(1)この著作物は、豊後系浄瑠璃の一流派である、常磐津節の伝承実態を網羅的に調査し、その情報を集約したものである。
(2)調査は、以下のような目的によって実施した。
・現行される常磐津節の曲目とその数を把握する。
・上演頻度の低い曲目の上演事例を記録する。
・特定の曲目にみられる改曲および復曲の経緯について明らかにする。
・東京以外の関西・名古屋で独自の伝承経路を持った曲目について考察する。
・作曲年や作曲者に関する通説の不備を指摘する。
(3)この著作物は、科学研究費助成事業による成果(2010~2012年度、詳細別掲)を主とし、日本伝統音楽研究センターにおける個人研究の成果(2004年度~現在)、その他の個人研究の成果(2003年度以前)を総合して作成した。
(4)調査に際しては、常磐津節保存会、常磐津協会、(一社)関西常磐津協会に所属される多くの実演家より、貴重な助言をいただいた。
(5)科学研究費助成事業による成果の概要は、以下の通りである(科研費研究成果報告書 https://kaken.nii.ac.jp/pdf/2012/seika/C-19_1/24301/22520144seika.pdf より転載)。
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(平成25年5月31日現在)
1.研究開始当初の背景
(1)豊後系浄瑠璃は、宮古路豊後掾(享保から元文頃に活躍した浄瑠璃太夫)の系統をひく浄瑠璃の種目(流派)の総称である。今なお、常磐津節・清元節・新内節などが現行されており、あわせて数百曲もの伝承曲(現行曲)が、種目(流派)ごとの実演家によって継承されている。
しかしながら、各種目においてどのような曲目が伝承(現行)されているのか、つまり、曲目ごとの伝承実態を知りたいと思ったとき、そのすべてが一覧できるような資料は、これまで存在したことがなかった。
(2)例えば、平凡社『日本音楽大事典』(1989年)の巻末付表に、種目ごとの「主要現行曲目一覧」が掲載されているが、「主要」な曲目に絞って編集されたため、ここに掲載されていない伝承曲が膨大に存在している。また、「主要」とは言いがたい曲目が散見される、復曲された曲目の経緯について注釈がないといった問題点も含め、情報の出所や精度について再検証が必要である。
このほか、各種の文書類・研究書・事典・概説書・雑誌等の記述によって、伝承実態についての手がかりが得られる場合があるが、情報の精度や量のばらつきが多いので、多くの文献を博捜した上で情報を比較検討して考証を重ねなければならない。
(3)一方、実演家側の立場から、種目ごとの現行曲がすべてリストアップされるような機会や機運も、ほとんどなかった。その理由として、次のようなことが考えられる。
① 豊後系浄瑠璃の流派においては家元が存在し、職業演奏家の認定(師範状発行)、門弟の支援、社会的働きかけ等を行うための組織として一定の役割を果たしてきた。ただし、能楽や地歌などの場合と違って、家元がすべての伝承曲目を把握したり管理したりするといった発想や行動はあまり発達しなかった。
② とくに常磐津や清元では、歌舞伎興行に即して毎月のように新作・改作が生まれた反面、再演・伝承されずに失われた曲目も多かった。曲目の誕生と淘汰の変動が常に生じていたので、現行曲の把握やリストアップは困難であった。
③ 現在、実演される機会の非常に少ない曲目(稀曲)も多々存在する。こうした曲目は、実演者間で情報が共有される機会も少なくなり、実演者の記憶から遠ざかりやすい。また、実演者にとって不確かな要素の強い稀曲を含めた現行曲の網羅的リストアップは、実演者にとってもたいへん困難な作業である。
2.研究の目的
(1)本研究は、豊後系浄瑠璃について、曲目ごとの伝承レベル(上演頻度、盛衰の概況)を調査し、その伝承実態を明らかにすることを目的とする。
(2)調査対象は、現行される豊後系浄瑠璃としては最古の種目であり、伝承曲数が最も多いとみられる〈常磐津節〉から着手する。なお、研究初年度において、常磐津節の基礎的調査に想定以上の時間がかかったため、それ以外の種目(富本節、清元節、新内節等)については、予備調査に留めることとした。
(3)伝承実態の網羅的把握は、研究者だけでなく、伝承曲の正しい保存や新たな復活を行おうとする、実演者や公演制作者の側からも要請されている。そうした伝承・実演の現場にも役立つような、わかりやすく使いやすい成果物をウェブサイト上で提供することを目指す。
3.研究の方法
(1)常磐津節の曲目を網羅的に収集整理し、曲目ごとに次のような伝承のレベルを調査する。
① 初演時から継続的に伝承されている。
② 初演時から継続的に伝承されているが、のちに意図的な変更が加えられている(改曲)。
③ 伝承が途絶し、途絶以前の資料(音源、楽譜、常磐津正本、口伝情報等)をもとに復元・創作されている(復曲)。
④ 近年の伝承事例が極めて少なく、かなり限定的に伝承され、将来は衰滅の可能性が高いと考えられる(稀曲)。
⑤ 伝承が途絶している(廃曲)。
(2)前項②③④に該当する曲目および事象を重点的に精査する。伝承に関わる要点をデータベース中に記述する。とくに、通説と異なる点、初めて明らかになった点はわかりやすく明記する。
(3)曲目および伝承の調査において参照した書伝情報・口伝情報・メディア情報を整理し、伝承実態の確認に際し重要なものを取捨選択してデータベース中に記述する。
① 主な書伝情報:上演記録類・上演時の印刷物(番付・パンフレット等)・随筆類・常磐津正本(稽古本)、番付、研究論文、雑誌記事等。
② 主な口伝情報:実演者等への取材によって得られた情報・インタビュー記事など芸談の類。なお、取材を行う実演家は、常磐津節保存会会員(重要無形文化財認定の伝承者により構成)、常磐津協会正会員、(社)関西常磐津協会正会員より、芸歴の長い10名程度を対象とする。
③ メディア情報:レコード・放送・録音物等。
(4)データベースから必要な情報を抽出し、見やすい形式に整えてウェブサイトで公開する。
4.研究成果
(1)現在における常磐津節の伝承曲(現行曲)の曲目数を、できる限り明確に把握した。
① 常磐津節は、その創流時(1747年)から戦前(1945年)までの約200年の間に、約700~800曲目が作られているとみられるが、そのうち、今なお伝承されている曲目は、約250曲であることがわかった。
② 従来、伝承曲目の目安として利用されてきた平凡社『日本音楽大事典』巻末「常磐津節主要現行曲目一覧」の掲載数は106曲(昭和元年まで)であるが、「主要」とは認め難い、上演頻度がきわめて低い曲が約10曲、伝承実態の確認できない曲が約10曲含まれていることを確認した。
③ 常磐津節の稽古本目録として出版された『常磐種』嘉永2(1849)年本には、約450の曲目が列挙されている。掲載曲のすべてが当時伝承されていたとは考えにくいが、創流から約100年後において、当時の家元が存在を確認していた曲目を列挙したものとして、一つの目安になる。
(2)上演頻度がきわめて極めて低く、将来の伝承が危ぶまれる曲目(稀曲)を多数確認した。
① 現役の実演家による伝承例、あるいは戦後の伝承例が、1~2例しか見当たらない曲目については、とくに念入りに伝承事例を探すようにつとめ、データベース中に記録したが、引き続き、より広範な継続的調査が必要である。
② 現役の伝承者からの聞き取り調査により、稀曲の継承に際しては、昔の譜本やそれを使った時の記憶を大切にすること、段階を踏んで伝承を確かなものにしていくこと、門弟の支援やよりよい公演の場、等が必要とされることがわかった。委細は〔雑誌論文①〕に報告した。
(3)初演後に意図的な改変が加えられたものが伝承している事例(改曲)、伝承が途絶えた後に復活した事例(復曲)を明らかにした。
近年の主要例は〔雑誌論文①〕に提示し、委細はデータベースに記述したが、まだ調査が十分ではない曲目が多いので、引き続き補訂を重ねる必要がある。
(4)曲目ごとの常磐津稽古本の出版動向に基づき、伝承の盛衰の状況を考察した。
① 常磐津節の普及、稽古の便宜をはかるために出版された常磐津稽古本は、その存在自体が、伝承実態を裏付ける資料であるといえる。常磐津稽古本は、戦後に至るまで版行されたので、とくに幕末から近代における伝承状況を把握するために有用である。
② 出版動向の調査については、本研究に着手する以前より研究代表者が構築し、約3000書目を登録している、常磐津正本・稽古本データベースを活用し、伝承頻度の低い曲目を中心に書誌的情報を洗い直した。
(5)地域的な特徴のある伝承事例を明らかにした。
① 常磐津節は江戸・東京を中心に展開したが、文政期頃より名古屋にも広まり、幕末から明治にかけて名古屋独自の作品も作られ、名古屋版の稽古本が出版されるほど盛況した。名古屋の動向については主として安田文吉氏の先行研究を参照し、江戸・東京とは異なる名古屋での伝承実態についても補足した。
② 近代の関西における上演記録と、現在の関西での伝承曲を比較すると、かつて名古屋で作られた曲が現在、東京圏よりも関西圏において比較的よく残っていることが判明した。その原因は、幾人かの伝承者が、名古屋と関西を拠点に活動していたことによると考えられる。
(6)伝承曲の成立年(作曲、初演)に関する通説の不備を改めた。
① 成立年の考証に際しては、常磐津正本・稽古本の書誌データを見直すことから進めた。通説の訂正に際しては、誤りとみられる記事の初出や原因も詳しく考察し、あわせてデータベース中に記述した。
② 概して、古い一般向けの解説書において、伝聞等に基づいた根拠の裏付けが十分でない説が、安易に記述されたり、無批判に引用を繰り返されたりする事例が少なくないことがわかった。
(7)作曲者に関する通説の不備を改めた。
研究代表者は、本研究と並行して、2011年度より、「常磐津節演奏者の芸歴に関する調査」(文化庁補助事業、常磐津節保存会)を進めている。本研究の成果を、同報告書〔図書①③〕における演奏者(作曲者)の経歴調査にも活用した。
5.主な発表論文等
〔雑誌論文〕(計2件)
① 竹内有一 「邦楽・邦舞にみる復活・復曲」『楽劇学』、査読有、18号、2011年、59-66頁
② 竹内有一 「常磐津「月」」『日本舞踊』、査読無、63巻5号、2011年、24-26頁
〔学会発表〕(計3件)
① 竹内有一 「邦楽・邦舞にみる復活・復曲」、楽劇学会、2011年7月18日、国立能楽堂
〔図書〕(計4件)
① 竹内有一編著、常磐津節保存会、『常磐津節演奏者名鑑 第1巻』、2012年、114頁
② (社)伝統歌舞伎保存会編、同会、『平成24年版 歌舞伎に携わる演奏家名鑑』、2012年、22-28頁
③ 竹内有一編著、常磐津節保存会、『常磐津節演奏者名鑑 第2巻』、2013年、110頁
〔その他〕
ホームページ
① (関連資料の公開) 竹内有一、「町田嘉章草稿『常磐津演奏家芸歴列伝』―解題と影印―」、2012年
② (調査データおよび成果の公開) 竹内有一、「常磐津節現行曲調査一覧」、2013年
http://jupiter.kcua.ac.jp/jtm/archives/index.html
6.研究組織
(1)研究代表者
竹内 有一(TAKEUCHI YUUICHI)
京都市立芸術大学・日本伝統音楽研究センター・准教授
研究者番号:60381927