愛の手紙の決めゼリフ もくじ・本文 立ち読み資料

書籍『愛の手紙の決めゼリフ』 もくじ・本文 立ち読み資料

〇もくじ〇

第一章 恋愛の決めゼリフ

パズルの最後のワンピースを手に入れた島崎藤村 【第一章 恋愛の決めゼリフ①】

ビュアーにまっすぐプロポーズした芥川龍之介 【第一章 恋愛の決めゼリフ②】

ラブレターの最高傑作を欄外に置いた太宰治 【第一章 恋愛の決めゼリフ③】

いたずらなお願いで楽しく困らせた立原道造 【第一章 恋愛の決めゼリフ④】

斬新な理由で恋文の筆を止めた内田百閒 【第一章 恋愛の決めゼリフ⑤】

いつになく遠回しな言い方を避けた竹久夢二 【第一章 恋愛の決めゼリフ⑥】

愛の楽章を文章で奏でたベートーヴェン 【第一章 恋愛の決めゼリフ⑦】

箇条書きの質問形式で求愛した平塚らいてう 【第一章 恋愛の決めゼリフ⑧】

第二章 夫婦愛の決めゼリフ

二人称代名詞一語を名詩にかえた大塚つね子 【第二章 夫婦愛の決めゼリフ①】

身勝手な言い訳で呆れさせたゴーギャン 【第二章 夫婦愛の決めゼリフ②】

愛憎の両極を小刻みに振動した夏目漱石 【第二章 夫婦愛の決めゼリフ③】

惚れた弱みを隠すそぶりでたっぷり甘えた国木田独歩【第二章 夫婦愛の決めゼリフ

④】

遠隔愛撫の方法を知っていた徳冨蘆花 【第二章 夫婦愛の決めゼリフ⑤】

届きにくい反省を努めて届けたドストエフスキー 【第二章 夫婦愛の決めゼリフ

⑥】

空白の十一年を美しく諦めた九条武子 【第二章 夫婦愛の決めゼリフ⑦】

一日千秋の思いを笑話に託した和辻照子(和辻哲郎夫人)【第二章 夫婦愛の決めゼ

リフ⑧】

第三章 友愛の決めゼリフ

哀切な近況報告を美しく通知した梶井基次郎 【第三章 友愛の決めゼリフ①】

友情色に恋愛色がまざる言葉を告白した武者小路実篤 【第三章 友愛の決めゼリフ

②】

失礼なあいさつで親愛を深めた夏目漱石 【第三章 友愛の決めゼリフ③】

傷心への寄り添い方を知っていた宮沢賢治 【第三章 友愛の決めゼリフ④】

言葉の霊力を信じた言葉の番人新村(しんむら)出(いずる) 【第三章 友愛の決めゼリフ⑤】

嫉妬と祝福を同時に感じ苦悶した若山牧水 【第三章 友愛の決めゼリフ⑥】

友と恋人を等価値と知らせた永井荷風 【第三章 友愛の決めゼリフ⑦】

第四章 家族愛の決めゼリフ

〈母宛〉いちばん大事なことしか書かなかった渥美清 【第四章 家族愛の決めゼリフ

①】

〈子宛〉千尋の谷に突き落とす覚悟を報知した福沢諭吉 【第四章 家族愛の決めゼ

リフ②】

〈子宛〉たどたどしく詩的に懇願した野口シカ(野口英世の母)【第四章 家族愛の決

めゼリフ③】

〈父宛〉興奮を伝え元気を証明したダーウィン 【第四章 家族愛の決めゼリフ④】

〈妻宛〉不機嫌を報告し溺愛をあらわにした森鴎外 【第四章 家族愛の決めゼリフ

⑤】

〈甥宛〉大愚をやさしく説き処世訓とした會津八一 【第四章 家族愛の決めゼリフ

⑥】

〈弟宛〉放蕩は死を招く凶器と警告した良寛 【第四章 家族愛の決めゼリフ⑦】

第五章 師弟愛の決めゼリフ

高らかに女々しく恋慕した萩原朔太郎 【第五章 師弟愛の決めゼリフ①】

貶(おとし)めて紹介し優遇を求めた芥川龍之介 【第五章 師弟愛の決めゼリフ②】

ビスケット話で親愛をたっぷり送った夏目漱石 【第五章 師弟愛の決めゼリフ③】

太宰に厳しく弟子には優しかった志賀直哉 【第五章 師弟愛の決めゼリフ④】 

けなされた人の心理に優しく寄り添った正岡子規 【第五章 師弟愛の決めゼリフ

⑤】

詩作の秘密をていねいに詩的に説いたリルケ 【第五章 師弟愛の決めゼリフ⑥】

軽妙な俳味を披露し心中を食い止めた夏目漱石 【第五章 師弟愛の決めゼリフ⑦】

第六章 別離の決めゼリフ

別れた妻の再婚と幸福を願った伝四郎 【第六章 別離の決めゼリフ①】

別れたくて別れたくなかった北原白秋 【第六章 別離の決めゼリフ②】

愉快な悪口で鬱憤を晴らした八重次(永井荷風の愛人)【第六章 別離の決めゼリフ

③】

あっさりと謝り肩すかしを食らわせた与謝野晶子 【第六章 別離の決めゼリフ④】

小悪魔の巧妙な別れ際を見事に演出した川端康成 【第六章 別離の決めゼリフ⑤】

冷厳な決別の中に永遠の愛をひそませた高村光太郎 【第六章 別離の決めゼリフ

⑥】



〇本文〇

パズルの最後のワンピースを手に入れた島崎藤村 【第一章 恋愛の決めゼリフ①】

私の過去はすべて未完成でした。

どうかして最後にこの一つを完成したい。これを一生の傑作としたい。

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ…」(「椰子の実」)/「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき…」(「初恋」)――これらの名詩や小説『破戒』で知られる島﨑藤村の人生は、文学者としては、常にキラキラと輝いていました。

 二十五歳のときに出版した詩集『若菜集』は、近代詩を確立した日本文学史上の金字塔として高く評価され、本格的な自然主義小説『破戒』は、夏目漱石を次のように興奮させました。「破戒読了。明治の小説として後世に伝ふべき名篇也。…明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思う」。

 ところが一方私生活ではしばしば不幸に見舞われ、スキャンダルにまみれました。

 明治五年に信州馬(ま)籠(ごめ)の名家に生れた藤村は、十歳にして単身東京に出され、その後、十五年間他家に預けられ、その間に父親が狂死するなど、親の愛から見放された青少年期を過ごします。そして、二十歳の時に女学校の英語教師となりますが、教え子を愛し、自責の念にかられて辞職します。

 二十七歳になった藤村は、郷里で教師の職を得、結婚。女子四人、男子三人の子宝に恵まれます。しかし、幼い長女、次女、三女が、相次いで栄養失調で亡くなり、次いで藤村三十八歳のとき、三十三歳の妻が四女分娩後の出血より他界。

さらに、残された四人の幼子の面倒を見てもらうために、姪っ子に家事手伝いを頼んだところ、こともあろうに藤村は、二十歳に満たない姪を愛し、出産させてしまいました。

 道ならぬ恋に溺れた藤村は、世間に合せる顔をなくし、フランスに逃げ出します。

彼はそのときの気持ちを、こう表現しています。

「実に自分は親戚にも友人にも相談の出来ないような罪の深いことを仕(し)出来(でか)し、無垢(むく)

な処(お)女(とめ)の一生を過り、そのために自分も曾(かつ)て経験したことの無いような深刻な思(おもい)を経験した」

 三年後に帰国した四十四歳の藤村は、懺悔の意味をこめた告白小説「新生」を発表

しますが、当然世間にも姪の父、すなわち兄にも理解されず、兄から絶縁されました。

 そんな藤村の孤独を癒やし孤立を救ったのが、二十四歳年下の加藤静子でした。

 静子は大正十年二十四歳のとき、津田塾(現・津田塾大学)を中退し、先輩に誘われて東京麻布の藤村の書斎を訪れます。以来、静子は藤村の仕事を手伝うことになり、二人は徐々に関係を深めていきました。

 たとえば次のような往復書簡により、その様子をうかがうことができます。

〈藤村→静子〉「好いお手紙でした。昨日は青葉にそそぐさみしい雨を眺め暮しましたがあのお手紙を拝見した時は蘇生の思ひをしました。」(大正13年5月9日付)

〈静子→藤村〉「けさは、初夏らしい夜明けを見ました。やがて明るくなつた涼しげな庭を見ながら、きのふ頂いた御手紙を、思ひ出してをります。……あの公園の青葉かげを歩きながら、葉ずれを聞きながら、お話をきかせてください。けさは、かうして、御一緒にさわやかな朝風を楽しみませう。」(大正13年5月17日付)

 師弟愛が恋愛に移行する兆しが感じられます。そして、藤村はいよいよプロポーズしたのでしょうか、こんな手紙も交わされます。

〈藤村→静子〉「最愛の友へ 自然の声の聞こえて来る日まで待てとは、いつぞやの御便りでした。あれから私はもう二年も三年も待つて居るやうな気がします」(大正13年6月26日付)

〈静子→藤村〉「きのふは、御暑さを外に、一日お話しすることが出来ました。進んできめることなしに、進んで深めるらるることを。……このままを、ゆるして頂きましたのは、何ものにもかへがたき喜びでした。」(大正13年7月7日付)

 藤村は、はやる気持ちを抑えながら、静子の心が整うのを待ちます。しかし、ただ待つのではなく、求める理由を美しく、こう説きました。

私の過去はすべて未完成でした。どうかして最後にこの一つを完成したい。

これを一生の傑作としたい。     (藤村→静子・大正14年6月25日付)

 

こうした往復書簡が功を奏し、昭和三年、藤村五十六歳、静子三十一歳のとき二人は結婚しました。老境に達した藤村は、ようやく幸福な絵柄のジグソーパズルの完成に欠かせない、最後のワンピースを手に入れることができたようです。