ミカヅキモを探しに世界をまわる

僕は天然のミカヅキモを採集するために、フィールドワークを行なっている。すると「いったいなぜ?何のために?」と尋ねられる。生物の進化を研究するためだったりと目的は色々あるが、解答としては「面白い」、これに集約できるのではないだろうか。正直なところ、この理由が一番大きい。

みなさんは「ミカヅキモ」という生き物をご存知だろうか。生物の教科書などで一度は見たことのある三日月型の「藻」のことだ。キャッチーな名称なので記憶している人も多いだろう。

僕は天然のミカヅキモを採集している。目的は、生物の進化を研究するためだ。日本各地はもちろんのこと、世界中の湖や水田にミカヅキモを採りに出かけている。今回はこの話をしてみようと思う。

ミカヅキモとは?

ミカヅキモは、陸上植物にもっとも近い単細胞生物である。彼らは、世界中の湖や湿地、水田に生育しており、様々な大きさと形の種類が500種以上も報告されている。1個体につき1細胞と構造が単純なため、ミカヅキモを使えば構造が複雑な多細胞植物では出来ない実験や研究ができる。

実はこのミカヅキモには雄と雌がいる(正確には+、−と呼ぶがまあ良いだろう)。この雌と雄、通常は分裂を繰り返して増殖している。しかし、栄養が無くなるなどして生活環境が悪化すると、雌雄が互いに見つけあい融合する。こうして「接合子」と呼ばれる植物の種子のような状態になるのである。固い殻で自分を守りながら休眠し、環境が良くなると、接合子からミカヅキモが発芽する。

どんな研究?

このミカヅキモ、太古は一種類だったわけだが、長い年月をかけて、色々な形や大きさの種類に進化してきた。僕が見ているいまの形になるまで具体的に何が起きたのか不思議に思う。しかし、この疑問に答えてくれる人は世界中のどこにもいない。だから答えを知るために研究をしているのである。

生物がこのように進化する最初の一歩は、2つのグループの間で完全に交流がとだえることである。そこで僕はミカヅキモの性フェロモンに注目することにした。。

ここで「性フェロモン」について説明しよう。性フェロモンはタンパク質の一種だ。ミカヅキモは口や耳を使ってコミュニケーションをとることができない。そんな彼らの、唯一ともいえる会話手段が性フェロモンなのだ。雄と雌がお互いにこの性フェロモンを出し合い、それを受けることで認識しあっている。

つまり、あるミカヅキモが2つの異なるグループに進化するときに、雌雄の出逢いを導くこの性フェロモンが大きく関わっていると考えたのである。このような雌雄のコミュニケーションを司る物質は植物ではほとんど発見されていない。解析が進めば、ミカヅキモを通して生物が進化する普遍的な仕組みが理解できる!と期待している。

なぜフィールドに出たのか

いざ研究を!と勇んだが、すぐに結果は出なかった。なぜなら研究遂行には色々な地域のミカヅキモを集めて、性フェロモンの遺伝子を解析する必要がある。しかし研究室には、藻類学の偉大な先人が40年ほど前に採集し、脈々と維持されてきたミカヅキモが数種類存在するだけだったのである。そのうえ、ミカヅキモの研究者は世界的にも数が少なく、誰かに採ってきてもらうということもできない。最終的に自分で集めるしかないという結論にたどり着いた。

こうして僕は、研究室から踏み出して、フィールドでミカヅキモを採るに至ったのである。

ミカヅキモを採る

意気揚々とフィールドには出てみたものの、やはり右も左も分からない。まずは数十年前にミカヅキモの採集記録のある水田に行ってみた。しかし残念なことに、そこは今では住宅地であった。さらに、当時採集したらしい湖は、日本屈指の汚染率を誇る淀んだ水たまりとなっていた。早速のつまずきである。

それでもめげずに適当な水辺を手当たりしだいにのぞいていくことにした。もちろん、ミカヅキモは肉眼では見えないため、携帯顕微鏡を首から下げてだ。しかし土壌やゴミに埋まって、思うようには見つからない。探索能力のレベルが上がり、緑色に輝くミカヅキモを瞬時に見つけられるようになってきたのは最近のことである。

見つけたミカヅキモは、極細のガラス管を使って直接1細胞だけ単離する。これを容器に移して大事に育てるのである。採集した水が腐ってしまうのを避けるため、長期滞在している場合は旅先でもこの作業を行う。昼間は採集、夜は単離の繰り返しで休む暇もないほどだ。大変ではあるが、こうして集めてきたミカヅキモへの愛着はかなりのもので、目に入れたって痛くは無いだろう。

こうして僕は多難なフィールドに迷い出たわけだが、そこはとにかく新鮮で刺激的で示唆に富んでいた。研究室の中のミカヅキモしか知らなかった僕は、初めて彼らの生育する姿を知り、まだ見ぬ一面があることを予感した。ミカヅキモを観たい、採りたいと、何度もフィールドに出ることで採集も上達し、今では色々な場所に足を伸ばしている。

実験室に持ち帰る

採集したミカヅキモは実験室に持ち帰る。DNAを抽出したり、性フェロモン遺伝子などを解析したところ、それぞれのグループが独自の性フェロモンを使ってコミュニケーションを行なっていることがわかってきた。 最初に立てた予想通り、グループごとに性フェロモンが変化していくことで、グループ間の交流が失われていくと考えて間違いないようだ。こうして、別々の方向に進化するのだろう。もっとミカヅキモを集めることが出来れば詳細もわかるはずだ。

そんなわけでミカヅキモ採集は終わらない。それにフィールドにはまだまだ不思議なミカヅキモがいるのである。

水田のミカヅキモ

例えばミカヅキモは水田に多く生育している。これは少し考えてみると不思議なことだ。水田は毎年水が枯れるため、乾燥に弱いミカヅキモには過酷な環境となるのである。では、どのように生き抜いているのだろうか。早速水田のミカヅキモを採りに行き、実験室に持ち帰った。

今までのミカヅキモは雄と雌が融合して接合子を作る。一方、水田に生息しているミカヅキモは、面白い生態をしていた。水が無くなり始めると、細胞が分裂。その分裂直後の細胞が寄り添い、接合子を作ったのだ。つまり、自分が分裂して分裂後の自分同士で接合子を作ったのである。この接合子は乾燥に耐えることができる。そこに水が加わると、接合子からミカヅキモが発芽する。こうして水田を生き抜いているのである。

図。水田から採集されたミカヅキモの接合。1つの細胞(A)が分裂し(B)、スライドして寄り添う(C)。お互いを認 識し合い(D)、細胞が融合し(E)、乾燥に強い接合子を形成する(F)。

水田で生きるために...

湖には雌雄を持つミカヅキモが多いので、この種類は相手を見つけるよりも、直ちに自分と接合することで、水田のような過酷な環境に適応しているのだろう。しかし接合子から発芽するのは子孫ではなく自分である。極限環境で生きることを選択し、「子供」をつくることを止めたミカヅキモ。どうやって進化してきたのだろう。そして彼らはこれからどうなっていくのだろう、などと思いを馳せている。

フィールドに出かけることで、ミカヅキモがどのように生育しているのかを知ることができた。ようやく生物としてのミカヅキモと向き合えたのだと思っている。そしてフィールドに出れば出るほど不思議が見つかり、更に研究したいことも現れてきた。このように、僕はフィールドワークを始めることで、新しい視点を得たのかもしれない。

フィールドにはまだまだ持ち帰って調べたい不思議なミカヅキモが沢山いる。僕は今後もミカヅキモを採りにフィールドワークを続けるだろう。

(2011/1、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研「Field+(フィールドプラス)No.5」に掲載