地盤系学生の日米比較

地盤系学生の日米比較 (土と基礎,地盤工学会,寄稿)

1. はじめに

ヨーロッパ旅行で感じた自由の風に憧れて,1997年3月修士課程修了後,ロサンゼルスの南カリフォルニア大学(University of Southern California, USC)へ留学を決意しました.今思えば欧と米の社会環境はかなり違いますが,当時はアメリカに行ったことがなく,単純に両者は同じようなものだと思っていました.1997年9月初旬に指導教授と面会し,Teaching Assistant (TA)として,週明けに始まる秋学期から4回生向けの土質力学の補講担当を告げられました.週2回,1回3時間の講義,しかも英語.これは大変なことになったと思いながらも,ここまで来たんだからやってやれないことはないという気持ちで受け入れました.最初の9ヶ月間は研究そっちのけで必死で講義の準備をしましたが,今思えば貴重な経験でした.以下では,私の経験した狭い範囲で,日米の学生気質について述べます.したがって,「アメリカの学生」というときには「土質力学を受講した私の接した学生」という意味で捉えてください.

2. アメリカの学生

1997年9月から2000年5月まで土質力学の補講と土質実験のTAとして多くの学生と接する機会がありましたが,彼らについてまず感じたのは,こちらの質問に対する返答の仕方や,授業中の態度などは日本の学生と全く同じということです.私自身が鈍感なので,感受性の高い方ならぜんぜん違うと感じるかもしれません.しかし,こう感じることができたので,特に意識することなく接することができたように思います.ただし,出身国の多様性と,学生個人の育ってきた背景については,日本とはまったく違うと感じました.出身国の多様性については,いわゆるアメリカ社会そのものといった感じですが,興味深いのは,学生個人の育ってきた環境が日本とは比較にならないくらいバラエティーに富んでいるということです.例えば,軍からの奨学金で大学に来ている学生が何人かいましたが,卒業後は軍人として働くことが決まっていました.当時は中東との関係が悪化しつつあり,彼らも卒業後は戦地に赴くことになるかも知れないと思うと,戦争というものが身近に感じられ緊張しました.またアメリカ原住民の学生は,実家がアリゾナのフェニックスから500km以上はなれた砂漠の中にあり,親が車でフェニックスまで迎えに来てくれるのですが,毎回帰省するのが大変だと言っていました.その他には,ベビーカーに乗せた赤ん坊と一緒に授業を受ける学生や,18歳で大学4年という秀才,ハワイ出身の日系4世の学生がかなり多いなど,さまざまな背景をもった学生がひとつの教室に集まっていました.

アメリカの学生は良く勉強すると言われますが,どちらかといえば勉強させられています.授業ごとの宿題の量が多く,それらをきちんと提出しなければ成績に直接響いてきます.就職の際,学業成績(GPA)が重要視されていることもあり,学期中ほとんどの学生はまじめに勉強しています.また成績優秀な学生は全学規模で表彰され,学内の新聞にリストアップされます.このリストに載ることは名誉なことです.もちろん勉強しない学生もいて,いかに楽に単位を取るかを考えています.しかし,レポートなどを他人のコピーで済まそうとして,それが見つかると盗作(plagiarism)となり,ひどい場合には放校になります.私がTAをしていたときにも明らかに他人のレポートをコピーしていたので呼び出したところ,自分はコピーなどしていない,すでに副学長に訴えたと言ってきました.しかし,指導教授は譲らず,関わった学生全員零点としました.私自身それは厳しすぎると思ったのですが,オリジナリティは尊重しなければならないと教えることも大事だと思います.

TAは平日の自分で指定した時間にTA Roomと呼ばれる部屋で待機し,質問に来る学生を待ちます.積極的な学生はあの手この手で宿題の答えを聞きだそうとしますが,こちらはその手には乗りません.先にも書いたように学業成績の重みが大きいので,一部の学生に有利に取り計らうわけにはいきません.学期の終わりには授業を担当した教員だけでなく,その授業のTAに対する評価もあり,評価がよければ賞金と事務室のプレートに名前が刻まれるという栄誉が与えられます.私も運よく表彰されたことがありましたが,このことで,学内の狭い社会ではありますが,そこに受け入れられたと感じることができ,後の学業生活にとって大きな励みになりました.

研究室に机を与えられるのは博士課程の学生のみで,同じ研究室には,イギリス,レバノン,中国,韓国,ニュージーランド,クウェートなど様々な国からの学生がいました.たまたまその人がそうだったのか,一般のイギリス人の仕事の仕方がそうなのかはわかりませんが,普段は朝10時ごろから夕方5時ごろまでしか研究室にいないのに,指導教授との打合せとなると,論文の英語の間違いだけでなく中身についてもきちんとコメントをつけたものを持ってきました.短い時間で集中して仕事をする人間をそのとき初めて見ましたが,それ以降自分も見習うことにしました.

3. 帰国後

2002年9月に帰国しましたが,その後,日本の建設産業の衰退,地盤工学会の会員数の減少などが問題になっています.目を海外に向ければ大きな市場があり,そこに打って出る技術力は十分あるのに言葉や習慣の壁があるため尻込みしているように見受けられます.帰国後すぐに修士課程時代の恩師から「日本語の論文にはいい論文がたくさんある」と伺いました.確かに,研究発表会などで発表される成果には完成度の高いものが多いと思います.一方,海外の学会などで発表されるものの中には,すでに日本では常識になっているようなことなのに「なぜ今さら」と感じられるものも散見されます.これまではこのようにして日本市場が守られてきたのかもしれませんが,今後国内市場が小さくなってゆく中で,それをみんなで分けることはできなくなってきます.だから建設分野には未来はないと撤退するか,それとも目を外に向けて楽観的に考えるかは,この分野に属する人々,特に学生にとっては後々大きな違いになってきます.学生の中には将来大きなものを作りたいと思って土木建築分野に進んだものの,日本市場が縮小傾向にあるので,就職先を変えようとしている方もいるかも知れません.これは非常に残念なことです.これからは,世界に討って出られない企業には学生は集まらないのではないかと思います.

USCの学生で優秀な者は,大手のコンサルタント会社に就職する者が比較的多くいました.アメリカでは個人としてのコンサルタントの責任が大きく,その分地位が高く,実力があれば起業できる環境にあるようです.

4. 将来迷っている学生へ

私が修士課程に入学したとき,恩師いわく「大学院の2年間で専門家になれる.なにも勉強しなければそれは雲泥の差になる」と言われました.今土木系の学生で将来を不安に思っている学生はかなりいると思います.そのような学生には,「まず,自分に実力をつけてから心配せよ」と言いたい.ここでいう実力とは,専門分野に関する知識や語学力,他人がまねのできない経験などです.学生時代には与えられたテーマに興味を持ち,その分野の専門家になるつもりで真剣に取組む必要があると思います.

最近の日本の建設業界は元気がないといわれていますが,真の底力は間違いなく世界トップレベルにあります.後はどう討って出るかですが,これにはこれまでとは違う能力や考え方を持った人が必要になるはずです.ピンチは翻ってチャンスだと考えればいまは大きなチャンスの時だと思います.しかし,自分に実力をつけた者が,必ずしも日本の建設会社に就職する必要はありません.世界を見ればまだまだインフラ整備の行き届いていない地域があります.条件次第では世界を市場にしている海外の大手建設会社に就職することも考えてもいいのかもしれません.