第7章
「やさしい日本語」
「やさしい日本語」
受講生の中で、日本語教育に関わる機会がある人は少ないかもしれません。それでも、今学期学んだことをこれからの人生で生かせる機会はあります。そのキーワードが「やさしい日本語」です。第7章では、これまでに学んだ日本語教育についての理解と知識を社会生活でどう生かせるか、「やさしい日本語」をテーマに考えていきたいと思います。
第7章 目次
「やさしい日本語」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「やさしい」は「平易な」「簡単な」といった意味と、「親切な」「優しい」「柔和な」といった意味を併せ持つ言葉としてひらがなで記述されています。また、結果的には、多様な背景を持つ多くの人々にとって「わかりやすい」という意味にも解釈できます。「やさしい日本語」には、日本語をわかりやすく使用するという技術的側面だけではなく、「親切な」に表れるように使用者の態度面も大きく関わります。本講義では、「やさしい日本語」を2つの部分に分けて見ていきます。1つ目は、災害時の情報供給や自治体からのお知らせなど一方向的な伝達手段としての書かれた日本語で、セクション1とセクション2で扱っています。2つ目は、日常生活で外国人をはじめ多様な言語・文化背景を持つ人々同士で会話するときに必要な日本語(接触場面での日本語)で、セクション3とセクション4で扱っています。
「やさしい日本語」が世に広まるきっかけとなったのは、1995年の阪神淡路大震災です。震災の時に、外国人にどのように情報提供できるかという議論から「やさしい日本語」で伝える取り組みが始まりました。
皆さんが、外国に滞在していて、地震など大きな災害にあったときのことを想像してみてください。どこに行けば安全か、どこで水や食料が手に入るのかなど、生きるために必要な情報を得なければなりません。
情報化社会の現代で、まず困るのは、通信機器が使えなくなり、連絡がとれなくなったり、情報を得られなくなったりすることではないでしょうか。災害時には、情報が得られないと、混乱し、パニックも起きます。言葉が分からなければなおさらです。
阪神淡路大震災が起きた時にも、日本語のできない外国人が、必要な情報を得られないことが問題になりました。
阪神淡路大震災が起きた時にも、日本語のできない外国人が、必要な情報を得られないことが問題になりました。
阪神淡路大震災時に起きた問題
・日本語以外の言語を用いた情報の対応が未整備だった
・外国人被災者の多くが日本語にも英語にも不慣れだった
・被災者たちに流された情報は,平常時の日本人向けの日本語で、混乱状態に対応した日本語表現ではなかった
松田ほか(2000)
「『生活のための日本語:全国調査』結果報告〈速報版〉」(2009)
日本人の間で通常使用されているような日本語では難しすぎます。かといって、すべての外国人が英語を理解できるわけではありません。日本では、英語が共通言語にならない場合が多いです。
表は、2008年に行われた「生活のための日本語」についての調査結果です。日本に住む外国人住民に「生活に困らない言語」を答えてもらったところ、「英語」と答えた人は36.2%で「日本語」の61.7%よりかなり低いことがわかりました。
(ただし、日本語の割合の高さそのものについては、注意が必要です。調査の回答者の多くは日本語教室や国際交流協会などに来る人々であり、こういった場に来ない人々の傾向とは異なる可能性があります。)
1995年の震災以降、外国人を多く抱える自治体では、日本語放送と同じ内容を英語で流す検討を始めましたが、そうすると英語がわからない多くの外国人が情報弱者になってしまいます。かといって、外国人の母語は様々なので、災害発生直後に、複数の言語で情報提供するのには限界があります。
多数の言語で情報を伝えるよりも,外国人にも理解できる程度のやさしい日本語で情報を伝えることの方が現実的だとわかってきました。それで災害時に情報を伝えるための「やさしい日本語」とは、どのような日本語なのか、検討が進められました。
阪神淡路大震災の当日、朝7時のニュースでNHKが放送した文を、「やさしい日本語」に言い替えた文を見てみましょう。
A 原文(NHK:ニュース原稿より)
①けさ5時46分ごろ,②(a>兵庫県の淡路島付近を震源とする(b>マグニチュード7.2の直下型の大きな地震があり,③神戸と洲本で震度6を記録するなど,④近畿地方を中心に広い範囲で,⑤強い揺れに見舞われました。
B 言い替え文
今日,朝,5時46分ごろ,兵庫,大阪,などで,とても大きい,強い地震がありました。地震の中心は,兵庫県の淡路島の近くです。地震の強さは,神戸市,洲本市で,震度が6でした。
松田ほか(2000)
「けさ」➡「きょう、あさ、」、「兵庫県の淡路島付近を震源とする」➡「地震の中心は、兵庫県の淡路島の近く」など、難しい語いをやさしい語彙に言い換えています。
また、逐語訳ではなく、複数の内容が含まれた文(複文)を、いくつかの平易な単文にし、それに伴って文の構成も変えています。
「マグニチュード7.2」や「直下型」といった概念理解が難しいような専門用語は避け、「大きな地震」という最低限必要な情報にしています。
「震度」も理解できないかもしれませんが、使用頻度が高く、重要な語であるためそのまま使用しています。分かりやすくするために「地震の強さ」という語を付け加えています。
このように「やさしい日本語」にすることで、ニュースの理解度が著しく高くなったという実験結果もあります。
ニュースを提供する際には、聞く時にわかりやすくするための、ポーズをいれる、ゆっくりはなす、繰り返すといった配慮もすることができます。
阪神淡路大震災をきっかけに始まった「やさしい日本語」の研究成果は、東日本大震災などの災害時に活用され、「やさしい日本語」で発信する取り組みが広がりました。
やさしい日本語
日本語
2020年に新型コロナウィルスの感染が広まった時にも、多くの自治体が「やさしい日本語」で情報を伝えています。
「やさしい日本語」は、外国人のためだけではありません。高齢者や障がい者、子どもたちのように、日本語で情報を得ることが難しい人たち(言語的マイノリティ)にとっても「やさしい」社会を作るための取り組みとされています。
災害時以外にも、日常生活の中で必要な情報を提供するために「やさしい日本語」が役立ちます。皆さんは、自治体や学校、企業からのお知らせ、あるいは、施設やサービス利用時の説明文などで、分かりにくいと感じたことはありませんか。外国人だけではなく日本人にとっても、わかりやすい日本語を使うことは重要です。
a)漢字
「やさしい日本語」以前にも、日本語の使用を人為的にコントロールしようという取り組みがありました。例えば、戦後の「当用漢字」、のちに「常用漢字」として、皆さんが学校で学んできた漢字は、教育上や社会生活の利便性から、文字数が制限されたものです。
さらにさかのぼると、江戸末期には前島密が漢字廃止論を提案しました。当時は、漢字の使用は世界から遅れをとることになると考える人がいたのです。
b)カタカナ言葉
現在、漢字よりも問題になっているのは、いわゆる「カタカナ言葉」と呼ばれる外来語の多用ではないでしょうか。外来語が多い文章は、高齢者だけでなく若者にとっても、わかりにくいです。そのため、外来語をわかりやすい言葉に書き換えていこうとする動きもあります。
c)専門用語
わかりにくい言葉として専門用語も指摘されています。病院で医者から患者に病状や治療を説明するときに使われる医療用語や、2009年裁判員制度開始にむけて検討された法廷用語、機器の操作説明、また、私たちが日常目にする公的文書もああります。
このように、言葉の使用に制限をがけ、平易でわかりやすい日本語を使用するのは、日本語を使用するすべての人々にとっての「やさしい日本語」と言えます。
一方、英語にも「やさしい日本語」と同様の取り組みが以前からありました。
・英語学習者のためのSpecial English( https://learningenglish.voanews.com/)
・やさしく書き直したSimple Wikipedia( Wikipedia)
・企業や公的機関での情報公開を書くためのPlain English( https://jpelc.org/ )
「やさしい日本語」の研究グループのホームページには、外国人にとって「やさしい」日本語を判断するのは専門家でなければ難しいのではないかという疑問が寄せられています。
「Q4.誰が、普通の日本語を「やさしい日本語」に書き換えるのですか。外国人にとって「やさしい」ということを判断するのは、難しいことだと思うのですが。」
これに対して、
「A4.外国人に10年以上日本語を教えている専門家がきちんと基準を決めて書き換えています。」
という回答があります。
災害時の発信のように、人の命が問題になる情報は、書き換えのための専門的知識が必要になります。しかし、専門家が、社会生活のさまざまな場面で必要となる日本語をすべて管理することは不可能です。グローバル化が進み在留外国人や外国人旅行客が増加する日本で、専門的な知識がなくとも、日本語をわかりやすくするための書き換えが必要な場面は増えていくでしょう。
例えば、レストランやホテルのサービスを外国人にも利用してもらいたいと思うなら、メニューや利用案内を外国人にもわかるように説明しなければなりません。外国語への翻訳だけではなく、いつも使用している日本語を「やさしい日本語」に書き換えるという方法があることを知っていれば、円滑なコミュニケーションとるためにはどうしたらよいか検討する枠が広がります。また、仕事や生活で、外国人とトラブルが起きた時にも、やさしい日本語が解決の糸口になるかもしれません。
「やさしい日本語」に必要なのは、日本語を使う人々が、自分が使っている日本語が相手にわかりやすいよう意識して使用することではないでしょうか。皆さんも、誰に向かって、何を伝えたいのか、どうしたら伝わるかを考えてみてください。
出入国管理庁と文化庁が2020年に作成した「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」というパンフレットがオンラインで配布されています。
パンフレットのpp.6-16では「やさしい日本語」で伝えるための3つのステップが提案されています。
1.日本人にわかりやすい文章
2.外国人にもわかりやすい文章
3.わかりやすさの確認
以下、「やさしい日本語」で文章を作成するポイントを詳しくみていきましょう。
「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」(2020年8月)に掲載されている「やさしい日本語」への書き換えポイントです。ステップ1でわかりやすく、ステップ2で外国人にもさらにわかりやすく書き換えてみましょう。
ステップ1 日本人にわかりやすい文章
日本人が読んでわかりやすい文章にするために、簡潔な文章にします。
簡潔な文にするためのポイントのいくつかを紹介します。
1.一文を短くする。
一文の中に複数の内容が含まれると理解が難しくなります。
例文)婚姻をするときは、役所に届出をし、届出が受理されると、婚姻が成立します。
書き換え例)結婚するときは、役所に「婚姻届」を出します。
役所が「婚姻届」を受理すると、結婚が成立します。
2.回りくどい言い方や不要な繰り返しはしない
伝えたいことを明確に、簡単に書きます。
例文)問題があるということになる
書き換え例)問題がある
例文)調査を実施した
書き換え例)調査をした
3.外来語に気を付ける
外来語は、「バス」、「ガス」、「テレビ」など、外来語以外に適切な日本語がない場合のみ使用します。
外来語には、原語と意味や発音の異なるものが多いため、使うときは注意が必要です。
例)スキーム、コンセンサス、 デリバリー
書き換え例)計画、合意、配達
ステップ2:外国人にもわかりやすい文章
さらに、外国人にとってもわかりやすくするための8つのポイントを見ていきます。
1.二重否定を使わない
例)在留カード以外は必要ありません。
書き換え例)在留カードを持ってきてください。
2.受身形や使役表現をできる限り使わない
例)住民税は、市町村で課税されます。
書き換え例)住民税は、市町村へお金を払います。
例)窓口が混雑し、長時間、お待たせすることがあります。
書き換え例)窓口がこむと、長い時間、待つかもしれません。
3.簡単な言葉を使う(難しい言葉を使わない)
1)和語を使う(漢語はできる限り使わない)
例)こちらに記入願います
書き換え例)この紙に書いてください
2)抽象的な言葉は使わない
例)お手続きは、休日はなるべく避けてください。
書き換え例)平日に手続きをしてください。
3)略語は使わない
例)健診は年1回となります。
書き換え例)健康診断は1年に1回です。
4)ローマ字は使わない
外国人は、必ずしもローマ字を日本語の発音のとおりに読めるとは限りません。
2001年の文化庁による、在住外国人への意識調査では、ローマ字が読めると答えた人は51.5%でした。
日本語に対する在住外国人の意識に関する実態調査 | 文化庁 (bunka.go.jp)
4.曖昧な表現はできる限り使わない
1)曖昧な表現を多用しない(くらい、ごろ、など)
例)ごみ収集車は、月曜日の9時ごろに来ます。
書き換え例)ごみを集める車は、月曜日の午前8時30分から午前9時30分までに来ます。
2)複数の意味を持つ表現は使わない
例)結構です
書き換え例)良いです。/要りません
5.文末は「です」「ます」で統一する
尊敬語、謙譲語は使わず、敬語は「ですます」丁寧語だけにします。
初級の教科書でも、「ですます」体を最初に勉強します。
「ですます」だけで十分丁寧です。
例)お越しいただく必要はありません。
書き換え例)来なくてもいいです。
6.重要な言葉はそのまま使い、<=・・・>でわかりやすい言葉に書き換えたものを入れる
災害時によく使われることば、知っておいた方がよいと思われることばは、そのまま使ってください
例)余震<=後から来る地震>
例)暗証番号<=あなただけが知っている番号>
7.漢字の量に注意し、ふりがなをつける
漢字の量が多すぎないようにして、すべての漢字にふりがなをつけます。ふりがなを読める大きさにし、漢字とふりがなの間や、行と行の間を空けるなどして、見やすくします。
例のようにふりがなをつけてください。
例)住民税を払います。
例)住民税(じゅうみんぜい)を払(はら)います。
8.時間や年月日の表記はわかりやすくする
元号は使わずに西暦を使う
年月日の表記に「/」は使わない
12時間表示を原則とし、午前・午後を明記する(24時間表記でもよいとします)
「○○から△△まで」と表記する(「~(波ダッシュ)」は誤解を生むため使用しない)
例)2020年6月4日 午前9時から午後6時まで
川崎市でも外国人にもわかりやすい情報提供を目指して「やさしい日本語」のガイドラインや関連情報を載せたパンフレットがオンラインで配布されています。こちらも参考にしてください。
「診断結果」の「解説」の青文字をクリックすると、難しかったポイントがマーカーでわかります。
リーディングチュウ太
入力した文に使われている単語が、日本語能力試験の基準で、どのくらいのレベルかを知ることができます。
やんしす(YAsashii Nihongo SIen System)
パソコンにダウンロードして使うソフトウェアです。文を入力して、自動解析し、難しさの評価をします。
NHKのオンラインニュースサイト「NEWS WEB」の記事を「やさしい日本語」で書き換えて発信しています。2012年に日本で初めて外国人のために「やさしい日本語」で提供されたニュースサイトで防災情報もあります。日本語学習者だけではなく、小学生の子供や知的障碍者にとっても効果があることがわかりました。元の記事と比較してみると、ニュースの難しい日本語がどのように書き換えられているか、また、どのような用語がそのまま使用されているか、具体的にわかるでしょう。NEWS WEB EASYの記事は、日本語クラスの教材としても使われています。読むよりも聞くことの方が得意な人のために音声による記事もあり、語彙は種類ごとに色分けされ、やや難しい語いには辞書の説明がついています。文字がやや大きめなのも読みやすい工夫です。
「NHK News Web Easy」の記事をさらにわかりやすくしたサイトで、文字上でカーソルを動かすとその意味や使い方が表示されます。
第3節では、会話場面での「やさしい日本語」の使用について考えていきます。公的文書の「やさしい日本語」への書き換えは、行政および専門家が主導して導入していくことで、社会を変えていくこともできます。しかし、会話場面での「やさしい日本語」は日本語使用者、特に日本語母語話者一人一人の意識の醸成と、外国人と積極的にコミュニケーションをしていくことが大切だと思います。
みなさんは、友だちと話す時と、先生や先輩など目上の人と話す時、あるは家族と話す時、初対面の人と話す時で、それぞれ話し方や話す内容を変えると思います。 子どもと話す時にも、話し方を変えますね。子どもと話す時は、子どもが知っている簡単な言葉を選びながら、理解しているか確認しながら、話すのではないでしょうか。高齢者と話す時にも、ゆっくりはっきり、高齢者にとって身近なトピックを選んで話しているのではないかと思います。
それでは、外国人が会話にいる場合ではどうでしょうか。おそらく、外国人が理解できるか配慮しながら、わかりやすい言葉や相手に合わせたスピードで話すのではないでしょうか。
母語話者同士のコミュニケーション場面を「母語場面」(または「内的場面」)と呼び、コミュニケーションに非母語話者が参加している場面を「接触場面」と呼びます。
例えば、日本人(日本語母語話者)同士で話しているのは母語場面、フランス人(フランス語母語話者)同士で話しているのも母語場面です。日本人とフランス人が、日本語あるいはフランス語で話しているのは接触場面です。
接触場面での話し方は、母語場面での話し方と異なっていることが調査で明らかになりました。第3章で、母語話者が非母語話者に対して配慮し、調整しながら話す「フォリナートーク」について触れましたが、日本語の接触場面での「フォリナートーク」を、別のことばでいうと「やさしい日本語」になります。
日本語母語話者と非母語話者の会話だけではなく、日本語非母語話者同士が、日本語で話しているのも接触場面です。このように、会話参加者いずれの母語でもない言語での会話場面を、第三者言語接触場面と呼びます。第三者言語で会話するときにも、「やさしい日本語」が使われています。
筆者は、初級日本語コースで、この第三者言語接触場面を利用した、初対面会話活動を行ったことがあります。このコースは、日本語知識ゼロからスタートし、1学期間で初級を終了する集中コースでした。アジア、ヨーロッパ、アメリカなど様々な地域から来た留学生70名が、5クラスに分かれて学んでいました。
週5日10コマも授業があるので、クラス内の学生は仲良くなりますが、普段の会話はどうしても共通語である英語や、中国語など学習者の母語になり、日本語を実際の会話場面で使用しながら学ぶ意識づけができません。そこで、5クラス合同のセッションで、他のクラスの初対面の学生と日本語で会話をする活動をすることにしました。
留学生の多くは、来日して2か月か3か月しかたっておらず、初級前半を終了した程度の、限られた文法や語いの知識しかありません。しかし、初級としては長い30分間の自由な会話時間を設けたところ、自分でパートナーを選び、会話を継続したりパートナーを変えたりしながら、楽しんでいる様子がうかがえました。限られた日本語知識しかない者同士だからこそ、日本語でのやりとりを楽しめたのかもしれません。
接触場面での「やさしい日本語」、つまり、書かれた日本語のような一方通行の日本語ではなく、双方向の会話場面での「やさしい日本語」は、日本語母語話者が外国人と交流しより良い関係を築いていくために、身に着けていくべき日本語能力ではないでしょうか。
「やさしい日本語」で話すためのポイントを見て行きましょう。
「やさしい日本語」で話すために、最低限覚えておく話し方のコツは「ハサミ」です。はっきり、さいごまで、みじかい文で話します。これを「はさみの法則」と呼びます。(東京外国語大学 荒川洋平教授 提唱)
他にも「やさしい日本語」で話すいくつかのポイントがあります。
1.はっきり話す
・口を大きく開けて、音のひとつひとつをなるべく明瞭に発音する
・助詞(を、に、から等)を省略せずに言う
・曖昧な言い方をせず、はい・いいえをはっきりさせる
例)明日の予定を聞かれて「明日はちょっと・・・」は曖昧な話し方です。「明日は行けません。来週はどうですか。」などとはっきり言いましょう。
2.さいごまで言う
相手に察してもらうような話し方は分かりにくいです。文末まで言いましょう。
例)「メールは?」のような言い差しの表現ではなく、メールアドレスを教えてくださいと最後まで言います。
3.短い文で話す
一文でたくさんのことを長々言うのではなく、1つの文で1つの内容を伝えます。(公的文書の「やさしい日本語」への書き換えポイントと同じです)
4.一気に話さないで、ゆっくり、適当に間を空けて話す
例)「こくさい、こうりゅう、サークルが、あります」と相手の理解するスピードに合わせて言いましょう。
5.文の最後は「です・ます」にする
初級日本語の文法で、最初から学ぶのが「ですます」で終わる文です。カジュアルな話し方は、会話に慣れていない初級学習者には、より難しいスタイルです。
例)「コーヒー、飲む?」はカジュアルな話し方です。「コーヒーを飲みますか?」は「ですます」スタイルの話し方です。
6.簡単な単語や文法を使う
・「簡単な」とは、つまり、初級レベルの文法や語いです。初級教科書を一通り眺めれば、どの程度の文法や語彙なのか見当が付くでしょう。
・可能形は「~ことができます」を使う
「使えます」(可能形)は「使うことができます」となります。「ことができます」は、動詞の辞書形に接続して可能の意味を表します。「ことができます」は1つの表現を覚えればよいので、分かりやすいです。
可能形は、動詞の可能形は単語ごとの形を覚えなければならないだけでなく、受身形や尊敬形と活用が重なります。また、会話では、いわゆる「ら抜き」言葉を使う場合が多いので、初級レベルの学習者は混乱するでしょう。
・指示をするときは「~てください」を使う
「書いていただけますか」などと失礼にならないように婉曲的な表現を使うと、分かりにくくなります。必要な指示や依頼は、はっきり分かりやすく伝えましょう。
7.あまり使わないようにすることば
a)外来語(カタカナ言葉)
外来語は、和製英語や発音の違いなどで英語母語話者にも理解されない場合が少なくない上に、アジアの日本語学習者のほとんどがカタカナ語に困った経験があると報告されています。
「コンセント」は英語では通じません。「セーター」も発音が問題になるでしょう。
b)擬態語・擬音語(オノマトペ)
初級でわかるのは、よく話題にする「日本語がペラペラです」くらいでしょう。
擬態語や擬音語は知識がなければ、意味の見当がつきにくいので、中上級で少しずつ学ぶ難しい語彙です。
c)敬語(尊敬語・謙譲語)
尊敬語や謙譲語は難しいです。「です・ます」だけでも失礼ではありません。
d)漢語ではなく和語を使う
初級では、和語の語彙を多く学びます。例えば、「乗車する」の代わりに「電車に乗る」の方が伝わります。
ここでは、大きく、音読みの熟語を漢語、訓読みを和語と捉えてよいです。
外国人にわかりやすく話すには、それ以前に、日本人に分かりやすい日本語で話す必要があります。政治家や専門家のスピーチや解説を聞いて、誰が「わかりやすい言葉」で話しているか、評価してみてください。そして、どうしてわかりやすいのか、考えてみましょう。
筆者は、日本語教師をしていますが、授業をしていて、たまに(年に2~3回くらい)学生からの質問の意味がわからない時があります。学生は必死に日本語で質問をしていますが、何度聞いても何を言いたいのかわかりません。質問する方も「先生は何で分かってくれないの」と困った顔をしています。そのうちに、やり取りを見ていた他の学生が「彼はこういうことを聞きたいのだろう」と解説して、ついでに質問にも答えてくれて、問題は解決していきます。
このような場面に出くわすと、日本語母語話者には理解できなくても、日本語学習者同士には理解できる日本語があることを実感します。日本語教師である自分よりも、学習者同士の方が理解でき、壊れかけたコミュニケーションを修復する能力があるわけです。
第4節では、コミュニケーション能力とインターアクション能力から「やさしい日本語」を考えていきます。
「日本人の英語能力は世界で〇位」という記事を目にしたことがありますか。「英語の能力」や「日本語の能力」など、言語の能力とは、どのような能力を指しているのでしょうか。文法や語彙などの知識を持っていることでしょうか。それとも、会話ができることでしょうか。それとも、テストで高い点を取れたということでしょうか。
1970年代、ハイムズ(Dell Hymes)は、母語話者の持っている能力の中には、文法的に正しい文を作るだけでなく、「いつ、誰に対してどのように話すか」という、言語使用の適切さに関する能力も含まれると考えました。これを「コミュニケーション能力(communicative competence)」と呼びます。文法や語彙に関する知識は、コミュニケーション能力より、狭い意味での「言語能力(linguistic competence)」となります。そして、コミュニケーションを行うためには、文法的に正しい文を作る能力以外にも、様々な能力、特に、社会的な文脈にあった適切な言語行動ができる社会言語能力が必要だと主張されるようになりました。
1980年代の初め、カナル(Michael Canal)とスウェイン(Merrill Swain)は、コミュニケーション能力には「文法能力」「社会言語能力」「ストラテジー能力」が含まれると主張し、のちにCanalは「談話能力」を加えて、四領域の知識とスキルに修正しました。
社会言語能力とは、その社会で場面に応じて言語を適切に使用し、理解するための能力です。
例えば、筆者は、担当クラスの第1回目の授業で、学生に突然、「先生の給料はいくらですか」と聞かれたことがあります。びっくりして、冗談だと思い、聞き返したのですが、確かにその学生は真面目に「給料はいくらですか」と聞いてきます。文法も語彙も間違っておらず、質問の意味も理解できます。しかし、〈大勢の学生がいる中で〉〈初対面の〉〈教師〉に向かって、「給料はいくらか」と尋ねるのは、少なくとも日本の社会では適切な話題選択とは言えません。もし、学生がクラスの外でそのような質問をしたら、文法を間違えるとか、少し発音がおかしいとかの比ではなく、コミュニケーション上の大きな問題が起きるでしょう。
談話能力とは、一つの文を超えて意味のまとまりをもつ談話単位における理解と産出を行う能力です。これは、話す・書くの両方に当てはまります。
例えば、皆さんは先生にメールで何かをお願いしたい時にどんな順序で書きますか。先生が分かりやすいように、状況説明をしてからお願いをするかもしれません。あるいは、メールの目的としてお願いしたいことを提示してから、その理由を書くかもしれません。また、失礼にならないように、「お世話になっております」や「お忙しい中失礼します」といった挨拶から始めるかもしれません。このように、目的を達成するための談話の展開も重要です。言語によって展開に違いも見られるので、学ぶ必要があります。
ストラテジー能力の「ストラテジー(Strategy)」とは、「方略」という意味で、目的を遂行するために様々な「策」を使って、工夫することです。以下が方略に当てはまります。
・コミュニケーションが上手くいかない時、どのように修復するか
・コミュニケーションの効果を高めるためにどんな技能を使うか
皆さんは、英語で会話をしていて、何と言えばよいかわからない時、どのような工夫をしますか。別の単語を使って説明を試みたり、「ちょっとまって」と時間稼ぎをしたり、相手に聞いたり、ジェスチャーを使ったり、その話題を回避したりするのではないでしょうか。そのような工夫がコミュニケーション・ストラテジーです。
日本語の会話場面でも、適切な敬語表現がとっさに出てこない時、適当に言い換えたり、無難な「ですます」で済ます場合がありますね。また、相手に不快な思いをさせないように、「これはあなたが悪いのではないのだけれど」などと、前置きをしてから話すこともあります。これらもコミュニケーション上のストラテジーです。
コミュニケーション能力に注目が集まる中、1990年代に、コミュニケーションよりももっと広い、インターアクションのための能力をネウストプニー(Jiří Václav Neustupný)が提唱しました。
ネウストプニーは、「コミュニケーションは、社会・文化、あるいは社会・経済的な行動の手段にすぎ」ず、「人間はコミュニケーションを目標に生活するのではなく最終目標は仕事/交流/社会生活等のインターアクション」なのだから、「日本語教師の最終的な目標は、社会・文化・経済的なインターアクションのための能力でなければならい」と主張しています。よって、「コミュニケーション能力」は、「言語能力」より広いですが、「インターアクション能力」より狭いカテゴリーになります。
ネウストプニーは、インターアクション能力を「社会文化能力」、コミュニケーション能力を「社会言語能力」と呼び、これに「言語能力」の3つを組み合わせた日本語教育を提唱しました。
1つ目の「社会文化能力」は、日本や日本人に直接接触がない人でも、広く多くの外国人に必要とされる能力で、世界の中での日本人の行動、国としての日本の動向などを解釈するのに必要な能力です。
2つ目の「社会言語能力」は、日本や日本人との接触はありますが、専門にしていない人が対象です。必要な日本語の言語知識は限定されていて、コミュニケーションも日本語で行わないことが多いですが、日本人といかにコミュニケーションを行うかというルールについては理解し、使えるようにする必要があります。
3つ目の「言語能力」は、日本や日本人との接触を専門にする人たちが対象です。1や2のの力を体系的に取り扱うことに加えて、言語能力の育成も必要です。
ネウストプニーの教育の枠組みは、1を基盤として、必要に応じて2,そして3を積み重ねていく図式です。しかし、従来の外国語教育では、逆に、言語能力のほうが優先され、次にコミュニケーション能力を目指す教育が提唱され、そしてインターアクション能力が取り上げられるようになったといえます。
皆さんの外国語教育では、どうだったでしょうか。「言語能力」の向上だけを教育や学習の目標にしてしまうと、何のためにその言語を学んでいるのか分からなくなります。社会で実質的に必要な能力を養うより、テストで高い点をとることへと目標がすり替わってしまうのではないでしょうか。
接触場面に話を戻しましょう。日本で生活する外国人が必要なのは、日本語の文法や語彙の知識、つまり、言語能力だけではありません。日本人とコミュニケーションするための能力、そして日本で働き、人間関係を築き、生活するためのインターアクション能力も必要です。
しかし、コミュニケーション能力やインターアクション能力が必要なのは、外国人の側だけでしょうか。日本人も、同じ社会で生活している以上、外国人とコミュニケーションするための能力や、外国人の社会や文化を知り、適切に行動できるインターアクション能力が必要です。一方だけの努力では成立しないのが、コミュニケーションであり、共存できる社会です。もし、日本人が外国人の母語を使用できず、外国人が日本語を学習し使用ているなら、日本語母語話者側としては、少なくとも、日本語でのコミュニケーション能力やインターアクション能力を育んでいくべきではないでしょうか。
阪神淡路大震災で、日本語のできない外国人が、必要な情報を得られず問題になったことが「やさしい日本語」が生まれるきっかけになりました。これは、言語や社会文化背景の異なる人々に、どうしたら日本語で情報を伝えられるかというコミュニケーション能力やインターアクション能力の必要性が、災害時に浮き彫りになったということだと思います。災害時にその有用性が見えてきた「やさしい日本語」は、平時の社会活動にも広がっていきました。
第1章から第6章で見てきたように、日本社会はつい最近、多くの外国人を受入れ出しました。そして、外国人がたくさん来ることによって、日本語に関わる問題や課題が、多く見えてきました。みなさんも、自分の周囲に、日本語に関わるどのような問題や課題があるか見つけて、どのように改善できるかを考え、地域社会で使用されることばの創造に関わっていってもらえたらと思います。
庵功雄、イヨンスク、森篤嗣編(2013)『「やさしい日本語」は何を目指すか―多文化共生社会を実現するために』ココ出版
庵功雄(2016)『やさしい日本語―多文化共生社会へ』岩波新書
庵功雄、岩田一成、佐藤啄三、栁田直美(2019)『〈やさしい日本語〉と多文化共生』ココ出版
庵功雄編著(2020)『「やさしい日本語」表現辞典』丸善出版
「やさしい日本語」研究グループ ホームページ http://www4414uj.sakura.ne.jp/Yasanichi/index.html
岩田一成(2010)「言語サービスにおける英語志向 : 「生活のための日本語:全国調査」結果と広島の事例から」社会言語科学13(1)、pp.81-94
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jajls/13/1/13_KJ00008440326/_pdf/-char/ja
川崎市 市民文化局市民生活部多文化共生推進課(2021年3月)「川崎市〈やさしい日本語〉ガイドライン」
https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000127/127357/yasashii_nihongo.pdf
出入国管理庁、文化庁「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン 2020年8月」(パンフレット)
http://www.moj.go.jp/isa/content/930006072.pdf
独立行政法人 国立国語研究所日本語教育基盤情報センター学習項目グループ・評価基準グループ(2009年)「『生活のための日本語:全国調査』 結果報告<速報版>」
https://www2.ninjal.ac.jp/past-projects/nihongo-syllabus/research/pdf/seika_sokuhou.pdf
時事ドットコムニュース「阪神大震災 写真特集」(2021年4月30日閲覧)
https://www.jiji.com/jc/d4?p=heq117&d=d4_oo
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VOA Learning Englishウェブサイト(https://learningenglish.voanews.com/)