書籍 文豪に学ぶ 手紙のことばの選びかた
もくじ・本文 立ち読み資料
〇もくじ〇
第1章 あいさつ・交際
(年賀状 寒中見舞い 卒業祝い 転居通知 暑中見舞い①② 近況報告 お見舞い 贈答の添え状 贈り物へのお礼 依頼と断り 断り 被災の通知)
第2章 思いを伝える
(ラブレター 恋文のススメ お祝い お礼状 謝辞 旅信 決意表明 アドバイス 懇願 推薦 嘘 慰め お悔やみ 辞世)
第3章 形式・作法
(拝啓と敬具 書き出し 返信の書き出し 初めての相手へ 時候のあいさつ 時候の位置 様子を聞く 短い手紙 締めくくり 追伸 宛先・宛名 敬語 一通一用件 忌み言葉 速達 SNSの注意点 レイアウト 筆まめへの道 )
〇本文〇
ラブレター
言葉少なく詩的に
昔、紀州の農村に、こんな風習があった。恋をした青年は、小石に松葉を結び、若い娘に贈った。そのココロは恋し(小石)く待つ(松)。
無口な青年の切なる願いに、例えば娘がはにかみながら小石をぶつけて返したら、そのときが恋の始まり、というのはすがすがしい。
小石は礫ともいい、返事がない意味のナシノツブテの語源となった習慣、という説もある。
もとより日本人は、恋文においても冗舌より寡黙を好み、思いの深さや大きさを、わずかな言葉に託した。そんな日本人が好きな手紙の一つに、太宰治のラブレターがある。
「拝復 いつも思っています。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思っていました。…僕はタバコを一万円ちかく買って、一文無しになりました。…一ばんいいひととして、ひっそり命がけで生きていて下さい。」
近況を含む何気ない返信だが、本文の欄外の下に、小さくこう添えられていた。「コイシイ」。
夏目漱石もロンドン留学中に、新妻に手紙で短く告白した。
「おれの様(よう)な不人情なものでも頻(しき)りに御前(おまえ)が恋しい」
とはいえ、漱石の愛の表現の理想は、もっと間接的でシャレたものだった。英語の教師をしていたとき、I love you.を学生は「吾(われ)汝(なんじ)を愛す」と訳したが、漱石は「月がきれいですね、と訳すんだよ」と注意したとか。
肺病にかかり、運命を知った二十四歳の天才詩人立原道造は、十九歳の婚約者に、以前二人で訪れた軽井沢の高原から、こんな手紙を送った。
「この叢(くさむら)はどの叢にもまして僕には美しい…ここを おまえに 手紙を書く 僕の緑いろの机にしよう」
漱石の翻訳同様、愛していると言わないのに、伝わるものが大きい至高のラブレターだ。
そして、この翌年入院した立原は病床で見舞人に注文し、楽しく困らせたと伝えられている。
「五月のそよ風をゼリーにしてもってきてください」
この詩的な願いもまた、余情豊かなラブレターを書くときの、貴重なヒントになる。
ラブレターのフレーズ いろいろ
作家として名を成した人々も、恋の手紙では、驚くほど率直だ。そして、ときにぎこちない。けれど、どのラブレターも相手への誠実さにあふれている。
おれの様な不人情なものでも頻(しき)りに御前が恋しい
(夏目漱石)
もし私があなたに結婚を要求すると仮定したら、あなたはこれに何と答えられるか。(平塚らいてう)
僕には、文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思っています。繰り返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は 文ちゃんが好きです。それだけでよければ 来てください。(芥川龍之介)
夏にはあいましょう。今はあまり人々の視線が強すぎて私は目がくらみそうですから。そして妬みの焔の中に貴方を入れ度くないから。(柳原白蓮)
写真を出して目に吸い込むようにして見ています……食いつきたい(斉藤茂吉)
話したいことよりも何よりもただ逢うために逢いたい。(竹久夢二)
私の今生きているのぞみは、あなたを一目見ることです。あしたは来てくれるか、その次の日にも来てくれるかとそればかり考えて、外の事がちっとも手につきません。
(佐藤春夫)
今度逢わばお前様を殺すか、一生忘れられぬほどの快楽の痛手をお前様に与えるか二つに一つにて御座候(北原白秋)