パレスチナ国旗
1977年、国連総会で11月29日が「パレスチナ人民連帯国際デー(International Day of Solidarity with the Palestinian People)」と定められました。
パレスチナの人々が、国連決議と国際法に基づいて、パレスチナ国家を設立し、平和かつ安全に共存する権利があることを、国際的に再確認する日となっています。
じつは、パレスチナは1988年11月15日に独立宣言をし、国連で104か国の賛成、44か国の棄権、2か国(アメリカとイスラエル)の反対となり、国連はパレスチナを国家として承認しています。2024年6月時点で、145か国が国家として承認しています。
しかしながら、イスラエルはもちろん、アメリカ、日本などG7諸国は承認していません。
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1947年11月29日、国連総会は決議181により、イスラエルとパレスチナの二国間共存というビジョンを打ち出しました。
パレスチナの土地は、16世紀以降、オスマントルコ帝国の一部でしたが、第一次世界大戦で英仏同盟に破れ、1922年の国際連盟による委任のもとイギリスが統治していました。
けれども、1947年に英国の委任統治が終了したため、国連では、独立したアラブ国家とユダヤ国家に分割する案を出し、それがイスラエルとパレスチナの二国間共存です。
国連はもちろん平和的な手段による二国間共存を求めていましたが、ユダヤ人はそれまでアラブ人が住んでいた地域、アラブ人と共存していた地域を、武装集団による襲撃という形で軍事制圧し、1948年にイスラエルが建国されました。
そのため、200以上の村が破壊され、75万人のアラブ人が難民となってしまいました。これが「ナクバ(惨事)」であり、「パレスチナ難民」です。
国連は、1948年に、難民が帰還できる決議を可決しましたが、イスラエルが拒否しています。また、同年、国連はパレスチナ難民への緊急支援を目的として、UNRWAを設立しました。
UNRWAは、あくまでも一時的な支援の予定でしたが、結局、その後の4次にわたる中東戦争のイスラエルの勝利等で、イスラエルが領土を拡大し、パレスチナ難民は世界で800万人以上と推定されています。
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国連決議と国際法では、パレスチナは国家として独立しているはずですが、実際には、イスラエルに占領・支配され(国際法違反)、国際法での「自決権」をもつパレスチナ国家設立、二国間共存は実現していません。
そのため、11月29日は、パレスチナに国連決議と国際法に基づいた権利があることを、国際的に再確認する日となっています。