所沢高校と所沢自動車教習所の間の坂を十人坂といいます。
<十人坂>
この坂はなぜ十人坂といわれるのでしょう。
十人坂のいわれは、大正時代に書かれた本がはじめて「十人の武士が切腹した場所である」という説明を載せるまで、
江戸時代の本にも何も記録がなく、はっきりしません。
坂に下の方には10体の石仏があります。
これが、十人の武士の墓でしょうか?
台座には施主山田と彫ってあります。年号は元禄、宝永と違っています一度に切腹ではないのかな?
また、よく見ると右端の墓は小さいし下の写真の、頬に手を添えて、物思いにふけるのは如意輪観音
で、女性の墓によく見られます。
この墓は、実はこの付近の墓地にあった無縁の墓石が、道路の拡幅により今のように並べられたのだということです。
十人坂という名前と十体の石仏、てっきり石仏が坂の名前の由来だと思ったのです。
でも、坂の名前から十基の墓が並べられていたのですね。
十体の石仏の場所はこちら
出典:所沢市ホームページの「写真で見る吾妻地区の移り変わり」