永源寺の近くに行った時、 門内さんが大石氏にゆかりがある寺と言っていたのを思い出し久米の永源寺に行ってきました。
永源寺は大石信重が1442年に開いた寺で、寺内には所沢市指定文化財の大石信重の墓がありました。
近年では雪割草の名所としても知られているそうです。
山門の脇には
「不許葷酒入山門」の碑があります。
同じく大石氏ゆかりの寺の下安松の長源寺の山門脇にもありました。
どちらも曹洞宗の寺で、源の字がついてますね。
永源寺を創建したと伝えられる大石信重は、木曾義仲の末裔を名乗り、室町幕府の関東管領を勤める山内上杉氏に仕えました。その後合戦の手柄によって上杉氏に重用され、武蔵国のうち多摩・入間両郡の内、十三郷の領主となり、さらには武蔵・伊豆両国の守護代を歴任しました。
本堂の石段を上がったところに覆屋に入った石塔がありますが、これが大石信重の墓塔です。五輪塔や宝篋印塔などの部分で構成されていますが銘文のある基礎石は宝篋印塔の形式であるので、本来は宝篋印塔であったと考えられます。銘文には次のように刻まれています。
直山守公菴主
正長三祀□□
廿八日 巳尅
「直山守公」とは、大石信重の法名です。この石塔はいささか変形ながら中世の所沢地方を支配した大石氏の資料として貴重なものです。 <所沢市教育委員会>
永源寺の「庚申様(青面金剛)」
ショケラは持っていませんでした。
ここにもありました、「六地蔵」。