いでは みちの奥 見にまからん
菅江真澄は今からおよそ二百年前、三十歳の時から四十七年間旅に生きた。
二十代の終わりに故郷の三河、今の愛知県を旅立ち、信濃、越後を経て念願のみちのくへと入った。それ以降、出羽、津軽、岩手、陸前、蝦夷ヶ島、下北を歩き、一八二九年秋田の仙北にて七十六歳で没するまでの生涯を、雪国の旅空の下に費やした。
真澄は、当時は辺境とされた東北、北海道の南部をみずからの足で丹念に歩いただけでなく、聞き書きを重ね、文字とスケッチで膨大な記録を残している。当時の民衆の暮らしを彷彿とさせる真澄の図絵に一貫しているのは、偏見の無いまなざしで民衆の生活に触れ、東北、北海道に生きる人々の風俗や信仰、暮らしに欠かせない道具、村のかたち自然の風景などを冷静に記録していることである。
真澄が七十六歳で亡くなる数ヶ月前に描かせた肖像画がある。誰と会っても冠り物を取らなかったので、秋田では〈常被りの真澄〉と呼ばれたという。なぜ取らなかったのか、今も分らない。
監修/赤坂憲雄
監督/飯塚俊男
後援/秋田県教育委員会・菅江真澄研究会・東北芸術工科大学東北文化研究センター
協力/秋田県立博物館菅江真澄資料センター・田口昌樹(菅江真澄研究会副会長)
萱野茂(二風谷アイヌ資料館館長)・冨樫泰時(秋田県立博物館館長)
企画・発行/紀伊國屋書店 製作/ポルケ 制作協力/アムール
<スタッフ>
ナレーション/伊藤惣一
ナレーション指導/磯沼重治
衣裳考証/田中忠三郎
題字/鈴木正治
撮影/重枝昭典
録音/栗林豊彦
編集/飯塚俊男・塩生哲也
演出助手/内藤薫
CG制作/Pangaea(重枝昭典)
選曲/園田芳伸
脚本/飯塚俊男・内藤薫
故郷の三河を発って47年に及ぶ旅に出た真澄は、旅の記録は克明に残しているにもかかわらず、自身のことはいっこうに明らかにしていない。
真澄の出自、旅の全体像、特に故郷の三河、旅の出発点となった信濃路を取り上げ、なぜ旅に出たのか 等、真澄のなぞに迫る
東北の旅を始めて2年目、凄惨なケガチの実態を目にする。故郷の三河と異なる風土への関心を深めていく。
津軽半島のアイヌの存在、三内と亀ヶ岡の縄文土器、十三湊の安東氏、岩木山の鬼と坂上田村麻呂の英雄 伝説。真澄の記述から中央とは異質な世界が見えてくる。
岩木山お山参り
ケガチの津軽を逃れるように、岩手路へと入った。北岩手は粟、稗、漆の山里。南の伊達領は稲、養蚕の世界だった。
胆沢周辺で肝煎(庄屋)たちと歌会を催しながら、村の正月行事、平泉の古能、田村麻呂を祀った社寺などを 見て歩く。三年の滞在の後、蝦夷ヶ島へ向かう。
原体剣舞
念願の蝦夷地滞在は4年2ヵ月に及んだ。アイヌが和人を殺害したクナシリ、メナシの戦いを告げる早馬に遭遇。真澄はひるまずにアイヌの暮しに近づき、言葉の理解に努めアイヌ語で歌を残した。北東北にあるアイヌ語地名と、縄文土器が蝦夷地と北東北に共通することを初めて指摘。北方に広がるもうひとつの日本が浮かび上がる。
アイヌの鶴の舞を撮影する
下北は、津軽半島と並んでアイヌの影が色濃く存在する。アイヌの長ハッピラの子孫は、相変わらず脇野沢にいた。クナシリの事件では、下北の出稼ぎ者がアイヌに多数殺されている。
辺境の象徴のように言われる恐山で、真澄はロシア船の来航を知る。下北も粟、稗の里。北方につなが る世界の存在を実感する。
正月行事、東通村鹿橋の門打ち
秋田には2度訪れている。31歳の時、三河生まれの真澄は雪国の暮しに興味を抱き図絵にした。48歳で津軽から秋田に入り、28年間滞在した。鉱山やマタギ、漁撈、遊女や修験の芸能など非農業的ななりわいの世界に興味を抱いている。
晩年は地誌の編纂に没頭、調査の途中に仙北で客死。享年76、7歳。
山内番楽「山の神」
紀伊國屋書店の取り扱いについて
VHSビデオ版は、紀伊國屋書店より発売しています。
価格は、不特定多数への貸出し、上映が可能な著作権処理済の設定になっています。個人で購入するには高価ですが、図書館、学校、大学、研究機関等で購入していただけるよう働きかけていただけたら幸いです。
価格は、次の通りです。
各巻価格
32,000円(本体価格)
6巻セット価格
192,000円(本体価格)