早稲田大学戦史研究会機関誌『烽火』第8号 ― 内容の紹介

第1部 西洋史

暗殺教団の伝説 /椅子ファハーンは世界の半分

暗殺教団とは、11 世紀末にイスラームのシーア派の一派、イスマーイール派より分派したニザール派の別称である。その名の示す通り彼等は“暗殺”を得意とし、彼等が活躍した当時には多くの者に恐れられた。彼等が実際に何らかの影響力を持って活躍した期間は 11世紀末から 13 世紀中頃までであり、保有した領域は小規模で、信徒の数も他のメジャーな宗派に比べると非常に少なく少数異端派という枠を出ないものであった。しかし、彼等は特にヨーロッパに於いて、人々の記憶に長く留まることとなる。本稿では、イスラームの少数異端派、そして過激派とされる彼等の活動と、彼等がどのように人々の目に映ったかを追っていく。(6頁)

ウクライナ・コサックの歴史解釈とその影響 ─フメリニツキーを中心として─ /rusian_n

1648 年に始まるウクライナ・コサックによる「フメリニツキーの反乱」は、ウクライナ・コサックによる国家の建設に至った。ただしそれは極めて不安定なものであり、最終的にロシア帝国によって併合された。しかしこの劇的な運動はその後のウクライナ・ナショナリズムに強烈な刺激を与え、ウクライナにおける歴史学においても極めて重要な研究対象となった。ウクライナ・コサックやフメリニツキーについての歴史解釈は地域や時代、様々な思想に非常に大きな影響を受けた。そしてウクライナ・コサックやフメリニツキーは、様々な立場の人々に受け入れられ、その結果近代/現代ウクライナの基礎の一つとなっていった。(18頁)

チェコスロヴァキア軍団の概要紹介 /海棲哺乳類

十月革命後の対ソ干渉戦争のうちウラル山脈以東に対する干渉、いわゆる「シベリア出兵」の大義名分となった「チェコスロヴァキア軍団」がいかなる存在であったのかを解説したいとおもう。高校の教科書などで触れられ、知名度の比較的高いチェコ軍団ではあるが、彼らがどのように編成され東欧から遠く離れたシベリアで蜂起するに到ったのかと言う事は、なかなか知られていないと感じる。本稿がそんな彼らに対する理解を深める一助となれれば幸いである。(4頁)

ソ連軍と冬戦争の紹介 /国営酒造協会

1940 年、ソ連軍は 4 ヶ月の戦いの末フィンランドとの戦争(通称:冬戦争)に勝利した。しかし、国力に劣るフィンランド相手に想定外の時間と膨大な犠牲者を出してしまった上に、手に入れた領土はフィンランド全土どころか割譲された一部の地域だけであった。この惨状はソ連軍の弱体化とみなされ、ヒトラーのソ連侵攻を決定付けたとされる。赤軍弱体化の主な要因として、スターリンの大粛清によって高級将校が粛清されたことが原因であったと多くの書籍でも書かれている。だがソ連軍は冬戦争勃発の数か月前、1939年の夏、ノモンハンにおいて日本軍との戦闘において勝利を収めている。両戦役でなぜここまで差が出てしまったのか。赤軍の弱体化だけが冬戦争においての失態の原因だったのか。本稿ではまず冬戦争自体の流れを取り扱った後に、ソ連軍側が本来の力を発揮できなかった要因について紹介する。(3頁)

第2部 東アジア史・昭和史

義慈王と百済滅亡 ─「海東曾子」から「海東桀紂」へ─ /星北

百済最後の王・義慈王は、「武勇胆決」「事親以孝」の明君としてその治世の始まりを見たが、在位 20 年にして国を滅ぼすに至った。今日に残る数々の史料は、義慈王が暗君・暴君的性質を有していたと伝える。しかしそこには、「君主が道を誤ったために国が滅んだので、教訓を得なくてはならない」とする歴史観が存在している。義慈王が暗君・暴君的振る舞いを見せたことにはある程度の史実性を見出すことが出来るが、百済滅亡に関する義慈王の責任については再検討も必要だろう。(8頁)

城郭解析・杉山城 ─中世城郭を探求する─ /乱会

城とは、その所持者の生命・財産・政治的支配力を維持・防衛するために築かれた軍事的構造物である。戦乱の勃発、またはそれが予想される場合に築かれ、世界各地に無数に存在する。日本の場合は各地で合戦が行われた中世に城の建築が盛んになり、16 世紀には数えることが不可能なほどの城が全国に林立するようになった。本稿ではその技巧的な縄張りから「山城の教科書」と呼ばれている杉山城に焦点を当て、杉山城の使用年代・築城主体・築城目的に考察を加えると共に、杉山城のケースから日本の中世城郭研究全般における課題を導くことを目的とする。(14頁)

関東における本土決戦と佐々木武雄陸軍大尉 ─東京防衛軍「横浜隊」・本土決戦における末端部隊の実態─ /あさはらしょうこ

横浜の予備役将校である佐々木武雄(1905 年─85 年)は、横浜高等工業学校で建築学を学んだ後、右翼活動に挺身した活動家であった。佐々木は支那事変の勃発と同時に応召、アジア・太平洋戦争に参加した。1945 年 7 月には、本土決戦に専念する部隊「横浜隊」の隊長となっていたが、8 月には政府でポツダム宣言受諾が決定される。佐々木は戦争継続のために政府要人の殺害を決意し、約 40 名の襲撃隊を率いて首相官邸及び私邸等を襲った。

「横浜隊」は、非常時の防衛召集によって編成される「特設警備隊」からなり、民間人をも動員した遊撃戦を計画していた。防衛召集兵が参加した遊撃戦の実例としては、沖縄戦の戦闘に数多くの事例があるが、その事例の中には、成功したもの、失敗したもの双方の実態が見られる。本土における遊撃戦準備は、沖縄作戦時から幾分の進歩があったが、その実態は沖縄と概ね同様であった。「横浜隊」の遊撃戦は、本土決戦後の東京陥落を防ぐための防衛作戦の一端として準備されていた。佐々木はこの最後的防衛戦の最前線に位置すると共に、強硬に戦争継続を主張し、遂には事件を引き起こすに至る。佐々木は、ある意味で本土決戦を「象徴」する人物であった。(26頁)

松江騒擾事件 ─その背景と実像─ /障泥烏賊

昨年平成 27年は第二次大戦終結 70年の節目であり、日本でも内閣総理大臣談話が発表されるなど政治的にも大きな話題となった。また岡本喜八監督がメガホンを執った昭和 42 年の映画『日本のいちばん長い日』のリメイク作品が公開され、今までは数少ない人々にしか知られていなかったであろうポツダム宣言受諾に至る経緯が注目された。終戦後に起きた各種蹶起、クーデターは終戦時の混乱もあって現存資料は極端に少なく、宮城事件や厚木航空隊事件等規模及び事態の比較的大きいものが知られているのみであり、他の零細微細なものは多くが依然埋もれたままである。本稿はその中の一つである皇国義勇軍事件とも呼ばれる松江騒擾に就いて、その実態を探るとともに考察を加えることを目的とする。(7頁)

第3部 社会研究・その他

国際社会を作った「AK」 /Mirage

紛争に対する分析といえば、一つ一つの紛争に対し政治的、経済的な要素を中心に分析し、一つ一つに結論を出す、といった方法が一般的である。確かに、イデオロギー、宗教、利権等、紛争の要因は様々である。しかし、本稿では紛争に対する分析として別のアプローチをかけてみたい。それは、“複数の紛争を、それらがもつ『共通項』を軸に分析し、その共通項が現代社会に与えた影響を考察する”というアプローチである。今回はその『共通項』として、銃器「AK」を挙げよう。「AK」は「AK-47」とも、あるいは「カラシニコフ銃」とも言われており、そちらの名前で知っている者もいるだろう。AK は、現代のテロ、銃犯罪、小規模な紛争においてほぼ必ず使われる有名な銃であり、現代でも様々なメディアで露出している。だが、紛争をメディアで見る際、注目されるのは紛争の背景、成り行き、顛末であり AK に注目する人はそう多くはない。そのため、「AK といえばテロ、紛争の銃」で理解が完結している人もいるのではないだろうか。しかし、AK がどのように開発され、生産され、流通したのかを知れば、紛争を深く知ることにも繋がり、その紛争の解決と平和構築を考える知見にもなるだろう。本稿では、紛争で必ずと言っていい頻度で出現する銃器、“AK”をあらゆる紛争の共通項として分析し、AK が現代社会に与えた影響を考察する。(10頁)

近代前線〈Modern Frontier〉としてのイスラエル ─パレスチナ問題の捉え直しとして─ /マキノ猶弐朗

パレスチナ問題は民族紛争・領土紛争・宗教紛争など様々な視点から語られるがそれらはあくまでパレスチナに内在する個別的な視点であり、よりマクロな視点からの包括的な捉え方はあまり論じられていないように思える。そこで、シオニズムの思想運動史やイスラエルの政治・社会・文化とその変遷、現代イスラエルとシオニズムの連続性を見ていくとそこには「国民国家」「帝国」「植民地主義」といったヨーロッパ近代が産んだ性格とその継承者としてのイスラエルの姿が見えてくる。そして、ヨーロッパ近代からの延長という性格がイスラエル建国とパレスチナ問題の背景として大きく存在している。現在もパレスチナを巡り紛争が続く中で、ヨーロッパ近代の延長線上にあるパレスチナという空間を「近代の前線<Modernism Frontier>」としてより遠大なパースペクティブの中で捉え直すことが、パレスチナ問題を考える上で重要であると言える。(18頁)

ドイツ極右運動の背景と現在 ─現在に続く極右勢力の活動と現状─ /チュート・ロー

戦後、敗戦国に即刻課せられた課題は言うまでもなく戦争犯罪の清算であった。特に戦時下における被占領国民に対するドイツの非人道的な行いは現在にも残る重要な問題である。ナチスの犯罪は戦後数十年も経った後でも再追求されている。ヒトラー、そしてナチスの行った数々の行いは絶対悪として、ヨーロッパ、特にドイツにおいてはその扱いは非常に慎重である。ナチズムの根絶は国を挙げて行われており、その精神は基本法によって反映されている。しかし、その試みは現在においても完全な成功には至っていない。もちろん現在のドイツにおいても「過去への克服」(独:Vergangenheitsbewältigung )は社会と切っても切り離すことは決してできない問題である。しかし難民問題の深刻さが浮き彫りになりつつある現代ドイツでは、外国人に対する排外運動が顕著に表れ始め、その様子は国内のみならず世界中で報道されている。そして、この運動には、ドイツで戦後生まれた極右運動が背景としてあることがわかってきている。そのなかで、とりわけナチズムの継承を主張する「ネオナチ」の運動は日本でもよく知られている。このドイツにおける極右運動はいかなるものなのか、そして極右運動の現状と、過去から連続する現代ドイツの諸問題との関連性を見出すのが本稿の試みだ。(7頁)

司法権の独立と軍法会議 /幇務間

「軍法会議」ということばの響きは、現在においては古めかしく、また旧軍の非人道性の象徴の一つとしての認識から、恐ろしいものを感じさせるものであろう。あるいは、この概念自体、国軍を保持せず、また「自衛隊裁判所」などというものを持たない現代日本においては、忘れ去られているものかもしれない。軍法会議の存在を多少なりとも知っている現代日本人の典型的イメージに反して、軍法会議において運用された法律―例えば陸軍刑法・海軍刑法―は、大正デモクラシーの影響も相俟って、不合理に軍人の人権を蹂躙することはなく、かつ近代的な刑法理論に基づいた法律であった。それらが基礎とする刑法理論は、現代でも用いられている日本国の刑法と大きく異なるところは無い。

しかしながら、いかに実体法である刑法が素晴らしくとも、それを実際に裁判において個々の犯罪・被告人に対し適用する手続きがずさんであったならば、その内実は有名無実のものとなるか、さらには内容が実質的に書き換えられてしまう恐れがある。今回は刑罰の内容を記載した陸海軍刑法などのような「実体法」ではなく、裁判の運用方法を示す「手続法」である陸軍軍法会議法、それに基づき運用された陸軍軍法会議において、どのように司法権は脅かされたのかを見てみたい。(5頁)

Oh! What A Lovely War! 「素晴らしき戦争」 ─早大戦史研 Diplomacy部 AAR─ /早稲田大学戦史研究会 Diplomacy部

早稲田大学戦史研究会では会内非公式活動ではありますがボードゲーム Diplomacy が開催されています。Diplomacy とは 1954 年にアメリカの郵便局員アラン・B・カマーが考案した第一次世界大戦シミュレーションゲームで、7 人のプレーヤーがそれぞれイギリス・フランス・ドイツ・イタリア・オーストリア・ロシア・トルコを指導しヨーロッパ世界の覇権を争うというものです。ここではゲームのルールの説明などは省きますが、半世紀近く全世界でプレイされていることからもわかるように、大変奥の深いゲームとなっています。

今回は 2016 年 3 月 6 日から翌日にかけて行われた、戦争への飽くなき欲望に身体を侵蝕された早大戦史研会員(OB1 名含む)らの権謀術数渦巻く戦争を紹介させて頂きます。

使用 Variant:Classic Milan/使用ウェブサイト:vDiplomacy <http://vdiplomacy.net/>/使用シミュレータ:jDip Ver.1.7

(執筆:マキノ猶弐朗/11頁)

序文 /マキノ猶弐朗

発行に際して /あさはらしょうこ

編集後記 /rusian_n ・星北

製作 早稲田大学戦史研究会烽火編集局

編集主任 /あさはらしょうこ

編集員 /rusian_n・星北・マキノ猶弐朗