第3章
外国語としての日本語と教授方法
外国語としての日本語と教授方法
外国人に日本語を教えるには、学習者の視点に立って日本語がどう理解されるのかを知り、日本語を外国語として分析する視点を持つことが重要です。そのために、第3章ではみなさんが外国語として学んだことのある英語学習をふりかえって、英語学習と比較しながら考えていきたいと思います。
第3章 目次
日本語を全く知らない人にどうやって日本語を教えればよいでしょうか。人生で初めて日本語を学習する人は、ひらがなも知りませんし、カタカナや漢字があることもしりません。知っているのは「ありがとう」や「こんにちは」という挨拶で耳にする口頭での表現くらいでしょうか。
みなさんの英語学習に置き換えてみましょう。
英語や英語由来の外来語は日本語にすでに浸透し、日常生活の中で見たり聞いたりしています。いま、皆さんの机の上にあるものは、ほぼすべて英語で表現できるのではないでしょうか。日本人の多くは、英語学習を正式に始める前から、「ABC」というアルファベットや「Apple」という単語、「I love cats」といった文を、理解することができるのではないでしょうか。
しかし、日本語教育のクラスには、日本や日本語の予備知識がほぼゼロの「ゼロビギナー」の学習者もいます。そのような場合は、「あ」という文字、「りんご」という単語、「ねこがすきです」という短文をどう発音するのか、また、どういう意味なのか全く見当もつきません。知識ゼロの人にとって、これから学ぶ日本語はとっかかりもヒントもない未知の言語なわけです。
仮に、みなさんが日本語ゼロビギナーだとして、ひらがながどう見えるか想像したことがありますか。
日本語ゼロビギナーの目に、ひらがなは、たぶんこんな風に新鮮に映っているでしょう。
ຂ້ອຍມັກແມວ
(ちなみに、これはラオス人民民主共和国の公用語であるラーオ語で「猫が好きです」と書いてあります。)
現在、ひらがなは主に46文字が使用されています。カタカナも同数あります。これに対して、英語のアルファベットは26文字です。また、多くの外国人にとって日本語が未知の言語であることを考えると、日本語表記は、最初からかなり学習のハードルが高いといえるのではないでしょうか。
例えば、文字の形状になんとか意味を持たせて、ひらがなを下のように覚えている人もいます。日本の「酒(さけ)」は海外でも人気があり「sake」というワードにもなじみがあるので、「さ」を酒に酔ったイメージで覚えるのは戦略的に良さそうですね。
ゼロビギナーが日本語の表記を学習する場合、フォントにも注意が必要です。皆さんが今読んでいる「さ」(「Lato」というフォントを使用)と、上の絵の右端にある教科書体は、外国人にとっては同じ文字だと認識しにくいです。ひらがなを覚えようとしている段階の学習者にとって「さ」「ち」「ら」「き」あたりは、非常に紛らわしいのです。皆さんも子どもの頃、ひらがなの「さ」を書こうとして「ち」を書いていたことはありませんか。日本語学習者も同じで、初級前半のうちは「さ」と「ち」のような鏡文字を書いているのが時々見られます。
ここまでは、ひらがなとカタカナの話でした。
日本語の表記には漢字もあります。漢字については、初級終了時点で約300字、上級になると皆さんの義務教育で覚える常用漢字とほぼ同じレベルの約2000字を目標にすることが多いです。しかも、読み方が1つだけの漢字は少なく、ほとんどの漢字に複数の読み方があります。小中高で毎週の漢字テストに苦しんできた私たちは、そのハードルの高さを少しは理解できるのではないでしょうか。
このように、初級レベルでは、ひらがな・カタカナの文字表記と発音、単語、文法、そして初級漢字といった、三重四重の習得のハードルがあります。日本語という言語について予備知識ゼロの人に何からどうやって教えたらよいでしょうか。これを考えて内容や方法を検討するのが、日本語教師の仕事の1つです。やり方はたくさんあるので、皆さんも考えてみてください。
日本語を学ぶとき、ひらがなの習得は必須でしょうか。初級教科書は、ひらがな・カタカナ・漢字の学習にそれぞれ異なるアプローチをとっています。ひらがなを読める前提で1課から日本語表記のみを使用しているもの、最初の課はローマ字を併記し途中からローマ字を外しているもの、漢字学習を扱っているもの・扱っていないもの、本冊とは別に漢字の教科書があるもの、あるいは、日本語表記を一切使用せず、ローマ字のみの教科書もあります。右の『NIHONGO Fun and Easy:Survival Japanese Conversation for Beginners』(アスク)は、ひらがなを覚えずに場面ごとのサバイバル日本語会話の習得をめざせる教科書です。会話文にはローマ字表記と英訳がついています。この教科書はどんな学習者に向いているでしょうか。また、どんな学習者にあまり向いていないでしょうか。(教科書については、第4章で詳しく扱っています)
まず、日本語を教える時に、どの言語を使って教えればいいか考えてみましょう。
「間接法」は、教師が学習者との共通言語で説明しながら、目標言語を教える方法です。皆さんの中学の英語の先生(主に、日本人)は英単語や英文法を日本語で説明をしてくれたでしょうか。その場合、日本語は皆さんと先生の共通言語になります。日本語を媒介語として目標言語である英語を学んでいます。これを間接法と呼びます。
しかし、日本語のクラスには様々な母語の学習者がいますから、クラス全員をカバーする共通言語がない場合もあります。英語は国際共通語となることが多いですが、英語がわからない学習者もいますし、日本語教師にも、「韓国語なら話せるけれど英語は苦手」とか、「英語よりスペイン語の方がわかる」という人がいます。よって、特に国内の日本語のクラスでは、初級から日本語を使って日本語を教える場合もあります。これを「直接法」と呼びます。皆さんも、小学校や中学校で英語ネイティブの先生に教わっていたことがあると思います。その時は、直接法で英語を学んだのではないでしょうか。
次に、何をどうやって教えるかを考えてみましょう。
日本語の多くの教科書では、最初に挨拶を習います。「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「ありがとうございます」「すみません」など、他の言語にも存在するような基本的な挨拶のことばです。その際に、絵や写真を見せて、使用場面や時間を提示します。
自分の言語にも同じ概念、同じ意味の表現があれば、学習者は「あ、私の言語では**だ」と言葉の意味がすぐにわかるでしょう。
それでは「よろしくお願いします」はどうでしょうか。
日本語では使用頻度の高い表現ですが、英語ではどのような表現になるでしょうか。どう訳せばよいでしょうか。
言語には、他の言語では表しにくい特有の概念や、その社会特有の文化・習慣を伴った意味用法があります。その言語でのコミュニケーションの中でしか使わないような言い回しもたくさんあります。例えば、英語でメールを書く時には、「Dear」をよく使いますが、日本語でメールを書く時に「親愛なる~」なんて呼びかけはしないですよね。
これは言語表現に限ったことではなく、仕草やジェスチャーも同じです。挨拶をするときに「頭を下げる」のは日本語によるコミュニケーションの特徴的な行動です。日本にしばらく滞在した外国人に、「自分の国に帰ってからもお店のレジでお釣りを受け取るときに頭を下げてしまうことがある」と聞いたことがありますが、これは、日本でお会計をする場面で「頭を下げる」というやり方を自然に習得し、それが習慣化したということでしょう。
よって、ただ言葉の意味を教えるだけでは、学習者にとって有用な理解にはなりません。先述の「よろしくお願いします」という表現は、どのような文脈や場面で使用するのかを理解させ、実際に使用できるようにすることが日本語の習得に不可欠なのです。〈誰が〉〈誰に向かって〉〈何のために〉〈いつ〉〈どこで〉〈どんな気持ちで〉使うのかといったことがわかるように、学習に組み込んでいきます。
日本語を直接法で教えると言っても、初級学習者は知っている単語や文法が限られているので、日常生活で日本人同士で使用しているような日本語を理解するのは難しいです。
そこで、教師は、〈既習の語彙や文法だけを使う〉〈短い文でゆっくり話す〉〈学習者が知っている話題を選ぶ〉などして、教えていきます。このように学習者の日本語レベルに合わせ、わかりやすい日本語で教師が話すことをティーチャートークと言います。ティーチャートークの特徴は以下のような話し方です。
〈英語教育におけるティーチャートークの特徴〉Chaudron(1988)
発話速度が遅くなる
ポーズが多くなり、時間も長くなる
発音が強調され、単純化される
より基本的な単語を使用する
文の複雑さが低くなる
疑問文よりも平叙文や叙述文が多くなる
自身の発話の繰り返しが多くなる
(『超基礎日本語教育』p.87)
皆さんも、日本語があまり話せない外国人と話す時に、簡単な日本語だけを使ったり、言い換えたりして相手がわかるように発話をコントロールした経験はないでしょうか。母語話者が非母語話者と話す場合に発話調整するのを、フォリナートークと言います。ティーチャートークとフォリナートークの特徴は似ています。以下に、フォリナートークの特徴をあげます。
〈日本語教育のフォリナートークの特徴〉ロング(1992)
他言語の訳語や外来語を頻繁に使用する
言い換えや繰り返しをする
短文を頻繁に使用、複雑な文構造を回避、敬語を回避し丁寧体を使用、格助詞の省略
丁寧体の回避、カジュアルな文体の使用、文末の「だ」の省略
スピードを落として、区切りながら発音する
明確化を要求し、理解を確認する
(俵山2008より簡約)
筆者は日本語クラスで、直接法・間接法を学習者のレベルに合わせて使い分けながら教えています。最初の日は、挨拶だけ日本語で、指示や説明は英語です。単語や文法の既習表現には日本語を使用したり、指示は日本語にし説明の一部にだけ英語を使うなど、徐々に日本語の割合を多くしていきます。初級が終わる頃には、ほとんど日本語のみで授業をします。学習者が知っている日本語だけを使用して学習者が理解できるように説明するのは、非常に難しい場合もあります。だから、日本語教師に必須なのは多言語能力よりも、初級レベルの日本語を使って目の前の学習者にわかるように授業を進める日本語能力だと思います。
教師と学習者の共通語がない場合、クラスメートも大切なリソースで、理解を助けるために、学習者に先生になってもらいます。母語が同じ学習者に通訳してもらったり、使い方を説明してもらったりします。
また、「Google先生に聞いてみてましょう」と画像検索をさせたり、あえて機械翻訳を使って意味を調べてもらったりします。スマートフォンに入っている便利なアプリをクラスに紹介してもらうこともあります。機械翻訳を使用することに反対する意見もありますが、筆者は学習者が自ら選択してICT技術を有効活用できることが大切だと考えてます。さまざまなチャンネルを用意して、学ぶ方法や手段を選択させるのも教師の仕事だと思います。
教え方は1つではなく、「絶対に正しい」という方法もありません。
日本語教育機関によっては特別な方針があり、それを踏まえて授業を行う必要があります。一方で、個々の教師の工夫に委ねられている部分も大きいです。また、学習者グループの特性によっても教え方を変える必要がありますし、学ぶ意欲を持続させるためには、学習者の不安をやわらげ自信を持たせるよう情意面にも配慮しなければなりません。
ゴールは学習者それぞれが必要な日本語能力を身に着けていくことなので、それを実現させるために効果的な方法は何かを考えていきます。
第2節では、以下の外国語教授法について紹介します。他にもさまざまな教授法がありますが、ここで紹介する教授法は、広く知られ、実際の教育現場で用いられています。
サイレントウェイ(Silent Way)
TPR(Total Physical Response/全身反応教授法)
文法訳読法
オーディオリンガル法(Audio Lingual法)
コミュニカティブアプローチ
CLIL(Content and Language Integrated Learning/内容・言語統合型教授法)
サイレントウェイは教師は沈黙(サイレント)して、声に出さず、学習者に気づき(アウェアネス Awareness)を喚起することで習得させます。この「アウェアネス」は、「人間の進化は教育によるもので教育は単なる知識の伝達ではなく人間の真の習得を促すものでなければならない。真の習得はアウェアネスなしには起こりえない」というガテーニョ(Caleb Gattegno、数学者・心理学者)の考えに根差しています。
筆者は、初級の授業で文法や語彙を導入するときにサイレントウェイで教えています。サイレントウェイだけで教えるのではなく、一部分にサイレントウェイをとりいれています。サイレントウェイには、「サイレント・ウェイ式仮名50音表」注)、レーザーポインター、そして指を使っています。
日本語の教科書に掲載されている五十音表には、ひらがなの読み方としてアルファベットが併記されていることが多いです。しかし、その弊害もあり、例えば「らりるれろ」の子音を「r」で表記すると、すでに「r」の発音を知っている英語話者などは、「rarirurero」という日本語としては不自然な発音になります。「r」の表記が自動的に英語の「r」の音に結び付いてしまっているわけです。日本語の「らりるれろ」の子音は「R」でも「L」でもなく、舌先で上あごを非常に軽くはじく音です。日本語のひらがなを全く知らない人は音と文字が結びついていないので、この五十音表で学ぶことで自然な発音を初級から習得していけます。
さらに簡易に「指」を使用することもできます。例えば「学校へ行かなければなりません」という文が言えなかったばあい、ひらがな1つを指1つで示してあげることで、学習者はどこが発音できていないのか気づきます。そこにヒントを与えてあげます。
「サイレント・ウェイ式仮名五十音表」も、指を使った指導も、日本語の音節がひらがな1つに対応しているという特徴を持っているためできる技なのです。
実際の指導としては、例えば、学習者が「学校へいけばなりません」と言った場合、「い????ばなりません」(と指で示し)、「ここ、ひらがな4つですよ」とヒントを与えます。このようにヒントを与えると、学習者は「?」に当てはまる音を出してみせます。それで、正しい表現に自力でたどり着くこともできます。たどり着かなくても、周りに座っている学習者が気づいて、教えてくれることが多々あります。クラスでこのような学習者同士の学び合いが起きるのも、サイレントウェイの特徴です。教師が教えるのと、いっしょに学んでいる学習者が気づいて教えてあげるのとでは、大きく意味が異なります。
注)「サイレント・ウェイ式仮名五十音表」を使用した指導方法は、川口義一・早稲田大学名誉教授が開発しました。以下に、Youtubeで公開されている動画リンクを掲載しますので、開発者ご本人の指導の様子を視聴してみてください。
子どもは話始める前に言語をたくさん聞いています。目標言語による命令に身体で反応し、それにフィードバックすることで音声としての言語と動作として現れる意味を結び付けていきます。TPRは、聞いた言葉に体全体で反応し、音声と動作(=意味)を直結させるので、学習者の母語による説明が不要になります。
筆者は自動詞と他動詞の概念を教える時にこのTPRを用いています。「並ぶ・並べる」や「出る・出す」は、前者を自動詞、後者を他動詞であり、日本語にはこのような自他動詞のペアが多数あります。一方、学習者の母語には、語彙として自他動詞の区別がほとんどない場合があります(例えば、英語や中国語)。母語に自他動詞の語彙としての区別がほとんど(あるいは全く)なく、ゆえに自他動詞の概念を実感するのが難しい学習者にこれらの違いを説明する際に、TPRは役に立つと考えています。
以下は、TPRを用いた自他動詞の概念導入の例です。
「並ぶ」vs「並べる」
まず、2つの指示を出します。指示①「ここに並んでください」指示②「ここに教科書を並べてください」1つずつ出して、全員が行動できるまで何度も言います。
行動できたところで、全員に指示内容をホワイトボードに板書してもらいます。正しい人もいるし、間違っている人もいるし、他の人が書いたのを盗み見て書いている人もいます。もう一度指示を言って、正確な表現を確認させます。
次に、「並んで」と「並べて」のます形「並びます」「並べます」を書いてもらい、2つの語がどう違うのか問いかけます。わかった学生がみんなに説明してくれます。(この時は母語や共通語で説明してもらっても構いませんし、母語や共通語で説明するようお願いすることもあります。すると、他の学習者も違いを整理して理解できます。)「並んでください」と言った時の身体行動と、「並べてください」と言った時の身体行動の違いが、並ぶの意味と並べるの意味の違いに結びついて、2つの語の違いを認識できるわけです。
「並ぶ・並べる」以外にも、「出す・出る」「入る・入れる」の自他ペアで、学習者に教室のドアから出てもらったり、ペンケースから赤ペンを出してもらったりします。子どもの学習者なら指示に従って「行動できればOK」となりますが、高い認知能力がある大人の学習者には、文を書かせて自分たちで違いを分析させます。自他動詞の概念が理解できるとその後の文法学習にもつながっていきます。
最後に、A4用紙2枚分の自他動詞ペアのリスト(すべて初級で学習する語彙)を配布します。この時、学習者はかなり絶望的な表情をするか、固まって無表情になることが多いです。なので、「まずは、よく使う自他動詞10個くらいを覚えておけばよい」と伝え、あとは少しずつ覚えられると励まします。
文法を勉強し、文章を翻訳して内容を理解する方法です。中世にラテン語の文献を読み解くために用いられ現代でも使われています。
皆さんの英語の先生も英文を一文一文日本語に翻訳していませんでしたか。また、テストで、「次の英文を日本語にしなさい」という問題もあったと思いますが、翻訳することで原文を正確に理解して母語で表現できているかを評価しています。目標言語で書かれた文章の正確な理解のためには、文法規則や語彙の意味用法の徹底した習得が必要です。文献を読んで情報を得るのに、この方法は効果的ですが、会話やプレゼンテーション等に必要な「聞く」「話す」といった技能を含む口頭運用能力を育成には向いていません。
言語学習は習慣形成であると考える行動主義心理学に基づくメソッドで、言語構造に慣れ、正確さを養うためのドリル練習です。機械的な反復練習や代入練習で、教師のキューに素早く反応できることを目的とします。文型を導入した後に、文型練習で用いられることが多いです。
オーディオリンガル法の決められたパターンの練習では学習者が自分の言いたいことを言えないため、コミュニケーション能力をやしなえないという批判もあります。しかし、文型に注目しながらも「個人化」した質問をチェーンドリルで行えば、やり取りに意味が生まれ、自分の言いたいことを言うことにもつながります。
ここに挙げた「コンビニで何を買いますか」という問いかけは、筆者のクラスの留学生が休憩時間のたびにコンビニへ行くのを見て聞きました。コンビニから帰ってくると表情も緩み嬉しそうです。日本に来たばかりの学生や短期留学生にとって、コンビニは誰もが行く場所で、よく買うものやお気に入りのものがあるようです。
だから「週に何回コンビニへいきますか」「どのコンビニが一番すきですか」など、別の文型にも「個人化」して質問できます。
「個人化」とは、川口(2016)によると「特定の文法・語彙項目を使って表現練習をするときに、必ず学習者個々人の経験・感情・思想が表現されるように支援すること」です。教科書に書かれている例文やモデル会話は、学習者個人とは関係のない、つまり学習者にとって話す意味の薄い日本語です。
ことばは誰かに自分の言いたいことを伝えるために発するので、教室での学習でも自分にとって伝える意味があることや、聞き手にとっても知る意味のある内容であることが大切です。
川口は、「人間はものを学習する時、とにかく『自分を通して』学ばないと身につかない」と述べていますが、「自分を通して」自分を伝えることがそのまま言語を習得していくことに繋がるのです。
機械的な練習ではなく、コミュニケーションを重視します。コミュニカティブアプローチは、コミュニケーション能力の獲得を目的とする教授法の総称で、「教授法」というより「考え方」と言った方がいいかもしれません。
学習者が達成すべきタスクを与え、目的を達成しようとするやり取りの中で言語が習得されます。インフォメーションギャップを与えて、言語を使って目的を達成する過程をとおして、言語を習得します。
専門分野や時事問題などのトピックをとりあげ内容と言語を両方学んでいきます。「言語を内容と切り離し、独立したスキルとして扱うことをしない」というCLILの考えがあります。「言語を学ぶ」のではなく「言語で学ぶ」方法です。
教授法の参考資料として外部で公開されている動画リンクを掲載します。
サイレントウェイによるかな導入(日本語) 川口義一 早稲田大学名誉教授
https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=mDoHoAsALzs
TPR(英語) PAIDIA INTERNATIONAL
Total Physical Response (TPR)
https://www.youtube.com/watch?v=bkMQXFOqyQA&t=13s
TPR(英語) 京都外語大学
TPRによる英語指導法~外国語を聴き、体の動きを通して学ぶ~
https://www.youtube.com/watch?v=KLKN0EWe3ww&t=4s
初級日本語の教え方のポイントを、文型シラバス(第4章2節参照)の教科書に沿って見ていきましょう。文型シラバスは、多くの初級教科書で採用されており、成人学習者が日本語を体系的・網羅的に長期にわたって学ぶのに適しています。本節は第4章の「シラバス」とも関連していますので、合わせて学習してください。文型シラバスに基づいた初級日本語教育として、教科書全体の構成と文型の扱われ方を概観し、最後に教え方の具体例を紹介します。
皆さんが勉強した国語の文法と、外国語として学ぶ日本語の文法は、異なった扱い方をするため、初めて聞く文法用語も出てくるでしょう。外国語としての日本語の仕組みを理解し、学習者が効果的・効率的に楽しく学べる方法を考えてみましょう。なお、初級文法について詳しく知りたい方は、初級日本語の教科書や日本語教師養成用の書籍などにあたってみてください。
【おすすめ】 日本語の基本的な特徴を把握するために、本章最後の「つながるひろがるにほんごでのくらし『日本語の特徴』」をまずは視聴してみましょう。(ウェブサイト内の動画にリンクしています。)
下の表は、初級教科書『みんなの日本語』(スリーエーネットワーク)に掲載されている文型の一覧です。教科書は本冊が2冊、1課から50課まであり、初級の一通りの文型を簡単なものから順番に扱っています。「文型」とは、文を作るときに使う表現形式や文構造のことです。ちなみに、この教科書の本冊は文型と練習問題で構成されており、文法や語彙は翻訳・文法解説書(多言語で出版されている)で説明されています。
『みんなの日本語 初級I 第2版』『みんなの日本語 初級II 第2版』(スリーエーネットワーク)より簡略リスト化
文法というと、動詞、形容詞、名詞、助詞のような文を構成する品詞のことをまず思い浮かべるかもしれませんが、日本語教育の文型シラバスでは、文の構造や、一つの意味上のまとまりをもった表現を文型として扱い、その文型とともに使用される語彙や格助詞、動詞や形容詞の活用、テンスなどの文法事項も学んでいきます。
上の表で[て形]や[ない形]となっているのは活用形を表しています。また、14課と15課にある(進行)や(状態)のような説明は、その表現の意味や機能を表しています。同じ「ている」という表現でも、異なる意味や機能で使われる場合、区別して教えます。「N」はNoun(名詞)、「V」はVerb(動詞)です。
大まかに、表の左半分(25課まで)が初級前半、右半分(50課まで)が初級後半と考えられます。ただし、文法の提出順は文法シラバスの教科書同士でも異なっているだけでなく、扱う文型にも違いが見られます。初級レベルでどの文型や文法項目を扱うべきかという点については、専門家の間でも議論されています。
皆さんは、英語の「Write - Wrote - Written」のように動詞が「原型、過去形、過去分詞形」と活用することを勉強したと思いますが、日本語の動詞にはいくつくらい活用形があるでしょうか。
例えば、「書く」という動詞を例に挙げると、以下のようにたくさんの活用形があります。初級教科書では、以下の活用を扱っています。(使役受身形は初級終了後の初中級レベルで扱われることも多いです。)
「書く」の使役形には「書かせる」のほかに「書かす」という短い形もあります。また、使役受身形には、「書かされる」のほかに「書かせられる」という形もあります。
また、「来られる」や「教えられる」のように、可能形、受身形、尊敬形の形が同じものもあります。尊敬形というのは、受身形をそのまま尊敬の意味で使用する形です。例えば、「電車を降りる」の「降りる」の可能形、受身形、尊敬形は、「降りられる」という同じ形になります。3つのうちのどの意味なのかは、文脈や助詞、行為主体(誰がその動作をするのか)で判断することになります。それぞれどのような文脈で使うかを考えてみましょう。
「大丈夫、自分で降りられますよ。」(車いすの人が)
「後ろから押された上に、先に降りられて、頭にきた。」(混雑したバスで)
「どちらで降りられますか。」(エレベーターで他の人に)
このように、動詞の活用形は紛らわしいものもあるので、日本語母語話者でも間違えてしまうことがあるようです。
みなさんも、可能、受身、使役、使役受け身といった活用形や一緒に使う格助詞(が、に、を、で、から等)を間違えてしまうことがありませんか。
動詞の活用の規則をどのように教えるか見てみましょう。活用の規則上、動詞は3つのグループに分かれます。
Iグループ/五段グループ/U-verb・・・国語の「五段活用」
IIグループ/一段グループ/Ru-verb・・・国語の「上一・下一段活用」
IIIグループ/不規則/Irregular verb・・・国語の「カ・サ行変格活用」
教科書によって異なる表現で説明されています。例えば、英語圏の学習者を想定し、英語で文法解説がなされているような教科書では「U-verb/Ru-verb/Irregular verb」という表現で説明されています。
下の図は、辞書に載っている形である「辞書形」で示しています。しかし、教科書によっては、「~ます」がつく「ます形」を基本にして、そこから形を変化させる方法で説明することもあります。(『みんなの日本語』はこのパターン)
Iグループ(五段グループ)例:書く、話す、読む、会う、帰る
「書かない、書きます、書く、書けば、書こう」のように活用語尾に5つの母音を使用します。辞書形が母音「う」で終わるので、「U-verb」と呼ぶこともあります。
IIグループ(一段グループ)例:見る、食べる、降りる、変える
「見ない、見ます、見る、見れば、見よう」のように語幹の最後が「い」の段または、「食べる」のように「え」の段のまま活用します。辞書形がすべて「る」で終わるので「Ru-verb」と呼ぶこともあります。(Iグループにも活用語尾がラ行の「帰る」のように、辞書形が「る」で終わる動詞があるので混同しないようにします。)
IIIグループ(不規則):「する」と「来る」
ルールなし。とにかく覚えるのみです。「する」には「勉強する」や「食事する」といった「する動詞」も含まれます。
例えば、動詞の可能形の活用の場合、グループごとに、以下のように規則を整理できます。
Iグループ:書く→書ける(語幹+eru)
IIグループ:見る→見られる(語幹+areru)
IIIグループ:する→できる、来る→来られる
意味上、可能形にできない語:ある(あられる?)、降る(雨が降れる?) など
可能形がない(もともと可能の意味が含まれる語):わかる、聞こえる、見える など
可能形は「来れる」「食べれる」など、いわゆる「ら抜き言葉」が日常使われているので、この点も注意する必要があります。
それでは、ここで、皆さんにも考えてもらいましょう。
「書いて」「見て」「飲んで」「行って」のような動詞の活用形を「て形」と呼びますが、て形にはグループごとにどのような活用規則があるでしょうか。て形の活用は初級前半の1つの山場で複雑なルールがあります。日本語学習をしたことのある留学生の皆さんにとっては簡単ですね。「て形の歌」でも歌っていてください。
日本語母語話者の皆さんは、まずはいろいろな動詞のて形を思い浮かべて、帰納的に導き出してみてください。それでも難しい場合は、初級日本語の教材を調べてみるか、こっそり留学生に教えてもらいましょう。
初級文型がどのように教科書で提出されているか、少し見てみましょう。
日本語は、形態論的に分類すると、韓国語やトルコ語と同じ「膠着語(こうちゃくご)」と呼ばれるグループに入ります。自立語(動詞、名詞、形容詞などそれだけで文節を作る語)の後ろに付属語(他の単語の後に付属して分節を作る語)がくっついて文の意味を表す構造を持つ言語グループです。このような特徴を持つ日本語が、どのように整理されて、文型として教科書に提出されているかを以下に説明します。
①「マリアさんも納豆を食べてみたいそうです」
「マリアさんも納豆をたべてみたいそうです」という文を考えてみましょう。
「たべてみたいそうです」という表現を、日本語教育で扱う文型項目に沿って解体すると、「たべて+み+たい+そうです」となります。この中で自立語に当たるのは動詞「たべる」(ここではて形「たべて」に活用変化している)および「たべる」に付属して意味を表す補助動詞「みる」で、そのあとに付属語の助動詞がついて文全体で言いたいこと(まだ日本の食べ物の1つである納豆を食べたことがないマリアさんが食べてみたいと言っていたと他の人に伝えている)を表しています。
初級教科書では、次の4つについて段階的に学習していきます。
動詞「たべる」の「て形」活用、「食べて」
「~みる」という補助動詞(動詞「て形」に接続)→一度もしたことがないことを試みるという意味
「~たい」という助動詞(動詞「ます形」に接続)→願望を表す
「そう」という助動詞(「そう」は「普通形」活用につく)→他の人から聞いたことを伝える伝聞を表す
以上の項目が「~です」という丁寧体(「ですます」体)の文で表されています。(これに対して、文末が「~だ」となる「だ」体を日本語教育では普通体あるいはPlain styleと呼びます。)
教科書『みんなの日本語』では、「~たい」が13課、動詞のて形が14課、「~みる」が40課、「~そうです」が47課で扱われています。
それぞれの文型が使われる文脈で、まずは個別に学習します。上の文は、個別に学習した文型を使って「食べる」「食べてみる」「食べてみたい」「食べてみたいそうです」と1つの文に組み立てられています。「~を食べます」という動詞文を学習してから、「食べてみる」「着てみる」など補助動詞「みる」を使った「動詞て形+みる」という表現を学習します。また、助動詞「たい」を使って「食べたい」「行きたい」など「動詞ます形+たい」も学習します。さらに「そうです」は「有名なレストランで食事したそうです」「明日は雨が降るそうです」のように「普通形+そう」の伝聞を表す文型として学習します。このように1つ1つ文型を学習しそれを積み上げていき、より複雑な内容を表せるようにします。
②「パソコンをつかわせていただけませんか」
別の文型の場合をみてみましょう。
『みんなの日本語』48課では、「パソコンを使わせていただけませんか」の「使わせていただけませんか」のような許可求めの表現があります。この表現も「使う」や「いただく」という自立語に付属語がついて意味を表していますが、日本語教育での文法は以下のように説明できます。
動詞「使う」の使役形「使わせる」、使わせるのて形「使わせて」、
謙譲語「いただく」(動詞て形に接続し「~ていただく」で扱う)の可能形「いただける」を丁寧体にした「いただけます」
「ます」の否定「ません」
疑問の終助詞「か」
しかし、先ほどの既習文型を組み立てた「たべてみたいそうです」という文とは異なり、「動詞(使役形)ていただけませんか」が1つの文型として提出されています。「~させていただけませんか」も比較的長いフレーズですが、許可求めの機能を持つ1つの文型表現として導入した方が効率的です。細かい文法上の意味は置いておいて、1つの意味機能をもつ表現として覚えることで、実際に許可が必要な場面で使えるようにします。授業では、「~てもいいですか」という他の許可求め表現を先に扱います。そして、動詞の使役形や「~ていただく」という謙譲語の文型を学習したあとで、非常に丁寧な許可求めの表現として導入します。
このように文型シラバスの教科書では、
以下に、「させていただけませんか」という文型表現を例に、授業でどのような導入や練習ができるかを紹介します。
文型「させていただけませんか」の導入と練習
教科書『みんなの日本語』では、48課に「させていただけませんか」が出てきます。それより前の15課で、「てもいいですか」という許可求めの文型が扱われています。
例)「パソコンを使ってもいいですか。」
「させていただけませんか」が48課で登場したときには、状況に合わせてさらに丁寧な表現で許可をとりたい時、「使ってもいいですか」の代わりに、「使わせていただけませんか」が使えると説明できます。
例えば、「~てもいいですか」は親しい同僚、「させていただけませんか」は上司やお願いしにくい状況の時に使うといった具体的な場面や相手を提示して説明できますが、実際に演じてみせたり演じてもらったりすることで、ニュアンスの違いを理解させるのも1つの手です。
〈文型練習〉
文型を理解するだけでなく、学習者がで使えるようにするために練習をします。
教科書やワークブックの練習問題などでも正確に文を作る練習ができますが、
「させていただけませんか」は話し言葉のコミュニケーションでもよく使うので、話す練習も必要です。
「させていただけませんか」は特に長いフレーズなので、伊吹は学習者に早口言葉のように練習させることもあります。
「頭で覚えようとするより、口を動かして筋肉に覚えさせる」ほうがフレーズとして言えるようになります。
ただし、「使わせていただけませんか」や「休ませていただけませんか」「コピーさせていただけませんか」「写真をとらせていただけませんか」といったよく使う語彙に限定します。
語彙を機械的に何でも文型に当てはめてしまうと「ペンを借りさせていただけませんか」のような変な日本語が出てきてしまいます。
その時は「ペンを貸していただけませんか」や「借りてもよろしいでしょうか」など皆さんが生活の中で用いている許可求め表現を教えます。
第4回の教授法の「オーディオリンガル法」でも紹介したように、
機械的な練習だけでは、使えるようになりません。
応用練習では、コミュニケーションのやり取りの中で使えるようにする練習も必要です。
例えば、頼みやすいものと、頼みにくいものを考えてみましょう
友だちに「赤いペン」を借りるときと「スマートフォン」借りる時に、何と言ってお願いするかも考えてもらいます。
「赤いペン」なら、「赤い、ペンかしてください」「赤いペン、使ってもいいですか」などと頼めば、たぶん貸す方も「どうぞ」といいますよね。
「スマートフォン、使ってもいいいですか」や「スマートフォン使わせていただけませんか」と言われて、皆さんはすぐに使わせてあげますか?
知り合いや仲の良い友達なら、使わせてあげるでしょう。家族に頼むのなら「使うよ」とだけ言うかもしれません。これは使うことを前提にした宣言のような許可求めですね。
それでは、あまり親しくない人には何と言ってお願いしますか。緊急の用事で、自分のスマホはバッテリー切れです。近くに友達はいません。
お願いしないという人もいるでしょうし、なんとかお願いする人もいるでしょう。
また、すぐに貸してあげる人もいるでしょうし、相手によっては貸したくない場合もあるでしょう。
どのような関係の人に、どんな気持ちで、どんなことばでコミュニケーションするかを考えさせることも大切です。
ロールプレイでキャラクターを設定して演じてみるのも1つのアイディアですね。誰が誰に向かって、何のために、どんな気持ちで使うのかをより理解できると思います。
もし、学習者がポケットに手を入れながら演じていたら、「させていただけませんか」や「~てもよろしいでしょうか」は「ポケットに手を入れながら使う表現じゃないですよ。」とアドバイスしたりします。
また、「させていただけませんか」はメールの文面でもよく使われる表現です。先生にメールで欠席の連絡をするというタスクを与えると、日本語のメールの書き方も一緒に勉強することができます。
文型を学ぶということは、単に言語の形式を学ぶだけではありません。誰が誰に向かって、何のために、いつ、どこで、どんな気持ちで使うのか、実際によく使う表現は何か、他にも似たような表現があるか、別の表現の方がふさわしいか、検討する点はいろいろあります。
この「させていただけませんか」に関しては、学習者の方から「いただけませんか」じゃなくて、「いただきませんか」ではないのかと質問が出ることもあります。また、どうして「ますか」じゃなくて「ませんか」と否定になるのか聞かれることもあります。
大人の学習者は皆さんと同じで、文法の分析能力もあり、母語話者が疑問に思わないような鋭い質問をしてくることもあります。
皆さんが聞かれたら、どう説明しますか。
「させていただけませんか」
「つながるひろがるにほんごでのくらし」ウェブサイトの「日本語の特徴」では、日本語がどのような言語かを外国人が概観できるように、以下の6項目の動画で説明しています。日本語母語話者も、日本語の特徴がどのように説明されるかを知ることで、日本語を外国語としてとらえる新しい視点に立つことができます。これは第7章「やさしい日本語」の理解にもつながります。
日本語の「おと」
日本語の「もじ」
日本語の「かたち」
日本語でのはなしかた
日本語の「かたち」②どうしのかつよう
そのほかの日本語の「とくちょう」
🔗をクリックするとサイト内のページに直接移動し6項目の動画が視聴できます。ページトップの「Language」で言語選択(14言語対応)ができます。各画面の右下で再生速度を変更できます。
遠藤織枝編著(2020)『新・日本語教育を学ぶ』三修社
鎌田修、川口義一、鈴木睦『日本語教授法ワークショップ』凡人社
川口義一(2016)『もう教科書は怖くない‼日本語教師のための初級文法・文型完全「文脈化」・「個人化」アイデアブック第1巻』ココ出版
小林ミナ(2019)『日本語教育よくわかる教授法―「コース・デザイン」から「外国語教授法の史的変遷」まで―』アルク
俵山雄司(2008)「留学生対象の講義における講師の言語調整行動と意識との関連― 留学生向けの教養・専門科目講義の方法を検討するために ―」『群馬大学留学生センター論集』(8)、pp.13-29
森篤嗣編著(2019)『超基礎・日本語教育』くろしお出版