・ワイルドウイリーとの出会い

ワイルドウイリスとの最初の出会いは、近所の商店街にある模型店のショーケースでした。とにかく一目箱絵をみた瞬間から、ものすごいインパクトを受け、ほしくて、ほしくて、ほしくて、もう、ほしくてたまらない日々を過ごすことになりました。当時、コロコロコミック(児童向けの漫画雑誌)で、「ラジコンボーイ」という漫画が連載されており、漫画を見たのが先か、現物を見たのが先か忘れてしまいましたが、とにかく何とかして手に入らないものかと、小学生ながらに悩む日々を過ごしていたのです。

当時、模型のラジコンは大変高価で、セットで買うと3万数千円もしたため、とてもいち小学生が買うことができる値段ではありませんでした。

もう、小学生としてはお年玉位しか買う方法が無かったわけですが、そのお年玉も、もらった額の半分しか使えない約束だったため、毎年のお年玉の額からしても、足りないことがわかっていました。

そして、もんもんとする日々を過ごしていたところ、あるとき、チャンスが巡ってきました。

ある時、あまりに「ワイルド・ウイリスがほしいほしい」としつこくいっていた私を見かねて、オヤジが「そんなにほしいなら今度の通信簿の成績で『よくできる』が5個以上あったらクリスマスに買ってやる」と言う約束を取り付けました。

いま考えるとおやじの気まぐれと、自分自身も興味があってそのようなことを言い出したような気もするのですが、とにかく一つのチャンスを得ました。

念のために説明すると、私が当時通っていた地域の小学校では通信簿が三段階評価になっており、『よくできる』は五段階評価で言えば4~5にあたります。普通に小学生生活を送っていれば、よくできる評価5個の獲得は当たり前のようにできるはずなのですが、当時の私は力のかぎり遊びに重点をおいて小学生生活を送っていましたので(笑)、三段階評価を知ってる方からすると、なんて簡単な目標なんだと思われると思うのですが、その当時の、新任で女性の担任の先生をからかうことと、日々のいたずらでいかにおもしろく過ごすかを日課にしていた私としては、冷静に考えると大変なことになったと思いました…。

それからが大変でした。新任の女性担任だったため、ナメきっていて、いたずらの限りを尽くしていました…。

当然先生の心象、評価は良いとは思えません。

でも、ワイルド・ウイリスを手に入れるには、その先生に評価をしてもらい、よくできる評価を確実に5つ以上もらわなければなりません。

何よりもほしいワイルド・ウイリスを手に入れるためには、何でもする覚悟だったので、オヤジに言い渡された翌日以降、いたずらっ子を完全に封印し、先生の私に対する評価を少しでも上げるための過ごし方に切り替えました。

これには新任教師のS先生も驚き、いつも私たちを怒っていたので、やっと改心したのかととも思っていたようですが、あまりの急な変化に気味悪いともつぷやいていたのを覚えています…(苦笑)。

どんなことがあっても二学期中は耐え、担任の評価を少しでも上げ、二学期の終了時には、通信簿のよくできる評価を5個獲得しなければなりません。

一つ救いだったのは私は手先がかなり器用で、図画工作だけは自信があり成績も高く評価されていたのです。

でもそれ以外の教科は国語を除いて、全く興味も関心もなく、惨憺たる状況でした。なので、図画工作と国語を中心に評価を獲得し残りをどうするかという作戦を考えていました。そして戦いの日々を過ごすことになったのです。

~数カ月が経過し~

そしてそのような子供なりの努力の日々が終わり、二学期末の終業式がやって来ました。

運命の日です。

通信簿をドキドキしながら受け取り席に戻りました。

多分なかり緊張した様子だったと思います。

そして、そぉ~っと、そぉ~っと通信簿を開きました。

上から順番によくできる欄を見ていきます。

そして数えました。

何度も数えました。

ありました。

5個あったのです。

「よっしゃ~、やったでー!!」

多分、クラスメートには何の事だかさっぱりだったとおもいます。私が成績に執着する人間で無いことは当然知っていましたし、余程良い成績?でもとったのか…、でも特にテストの成績が良いわけでもないし…?????

その時は周りの様子も全く関係ありませんでした。

とにかく、やった。

10才の子どもながら達成感がありました。

説明が長くなってしまったのですが、このようなことまで鮮明に覚えていますので、この点からも私のワイルドウイリーに対する思い入れを感じてもらえるのではないかと思います。

そして後日、近所で繁盛していた模型店にオヤジとワイルドウイリーを買いにいったわけですが、そこでもちよっとした事件が発生しました。

模型店には私とオヤジ、そして付いて行きたいと言い出した弟と三人でいったのですが、私がワイルド・ウイリスをみて、バッテリーはこれ、プロポは三和ニューダッシュS、などと選んでいると、弟が「僕もほしい…」と言い出したのです!

当初ワイルド・ウイリーを弟と二人で遊ぶ約束での購入だったのですが、模型店でいろいろなRCの箱絵を眺めているうちに、当然のことながら欲しくなったようでした。

オヤジも最初はそれは無理だといっていたのですが、弟のしょぼくれた姿をかわいそうに思ったのか、「じゃあ、お前も選べ」とオヤジが言いました。

私は一瞬耳を疑い、びっくりしました。そしてなんとも釈然としない気持ちになりました…。

私はこの数ヶ月、ワイルド・ウイリスを手に入れるために、考え、子供なり神経を使い努力をしてきました。(あくまで子供なりにですが…)

弟はたまたま着いてきて棚ぼたでラジコンをゲットしたのです。

弟は当時新発売だった「スバルブラッド」を選びました。小学校二年生でトイラジではなく模型タイプのラジコンですから、今考えても羨ましい話だと思います。

まあ、結局は2台で走らせることができたため、楽しめてよかったのですが(笑)。

今考えると、1983年当時はまだ日本の景気も良く、家計にも余裕があったのだと思います。オヤジも思いつきで買えるだけの余裕があったのだと思います。もちろん関西の人間なので、二台購入ということで、かなり値切っていましたが…。

なにはともあれ、めでたくワイルド・ウイリスをなんとか手に入れることができたのでした。