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アムド見所ガイド②「The Dancing Table”―卓卓神との出会い」(2007年7月14日作成の記事)

画像卓卓神(zhuozhuoshen)

画像2 天祝チベット族自治県

 このコーナーでは、昔書いたエッセイの中から、知られざるアムド地方(東北チベット地域)の民間信仰を紹介する文章を載せていきます。

 今回は、中国・甘粛省のある農村で実見したシャーマニズム的宗教実践についての話題です。

 わたしが大学院時代に調査していた甘粛省北部の天祝チベット族自治県一帯には、「卓卓神」(zhuo zhuo shen)と呼ばれる一風変わった神様があちこちで祭られています。「卓」というのは文字通り、足のついたテーブルのことです。日本的にはちょっとした小物を置く「小机」といった趣の、何の変哲もない日常的な家具の一種です。その小机に、突如として神様が降りて、勝手に動き出し、地面に字を書いたりしてパフォーマンスする、というのが「卓卓神」のカルトです。

 このカルトが見られるのはチベット文化圏広しといえども天祝県とその周辺の一帯のみです。このエリアを外れると、神様が降りるのは大体基本的に「人」になります。漢族の「神漢 (Shenhan)」にしろ、チベタンの「ハワ (lha ba)」にしろ、神霊のよりましとなっているのは、この種の職業的な人間=「シャーマン(Shaman)」の肉体です。ところが、この地域の神様は好んで小机の上に降ります。

 なぜ、あえて小机なのか。その理由や起源からしてよくわかっていません。ただ、卓卓神を崇める当事者の人たちに聞くと、ある日突然、家においてあった小机が生き物のようにひとりでに動き出して、その様子がただごとではないため、こうして特別に廟を立ててお祭りしているのだ、ということです。別のケースでは、卓卓神信仰を自分たちの村に新たに作り出すため、山から上質の白木を切り出してきて机を製作し、勧請儀礼(特定の神霊の分身を呼び込む儀式。簡単に言えば神様をコピーする作業)を行って託宣神として機能させるようにした、という伝承を持っているところもあります。話を総合すると、どうもこの卓卓神のカルトは、ある一時期にぶわっと流行が広がって、天祝一帯のあちらこちらで祀られるようになった、という経緯があるようです。

 最近思うに、どうもこの物質憑依志向の神格の由来は、この地域に多いトゥー族(モンゴル系の吐谷渾の末裔とされている民族集団)の人たちと関係があるような気がします。この先だいぶ調べてみないとはっきりしたことは言えませんが、天祝および互助、民和、楽都に居住しているトゥー族の間では、この卓卓神のほかにも、「喋る鏡」や「踊る刀」、「勝手に動くみこし」などが信奉されており、この卓卓神もそのひとつのバリエーションであることが考えられます。卓卓神への相談依頼としては、病気・ケガの悩み、任官・進学、うせ物探し、縁談など多岐にわたり、廟を祀る村の住民のほか、よく当たると評判のメジャーな卓卓神には、はるばる西寧や蘭州といった近郊の大都市からも依頼者が時々訪れるそうです。

 こまかな説明はこれぐらいにしておいて、まずどうすれば卓卓神が見られるのかご案内します。

 天祝チベット族自治県においてもっともアクセスが楽な卓卓神の廟は、県庁所在地である華蔵寺鎮(チベット語で「ラプジ」、画像2参照)から三輪タクシーで3キロほどのところにある、「八道溝」(Badaogou)という名前の村です。華蔵寺は、蘭州からなら武威行きのバスに乗って、二時間半程度でつきます。運転手にいっておけば、高速の華蔵寺インターの手前で降ろしてもらえます(20~30元)。西寧からだと、7:00、9:00、13:00の1日三回、西寧駅のそばにあるバスターミナルから出発し、途中華蔵寺を通過するので、その時降ろしてもらいます。5~6時間かかります。華蔵寺からは、蘭州行きは随時インター付近から出発、西寧行きは10:00~30の間と13:00ごろの2回、華蔵寺のバスターミナル前を通過します(いずれも2007年現在の状況)。

 華蔵寺についたら、いたるところに三輪タクシーが走っていますから、適当につかまえて、「Badaogouのzhuozhuoshenを見に行きたい」といえば、地元ではメジャーな神様なので、よそから来た新米でもない限り大抵わかってくれます。30分程度で村につきます。

 村についたら、いきなり廟へ向かう前に、まず「馬脚」(Majiao,土地の発音で“マジョ”)と呼ばれる、降霊係の人を探さなくてはなりません。八道溝はひとつの細長い谷で、岡の上の方に卓卓神を納めた廟があります。ちなみにこの谷の人たちは、8割が自称チベット族ですが、実際はほぼ全員が漢族です。はるか昔に南京の方から移住に移住を重ねてこの場所に落ち着いたという由来が伝えられています。谷の両側にちらばる家々の内、5~6軒の家に、マジョの役を務めることのできる人が住んでいます。村の中で適当に「卓卓神に占いを頼みたい」とたずねていれば、自然と人が集まってきて、その時身体の空いているマジョを紹介してくれます。わたしは調査のために計三回行きましたが、毎回マジョは違う人でした。タイミングによっては廟からマジョの家に卓卓神をもってきて、そこで降霊が行われることもあります。降霊には最低4人の人が必要です。ひとりは介添え役で、香をたいたり、卓卓神に呼びかけて降臨を促す先導係をしてくれます。あとの3人は等しく「マジョ」と呼ばれますが、マジョというのは「机の足をつかむ人」というぐらいの意味で、机に降りる神との相性がいい人、というのが選出の条件になっており、特に難しい技巧や知識を習得する必要はありません。そのため、最近机の足をつかむようになった新米のマジョもいれば、もう何年もずっと降霊係をやっているような古株の人もおり、その経験の度合いはまちまちです。

 降霊の儀式の前には、外でサン(ヒマラヤ杉の燻煙)を焚き、廟に向かって五体投地礼を三回します。このときカタク(贈答用スカーフ)や漢族の用いる「紙銭」と呼ばれる黄色いわら半紙、線香やサンの枝などを介添え役の人に渡しておくと、それを使って儀式をやってくれます。

 部屋の中に祭壇が設けられ、そこに小机が2つ置かれます。右に置かれるのが龍神、左に置かれるのが山神の机だそうです。どちらも通称では卓卓神と呼ばれますが、降りる神様の種類が違います。介添え役が依頼者にどちらを選ぶか聞いてきますが、大抵龍神の方が霊験あらたかということで、そちらが選ばれます。この際少量のお布施を祭壇に置くとタイミング的には一番妥当です。

 小机にはたくさんのカラフルな布が巻かれ、さらに10数個の鈴が括りつけられています。布にくるまれていて見えませんが、小机の引き出しにはちゃんと「五臓六腑」と通称されるありがたい呪文(これはチベット文字で書かれています)を記した経巻が内臓されています(画像1は祭壇に置かれた卓卓神の小机の様子です。4本のお御足をこちらに向けてくつろいでおられるご様子。ちなみに八道溝の卓卓神は写真撮影禁止なので、参考までに他の村で撮ったものを載せておきます)。

 降霊のきっかけは炎と香煙です。祭壇から小机がうやうやしく担ぎ上げられ、前に並んだ二人のマジョがそれぞれ机の左右の足を、後ろのひとりが残る二本の足をつかんで持ち、降霊が始まるまでじっと立った姿勢で待機します。このとき、小机の右の前足を握っている人が「真性の」マジョであることが多いようです。「真性の」という表現の中身については後述します。

 託宣の依頼者は部屋の隅にひざまづき、両手を胸の前に合わせてこれもじっと降霊を待ちます。介添え役が祭壇の上に灯明を灯し、祭壇の下にはサンを焚きます。そして灯明の火を使って次から次へと紙銭に火をつけ、燃え上がったそれをサンの中に投じ入れていきます。その動作を繰り返しながら、「起来~、起来~」と低い声で何度も机に呼びかけます。「有求必応~」とか「神明広大~」とか、漢族が神に呼びかけるときの決まり文句も何度か口にします。

 そうこうするうちに、これはジーッとマジョの顔を注視しているとわかるのですが、明らかに、その右前足を握っている男性の、灯明の炎を見つめる瞳が、ぼんやりとうつろながらも、何か異様な光を宿し始めます。表情は、半ば陶酔しているかのような、お酒でも飲んでいるかのような感じになります。そしていきなり、長いときにはそうなるまでに10分程度もかかってしまうのですが、突如として小机が「シャンシャンシャンシャン」という軽やかな鈴の音を響かせながら上下に躍動を開始します。

 すかさず介添え役が依頼者に向かって「お降りになった!頭を下げて手のひらを差し出せ!」と命じます。そのとおりにすると、小机の気配が依頼者の頭の上に「ぶわっ」と覆いかぶさるようにやってきて、うつむいたまま手を差し出している頭上で激しく上下に動き回り、鈴の音が「シャンシャンシャンシャン」とけたたましく鳴り響きます。小机にまきつけられた五色の布がピタピタと頭頂部に触れます。この間ちょっとその異様な迫力に圧されて恐くなります。もし男たちの手が滑って机が頭に落ちてきたら、それこそ脳天を叩き割られそうなぐらいの勢いで、頭上でブンブン空を切る音が伝わってきます。

そのあと急に、机がぴたりと中空に静止して、こちらが差し出した手のひらをじーーっと見ます。見る、といっても目がないので、おそらく顔と思われる小机の前の“へり”の部分が手のひらにぐぐーっと差し向けられます。

 それからおもむろに、小机が部屋の扉をかすめるようにしてササッ、と外へ出て行きます。外へ出て行って、その依頼者の家(出身地)があると思われる方角をまたじーっと見上げます。わたしは「日本から来た」と告げてあったので、東の空をとりあえずじぃーっと見ていました。

 しばらくそうしたあと、またサッと身を翻して部屋に舞い戻ってきたかと思うと、いきなり部屋の地べたに向かって勢いよく「カッカッカッ!」と音を立てながら、机の角の部分を使って文字を描き始めます。それを介添え役が横でじっと目で追い、声に出して読み上げていきます。

 小机自体は木製ですが、四隅には鉄製の縁取りがなされていて、その部分でカッカッ!と音を立ててご神託の結果を一文字ずつ記して行きます。漢字で書くので(一昔前はチベット文字でも書いたそうです)、こちらでも筆跡が判読できます。

 わたしは事前に、降霊が始まる前の時点で、「日本を離れてだいぶ経つので、家にいる高齢のおじいちゃんが元気でいるかどうか見て欲しい」というお伺いを立てていました。見ていると、「家」「里」「人」「都」「平」「安」という6つの文字が連続して地面になぞられました。なるほど・・・安心。明朗。実に簡潔でわかりやすい。

 ほんとは、依頼したいことは口に出さなくても、手相を見た時点でわかるそうです。事実、一回目の占いのときは、何も情報を与えずにだまって見てもらいました。そうしたら、書かれたご宣託の文字が「没」「什」「me」「大」「事」,「看」「熱」「nao」「儿」「巳」というものでした(〔この依頼者には〕何も問題ごとはない、ただ物見遊山で来ただけだ)。・・・図星。実に明快。あまりにもご明察。

 ということで、よっぽど何か重大な悩み事を抱えた人でないと、占ってもらってもあまり意味がないようです。真剣な気持ちで行くと、その分真剣な気持ちが伝わって、託宣も熱のこもったものになる、という仕組みになっているようです。

 ちなみに、机の動きを目で追っていると、右前足を握っている、うつろな目をしたマジョが、明らかに一連の託宣行為の主導権を握っていることがわかります。移動するときや地面に文字を書くときも、彼の足や腕がまず最初に動きます。机が上下の激しいピストン運動を繰り返しているときには、彼の腕は筋肉が隆々と盛り上がり、血管が浮き上がって、ものすごい力がそこに加わっていることが見て取れます。同じ机をつかんでいるほかの二人は、あまりにも激しいその机の動きに翻弄されて、ただ振り回されているだけのように見えます。

 事実、この後ろの二本の足をつかむ役を、一緒に来てくれた地元の友人(チベタン)がやってみたいというので、二回目のセッションのときに頼んでみると、あっさりやらせてくれました。降霊が済んでから当人に感想を聞いてみると、「とにかくすっごい力だった。振り放されないようにしっかり握っているのが精一杯で、気を抜くと弾き飛ばされて怪我しそうだった」と語っていました。

 机自体も白木作りの重厚な品で、それほど軽々しく振り回せるものではないので、これをあれほど激しく、ブンブン上下に動かし続けることのできるマジョの腕力というのが、尋常じゃないことだけは確かです。体格的には特に目立ったところはなく、周囲の普通の村人と変わらないのですが、いざご降臨となったときの爆発的なパワーときたら、常軌を逸したものがあります。

 要するに、現場で託宣の様子を見ていると、憑依されてるのは机じゃなくて、むしろ右足握ってるあんただろ!とつっこみを入れたくなるのですが、現地では絶対にそのように説明されることはありません。

 マジョやその他の降霊係は、あくまでも「机がひとりでぶっ飛んで行ってしまわないように必死で押さえつけているだけ」であり、机の方が能動的に人間を振り回しているのだ、と解釈されています。誰もそれに疑義を唱える人はいません。暴れている主体はあくまでも机であり、マジョはひたすらそれに振り回されている客体なのです。

 実際、必死で押さえつけていないと大変なことになってしまうらしく、もっとチベット族やトゥー族人口の多い山の中にある卓卓神のケース(卓卓神は確認できるだけで20個ちかく、この地域一帯に分布している)では、不信心で有名なある村の男性が卓卓神の廟にやってきて、「フン、なんだこんな薄汚い小机ごときが、俺は絶対こんなもの信じないぞ。」といってせせら笑いながら足をつかんだ瞬間、いきなり跳ね上がった机に振り回され始め、手を離そうとしても握った手がほどけず、勢いあまって「ウワァーッツ」と叫びながら廟を飛び出して外まで引きずられていき、いばらの藪の中をあちこちのたうちまわり、全身棘だらけになって半死半生の目にあった、という逸話が今でもまことしやかに伝えられています。それもすべて机が主体的にやったことで、不信心なその男は、以後この机だけは深く信奉するようになった、ということです。恐るべし、机パワー。

 ということで、天祝チベット族自治県一帯に伝承されている卓卓神のカルトを紹介してきました。この神様は漢族、トゥー族、チベット族など多くの民族から信奉されています。民族の分布を問わず、おなじようなスタイルの神様がいまだにあちこちで祭られているということは、今のような「○○族」という国家認定の集団概念ができる以前に、幅広くさまざまな地域にわたって、その力が公認されてきたことを示しているのでしょう。今でも、非漢民族の人口が多いところでは、机もチベット語やトゥー族の言葉を聞き分け、神託もチベット語で記される場面が見られるようです。降霊儀式に見られるサンや五体投地のように、チベット的な要素も色濃く残されています。卓卓神の引き出しに内蔵されている経典は、多くが1950年代以前の化身ラマに依頼して書いてもらったものが多いそうです。文革中に迫害されたのを、机の中身だけ隠しておいて、改革開放以降改めて机を新注して内臓を納めなおし、開眼供養を執り行った、というエピソードが多く聞かれます。

 皆さんも、甘粛省の辺境地帯を訪れる機会がありましたら、このようなユニークな「踊る小机」が棲む廟へ、足を延ばしてみてはいかがでしょう。


(Bessho Yusuke/カルマ・ギャムツォ)

2007/7/14作成,2022/10/17編集の上再掲

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