2004.05.14対馬島を問題化しよう! (ヤフー!コリアニュース)

2004.05.14対馬島を問題化しよう! (ヤフー!コリアニュース)

「壬辰倭乱(文祿の役)当時、豊臣秀吉の部下が描いた韓国地図(八道総図)を見ると、対馬島は厳格に朝鮮の領土だと表記されています。 日本人自らも対馬島を韓国領土だと認めていたわけです。」 韓国と日本の間に置かれた孤独な島、対馬島を取り戻すための学界の主張が相次いでいる。 一部の市民団体でも「対馬島取り戻し」のために本格的に乗り出したという態勢だ。

最近、圓光大学 史学科のナ・ジョンウ教授(57)は、対馬島が韓国領土であったという歴史的史料を提示して「対馬島回復論」を繰り広げている。 思い出したように炸裂する韓日の領土紛争で有利な立場を取りたければ、今のように守勢的立場ばかり取るべきではなく、もう少し積極的に我々の権利を主張すべきだという趣旨だ。

ナ教授が自身の論理を後押しする根拠として最も前面に押し出しているのは1085年の高麗史の記録。 彼は「当時の〈高麗史〉を見ると『対馬島の勾当官』という呼称が出てくるが、勾当官あるいは勾当使とは辺方や海上の要衝地に送られた高麗時代の官職の名前」だと説明した。

歴史的にも領有権の根拠が多く、1368年の〈高麗史〉の「対馬島の万戸が特産物を捧げた」という場面で登場する「万戸」という呼称もやはり高麗時代の官職の名前だったとナ教授は付け加えた。 彼は対馬島が我々の領土であったという根拠を〈高麗史〉だけでなく〈朝鮮王朝実録〉にも求めている。

「朝鮮初期(1420年)の対馬島征伐以後に朝鮮から対馬島主に送った教旨を見ると、『対馬島は慶尚道に隷属したので全ての報告や問い合わせは本道の観察 使に上げるようにしろ』という場面が出てきます。 以後、朝鮮から敬差使・体察使・宣諭使など、辺方に送る官吏が対馬島に派遣されました。」 このように対馬島が我々の領土であったという歴史的根拠が多いのに、学界で研究を十分にしていないというのがナ教授の不満だ。 彼は「日本はいち早く対馬島を研究して自分たちの論理を開発したが、我々はせいぜい独島問題が大きくなったときに単発的に問題提起する水準」だと指摘した 後、「今からでも対馬島の歴史・言語・風習・自然等に関する体系的で総合的な研究が必要だ」と述べた。

「独島守り」で高い人気を得た「独島有人島化国民運動本部」のファン・ベッキョン氏(57)は、100年後に対馬島全域にムクゲを花咲かせるという目標に向かって走っている。 ファン氏は独島問題が再び大きくなった5月4日にも静かに対馬島を訪問した。 対馬島の「韓国展望台」にムクゲの木を植えるためだった。

「2年前から対馬島のあちこちにムクゲの種を蒔いてきましたが、今回は直接約30株の木を植えてきました。 来たる7月4日に開かれる予定の『対馬島国境マラソン大会』の直前にも再び『ムクゲ植え作戦』を繰り広げる予定です。」学界の対馬島研究が『対馬島回復』 の理論的土台を提供する次元だとすれば、ファン氏の「ムクゲ植え作戦」は多少無茶だが、もう少し実践的な方法であるわけだ。

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