2015年9月1日(火)〜9月3日(木) 千葉県館山市
区分:夏期合宿
参加者数:13
早稲田大学に戦史研究会が設置されて20余年、戦史研究会の夏期合宿は毎年定期的に行われている。
その合宿の恒例行事と言えば無論、夜を徹した飲酒である。
宿を言わば、巨大な居酒屋にしようというものである。
2015年6月、夏の合宿地は千葉県館山に決まった。
今年の戦史研は、館山の野山に屍をさらすのだろうか。
いや、そうではなかった。
例年の泥酔騒動に業を煮やした幹事長は、ついに禁酒令の聖断を下した。
禁酒令を死守すべし。
幹事長は悲痛極まる禁酒令を呼号したが、かえって会員は飲酒の衝動に駆られる逆効果を招いた。
三度の飯より飲酒が好きな戦史研員に、はたしてこの禁酒が守れるのであろうか…
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合宿の開始は9月1日13時、館山駅集合である。
大半の会員は千葉駅11時14分発の内房線普通列車に乗車し、遠路はるばる、館山駅へ向かった。
数名の遅刻者を除き予定通りに集合、首都圏各地から戦史研員がこの館山に集結した。
内房線館山駅から更に路線バスで30分程度。
峠道を越えて房総半島を南下、地点Aの宿泊地に到着した。
宿で飲酒を食い止める。
幹事長はそう豪語し、会員はそれを信じた。
いや、信じないわけにはいかなかった。
例年の泥酔騒動は、あまりにも酷かったのである。
今回の拠点となる宿は、2階建ての小ぢんまりとした建物である。
1階は食事等ができる共用スペース、2階は客室となっていて2人部屋の個室が7部屋ある。
必要十分の合宿設備を備えた一泊3,500円の宿である。
【地点A】拠点
宿に到着してしばらく、夕日が西の空に落ちる。
その日の天候は晴れ。屋外でバーベキュー大会を行うことに決まった。
戦史研は予定通り、バーベキュー大会を実行した。
バーベキューの終盤、ある一派が調達した「ホンビノスガイ」を取り出した。
ホンビノスガイとは、北アメリカ東海岸原産の外来種で、ハマグリよりも一回り大きく美味の、東京湾で繁殖する二枚貝である。
一派はこれを利用して、北朝鮮料理の「ハマグリのガソリン焼き」を再現しようと考えていたのである。
「ハマグリのガソリン焼き」とは、わらの上にハマグリを敷き詰めてガソリンを注ぎながら焼く、北朝鮮の名物料理である。
実際に食べた人の報告によると、普通に美味しいと言われている。
ホンビノスガイ(参考画像 出典:Wikipedia)
一派は、バーベキュー台の上にホンビノスガイを並べ、これを調理した。
「ハマグリのガソリン焼き」ならぬ「ホンビノスガイの燃料焼き」であるが、怪し気な味は全くせず、極めて美味しかった。
「飲酒の制限などされて、合宿が護持できるか!」
「禁酒された我々に、一体何が出来る!」
20時頃、一派6名は「買い出し」と称して、隊をなして付近のコンビニへ出発した。
地図上の地点A(宿)から地点B(コンビニ)まで、街灯が全く無い田んぼ道を軍歌を合唱しながら一派は進んだ。
片道約1.5kmである。
片道約20分で国道沿いのコンビニに到着した。
幹事長の目が届かぬ戦機に乗じて、戦略物資の調達が行われた。
【地点B】コンビニの駐車場でエロ本を回し読みする一派
2階客室の一室に、一部の酒に飢えたる者が夜な夜な集結する部屋があった。
この部屋は「司令部」と呼ばれ、特種物資が集積されていた。
司令部では、深夜にはエロ本の品評会や麻雀が、一部によって行われた。
この日の会合は、夜明けまで続いたようである。
はたして、禁酒は果たされたのか。アルコールは持ち込まれたのかどうか。
今となっては我々に知る由もないのである。
横領物資で作られた夜食の鯨サンド(食パン・鯨缶・マーガリン)
合宿2日目。朝には恒例行事である1回生の研究報告が行われた。
その日は朝から雨であったが、昼ごろには雨が上がっていた。
この機に乗じて、主力は地点A(宿)から地点C(道の駅)に進んだ。
道の駅まで約1.0kmの道のりである。
合宿2日目 行程概略
赤線:進行 青線:復帰
【地点C】道の駅 南房パラダイス(参考画像 出典:館山市)
画像の奥に写っている砂浜が【地点D】
道の駅で昼食をとった後、一部数名は宿に復帰した。
ここで主力は二手に分かれ、先に漁港へ向かう先遣隊と、道の駅付近から浜辺に進む支隊がそれぞれ前進した。
支隊は地点C(道の駅)から地点D(砂浜海岸)に向かった。
この道は、防砂林の中で複雑に入り組んでおり、砂で歩きづらい悪路である。
【地点D】砂浜海岸
一方、先遣隊は地点C(道の駅)から地点E(スーパー)に前進していた。約2.0kmの道のりである。
地点Eのスーパーで釣具を調達し、ついに地点F(漁港)に至った。
地点C・E間にあった千葉研修道場
【地点F】相浜漁港
かくして、近年の合宿恒例行事である釣りが開始された。
最初の釣果はクサフグ2匹であった。
戦史研は総力を上げて釣りに没頭していたが、魚は食い付かなかった。
夕方、堤防の一箇所に完全装備した釣りオヤジが約10名、にわかに集まり始めた。
完全装備したオヤジらは、次々と立派なアジを釣り上げていた。
戦機まさに到来と、釣り班はさらに釣りに没頭した。
結果、一匹の立派なアジが釣れた。
18時頃、本部から宿への復帰命令がしきりに届き始めていたが、
釣り班はさらなる釣果を求めて、ますます釣りに没頭するばかりであった。
夜には1回生の研究報告が予定されていたが、その事を気にする者は一人もいなかったのである。
その頃、一名が「固形物が欲しい」としきりに訴え始め、他の制止を無視して釣果のアジをかじり始めた。
他の数名もこれ従って生アジの丸かじりを行った。味はというと、新鮮で極めて美味しかった。
2日目夜、宿の消灯後、スーパーで調達したロケット花火を用いた特種演習計画(花火大会)が実行された。
演習場は昼に支隊が訪れた地点D(砂浜海岸)である。
演習班は、深夜の防砂林前進に胸を躍らせ、真っ暗な太平洋の荒波にギラギラと目を輝かせていた。
海風が吹き荒れ、荒波が押し寄せる真っ暗な砂浜である。
用意したロケット花火は約40発。
砂浜を掘って発射台を作り、そこに花火を斜めに設置して一斉射撃を行った。
荒れ狂う海上で花火が炸裂する様は、素晴らしい眺めであった。
演習終了後は、近くに落ちている流木や漂着ゴミを片っ端から焼くキャンプファイヤーが行われた。
花火のゴミはこの火に投入して焼却されたが、
混入していた不発弾に着火、キャンプファイヤーが炸裂して一同が肝を冷やす一幕もあった。
海辺でのキャンプファイヤーは印象深く、大変素晴らしいものであった。
海岸漂着物キャンプファイヤー
他方で、ここに来るまでに一名が精神混乱・酩酊状態に陥り、演習班に同行していたものの海岸の土手から転がり落ちて負傷した。
彼はその後意識を取り戻し、水分を補給してキャンプファイヤーで暖を採り体調を回復した。
後の報告によると、彼は睡眠導入剤の副作用によって酔いの状態に陥ったことが明らかになった。
一名負傷
赤線:進路 黄線:中大戦記研進路
戦史研主力は3日目午前9時頃、宿からの撤収準備を完了させ直ちに館山駅方面に向かった。
10時頃館山駅にて、幹事長により合宿終結が下令された。
その後、一行は千葉行きの内房線に乗車した。
この内房線、途中の浜金谷駅からは東京湾フェリーに乗り継ぎ、久里浜・横須賀方面に渡ることができる。
かくして、横須賀派遣軍の6名は浜金谷駅で下車。内房線班と別行動となった。
内房線 浜金谷駅
この浜金谷駅のホームで、大学生風の約10名の集団に遭遇した。
彼らは中央大学戦記研究会であった。
事前に合宿地と日程が同じであることは知らされていたが、全く偶然の遭遇であった。
東京湾フェリーとは、浦賀水道を横断し、三浦半島久里浜港と房総半島金谷港を約40分で結ぶ貨客フェリーである。
船内では中大戦記研との打ち合わせの結果、横須賀で合同昼食会を行い、三笠公園まで同行して同地で解散と決まった。
短い船旅であるが、天候が良く、潮風が大変心地良いものであった。
東京湾フェリー客室内
久里浜港に到着
15時頃、横須賀派遣軍は横須賀の海軍カレー店で中大戦記研との昼食会を終え、最後の目的地である三笠公園に至った。
艦内を見学する者、草むらで昼寝をする者、様々であった。
記念艦 三笠
16時頃、ついに横須賀派遣軍も総員4名となり、これ以上の合宿行動は至難となった。
刀折れ矢尽き、疲労も溜まった戦史研に、既に合宿遂行能力は無かったのである。
長い長い三日間だった。
かくして、戦史研館山合宿は終わった。
ついに戦史研は、禁酒令を守りぬいた。
いま私たちは、このように戦史研の血と汗と涙で購った禁酒を確かめ、
そして、戦史研の上に再び、泥酔騒動が訪れないことを願うのみである。
ただ、それだけを
地図出典:Google Maps