書籍 NHKラジオ深夜便 文豪通信 

もくじ・本文 立ち読み資料

書籍『NKHラジオ深夜便 文豪通信』 目次・本文 立ち読み資料 

〇もくじ〇

プロローグ

文豪の手紙ってこんなに面白い!  〈島崎藤村/夏目漱石〉

   ビスケットをかじりて 試験の答案を検査するに

第1回 二〇一七年四月二十六日 村上里和アナウンサー

第一章 文豪たちの「全力」のすごい通信

懸命さあふれる涙ぐましい懇願の手紙  〈宮沢賢治/太宰治〉

   芥川賞をもらえば、私は人の情に泣くでしょう。

第20回 二〇一八年十一月十三日 須磨佳津江アナウンサー

人を食ったお金にまつわる巧妙な手紙  〈石川啄木/夏目漱石/若山牧水〉

   全く絶体絶命の場合と相成申候

第21回 二〇一八年十二月十一日 須磨佳津江アナウンサー

苦心して真意を伝えたお詫びの手紙  〈新美南吉/中勘助/夏目漱石〉

   小宮は馬鹿ですからどうぞ取り合わないように

第24回 二〇一年十四月九日 須磨佳津江アナウンサー

関東大震災の惨状を伝えた手紙  〈芥川龍之介/北原白秋/寺田寅彦〉

   その惨害の程度は到底見ないものには想像出来ない

第29回 二〇一九年九月十日 須磨佳津江アナウンサー

額に汗して恋愛相談に応じる手紙  〈芥川龍之介/夏目漱石/谷崎潤一郎〉

   心中するも三十棒/心中せざるも三十棒

第32回 二〇一九年十二月十日 須磨佳津江アナウンサー

呑んべえの言い分とそれを叱る手紙  〈中原中也/太宰治/鈴木三重吉…〉

    一人でカーニバルをやってた男 

第32回 二〇二〇年一月十四日 須磨佳津江アナウンサー

第二章 文豪たちの「恋と愛」のすごい通信

文豪たちの家族愛に関わる手紙 〈福沢諭吉/野口英世の母/森鷗外〉 

   はやくきてくたされ。いつくるとおせてくたされ。

第37回 二〇二〇年六月九日 須磨佳津江アナウンサー

ラブレター[ブレ球を含む直球編]  〈夏目漱石/斎藤茂吉/佐藤春夫…〉

   ああそれなのにそれなのにネエです。食いつきたい!

第6回 二〇一七年九月二十六日 村上里和アナウンサー

ラブレター[変化球・魔球編]  〈谷崎潤一郎/太宰治/立原道造〉 

五月のそよ風をゼリーにして持って来て下さい。

第7回 二〇一七年十月二十五日 村上里和アナウンサー

軽井沢からの美しすぎる脅迫状  〈川端康成〉

   少女の打つボールも、私めがけて飛んで来る青春。

第16回 二〇一八年七月十日 須磨佳津江アナウンサー

ラブレター[くせ球編]   〈高村光太郎/平塚らいてう〉

   あなたが殺人犯になったんですよ。

第17回 二〇一八年八月十四日 須磨佳津江アナウンサー

恋文らしからぬ恋文 〈国木田独歩/樋口一葉/林芙美子〉

   どのようにしてりょくを愛撫してやろうかと空想している。

第25回 二〇一九年五月十四日 須磨佳津江アナウンサー

第三章 文豪たちの「温情」のすごい通信

真夏の誘いの殺し文句・甘えん坊攻撃! 〈寺田寅彦/夏目漱石〉 

    一人ならそんなに行き度もない

第4回 二〇一七年七月七日 村上里和アナウンサー

四者四様の友情を育てる手紙  〈武者小路実篤/若山牧水/夏目漱石〉

   雀のおしゃべりにおこされ申候

第12回 二〇一八年三月二十七日 村上里和アナウンサー

苦しいとき悩んだときによく効く励ましの手紙  〈夏目漱石〉

   世の中は泣くにはあまり滑稽である。笑うにはあまり醜悪である

第13回 二〇一八年四月十日 須磨佳津江アナウンサー

限りなく優しく温かな戒めの手紙  〈島崎藤村/正岡子規/夏目漱石〉

   私のいう事は双方の為に未来で役に立つと信じています。

第26回 二〇一九年六月十一日 須磨佳津江アナウンサー

上手に未練とつきあい未来を拓いた絶縁状  〈夏目漱石/谷崎潤一郎〉

   恐らく僕は君とキッパリ絶交するハメに立たされるだろう

第11回 二〇一八年二月二十七日 村上里和アナウンサー

第四章 文豪たちの「消息」のすごい通信

梅雨の不愉快が影響した手紙  〈北原白秋/芥川龍之介/夏目漱石〉

   僕は妻は何だか人間の様な心持ちがしない

第3回 二〇一七年六月二十七日 村上里和アナウンサー

心引き寄せ心を癒やす暑さのお見舞い 〈寺田寅彦/島崎藤村/芥川龍之介〉

   中庭の涼台で仰向になって流星を数えて居る

第5回 二〇一七年八月二十二日 村上里和アナウンサー

日本歴代一位の松茸へのお礼状  〈幸田露伴/島崎藤村/尾崎紅葉〉

   来た! 〳〵!! 〳〵 難有うござりまする

第8回 二〇一八年十一月二十七日 村上里和アナウンサー

おめでたい年賀状・不吉な年賀状  〈夏目漱石/山頭火/志賀直哉〉

   新年早々不吉な事を申上げてすみません

第9回 二〇一七年十二月二十六日 村上里和アナウンサー

 

そっけなくも味わい深い婚活・結婚通知 〈夏目漱石/太宰治/織田作之助〉

   遂に大デブと結婚というはしたなきことになりました

第15回 二〇一八年六月十一日 須磨佳津江アナウンサー

命名で遊んだ楽しい出産祝いの手紙  〈石川啄木/尾崎紅葉/夏目漱石〉

   八月の三日に生れたから八三は如何です

第27回 二〇一九年七月九日 須磨佳津江アナウンサー

希望あふれる転居通知の最高傑作  〈夏目漱石/正岡子規/北原白秋〉

   転居はとりもなおさず家庭的旅行

第35回 二〇二〇年三月十日 須磨佳津江アナウンサー

暗号のような近況報告の傑作!  〈夏目漱石/太宰治/梶井基次郎〉

   山の便りお知らせいたします

第2回 二〇一七年五月三十日 村上里和アナウンサー



〇本文〇

プロローグ

文豪の手紙ってこんなに面白い!  〈島崎藤村/夏目漱石〉

   ビスケットをかじりて 試験の答案を検査するに

第1回 二〇一七年四月二十六日

  村上里和アナウンサー

村上 今夜の「ラジオ深夜便」、0時台後半は、今週から始まる新コーナーです。「深夜便ぶんか部 文豪通信」をお送りします。

このコーナーでは、手紙文化研究家の中川越さんに、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治などの文豪たちが書いた面白い手紙、興味深い手紙をご紹介していただきます。

中川さん、今晩は。

中川 今晩は、中川です。宜しくお願いいたします。

村上 そもそも中川さんが手紙に興味を持たれたキッカケは?

中川 学校を卒業して社会人になって出版社で仕事を始めたとき、自分にはほとんど手紙の常識がなかったために、取材依頼の手紙を書いたり、取材後のお礼の手紙を書いたりするときに大変困って、これはちょっと手紙の勉強をしないと、この先まずいことになるぞと心配になってきたわけです。

村上 それはよくわかります。私もNHKに入局してしばらく、転勤先にもずっと手紙の書き方の本を持参して、お世話になっていました(笑)。今は電子メールで、手紙より気軽に依頼文を送ることができますが、昔は手紙でした。

中川 今は電子メールが主流で、その書き方も、旧来の堅苦しい手紙の常識から、かなり自由になっていますから、依頼やお礼のメールも、書きやすくなっているかもしれません。

もっとも、メールが一般的になってきたころ、今から二十何年か前でしょうか。電子メールも手紙のように、拝啓で始めて時候の挨拶などを書いていました。

村上 確かに、拝啓って、打っていました(笑)。

中川 とにかく手紙が書けないと仕事の上で困るわけで、私も手紙の指導書や文例集を買いこんで、参考にしながら手紙を書きました。

でも、そういうもので勉強して手紙を書いても、なんとなくしっくりこない場合があるんですよね。たとえば、「拝啓 春暖の候ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。さて、早速で恐縮ですが~」などと書き始めると、自分が書いているような気がしないですよね。

村上 ええ、そんな気がすることがあります。

中川 「春暖」とか「ご清祥」とか、生まれてから一度も使ったこともない言葉を使ったり、会ったこともない人の清祥、つまり幸福を、いきなり喜んだりするのは、ヘンじゃないかと思ったりしました。

村上 言葉の意味はわかるのですけど、なんか実感としてしっくりこない、ムズムズ感がありましたね(笑)。

中川 ムズムズ感です(笑)。手紙ってそういうものだといわれれば、それはそうなんでしょうけど、本当にそれでいいのか、ちょっと詳しく調べてみたくなったんです。手紙の礼儀を守りながらも、自分の言葉で、自分らしい手紙が書きたかったんです。

そこで、明治から大正、昭和初期、中期までに出版された手紙の文例集をたくさん集めて勉強を始めました。そうするとその文例集の中に、日常生活で書かれる様々な手紙、たとえばお礼の手紙とかお祝いの手紙とか、ご案内の手紙とか、そうしたそれぞれのテーマに応じて作られた例文だけでなくて、文豪たちの実際の生活上の手紙も見本として、そうした指導書に載せられていたんです。

それを見て、面白いなと思いました。面白いと思うだけでなく、自分が手紙を書くうえで本当に参考になるのは、文豪たちの手紙だと思うようになったんです。

村上 このコーナーではそうして中川さんが勉強した中から、文豪たちの様々なすばらしい手紙を、ご紹介いただけるわけですね。

たとえば、最初にどんな文豪の手紙と出合いましたか。

中川 いろいろありましたが、たとえば、島崎藤村の梅干しをもらったときのお礼の手紙です。

村上 では、その手紙を読ませていただきます。島崎藤村の手紙です。

何よりの梅干お送り下されありがたく存じます。朝茶に添えて梅干をいただくのは私の習慣になっていますから、これからは当分お送り下さったものを毎朝の友として、その度に御地のことを思い出すでしょう

「御地のことを思い出す」とは、相手の土地のことを思い出すということですね。

中川 そうです。いきなり冒頭から、「何よりの梅干お送り下されありがたく存じます」で始まります。拝啓とか前略とかなしに。なるほど、それでもいいときがあるんだと知りました。それに、「何よりの」という最上級のほめ言葉のインパクトが、すごいなと思いました。

村上 最初に時候の挨拶とか、あれこれない分、喜びが強く伝わって来る感じです。

中川 ストレートです。そして、「朝茶に添えて梅干をいただくのは私の習慣になっていますか

ら、これからは当分お送り下さったものを毎朝の友として、その度に御地のことを思い出すでしょう」といういい方が、すばらしいと思いました。

お礼の手紙というのは、いくらていねいに書いても、相手がそれを読んだら、普通はそれでおしまい。忘れ去られてしまいます。

ところが藤村のお礼状は、しばらく相手の家のリビングの時計の脇にはりつけられることになります。梅干しを、「毎朝の友として、その度に御地のことを思い出すでしょう」と書いたからです。

この手紙の相手は、藤村のとても親しい人ですが、朝起きてリビングの時計を見るたびに、今ごろ藤村が梅干しを食べながら、自分のことを思い出し、感謝してくれているんだろうなと思うことになります。。

拝啓も季節の挨拶も敬具もないあっさりとした短い手紙なのに、なんて感謝のこもった効果抜群のお礼状なんだろうと思いました。

村上 藤村の感謝の気持ちが直に伝わって来るようで、もらった人は、さぞかし嬉しかっただろうなと思いますね。

ほかにどんな文豪の手紙が、印象に残りましたか。

中川 夏目漱石の手紙がステキです。漱石がまだ東大の先生だったころ、試験の答案の採点をしているときに、親しい学生、野村伝四君に、採点用の赤インクではがきに書いて出したものです。

村上 では、その漱石の手紙も読ませていただきます。

ビスケットをかじりて 試験の答案を検査するに ビスケットはずんずん方付くけれども 答案の方は一向進まない、物徂徠云う 炒豆を喫して古人を罵るは天下の快事なりと  余云う ビスケットをかじって学生を罵るは 天下の不愉快なりと 

伝兄以て如何となす

原文そのままですと、意味がわかりにくいところがあるかもしれません。

中川さんに現代語に訳していただきましたのでご紹介します。

〈ビスケットをかじりながら試験の答案の採点をしていると、ビスケットはどんどん片付くけれど、答案の採点はぜんぜん進まない。儒学者の荻生徂徠は、炒り豆を食べながら昔の人を罵るのは、当たり障りがないから、一番いい愉しみだといったけれど、私は言う、ビスケットをかじりながら学生を罵るのは、世の中で一番不愉快なことだと。私はそう思うんだけれど、伝四君はどう思う?〉

中川 そんな調子で手紙はまだ続きます。

村上 はい、続けます。

僕は一文なしの癖に近頃しきりに住宅の図案を考えて居る 夫故に書物を読んで居(お)っても茶座敷や築山が眼に映じて書物がわがらん、かかる先生に答案を閲せらるる学生は幸かはた不幸か 伝兄以て如何となす

 

意味は、こうですね。

〈僕は一文無しなのに近頃自分の理想とする住まいの図案を考えているんだ。だから本を読んでいても、茶室や築山のことが目に浮かんで、本の内容が頭に入ってこない。こんな先生に自分たちの答案を採点される学生は幸せだろうか不幸だろうか。伝四君、どう思う〉

 面白いですね(笑)。

中川 この後も、さらに畳み掛けるように、とぼけた話題を持ち出し、「伝兄以て如何となす」=〈伝四君、どう思う〉を繰り返していきます。そして最後にこう締めくくります。

村上 読みます。

どこか善い借家はないだろうか 休暇の始めに引越して そこで夏中勉強を仕様と思う伝君以て如何となす そして君は手伝に来て呉れるだろうね 伝君以て如何となす

中川 ビスケット話から始まったこの手紙は、結局何の手紙だったのかというと、東京本郷の東大の近くに下宿していて、本郷あたりの借家事情に詳しかったた伝四君に、物件探しを依頼する内容でした。それが、この手紙の趣旨らしい趣旨の一つで、ついでに、引越しの手伝いまで予約しようというのが、漱石の魂胆でした(笑)。

村上 先生にそんなふうに言われたら、「引っ越し、行きます!」と、いわざるをえないですよね(笑)。夏目漱石は、学生相手に楽しい手紙を送って、茶目っ気たっぷりで遊ぶ人だったんですか。

中川 そんな人だったようです。漱石の作品を読んでも、漱石に関する評論を読んでも、なかなかそういうところまでは伝わってこなかったのですが、手紙の中に本物の漱石が生きているような気がしました。

借家探しと引越しの手伝いの依頼をつけ加えて、一応手紙の体裁は保ちましたが、本当

は漱石は、この手紙で暇つぶしをしたのかもしれません。ずいぶん愉しくて上等な暇つぶしです。

村上 知的で楽しい暇つぶしですね(笑)。

中川 「そうだったんだ、こうして時間ってすごんだ、なんかのんびりしいていいな、ほどよくふざけていて愉しそうだな」――と、漱石のこの手紙から、たくさんのことが感じられました。この手紙からうかがえる漱石と野村伝四君の関係も、とてもあたたかで、愉快そうだなと思いました。

村上 こういう手紙を書く人だということをわかったうえで、夏目漱石の作品を改めて読むと、また違う発見がありそうですね。

中川 漱石だけでなく、他の文豪の手紙も参考になります。手紙はこんなふうに書いていいんだという、手紙の書き方の秘密や奥義を新鮮に知ることができます。そして、その文豪のたち生き生きとした素顔も見えてきて、作品が読みたくなってくるんです。

村上 次回からもとても楽しみです。今夜はありがとうごさいました。

第一章 文豪たちの「全力」のすごい通信

懸命さあふれる涙ぐましい懇願の手紙  〈宮沢賢治/太宰治〉

   芥川賞をもらえば、私は人の情に泣くでしょう。

第20回 二〇一八年十一月十三日

  須磨佳津江アナウンサー

須磨 今夜の文豪通信は、「文豪たちの涙ぐましい懇願の手紙」です。手紙文化研究家の中川越さんとお伝えしていきます。よろしくお願いいたします。

中川 今晩は、よろしくお願いいたします。今回は懇願の手紙ですが、懇願とは、心をこめてていねいに強くお願いすることです。

須磨 しかも涙ぐましい懇願ですから、かなり心のこめ方が強いわけですね。

中川 そういうことになります。まず、宮沢賢治からです。

昭和五年の春先、賢治三十三歳のとき、親しい知人が育てていた花のダリアの球根が欲しくて、自分が育てたヒヤシンスの球根などと、物々交換を申し入れました。

須磨 こちらですね。読ませていただきます。

いい時候になりました。小生又もや苗床を作って花の支度をしました。結局園芸から手を切れそうもありません。…  あなたの所でダリアの球の余るのはありませんか。もし余分があれば一種一球づつお譲りを得たいのですが、尤も高価なのは手が出ません ありふれたものでいいのです。私の方ではこの夏、ヒアシンス色分二百球、ダッチアイリス五種四十球、水仙十八種五十球、オーニソガラムその他百球などできますが、それらと交換でも願えるなら特に有り難い次第です。

ダッチアイリスは、オランダアヤメのことですね。

中川 そしてオーニソガラムは、清楚な純白の六弁の星型の花を咲かせます。

須磨 お花の球根の物々交換のお願いなんて、賢治らしくて、ロマンチックでいいですね。

中川 「高価なのは手が出ません」「交換でも願えるなら特に有り難い次第です」というあたりに、賢治の経済状態がうかがわれ、同情を誘います。

須磨 でも、涙ぐましい、というほどでは…。

中川 それでは、こちらはどうでしょう。賢治二十九歳のとき、岩波書店の創業者岩波茂雄に、賢治が自費出版した詩集と岩波書店の学術書との交換を懇願しました。

須磨 また物々交換ですか(笑)。でも、自分の本とですか。それはちょっと涙ぐましいで

すね。読んでみましょう。

とつぜん手紙などさしあげてまことに失礼ではございますが どうかご一読をねがいます。わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間というようなことについてどうもおかしな感じようがしてたまりませんでした。……わたくしはあとで勉強するときの支度にとそれぞれの心もちをそのとおり科学的に記載して置きました。その一部をわたくしは柄にもなく昨年の春 本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して……自費で出しました。 

……わたくしはいたように勉強したいのです。貪るように読みたいのです。もしもあの田舎くさい売れないわたくしの本と あなたがお出しになる哲学の立派な著述とを幾冊でもお取り換え下さいますなら わたくしの感謝は申しあげられません。

 切実な思いが強く伝わってきますね。ちなみに、「春と修羅」というのは…。

中川 賢治の詩集ですが、冒頭にはこんな詩があります。 

わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です/…風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です

須磨 宮沢賢治独特の不思議な世界観が新鮮ですね。でも、賢治の懇願は届いたのですか。

中川 返事はなかったようです。まだ、世の中は賢治の才能に気がついていませんでした。

須磨 才能に気がついていないといえば、今夜ご紹介するもう一人の文豪、太宰治もまた、生きている時代には、今ほどの大きな評価は得られなかったわけですね。

中川 だから、誰の目にも見える勲章が欲しくてたまらずに、それを懇願した時期もあったようです。昭和十年に始まった第一回芥川賞で次席になった太宰は、芥川賞がどうしても欲しくて、選考委員をしていた佐藤春夫に、こんな手紙を書きました。昭和十一年、太宰二十六歳のときです。太宰は佐藤春夫を師と仰いで、かなり濃密な親交がありました。

須磨 読ませていただきます。

拝啓 一言のいつわりもすこしの誇張も申しあげません。物質の苦しみがかさなり かさなり 死ぬことばかりを考えて居ります。佐藤さん一人がたのみでございます。私は恩を知って居ります。…芥川賞をもらえば、私は人の情に泣くでしょう。そうして、どんな苦しみとも戦って、生きて行けます。元気が出ます。お笑いにならず、私を助けて下さい。…お伺いしたほうがよいでしょうか。…大雪でも大雨でも、飛んでまいります。みもよもなくふるえながらお祈り申して居ります。家のない雀 治拝

 これは涙ぐましいですね。選考委員にここまであからさまにアピールするのは。そして、ズルいですね。情けない気もします。でも、なんかちょっとわざとらしいというか…。

中川 そうなんです。この手紙によって太宰の女々しさを指摘する人がいますが、そう単純なものではない気がします。

私は、太宰という人は、正しいこと正しくないこと、堂々としていること卑怯なこと、美しいこと美しくないことを、誰よりも正確にかぎ分けた人だと思っています。確かに太宰はこのころ、精神的にも経済的に追い込まれていましたが、この文章には、太宰のしたたかさがにじんでいて、相手を試すような、策略めいた趣きがぬぐい切れません。

実際、太宰はこの手紙と同じ年に書かれた別の手紙で、こう言っています。

私の悪いとこは『現状よりも誇張して悲鳴をあげる。』と或る人申しました。

須磨 そうですね、熱心に懇願している自分を、冷静に自覚している感じのする文章ですよね。

中川 佐藤春夫へのこの手紙は、第二回芥川賞の前に出されたもので、結局受賞作なしとなりましたが、第三回芥川賞のときには、選考委員の川端康成にこんな手紙を書いています。

須磨 手紙の冒頭の「晩年」は、太宰の作品ですね。読みます。

『晩年』一冊、…芥川賞くるしからず 生れてはじめての賞金 わが半年分の旅費 あわてず あせらず 十分の精進 静養もはじめて可能 労作 生涯いちど 報いられてよしと 客観数学的なる正確さ 一点うたがい申しませぬ 何卒 私に与えてください 深き敬意と 秘めに秘めたる血族感とが 右の懇願の言葉を発せしむる様でございます 困難の一年で ございました 死なずに 生きとおして来たことだけでも ほめて下さい …私を見殺しにしないで下さい きっとよい仕事できます 経済的に救われたなら 私 明朗の蝶々。きっと無二なる旅の とも。微笑もて きょうのこの手紙のこと 谷川の紅葉 ながめつつ 語り合いたく その日のみをひそかなる たのしみにして、あと二、三ケ月、くるしくとも生きて居ります ちゅう心よりの 謝意と、誠実 明朗 一点やましからざる 堂々のお願い すべての運を おまかせ申し上げます

 どうなんでしょう。確かに懇願の手紙ですけれど、冒頭から、上から目線ですよね。「芥川賞くるしからず」なんて、殿様みたいです、「くるしゅうない」って。  

中川 親戚でもないのに厚かましく、「血族感」が「右の懇願の言葉を発せしむる様でございます」なんて無礼です。「一点やましからざる堂々のお願い」に至っては、もう冗談のようです。やましさ満載の手紙ですから。

須磨 そう見ると、この手紙は不思議ですね。人の心を知り尽くしたはずの太宰が、こんな手紙で…。

中川 なんとかなるなんて、思うはずがないんですよね。それなのに、どうしてでしょう。そう考えていたら、やはりある彼の手紙の中に、こんな言葉がありました。

私、世の中を、いや、四五の仲間をにぎやかに派手にするために、しし食ったふりをして、そうして、しし食ったむくい、苛烈のむくい受けています。食わないししのために

 「獣食った報い」には、悪事を犯したために当然受ける悪い報いという意味がありますが、太宰は卑怯な懇願をしたのは、受賞のためではなくて、「世の中を、…四五の仲間をにぎやかに派手にするために」やったのかとも思われてきます。

須磨 そうですね、ふざけた感じもしますね。そうすると、太宰の懇願の手紙は、願いを叶える手紙としては、ダメですね。

中川 懇願としては最低かもしれません。けれど、人を食っているところが、私には、とても興味深く思われます。文芸評論家の小林秀雄が、「優れた文学はみんな人を食っている」などと言いましたが、それに通ずるところがあります。

須磨 確かに、今でも私たちが注目して、世の中をにぎやかにする効果はありましたからね。太宰の懇願の手紙への興味は尽きません。 

今夜もありがとうございました。

中川 ありがとうございました。