは、貿易の自由化、投資、人の移動、知的財産の保護や競争政策におけるルール作り、様々な分野での協力など、幅広い経済関係の強化を目的とする協定です。受け入れの枠組みは二国間の交渉できまります。看護師・介護福祉士の受け入れはEPAの中の、「人の移動」に入ります。政府は、労働力の確保ではなく「相手国からの強い要望に基づき交渉した結果、経済活動の連携の強化の観点から実施する」と言っています。しかし、高齢化社会で、特に、介護人材は不足しています。
2016年の入管法改正では、在留資格「介護」が創設されました。さらに、2018年に創設した特定技能1号の14分野には介護も含まれています。日本の人口構造の変化で人材不足が深刻になった介護分野の労働力をさらに補うためです。 現在、介護分野では、外国人材を受入れるのに4つの在留資格があります。
1)EPA介護福祉士候補者(2008年~) 2)在留資格介護(2017年~) 3)技能実習介護(2017年~) 4)特定技能介護(2019年~) *( )は受け入れ開始年
このうち、1)と2)は国家試験受験が必須となっていますが、2)は国家試験不合格でも専門学校卒業後5年間の就労が可能です。3)と4)は国家試験の受験義務はありませんが、技能試験が行われています。介護分野では、EPAの受け入れ当初のように国家試験合格を目指すのではなく、受け入れ枠を広げ、受け入れ期間も延長することで、現場の人手不足を補い即戦力となるような人材を求める方へ舵を切っています。厚生労働省の調査によると、介護人材は、2019年の211万人を起点として2025年度に約243万人(+約32万人)、2040年度に約280万人(+約69万人)が必要となると予測されています。アジアの人材は日本だけではなく、中国、そして高齢化が進むドイツのような国でも必要としており、人材の奪い合いが起きているとも言われています。
国内の介護現場の現状については、「介護人材の確保・介護現場の革新(参考資料)」(令和元年7月26日 厚生労働省老健局)が参考になります。また、将来の介護人材確保の取り組みとして、小・中・高校生など若者向けのパンフレットも作成されています。
厚生労働省 外国人介護職員の雇用に関する介護事業者向けガイドブック(平成31年3月発行)
厚生労働省 外国人介護職員の受入れと活躍支援に関するガイドブック (令和2年3月発行)
国際厚生事業団(JICWELS) EPAに基づく外国人看護師・介護福祉士候補者受け入れパンフレット(2021年度受け入れ版)
特定技能Online 特定技能「介護」:外国人を雇用するために必要な準備・ステップ・注意点とは?
2012年の「高度人材ポイント制度」は、高度外国人材の獲得と定住化に力をいれた優遇措置を講ずる政策です。高度人材は次の3つに分類されます。
高度学術研究活動「高度専門職1号(イ)」本邦の公私の機関との契約に基づいて行う研究,研究の指導又は教育をする活動
高度専門・技術活動「高度専門職1号(ロ)」本邦の公私の機関との契約に基づいて行う自然科学又は人文科学の分野に属する知識又は技術を要する業務に従事する活動
高度経営・管理活動「高度専門職1号(ハ)」本邦の公私の機関において事業の経営を行い又は管理に従事する活動
学歴、職歴、年収、年齢、職業に関する資格、日本語能力などでポイントが決められていて、合計70点以上で高度人材と認められると、さまざまな優遇措置が受けられ永住権も取得しやすくなる制度です。「単純労働の外国人は受け入れないが、専門的、技術的能力を持つ外国人は受け入れる」という政府方針が反映された制度と言えます。
2013年の「国家戦略特区」では、地域や分野を限定して大胆な規制、制度の緩和や税制面の優遇を行い、その中で外国人の受け入れを始めました。 外国人材に関しては、「外国人家事支援人材の活用」「クールジャパン外国人材」「農業支援外国人材の受入れ」など9件が認められています。例えば、2015年に成立した「クールジャパン外国人材の受入れ促進」の事業概要には、「アニメ・ゲーム等のクリエーターや和食料理人材など、クールジャパンに関わる外国人の活動を促進するための施策の推進、情報提供等を行う」とあります。専門学校などでアニメやデザインを学んだり、調理師免許を取得したりした留学生が日本で就職できるよう、この制度によって在留資格の取得適用範囲を拡大しています。
2018年10月29日衆議院本会議で、当時の安倍首相は「政府としては、いわゆる移民政策をとることは考えていない」「深刻な人手不足に対応するため、即戦力になる外国人材を期限付きで受け入れるものだ」と答弁しています。日本に中・長期滞在する外国人を「移民」と認めないが、労働力不足になっている日本の社会と経済を支えてほしいということです。
就労のための一次的な滞在ではなく、永続的に暮す「移民」として認めると、その家族、つまり働き手ではない人々も入ってきて、移民のための教育や医療、公的サービスを整えなければならず、それにはお金も労力もかかります。また、外国人が増えると犯罪が増加するという先入観があったり、生活習慣の違いで住民同士のトラブルがおきる、雇用が奪われるのではないかなど、「移民」に対して負のイメージを持つ人もいます。
しかし、日本に来る外国人労働者を「人」ではなく「人材」とみなすことで、基本的な人権が脅かされたり、必要な医療や教育にアクセスできなかったりと様々な問題が生まれいます。そのような問題には、ことばや日本語教育も密接に関係していますし、日本社会で生活する市民一人一人の意識も大きく関係しています。
外国人労働者の受け入れ拡大にともない、様々な問題が指摘されていますが、その中にはことばの問題もあります。セクション3では、受け入れの中で実際に持ち上がった日本語教育の課題と言語政策の重要性について考えます。
第2章で、日本語教育の歴史を概観しました。日本語教育が人の移動とともにあり、政治、社会、経済の動向と切り離せない事を学びました。
現代の日本も、国策として外国人を受け入れ、人の移動が活発に起きています。人の移動に伴う言語の課題、文化や習慣の違いから起きる問題、そして人権にも関わる問題も存在していますが、これらに日本がどう向き合うかが問われています
21世紀の初頭に、ヨーロッパでEUが発足した際は、複言語・複文化主義という理念のもと、言語や文化が異なる地域間で人がスムーズに移動し交流するための政策が検討されました。EUが政治経済を統合して国際力をつけるには、複言語能力や異文化間能力を認め、異なる言語や文化を超えて双方向的に行動できる市民を育てる必要があります。
第4章の「評価と試験」では、ヨーロッパの言語政策で欧州評議会が作成しているCEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)を評価という観点からみていきましたが、CEFRは単に評価の手段を策定しただけではありません。CEFRには、複言語・複文化主義という、個人が持つ言語能力や文化背景に注目し、複数の言語能力を部分的な能力も含めて積極的に評価していこう、複数言語を様々なレベルで習得し、それらを必要な場面で運用できることを重視しようという言語教育観があります。
学期が始まった頃の講義で、みなさんの第二言語や学習言語について尋ねましたが、そのような個人が持つ複数の部分的な言語能力、そして、異文化間の経験も生かせるような社会や国家を統合した共同体を作るということです。
このような言語政策は、戦前戦中の日本が侵略した植民地で皇民化教育を行い、一言語で国家を統制する政策とは、対照的な理念に基づいています。
現代の日本について、考えてみましょう。
第二次世界大戦後、日本経済が急速に成長し世界がグローバル化していく中で、日本人が海外に出て活躍するために英語能力を重視してきました。戦後の日本は英語偏重の言語政策と言えます。この点は皆さんも、これまでの学校教育や就職活動で実感しているのではないでしょうか。
しかし、近年、日本に入ってくる外国人が増加していることで、日本国内、それも地方の小都市までもが国際化しています。少子高齢化が進む日本で経済を動かしていくために、この国内の国際化は止めることができません。日本で様々な言語的文化的背景を持つ人々がともに暮していくための、新しい言語政策が必要になっているのです。
日本で生活する外国人の中には、最低限必要な日本語を習得する機会もなく、日本語を理解できないことが人権侵害につながっているケースもあります。国策として、外国人受け入れをすすめる一方で、生活や言語に関わる問題は現場まかせになっている側面もあるのです。
2019年「日本語教育の推進に関する法律」が施行されました。
この法律には、日本に住む外国人が日本人とともに円滑に生活できるような環境整備と、日本に対する諸外国の理解と関心を深めるために、日本語教育を推進していくという趣旨があります。それを実現するために、「外国人等に対する日本語教育についての国民の理解と関心を増進する」という施策も含まれています。つまり、これまで日本語教育についてあまり知らなかった日本人も日本語教育について知ってほしいし、知る必要があるということです。
例えば、アルバイトや就職先で一緒に働いている外国人が日本語を理解できないとき、どのような対応をしますか。外国人と文化や習慣の違いで意見が食い違ったとき、どのように解決したらよいでしょうか。職場で日本語ができないことが理由で不当な差別を受けている人がいたら、どうしますか。
日本語教育の推進は、国民一人一人にも委ねられている政策と言えます。本授業を履修している皆さんも、日本がこれからどのような言語政策や日本語教育の政策をとるべきか、考えていってください。
日本語教室がない地方公共団体(=空白地域)に住む外国人に対する日本語教育の取組の一環として文化庁が開発した日本語学習教材です。遠隔地で生活する外国人が日本語を学ぶことができるよう、生活に根差した場面で必要な日本語を多言語(14言語)対応の説明のついた動画で学ぶことができます。国内に在住し、日本語学習機会がない人や日本に住み始めたばかりで、日本語を初めて学ぶ人を対象にしています。
NHK World Japan「Learn Japanese」で、就労に特化した日本語の学習教材です。日本在住の外国人がそれぞれの職場で働く動画を見ながら、就労場面のやりとりで役立つ日本語や対応方法を学びます。英語、ベトナム語、ビルマ語、中国語の説明がついています。日本人の大学生や社会人にとっても役に立つような敬語表現が扱われています。
セクション4では、外国人看護・介護人材の受け入れで持ち上がった日本語教育の問題について一緒に考えていきます。海外から人材を受け入れるには、現場で働くのに必要な言語能力をどのように保証するか、言語教育を含めた制度設計が重要であることがわかると思います。
外国人看護師と介護福祉士の受け入れの枠組みになっているEPA(経済連携協定)締結の過程について、少し説明します。EPAは特定の国や地域との間で、自由貿易協定を結んだり、人的交流の拡大を図ったり、投資ルールの整備をしたりと幅広い分野で経済関係の強化を図る協定です。看護師・介護福祉士候補者の受け入れは、EPAのいろいろな分野の中の「人の移動」に含まれます。二国間の交渉過程で、モノへの関税を下げる代わりに人材を受け入れるというような交渉材料になりました。
しかし、国内の受け入れ当事者となる病院や高齢者施設など看護や介護関連業界では、医療や看護の質の維持、教育への懸念が出てきました。
日本看護協会は受け入れに際して、以下の点を主張しました。
国と国の間で看護師免許を相互承認せず、日本の看護師免許を取得すること
看護ケアに必要な日本語能力があること
日本人と同等以上の条件で雇用されること
2008年、最初にインドネシアから看護師・介護福祉士候補者の受け入れを始め、続いてフィリピン、ベトナムの候補者も来日ました。「候補者」というのは、これから看護師・介護福祉士になる人ということで、受け入れた時点ではまだ日本で正式に就労する資格を持っていません。受け入れ側の病院や施設で働いて現場の仕事を覚えていくとともに、日本語も学習します。
看護師の候補者は、自国で看護師の資格を持っている人ですが、訪日前後の研修期間を経て、病院で研修・就労しながら、日本人と同じ看護師国家試験に3年以内に合格しなければなりません。
受け入れ初年度の候補者が受験した2009年度試験には、合格者が1人もいませんでした。2010年度の試験も1.2%ときわめて低い状態でした。日本人を含む全体の合格率89.9%と比較しても、非常に低い数字であることがわかります。資格を取得しなければ日本で正式に就労できない状況で、受け入れ制度が持続可能なのか大きな問題となりました。外国人にとって日本語のハードルが高すぎるのです。
資格取得が困難で、受け入れ側の施設の負担も大きいので、候補者を試験に合格させるために学習時間を確保し指導に熱心な施設と、短期的な労働力とみなし学習環境をほとんど提供しない施設に二極化しました。
介護福祉士になるには、3年間の実務経験を経て国家試験を受験し合格しなければなりません。受験できるのは4年目の一度のみです。看護師よりは合格率が高いのですが、不合格になれば帰国せざるを得ません。
看護師や介護福祉士は単純労働ではなく、専門職です。現場では難しい専門用語も使われ、国家試験の合格が就労の条件になっています。自国で専門職として働いていた実務能力のある海外人材を受入れても、日本語習得のハードルに対処していく制度設計をしておかなければ、受入れ自体が機能しません。
さらに、看護師の業務は、社会的文化的に多様な側面もあります。ところ変われば、看護師の役割も変わり、それまでの自分の国での常識が通じないこともあります。また、専門職の仕事内容の認識の違いから、試験問題の正解が国によって変わるということもありました。
日本語教育上の問題点を整理してみましょう。
看護介護の業務で使う日本語や国家試験について調査が不十分
看護・介護の日本語能力に関する評価基準がない
学習支援者や教材の不足(受け入れ当初は看護や介護の教科書もなかった)
訪日前後の研修機関が異なる。研修機関同士の連携や学習内容の継続性が困難であったり、日本語講師を継続的に雇用することが難しいといった問題も起きた。
日常生活で必要な日本語と看護や介護の現場で必要な専門的な日本語は異なります。EPAによる受入れに際して、日本語の習得に関する大きな課題が出てきたことで、看護や介護の現場でどのような日本語が使われているのか、研究が進められました。そして、教材開発も進んでいきました。
看護や介護の日本語がどのようなものか、留学生が使用している教材と比較しながら見てみましょう。
介護福祉士はN4合格程度で来日後の研修に入るので、介護学習用の教科書も、文法に限っては中級前半レベルといえます。そこで、中級前期レベルの日本語の教科書で比較してみましょう。
1つめに紹介するのは、留学生用の日本語の教科書です。モデル会話を見てみましょう。
トム・ブラウン、日本語の石山先生の研究室へ推薦状を頼みに行く。
トム:先生、今、二、三分よろしいでしょうか。
石山:いいですよ。何ですか。
トム:あのう、実は、来年留学したいので奨学金に申し込みたいんですが、推薦状を書いていただけないでしょうか。
石山:ええ、いいですよ。
トム:これが推薦状の用紙です。
石山:ああ、そうですか。あて先は?
トム:アドレスですか。
石山:ええ。
トム:この紙に書いてあります。切手も持ってきました。
石山:わかりました。締め切りはいつですか。
トム:あのう、「締め切り」って何でしょうか。
石山:いつまでに送ればいいかっていうことですよ。
トム:あっ、分かりました。来週の金曜日です。
石山:じゃあ、今週中に出しておきます。
トム:すみません。よろしくお願いします。
石山:はい。
マグロイン花岡直美、三浦昭『An Integrated Approach to Intermediate Japanese(中級の日本語)』The Japan Times 第3課「日本への留学」会話2より
海外の大学生がこれから日本へ留学しようという設定で、日本へ交換留学をする外国人が遭遇するような場面です。トムは「締め切り」の意味がわからず、聞き返しています。
この章には会話以外に「留学情報」という読み物もあり、モデル会話に出てくるような語いを学びます。「授業料、成績、書類選考」など大学生のみなさんにもおなじみの語いが多いですね。
次に、介護福祉士用の日本語教科書を見てみましょう。紹介するのは、『外国人のための会話で学ぼう!介護の日本語―指示がわかる、報告ができる― 第2版』(中央法規出版 )という教科書の第8章「排泄」です。
モデル会話の登場人物は介護職員のリーダーとベトナム人新任職員のハンさん、そして入居者です。場所は特別養護老人ホーム内の部屋、内容は排泄介助の場面です。
田中正男さん 87歳 男性 1か月前に左足を骨折 杖歩行 頻尿
リーダー:205号室の田中正男さんが寝る前にトイレまで誘導して見守りをしてください。田中さんはトイレが近いので、夜間はポータブルトイレを…。
ハン:あ、すみません。「トイレが近い」ってどんな意味ですか?
リーダー:「何回もトイレに行く」という意味よ。頻尿とも言います。ポータブルトイレの用意を忘れないでね。
ハン:はい。忘れないように準備します。
ハン:田中さん、寝る前にもう一度トイレに行きましょうか。
田中:うん。そうだね。
ハン:手すりにつかまってください。パッドは汚れていませんか。ご自分でできますか。
田中:うん、大丈夫だよ。
ハン:じゃ、終わったら声をかけてください。お部屋までいっしょに帰りましょう。
田中:わかった。
(後略)
一般社団法人国際交流&日本語支援Y、 公益社団法人国際厚生事業団『外国人のための会話で学ぼう!介護の日本語―指示がわかる、報告ができる― 第2版』(中央法規出版 )8章「排泄」会話文より
新任職員のハンさんは、「トイレが近い」の意味が分からず、聞き返しています。会話の中には「頻尿」「見守り」「夜間」「ポータブルトイレ」など場面に関連した語いが登場します。
またこの章では排泄介助の関連語彙も学びます。さらに、「褥瘡」など日本語母語話者でもなかなか聞いたことのないような専門用語も学びます。「褥瘡」とは「床ずれ」のことです。
介護の日本語の教科書では、介護場面で必要な日本語を学ぶので、各章はさまざまな介護場面や仕事内容に基づいています。同じ日本語教育と言っても、日本語を学ぶ目的の違いで、必要な日本語も大きく異なることがわかります。以下は、紹介した教科書の各章で扱っている場面です。
各章の場面
第1章 自己紹介
第2章 仕事1日目
第3章 洗顔と整髪
第4章 着脱
第5章 車いす移動
第6章 杖歩行
第7章 食事
第8章 排泄
第9章 おむつ交換
第10章 入浴
第11章 清拭
第12章 環境整備
第13章 口腔ケア
第14章 緊急時の対応「誤飲」
第15章 認知症の人への対応「物盗られ妄想」
第16章 認知症の人への対応「帰宅願望」
EPAによる受け入れは、試行錯誤ののち、候補者が受験する国家試験の見直しや滞在期間の延長、訪日前後の研修が導入され、合格率は改善していきました。ただし、最近でも10-20%程度にとどまり、日本人を含む全体からみると低いままです。
また、国家試験に合格しても、専門的なスキルが生かせない、日本での経験がキャリアの発展に役立たない、家族の帯同に伴う問題、職場の人間関係等の理由で、帰国する外国人も多いです。異文化や宗教への不理解も問題になっています。
外国人材を受け入れるには、その人たちが働く現場でどのような日本語能力が必要か、また、その学習をどう保証するかを検討する必要があります。それは、具体的に言うと、第4章「学びを設計する」でとりあげたように、学習者のレディネス、ニーズ、教材の整備、試験や評価、カリキュラムをどうするかを検討することなのです。そのような日本語教育の要点を欠いたまま受け入れを進めると、受け入れる側も来日する外国人も混乱し、問題が起きます。
「日本語でケアナビ」は、日本語・英語・インドネシア語の多言語用語集サイトです。看護や介護の仕事をする人たちの日本語学習のために、国際交流基金関西国際センターが作りました。
学習者の母語での検索、#(ハッシュタグ)で分野ごとの検索、支援者が学習者に教える際の説明方法の参考にもできます。
浅川晃広(2019)『知っておきたい入管法―増える外国人と共生できるか―』平凡社新書
OECD ウエブサイト「OECD International Migration Database and labour market outcomes of immigrants」https://www.oecd.org/els/mig/keystat.htm
厚生労働省「新たな外国人技能実習制度について」
厚生労働省(2019)「新たな在留資格『特定技能』について」
https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/000485526.pdf
厚生労働省(2020)「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ(令和2年10月末現在)」
https://www.mhlw.go.jp/content/11655000/000729116.pdf
厚生労働省(2020)「『外国人雇用状況』の届け出状況【概要版】(令和2年10月末現在)」
https://www.mhlw.go.jp/content/11655000/000728546.pdf
厚生労働省(2020)「経済連携協定(EPA)に基づく外国人看護師候補者の看護師国家試験の結果(過去12年間)」
https://www.mhlw.go.jp/content/10805000/000610408.pdf
厚生労働省ウェブサイト「介護人材確保に向けた取り組み」
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02977.html
THE SANKEI NEWS「安倍晋三首相『移民政策をとることは考えていない』衆院代表質問」(2021年3月30日アクセス)
https://www.sankei.com/politics/news/181029/plt1810290015-n1.html
澤宗則(2007)「外国人労働者」『地理学基礎シリーズ 地理学概論』1,pp.118-122.
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000734.pdf
首相官邸ウェブサイト「国家戦略特区」
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kokkasenryaku_tokku2013.html
出入国在留管理庁「令和2年6月末現在における在留外国人数について」
http://www.moj.go.jp/isa/publications/press/nyuukokukanri04_00018.html
出入国在留管理庁「最近の入管法改正」
http://www.moj.go.jp/isa/laws/kaisei_index.html
出入国在留管理庁「高度人材ポイント制とは」
http://www.moj.go.jp/isa/publications/materials/newimmiact_3_system_index.html
出入国管理庁「新たな外国人材の受入れ及び共生社会実現に向けた取組」
http://www.moj.go.jp/content/001293198.pdf
JITCO公益財団法人 国際人材協力機構ウェブサイト
栖原曉(2010)「『留学生 30 万人計画』の意味と課題」『移民政策研究』(2)、pp.7-9
http://iminseisaku.org/top/conference/090516ms2s.pdf
髙谷幸編(2019)『移民政策とは何か』人文書院
田尻英三編(2017)『外国人労働者受け入れと日本語教育』ひつじ書房
地方創生推進事務局ウェブサイト「内閣府国家戦略特区 外国人材」
https://www.chisou.go.jp/tiiki/kokusentoc/menu/gaikokujinzai.html
鶴橋商店街ウェブサイト「鶴橋商店街の歴史・魅力」
https://tsurushin.com/history/
独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)(2020)「2019(令和元)年度外国人留学生在籍状況調査結果」
https://www.studyinjapan.go.jp/ja/statistics/zaiseki/data/2019.html
内藤正典(2019)『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』集英社
布尾勝一郎(2016)『迷走する外国人看護・介護人材の受け入れ』ひつじ書房
文部科学省ウェブサイト「当初の『留学生受入れ10万人計画』の概要」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/007/gijiroku/030101/2-1.htm