視点・論点 文豪たちのラブレター

豪たちのラブレター それぞれの表現方法               中川 越

 先ごろ、ノーベル文学賞受賞者の文豪・川端康成が22歳のときに書いたラブレターが発見されました。宛先は15歳の婚約者、伊藤初代です。初代は名作『伊豆の踊子』に登場する幼い踊り子のモデルといわれています。川端は作品化することにより、初代への叶わなかった思いを永遠のものとしただけではなく、そのせつなく透明な恋心を、私たちにも共有させてくれました。「踊り子の今夜が汚れる」のではないかという切実な嘆きは、今回発見された彼のラブレターの次の一節からも読み取ることができます。

「君から返事がないので毎日毎日心配で心配でぢっとして居られない。」「毎日どんなに暮らしているかと、手紙が来ないと泣き出すほど気にかかる。」

踊り子への思いと重なる焦燥が感じられます。ただし、ここで気になるのは、小説との表現の違いです。手紙は、かなり素朴でストレートです。新感覚派と呼ばれた洗練された表現とは、趣を異にしています。

 このように文豪のラブレターは、その表現の仕方が、作品とは大きくかけ離れている場合が少なくありません。まるで小中学生の作文のように、率直で飾り気のないものがしばしば見受けられます。

たとえば25歳のとき芥川龍之介は17歳のフィアンセ塚本文に、こう書きました。

「二人でいつまでもいつまでも話していたい気がします。そうしてKissしてもいいでしょう いやならばよします この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします」

 人間心理の奥深い部分を冷静に鋭く描いたあの芥川龍之介とは、まるで別人です。

 そして、芥川の「食べてしまいたい」で思い出されるのは、歌人・斎藤茂吉、54歳が、門弟の永井ふさ子、26歳に宛てたラブレターです。茂吉には妻がありました。茂吉が渋谷の東横百貨店の地下で書いたと思われる手紙は、次のように衝撃的なものでした。

「東横の地下室の隅のテエブルに身を休ませて珈琲一つ注文して、天下にただ一人、財布からパラピン紙に包んで、その上をボル紙で保護した、写真を出して、目に吸いこむようにして見ています、何という暖かい血が流るることですか、……この中には乳ぶさ、それからその下の方にもその下の方にも、すきとおって見えます、ああそれなのにネエです。食いつきたい!」

 短歌の大御所、言葉の魔術師が、言葉による愛情表現を諦め、動物的な実力行使を宣言した瞬間です。

 あるいは夏目漱石も、漱石らしからぬ素直な恋心を、新婚の妻に、留学中のロンドンから、手紙で次のように自白しています。漱石34歳、妻鏡子24歳のときのものです。

「国を出てから半年許になる 少々厭気になって帰り度なった……段々日が立つと国の事を色々思う おれの様な不人情なものでも頻りに御前が恋しい」

 I Love You.を、月がきれいですね、と訳したと伝えられている、奥ゆかしい漱石にしては、あまりにあからさまな恋心の直訳といえるでしょう。

 さて、恋というものは厄介なもので、これまで紹介してきた文豪たちのように、ひとつの思いを素直に表現できる心持のときばかりとは限りません。愛しているのか憎んでいるのか、もう何が何だかわからないという状態も、しばしば訪れます。

 そんなときに書かれたのが、北原白秋の次の手紙です。白秋の恋人、福島俊子は、あのマノン・レスコーのように男心を翻弄する、実に魅力的な魔性の女でした。28歳の白秋から25歳の俊子に送った手紙の一部を紹介します。

「お前様のデタラメのくり言拝見仕候……嘘偽りもたいていになされたし。……今度逢わばお前様を殺すか、一生忘れられぬほどの快楽の痛手をお前様に与えるか二つに一つに御座候」

 かなり勇ましい口調ですが、結局どっちなんだい、と問い詰めたくなるような、優柔不断な内容です。常にどろどろした矛盾を宿している、複雑極まりない人間の心情が、白秋の筆によって美しい詩になる前の混濁した状況を見る思いのするラブレターです。

 いずれにしても、以上あげてきた文豪のラブレターは、大方濃厚な味がします。

 しかし、日本人が本来好むラブレターは、もう少し異なるものかもしれません。

「しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」。日本では千年以上も前から、忍ぶ恋に美しさを感じてきました。大切な言葉は軽々しく口にせず、心の底にギリギリまでしまっておくのです。この伝統を継承した、日本近代におけるラブレターの最高傑作といわれているのが、太宰治が太田静子に宛てた手紙です。戦争により二人は青森と神奈川に、離れ離れになっていました。太宰36歳、太田静子32歳のときです。太宰には身重の妻がいました。次のような手紙でした。

「拝復 いつも思っています。ナンテ、へんだけど、でもいつも思っていました。正直に言おうと思います。おかあさんが無くなったそうで、お苦しい事と存じます。いま日本で、仕合せな人は、誰もありませんが、でも、もう少し、何かなつかしい事がないものかしら……青森は寒くて、それに、何だかイヤに窮屈で、困っています……旅行の出来ないのは、いちばん困ります。僕はタバコを一万円ちかく買って、一文無しになりました。一ばんおいしいタバコを十個だけ、きょう、押入れの棚にかくしました。一ばんいいひととして、ひっそりと命がけで生きていて下さい。」

 これがなぜ最高傑作なのでしょうか。内容の多くは旅がしたいとかタバコを買ったとか、たわいない身辺雑記が中心です。しかし、200字詰めの原稿用紙の欄外の左下に、本文よりも小さく控えめに、最後に一言こうカタカナで書かれていたのです。「コヒシイ」と。

 実物の手紙の「コヒシイ」を見ると、太宰のそのときのせつなさが、恋しさが、色あせることなく今もそこに、美しくうずくまっているように感じられます。

 このほかにも、文豪たちの魅力的なラブレターが数多くあります。今回はこれまでとしますが、こうした文豪たちのラブレターを読み解くときに、私たちがわきまえるべき姿勢について、最後にお話ししておきたいと思います。

 現在NHKで放映中の「花子とアン」の中にも登場する蓮様、白蓮を引き合いにして、芥川龍之介が「侏儒の言葉」の〈醜聞〉という項で、次のように語っています。醜聞とはいうまでもなく、ゴシップのことです。

『醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。同時に又実際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の台石を見出すのである。「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にこう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。』

 私たちは確かにゴシップが好きです。だから、文豪のラブレターを見るとき、自分たちの中にあるあさましい欲望に、十分注意しなければなりません。なぜなら文豪たちは、ラブレターが心ない好奇心にさらされ、空虚な優越感を樹立するための材料にされることを、決して喜ばないからです。文豪たちのラブレターの中から、私たちがよりよく生きるための糧や希望を得ようとしたとき、初めて私たちに、文豪たちのラブレターを見る資格が備わるのだと思います。ひたむきに生きた文豪たちのあたたかな血液の通ったラブレターの言葉を、尊敬をこめて読み解いていきたいと思います。