視点・論点 漱石の手紙に学ぶ心の伝え方

○「視点論点」原稿(ルビ入り)

「漱石の手紙に学ぶ 心の伝え方」                 中川 越

昨年十二月、夏目漱石の手紙が、また新たに公開されました。その手紙は、気難しそうな漱石の容貌や近寄りがたい雰囲気とは印象を異にし、親しみやすくあたたかなものでした。すでに「吾輩は猫である」の成功をきっかけに、明治の大作家の一人となっていた漱石でしたが、一学生からの手紙にも、次のようにていねいに感謝を伝えました。

「私はあなたの手紙を読んで多大の愉快を感じたといふ事を改めてあなたに謝したいのであります」

 現在残されている夏目漱石の手紙は二千五百通余りあり、その手紙は彼の作品と同じかそれ以上に、多くの作家や一般の人々に愛され、百年以上たった今も、その輝きを失いません。

 奈良平安の昔から、手紙の書き方の勉強は盛んに行われ、江戸、明治ともなれば、市民社会の発達とともに、一般の人々も手紙を駆使して商売を発展させたり、生活を豊かなものにしようとしました。

 江戸、明治から今日に至るまで、手紙の書き方を教える本は数多く出版されましたが、その大まかな内容はほとんど変わらず、拝啓、敬具の使い方、時候の書き方などの手紙特有の礼儀や知識を教えたり、お祝い、お礼、お見舞いなど、テーマ別の例文を紹介したりしています。そして、例文のほかに実例見本として示されるのが、作家や著名人の実際の手紙です。

 たとえば、昭和三年に発行された『大日本百科全集 現代の書簡』にも、次のように漱石の手紙が、「近況報知と挨拶」の実例見本として紹介されています。一回り年下の親しい画家、津田(つだ)青(せい)楓(ふう)に宛てた手紙です。

「まだ修善寺に御逗留ですか、私はあなたが居なくなって淋しい気がします。面白い画を沢山書いて来て見せてください。…(中略)…世の中にすきな人は段々なくなります。そうして天と地と草と木が美しく見えてきます。ことに此の頃の春の光は甚だ好いのです。私はそれをたよりに生きています」

 漱石の手紙はこのように長きにわたり、私たち日本人の生活手紙文の手本として、高く評価され続けてきました。あえて個人的な感想を申し上げるなら、漱石の手紙こそは、手紙を学ぶ私たちにとって、今も最高の教科書であるということができると思います。

 もちろん、島崎藤村、志賀直哉、国木田独歩、芥川龍之介、太宰治、石川啄木、川端康成などなど、名だたる作家のすばらしい手紙はたくさんあります。しかし、生活者としても豊かに生きた漱石の、日常生活に即した様々なテーマの手紙は、他の追随を許さない楽しさがあり、私たちが手紙を書くときに、参考にすべき工夫に満ち溢れているということができます。

 たとえば漱石は、近所の売れない小説家から借金を依頼されたとき、こう断りました。

御手紙拝見 

折角(せっかく)だけれども今借()して上げる金はない。家賃なんか構(かま)やしないから放(ほう)って置き給(たま)え。僕の親類に不幸があってそれの葬式其(その)他()の費用を少し弁(べん)じてやった。今はうちには何にもない。僕の紙入(かみいれ)にあれば上げるが夫(それ)もからだ。 

君の原稿を本屋が延ばす如く君も家賃を延ばし玉(たま)へ。愚図々々(ぐずぐず)云ったら、取れた時上()げるより外に致し方がありませんと取り合わずに置き給(たま)え。

君が悪いのじゃないから構(かま)わんじゃないか 草々

 八月一日                          夏目金之助    飯田青(せい)涼(りょう)様  

紙入を見たら一円あるから是(これ)で酒でも呑()んで家主を退治(たいじ)玉(したま)え                              

           

 漱石はこの手紙で、貸すか貸さないかを冒頭で伝え、まず相手にとっての最大関心事に応えています。親切な書き方です。しかし、それだけではそっけないので、わざわざ貸せない理由を述べ、さらに親切なことに、出版社が原稿料の支払いを延ばすように、君も家賃の支払いを延ばしてしまえと、処世の知恵まで授けています。そしておまけに追伸で、一円あげるから酒でも飲んで勢いをつけ、家主を退治せよと励ましました。

 あるいは漱石は、悲しい出来事の通知の仕方を教えています。あるとき漱石は次の手紙を、漱石のもとに集まる門下生や知人に、一斉送信しました。すべてほぼ同じ内容でした。

辱知(じょくち)猫義()久(ひさし)く病気の処(ところ)療養不相(あいかな)叶(わず)昨夜いつの間にか裏の物置のヘッツイの上にて逝去致候(せいきょいたしそうろう) 埋葬の義()は車屋(くるまや)をたのみ蜜柑箱(みかんばこ)へ入れて裏の庭先にて執行仕候(とりおこないつかまつりそうろう)。但(ただ)し主人「三四郎」執筆中につき御()会葬(かいそう)には及び不申候(もうさずそうろう) 以上         

 書き出しの「辱知」は、皆様ご存じの、という意味で、ヘッツイとはかまどのことです。

 この手紙は、「吾輩は猫である」のモデルとなった黒猫の死亡通知です。幼少期、夏目家から養子に出され、辛酸をなめた漱石は、人間界で流転の生涯を送った猫に、自分を重ね合わせたに違いありません。そして、その猫は、満足できなかった教師生活から、望んでいた小説家への道を開いてくれました。したがって、猫への哀悼の念は当然強かったはずですが、漱石は淡々と事実だけを報告しました。死亡通知の送り手は、自分の悲しみまでも通知してはなりません。受け手の傷みや同情を、いたずらに大きくしないようにする配慮が美しいからです。

 また漱石は、人に文句をいうための抗議の手紙の書き方も教えています。

 漱石はあるときちょっと嫌な相手から、原稿執筆の依頼状を受けました。送り主は当時の人気作家大町(おおまち)桂(けい)月(げつ)でした。桂月は「吾輩は猫である」を、子供じみた小説だと酷評した人物です。しかし、桂月は漱石に、自分が関係していた雑誌に原稿を書くようにと依頼したのです。漱石はそれに対する返事を丁重に伝えたあと、追伸に次のように書き添えました。

追白(ついはく) 大兄(たいけい)の批評は青年界(せいねんかい)に大勢力(だいせいりょく)ある由(よし)なれば 滅多(めった)に「猫(ねこ)」の悪口抔(わるぐちなど)を云って(い  )いけません。悪口を云って仕舞(しま)ったら仕方(しかた)がないから(「吾輩は猫である」の)後篇(こうへん)が出たとき大(おおい)にほめて帳消(ちょうけし)にして下さい                              

 抗議をユーモアで包んで余裕しゃくしゃくです。刺々しさだけが目立つことの多い、今のネット社会の書き込みのやり取りとはまったく異なり、抗議もまた豊かなコミュニケーションの一つになり得るということを教えています。

 漱石は教師時代、学生が「I LOVE YOU」を「吾汝を愛す」と訳したとき、「違う、日本語では、月がきれいですね、と訳すんだ」と教えたと伝えられています。漱石のような表現力で手紙が書けたら、どんなに楽しいことでしょうか。優しく、温かで、上品でオシャレで奥深く、美しい手紙を、一つでも多く書いてみたいものです。

 そのためのヒントは、次の漱石の手紙の中にある一文にひそんでいるかもしません。

「小生(しょうせい)は人に手紙をかく事と人から手紙をもらう事が大すきである」

この言葉に、「文は人なり」という言葉を代入すると、漱石は人が大好きである、といっているようにも思われます。漱石は相手を心から好きになること、もしくは相手を深く愛することにより瑞々しい発想を得て、心のやわらかな部分を確かに伝えるための、さまざまな表現の工夫を発明することができたのだと思います。