当神社に関する史料をご紹介いたします。
新たに発見された場合など、随時内容を追加いたします。
初代別当の植村近江が
文化10年に京都の
吉田家より受けた
神道裁許状の内容。
「大國大明神」とあり、
神事の際に舞衣と
紅切袴の着用を
許可するという旨。
(『津志田遊郭志』より)
江戸期の大國神社周辺絵図の写し。
「大國社」とある。
(『津志田遊郭志』より)
元治2年の大國神社周辺の地図(写)。
「大国玉大明神」とあり、
境内に「大法院」がある。
なお『日本書紀』には
大国主神の別名の一つ
として大国玉神が
記されている。
(中藤淳氏が「向中野通津志田町絵図」(盛岡中央公民館所蔵)により作図したもの。)
境内の八坂神社内にある
『疫神除社』の額。
御祭神の素戔嗚尊(牛頭天王)は
古くより疫病除の神として
崇敬されている。
境内にある馬頭観世音菩薩石碑の
建立記念写真。
津志田遊郭通ひの図
長嶺清麿 筆(写)
(『津志田遊郭志』より)
江戸期の境内図(写)。
左下に『池』とあり、まさに
『杜陵桃源』であった。
(『津志田遊郭志』より)
最終加筆日:令和8年5月15日