Day 1: 7/29(Sat.)公開講演
Yoka Tomita (Columbia University)
富田 蓉佳(コロンビア大学・院)
On July 29, 2017, Professor Melissa Borja (University of Michigan) and Professor Lauren Richardson (University of Edinburgh) delivered public talks at Surugadai Memorial Hall. In her talk, titled “The Government Alone Cannot Do the Total Job: The Church-State System of American Refugee Resettlement,” Professor Borja explored the ways in which the American system of refugee resettlement affected the religious beliefs and practices of Hmong refugees from the 1970s through the 1990s, while Professor Richardson identified the democratic transition in South Korea as a key factor in giving form to new kinds of “history problems” in her talk, “How Democratic Transition Reshaped Korea’s ‘History Problem’ with Japan”. Though dealing with different regions, time periods, and actors, the two presentations both examined the aftermath of the dismantling of empires in the Asia-Pacific.
Professor Borja presented two arguments in her presentation. First, she contended that American refugee care is not simply a public-private enterprise, but also a church-state enterprise. Second, she argued that contracting out resettlement assistance to religious organizations created new challenges that affected Hmong refugees, such as putting religious pluralism into practice and ensuring the religious freedom of the refugees. The United States acutely recognized the need to take in refugees from Southeast Asia, but resettlement was an unprecedented undertaking. In an effort to resettle these refugees as economically as possible, the government delegated the task of providing essential resettlement services to voluntary agencies, which were mostly religious. The religious agencies and local congregations were involved in every step of the resettlement process, thereby exerting great influence on the lives of the refugees. Professor Borja pointed out that the expansion of governing capacity through this church-state arrangement raised new concerns about maintaining the chain of accountability and supervising the promotion of religion by the agencies.
In the following presentation Professor Richardson examined the mechanism of how structural factors shape “history problems” between Japan and South Korea, arguing that South Korea’s democratic transition paved the way for rights-based discourse and encouraged a gradual separation of powers in South Korea. “History problems” stem from Japanese colonial and war policies, but exhibit the paradox of elevating over time. The most visible of these problems is the issue of redress for “comfort women,” a highly charged matter that has strained relations between the two countries. According to Professor Richardson, the Japanese and South Korean governments had traditionally prioritized state interest over the interests of victims, attempting to tackle the problems with a state-centric approach. The democratic transition of South Korea, however, shifted to a more individual-centric approach, enabling victims to assert their claims. Professor Richardson ended her presentation by suggesting that both Japan and South Korea need to recognize that victims must have a voice in the discussions over the problems in order to resolve the issues.
The two presentations were followed by a lively Q&A session, with the audience asking questions about regional differences in the experiences of Hmong refugees, opposition to resettlement efforts in the United States, the bilateral political utility of history problems, and differences in the democratizing processes in Japan and South Korea. The presentations by Professors Borja and Richardson compelled participants to reflect on the impact of dismantling empires on both state and individual levels. They also invited participants to think about what it means to be academics in a turbulent and increasingly interconnected world. Professors Borja and Richardson both illustrated the ways in which academics can inform our understanding of issues in the world, and their presentations encouraged participants to actively engage in discussion and challenge the status quo.
Lastly, the ASF-IFECS Forum was a unique opportunity for early career scholars of different backgrounds, disciplines, and research interests to exchange ideas, develop arguments, and build lasting networks that transcend various boundaries. I would like to thank the American Studies Foundation and the organizers of the forum for this valuable experience.
Day 2: 7/30 (Sun.) ワークショップ第一日
服部雅子(コロンビア大学・院)
2017年7月30日、明治大学駿河台記念館において、若手アメリカ研究者国際フォーラム「アメリカの世紀とその行方」2017年度ワークショップの第一日目が開催された。国内外から20名近い若手研究者が集合した本ワークショップは、所属や専門分野、出身国の垣根を越えた刺激的な学術交流の場となり、さらに互いの研究をより広い視座から捉えなおす貴重な機会となった。このような充実したワークショップへの参加の機会を与えて下さった公益財団法人アメリカ研究振興会及び本フォーラムの運営責任者の方々に、深く感謝申し上げたい。
本ワークショップでは、参加登録者に事前にペーパーが配布された。当日はまず、ペーパーの筆者が簡潔に口頭報告を行い、次に討論者のコメントとそれに対するペーパー筆者の応答が続き、最後にフロア全体の質疑応答に移行するという形式が採られた。ワークショップ一日目はまず、日本女子大学の土屋智子氏が、“Producing Multiracial Family: Mothering ‘Mixed-Blood’ Children and Pursuing the American Dream at the Beginning of the Cold War”と題したペーパーに関する報告を行った。土屋氏の博士論文を基にした本ペーパーは、1940年代後半まで法的・文化的に米国社会の一員に見なされ得なかった日本人女性が、冷戦の勃発により米国に受け入れられ得る存在へと転換した過程とその帰結を描いたものである。氏によると、ソ連との対立が深まる中で、米兵と結婚した日本人の「戦争花嫁」とその子供達は、自国の文化的・人種的多様性を世界にアピールしたい米国にとって受け入れ可能な存在となった。一方、戦争花嫁達も、米国人の子を立派に育て上げる母親としての自己の存在価値をアピールすることで、米国社会に溶け込もうとした。ただし、土屋氏によると、彼女らは完全な米国人として米国社会に受け入れられたのではなく、あくまで米国人との差異を前提としてその存在を認められたにすぎなかった。さらに、白人米兵と結婚した日本人女性が、母としての存在意義を糧に自らが米国社会の一員であることを主張できたのに対し、黒人米兵と結婚した日本人女性はそのようなアピールができなかったという。
土屋報告の討論者を務めた関口洋平氏(明治学院大学・東京理科大学)は、日本人女性のイメージが冷戦によって変わっていく過程や、「家庭的なこと (domesticity)」と冷戦ポリティックスとの関連を本ペーパーが描き出した点を評価する一方、本ペーパーには複数のアプローチやテーマが組み込まれており、それらが相互にどう関連しているかが見えにくいという点を指摘した。さらに、「戦争花嫁」の日本メディアでの描写、土屋氏の指摘するこの時代の“motherhood”や“cultural pluralism”の意味、そしてジェンダーと人種との関連などについて、追加説明を求めた。続いて、フロアからは、ペーパーが対象とした1950年代とそれ以前・以後との連続性、日本人女性の結婚相手の社会・経済的地位が女性に与えた影響、日本人女性と米兵との結婚を問題視していたSCAPの人種観、子供のいなかった日本人女性や日系米兵と結婚した日本人女性、研究の手法についてなど、多様な質問が出され、活発な議論が展開された。
次に、エディンバラ大学のローレン・リチャードソン (Lauren Richardson)氏が、“The State versus the Individual: Explaining the Persistence of the ‘Comfort Women’ Issue in Japan-Korea Relations”と題したペーパーに関する報告を行った。氏によると、日韓の従軍慰安婦問題の長期化・近年の顕在化は、本問題への日本政府のアプローチと韓国の活動家のアプローチとの齟齬にその根本原因があるという。さらに、本問題は、日本対韓国、つまり国家間の対立という構図で通常考えられがちであるが、リチャードソン氏は、これを国家対個人という枠組みで捉えるべきであると主張する。より具体的には、日本政府は、1965年の日韓基本条約をもって、賠償に関する国家間合意が成立したとみなす。しかし、その後に韓国を含め世界では、国家とは別の主体としての個人の救済と権利の追求という概念が発達した。さらに、韓国で独裁政権が倒れ民主化が実現したことにより、そうした個人の権利を追求するための制度的・思想的基盤が作られた。個人の救済を中核に据える韓国の活動家団体と、国家間合意の原則に依る日本政府とのズレが、現在の従軍慰安婦問題の長期化を招いているのだと、リチャードソン氏はアジア女性基金や2015年合意を巡る日韓の対応を例に指摘する。
討論者の浅野豊美氏(早稲田大学)は、女性の権利に関する社会の意識変化という文脈でも本問題を考える必要があること、本問題が高齢者問題という側面を帯びてきた事情を捉えること、本問題への日本政府の対応の根拠となってきた1965年条約の重要性などを指摘した。さらに、本問題と第二次大戦中のユダヤ人の境遇を巡る問題との比較の視座を提起した。フロアからは、韓国の活動家団体へのインタビューや同団体を研究の中心に据えることに伴う方法論的限界と課題、同団体の戦略について、同問題を巡る韓国以外の諸外国の対応、韓国のナショナリズムや安全保障と本問題との関連等、多岐にわたる質問やコメントが発せられ、午前中の土屋報告同様、終了時間まで刺激的な議論が続いた。土屋・リチャードソン両氏共に、今回の発表ペーパーは、単著として出版を目指す原稿の一部であるという。両氏の本の出版を心待ちにしたい。
通信・運輸技術の発達により、日本にいながらにして米国での研究動向を追跡したり、オンラインで史料を入手したりすることが比較的容易となり、海外の学会に出席する機会も多くなった。私を含め、米国の大学でトレーニングを積む人も増えている。これまで長く日本のアメリカ研究を牽引してこられた先輩方に比べ、私達の世代は恵まれた環境にあると思う。しかし、人やモノのトランスナショナルな往来が活発化した時代だからこそ、日本(あるいは広く米国外)でアメリカ研究に従事し、その研究成果を国内外のアカデミアや広く社会一般に発信していく意義を、我々若手研究者は改めて考える必要があるのではないだろうか。本フォーラムが、そうした問題を考え、多様なバックグラウンドを持つ研究者が交流する貴重な場として、今後ますます発展していくことを期待したい。
Day 3: 7/31 (Mon.) ワークショップ第二日
河村真実(神戸大学・院)
2017年7月31日、若手アメリカ研究者国際フォーラム「アメリカの世紀とその行方」2017年度ワークショップ2日目が開催された。「アジア太平洋地域における帝国の解体とその遺産」("The Fall of Empires in the Asia-Pacific")というテーマの下、この日はミシガン大学のMelissa Borja氏と大月短期大学の佐原彩子氏の2名が報告を行った。報告形式は前日と同様で、報告者の口頭発表に対して討論者がコメントし、その後フロア全体からの質疑応答という順序で進められた。
午前の部では、Borja氏が "Follow the New Way: How American Refugee Resettlement Changed Hmong Religious Life."と題した報告を行った。Borja氏は、アジア系難民のモン族に焦点を当て、アメリカにおける難民政策とモン族自身の再定住が彼らの宗教に与えてきた影響について考察した。Borja氏の報告に対して、討論者である成城大学の佐藤清子氏は、モン族がキリスト教を一部吸収していることに着目し、Borja氏は「改宗 (conversion)」という言葉を報告の中で使用しているが、モン族のケースをプロテスタント的意味合いの強い「改宗」という概念で説明することはできないのではないかと指摘した。フロアからは、モン族など難民の子供の教育に関して、主流派文化と自身の出身文化との選択の余地を子供たちに残すべきではないかという指摘や、法的機関の具体的措置はどのようなものだったかなどの質問がなされた。
午後の部では、佐原氏が"American Aid in Indochina: U.S. Humanitarian Aid for Refugees in a Transpacific Perspective."と題して報告を行った。佐原氏は、冷戦期のベトナムの国家建設において、国際救援委員会 (International Rescue Committee, IRC) が果たした役割と問題点を考察することにより、当時の人種概念がどのようにアメリカによるベトナムへの介入を可能にしたかについて発表した。こうした佐原氏の報告に対して、討論者である東京大学の志村真弓氏は、IRCの実態はアメリカ化であったにもかかわらず、なぜ「人道主義(Humanitarian)」という語を用いるのかと指摘し、ベトナムにおけるエリート階級の定義の明確化や、国際救援委員会とアメリカの外国政策の権力関係に関して、更なる説明を求めた。こうしたコメントを受けて、フロアからの質疑応答では、人道主義の概念に関する議論の深化や、朝鮮戦争における難民のケースとの比較に関する質問等がなされた。
このように、本ワークショップでは、文化やエスニシティ間の衝突に関する豊富な研究報告がなされた。また、国内外の大学から、歴史や国際関係など多様な分野の研究者が参加し、所属や分野を越えてなされた活発な議論から、文化共存に関する新たな視点を得ることができた。さらに、時間は各論題に2時間ずつ割り当てられていたため、フロア全体での質疑応答や議論にも十分な時間が与えられ、非常に濃密な議論が行われた。
本ワークショップは、「アメリカの世紀」とも呼ばれる20世紀を問い直すことを目的としている。アメリカは、未だ国際社会において強大な影響力を維持している。そうした中で、国際問題に取り組む際に、20世紀のアメリカの歴史像全体を視野に入れ、意見交換を行うことは極めて重要である。さらに、歴史的事実、具体的政策、原理や概念等の観点から多角的に捉え、広い視座で総合的に考察することは、通常、多文化主義の政治哲学という抽象的な学問分野から、アメリカの政治を考察している筆者のような立場からは、非常に意義深いことである。本ワークショップは、所属や専門分野を越えて国内外の研究者と議論する貴重な機会であり、こうした分野を越えた議論が、新たな論点の示唆や議論の発展につながるという点において、大変有意義な機会であった。
最後に、公益財団法人アメリカ研究振興会及び本フォーラムの運営責任者の方々に対し、このような貴重なワークショップへの参加の機会を与えて下さったことに厚く御礼申し上げたい。