シロツメクサの女王

 何歳だったとかそれがどこだったかとかそういう具体的なことは何一つ覚えてはいないのだけれどとにかく私は幼い頃、遠縁の親戚だかの家に連れてこられて、同い年くらいの親戚の子供なんてひとりもいなかったし年の離れた兄貴はどこかへいってしまったから私はひとりで、仕方なくその家から少し離れたところにある公園というには程遠い寂しくてジメッとしていた空き地のようなところで暇つぶしをしていた。

 時間だけはとにかく潤沢だったものだから草を引っ掴んでは捨て引っ掴んでは捨てなんていうなんの面白みのないことをし、それに飽きたら四つ葉のクローバーを探すもそんなものはまったく見つからずイライラしながら三葉のクローバーを投げ捨てて、ついにやることが本格的に尽きてしまったので空き地の隅に寝っ転がった。

 するとよく分からない虫が私の顔にぴょこんと乗っかってきたものだからぎゃあと色気も可愛げもない悲鳴をあげて急いで起き上がって振り払い、また呆然と空き地の反対側の隅を眺めるにとどまった。

 煩雑という言葉をそのまま具現化したようなそこは雑草が生い茂っていて心底不快だったけれど、親戚とやらの家に戻るのはもっと不快だった。知らないおばさんがジュースを持ってきて私に猫撫で声でほうらお飲み、と勧めるのだがそのジュースがやたらと甘くて気持ち悪い。子供だからといって無条件にジュースが好きだとか思うなよ。

 そんなことは今はどうでもよくて、問題は今からどうやって夕飯の時間までをやり過ごすかだ。

 ふと目線を落とすと、煩雑の群れの中にシロツメクサがあった。私はそれで草冠や指輪を編んでキャッキャウフフしているクラスの女子のことが大嫌いだった。

 とにかくのそシロツメクサを編むことくらいしか今の自分にとって癪だが一番マシな暇つぶしのように思えたので、仕方なくわたしはシロツメクサを引っこ抜いた。途中のところでぶちり、と嫌な音を立ててちぎれたそれを編む。

 散々クラスメイトの女子をバカにしていたが、これを編むのは案外難しい。彼女らを遠巻きに見ているだけで一度も自分で編んだことさ無かったからはじめてやるので当然上手くできるわけがない。それにそもそも私は手先が器用な方ではない。その上イライラしながらやるものだから、余計に手元が狂って不格好になっていく。

 やめだやめだこんなことしたって意味がないし第一くだらない。あいつらみたいじゃないか。放り出されたシロツメクサの王冠のなりそこないは煩雑の海の藻屑となり花弁は散り散りになったがそのうちのひとつを掬い上げる手があった。

「どうしたん、これ」

 いつの間にか私の横に立っていた彼は身長の割には随分と大人びた表情をしていた。話し方とか雰囲気とかからなんとなく同い年かひとつ上、くらいに当たりをつけるが本当のところはよくわからない。それよりも、見ず知らずの男子から突然声をかけられた事に狼狽しうまく声がだせずにどぎまぎし、あ、あの、としか言えない自分が情けなかった。

「王冠作ろとしてたん?」

 そうだ、シロツメクサの王冠を作ろうとしていたのに不格好になってしまって惨めだから今こうして忘れようとしているのに間違って藻屑が拾い上げられてしまった。いくら知らない子だからといって見られたくなかった。これ以上恥の上塗りをしたくはなかったため彼から目を背けて聞こえていないふりをする。

「強情なやっちゃ」

 彼がふふ、と笑ったあと、どさり、と私と背中合わせになるように腰を落とす音がした。

 もそもそと彼の動く音がする。聞こえない、なにも聞こえないぞ、なにも気にしていないぞ、目をを閉じて知らん振りをしたいけどだめだやっぱり気になって仕方がない。

 ちらりと彼の方に目をやると、彼は目線を手元に落としたまま

「やり方、教えたろか?」

 首をぶんぶんと振る、すると彼は喉の奥をくくっと鳴らす。

 長い長い時間が経ったようにもほんの一瞬だったようにも感じる。彼の手からは魔術でも使ったのかというように花冠が編み上げられていき、わたしはそのあいだじゅうずっと彼の手と顔とで目線を振り子のように動かしていた。

 真剣そうな眼差しは傾き始めた夕陽を反射してきらきらと輝いているように思えた。しん、と静まり返った世界の中で彼の編む音、茎の擦れる音だけが響いている。


 やがてその音が止むと、彼はん、と言ってこちらに出来上がったばかりの花冠を渡す。

「これ、やるわ」

「え」

「うまくできたし。俺が被ってもしゃあないやろ」

「それはそうだけど」

「嫌なん?」

「嫌じゃないけど」

「なんやもぉ」

 彼の手によって花冠が地面に丁寧に置かれると、彼はそのまんま私のいるほうと反対を向いてまたもそ、もそ、と手を動かす。1分も満たないうちにまたこちらへ向き直すと、「手ぇ、出しや」と少しいらいらした様子で言ってきた。

「え?」

「ええから出せや言うとる」

「あ、はい」

 気圧されて出した私の手を彼は言動と裏腹に丁寧に撫で、たかと思うと右手の薬指にシロツメクサで作ったちいさな指輪を嵌めてきた。

「あとこっちもや」

 そしてそのまま問答無用で花冠のほうも頭に被せてくる。

「はい、出来上がり。……なんやそない変な顔して。こういう時はな、笑っとき。……うん、そうそう。よぉ似合っとるわ」

 シロツメクサの女王様みたいやわぁ、なんて他人事みたいに言うと彼は伸びをしながら立ち上がる。

「ほな、俺夕飯の手伝いせなアカンから行くわ」

「ちょっと待って!あの、名前は?」

「忍足侑士」

 彼はそれだけ言い残すと路地の方へ消えていった。


 時刻は既に夕方。私もそろそろ親戚の家に帰らねばならない、帰り道妙に早足になって家に着く頃には息が上がってしまい親戚中に花冠と指輪の意味を問い詰められたが、絶対に今日あの空き地で起こったことは教えてやらない。

 またあの忍足侑士とかいう男の子と会えるまでは、誰にも教えてやらない。