田宮流居合術・元和会は、表の巻十一本、奥伝・虎乱の巻十四本の型の稽古を通して、精神と技術の修練による豊かな人格の形成を重んじます。当道場では、基本の型の稽古を繰り返すことで、型を正確に覚え美しい演武ができるように指導します。
初心の方には、基本の五本を徹底的に稽古して頂き、技術の進歩に応じて一級、初段、二段と進んでいただきます。昇級、昇段に興味のない方でも、型の稽古を通して田宮流・元和会の美しい居合の技を身につけられることにより、日々の生活における自信と喜びが生まれてくると思います。 上杉一美元剛 道場長
1. 居合
居合は、敵の不意の攻撃に対し、間をおくことなく、その攻撃に応じて、歩行・正座等の状態から我が身を防衛する所作である。
① 不意ということ
居合では抜刀の構えの間がない。剣術においては、通常一定の距離をおいて抜刀し構え、その後切り付ける。居合と剣術が異なる点である。
② 攻撃
攻撃の程度・段階では、稲妻のように敵が既に抜刀しておれば敵に先手をとられたのではなく、とらせたと意識させて(敵の胸中我が掌中にあり)後の先を心がける。押抜のように敵が抜刀していなければ、敵の先手をとることになる、これを先々の先という 。
③ 間をおくことなく
殺気を感じるや、直ちに鯉口・柄に手をかけるのである。新陰流にいう転(まろばし)が参考になる。平板に球を置き平板を動かすと、球は間をおくことなく、傾いた方向に向かって傾けた角度に応じて遅速に転がっていく。障子をあけると、間をおくことなく日影月影が入ってくるのと同じである。
④ その攻撃に応じて
攻撃に応じるためには、敵の存在と動きを連想しなければならない。そのための稽古法として、鏡を利用することを習った。まず、自分が鏡に映った自分を見る。次に、鏡の中の自分が向き合っている自分を見る、これを継続すると実際の自分と鏡の中の自分が一体となり、敵の連想が容易になるという教えであった。しかし、これが難しい。意識しすぎると、体が動かない。これを簡単に理解するならば、例えば意識の中から鏡台の枠を消去して、映っている自分を敵と連想すればいいのだろう。
⑤ 序破急
森羅万象に序破急ありといわれ、抜刀も序破急にすべきものである。序破まではできるだけ当方の太刀筋を読まれないように心がけて、その攻撃である強弱・遅速に合わせ(居合の合である)て抜きかけ、急の段階は切り上げ・袈裟がけ等で決めるとすると、居合がおもしろくなるだろう。
⑥ 歩行・正座等
居合は、戦場で太刀を佩いた(はいた)時期に生まれたと言われている。歩行・立膝(具足を身に付けたときの坐しかた)だけであったと思われる。1637年頃の天草の乱以後は戦はなく、戦場で使われた立膝は忘れられた。武士の社会に正座が定着すると共に、17世紀の後半頃に正座の技が開発され、普及したと考えられる。
⑦ 防衛の奥義不殺の剣
防衛の所作の奥義は、武威・気で敵を圧する不殺の剣である。極めた者は、坐しているだけで敵を圧する。抜きかけただけで圧する。抜き付けただけで圧する。この状態に達するためには、以下の体技心、守破離、看取りげいこ・工夫げいこ・数げいこが不可欠なものとなる。
2. 武道・芸道
古くは、武芸者も芸者と言っていた。居合・茶道・華道・日本舞踊等は共通性を有しているのである。
① 体・技・心(正速強威、要は形より入り、練習を重ね、心を錬ることにある)
イ:体
正しい形であり、静止状態を言い、誰もが同じあることが求められる。例えば稲妻であれば、我と敵とは同じ身長であるので、抜き付けた角度は、誰も同じでなければならない。体は、確定したものでなければならないし、確定した限り形を変えてはならない。従前、3カ条の誓詞を差し入れている。①奥義を極めるまで練習する。②流儀については、親子兄弟といえども他言しない。③これらを破れば八百万(やおよろず)の神々から神罰を受けても異議はない。
居合・剣術においては、形が決まっているため、これを他流に知られれば裏をかかれることになるので、②の誓いとなり、伝書にも詳細を記することなく道場で口伝してきた。どの流儀でも藩内お留流であった。居合においては、敵の動きが詳細ではない。例えば、稲妻であれば、抜き付けられた敵は後退しながらも敵意を持ち続けているが、刀はどのような状態にあるか明確ではなく、2刀目は切り下ろしでよいのか、とすらなってしまう。このようなことは当流だけではない。このように敵の動きが詳ではないために、当方の所作が何通りにも想像されることになり、所作を確定する作業が不可欠になる。いろいろな選択肢があろうが、最適の形を選択して型を決めているはずであるから、決めた限り形は変えることは許されない。習う者の立場から見れば、居合に限らず剣術においても、形が容易に変わるようであれば、一度習った方が後日変更されると思うようになり、稽古に気が入らなくなる。
ロ:技
練習を重ねることで、強弱・遅速・間を会得することである。
・強弱 1つは、一本の技のなかの強の部分と弱の部分を覚えることである。他の1つは、強につき、自己の限界を高め・突き詰めることである。百の強さの演武が求められたときに、百の強さしか持っていなければ、見ていて危ういし、ゆとりがない。百を超えた技の強さを修練し会得しなければならないのである。
・遅速 1つは、一本の技のなかの遅の部分と速の部分を覚えことである。他の1つは、速につき、自己の限界を高め突き詰めることである。百の速さの演武が求められたときに、百の速さしか持っていなければ、見ていて危ういしゆとりがない。百を超えた速さを修練し会得しなければならない。
・間 形を覚えると、動きが円滑になるが、単調に陥りやすい。間を会得するために、師匠と対面、あるいは、師匠の後ろで同時に抜く練習も必要であろう。
ハ:心
心を錬ることであるが、青少年育成風に言えば、人格の形成であろう。14代は武威と表現されている。華道であれば、極貧の生活でも野辺の花をつみ、これを下駄箱の牛乳瓶にさしておく心のゆとり。茶道であれば、お茶くみをいやがらず、飲む人の好みである熱さと濃さに応じて茶をいれ分ける心配りであろう。居合においては、武威・気が備われば、坐しているだけで敵を圧することができるのである。無外流に不殺の剣3本があり、万法帰一刀は、横に抜き付けただけで、敵が恐れをなし、退散する技である。他方、他の流派では抜刀の途中で演武を終え、敵が退散したから止めたのだと説明する例もある。武威・気は、日ごろの死に者狂い思いの練習から生まれるものであろう。
② 守・破・離
イ:守
師匠の教えを体・技・心においてひたすら従い守り、流儀の掟を守ることである。
ロ:破
守を破ることである。長年、守に努めてきても我流に成りがちなもので、我流の中には、自己の短所(師匠の指導で多くは除かれていようが)や長所が含まれており、いわば自己の持っているものを全部出し切っている時期に、破の域に達することがある。この時期にはとにかく我流を破ることが必要になる。そのためには、残っている短所を見つけ出して是正し、さらに自己に無いものを探し出し、これを会得しなければならない。欠点については、例えば剛が強すぎるのものは柔を、柔が強すぎるのものは剛をと反対するものを心がければ足りる。自己に無いものは、身近な師匠・兄弟子・弟弟子、あるいは、講習会時の他の道場の人が持っているので、これを看取りげいこで感得し、工夫して取り込み、数げいこで会得するのである。さらに、自流を少し出て他流を学ぶこともあろう。といっても他流の師匠に師事することではない。いずれにしろ自分を知ることが必要になるのであるが、自分を知ることはむずかしいと言われる。
・ある僧侶は、人の道とは、一生をかけて自分の欠点を正すことであると説いている。
・孫氏の兵法では、次のとおり説いている。敵を知り、己を知らば百戦危うからず(勝つとは言っていない)
・敵を知らずして、己を知らば一勝一敗す。敵を知らず、己を知らざれば、戦うごとに必ず危うしと述べており、自分自身を知ることの重大性と難しさを説いている。このようにして破を終えると守に戻るのであり、いわゆる壁ができるたびに、破・守を繰り返すことになる。
ハ:離
いろいろな解説はあるが、完成を意味する。守・破を繰り返して完成に至るのが離である。
③ 看取りげいこ・工夫げいこ・数げいこ
イ:看取りげいこ
まずは、抜き付け・切り下ろし・納刀の流れを看、次には、抜き付け等を正確に看取り、会得することである。既述のとおり「破」の段階では、自分に無いものを発見する機会であり、道具になる。
ロ:工夫げいこ
会得するために工夫することである。
ハ:数げいこ
継続は力なりである。たとえ稽古日が週1回であっても、1週間は7日あるので、6日は自宅で練習するのである。自宅で、刀を抜く必要はなく、抜いたつもりで正確な練習を重ねれば良いのである。芸道はこのような考え方をするものである。芸道においてはやる気が重要であり、才能がなくてもある程度は上達はできる。チャンピオンを目指すスポーツにおいては才能が求められるが、芸道とは考え方が異なる。
3ー1. 武士道のハード説とソフト説
諸説はあるが、主君に対する忠誠心としてハード説とソフト説がある。
① ハード説
葉隠であり、「武士道といふは死ぬことと見付けたり」あるいは死にもの狂いに活動して死ねば、名誉と家名は保たれるとする。肥前・佐賀藩の藩士・山本常朝(つねとも、1659年生・4代将軍家綱の頃)の談話である。忠臣蔵(1702年 5代将軍)については、2年近くの間に相手が死んだらどうするのか。早い時期に、死にもの狂いで切り込むべしであり泉岳寺で切腹すべしと批判的であった。
② ソフト説
中江藤樹の儒教即士道。武士は支配者であり、身分相応の職分にあって明徳を心がけ、仁義を踏まえて、天下泰平のために尽くす人格を備えなければならないという考え方を中心におている。忠臣蔵においては、死を覚悟しているが、手順を踏み目的達成のために確実な方法を選択することになったのであろう。なお、大石が家老という政治家の立場も影響を与えているのであろう。居合においては、敵は死にもの狂いであろうから、当方も抜刀する限り死にもの狂いの思いでなければ防衛することすらできない。
3-2. 武士道の精神性
① 何時でも死ぬことのできる覚悟をもつこと
正座の技の中に介錯を取りいれた流派がある。介錯は敵対行為ではないが、介錯を取り込んだ論拠は諸説あるが、次のように説明されている例がある。武士は、朝家を出て出仕し、異変がなければ夕方帰宅するが、その間藩主よりいつ何時切腹を命じられかも知れない立場にある。そのため、常に身体・身なりを清潔にしておき、いつでも切腹する覚悟がなければならないという。この覚悟を忘れないために、その流派は介錯の技を取り込んだという。
② 何事においても他人より優れていること(敵に勝つこと) 五輪書
宮本武蔵は、1643年から五輪書を起筆しており、1637~1638年の島原の乱において、武士でない人女性・百姓が命がけで幕府と争ったことを体験しているために、生死をかけるのは武士だけではないと感じたのであろう。
4. 剣術(新陰流・示現流)
新陰流の分類では、新陰流は活人剣(かつにんけん)、示現流は殺人刀(せつにんとう)とする。
① 新陰流
将軍家の指南役であり、禅坊主の智恵を取り込んでいる。転(まろばし)、敵を活かせて切り込ませ、それに対応し、敵の技の尽きたところを切るを基本としている。後の先が基本であろう。
② 示現流
八双の構えより高くした右トンボ、左トンボより斜めに切り下ろす練習を基本としている。近藤勇は、示現流に対しては一刀目を外せばなんとかなると考えて一刀目に注目していた。先の先が基本であろう。
③ 新陰流と示現流
新陰流から見た示現流は、敵の動きを封じこめているところから、示現流を殺人刀と称した。ところが、敵の動きを封じこめようとする示現流は火事場の力持ちになる可能性があり、そうなれば、当方が必ず負けるのでよろしくないと言う。新陰流は既述の武士道のソフト、示現流は既述の武士道のハードに通じるものがある。
柔剛の分類では、新陰流は柔、示現流は剛である。刀を抜く限り剛が基礎で、晩年に柔を取り込めばいいのであろう。
5. 気・剣・体の一致
① 気
陰陽道(おんみょうどう・占いの世界)では、天の気、人の気、地の気といい土地・山は生き物である。気は、集中力であり、小説の話ではあるが、気を充実させると、ハス池の傍に坐していると、ハスがはじける直前の鼓動が坐しているものに伝わるという。それぐらい集中しなさいという意味であろう。人は、燃えたぎるような炎(思い)を持たなければならない。ただし、オブラートで包むようにと習った。難しいのは、炎を燃やし続けることである。気を別の意味で、思いを込める・信じるという意味で理解をしてみると、刀で地球を切れると信じる限り切ることができ、切れないと思ったときから切れなくなるのであり、他方、切ろうと思うな・切られるとも思うな・それらの思いに隙ができるからとも言い、他方無心で切れともいい、無心とは、己の技量を信じて勝つと信じてやまない心とも言う。
② 剣
切るという意味で次の示現流の参考例がある。生麦事件では、英国人を無礼打ちしているが、肩から腰まで切り込んでいたという、小説の話だが、示現流の初代東郷重位宗家は、畳上の将棋(囲碁)板の天元に切り込んだ際、畳を切り抜け、根太まで切り込んでいたという。人様を切るのだから、スーと切れ、犬殺しの切り方は、ダメと教えられたことがあった。スーと切るとは、血が出ないような切り方、犬殺しは血が飛び散るような切り方であろう。若くして前者を目指せば、老人になれば踊りのような弱い居合になってしまうと感じ、犬殺しを目指してきた。犬殺しでも、納刀時に飛び散った血などすべてを鞘に吸いこんで、元の鞘に戻る納刀をすればよいのである。
③ 体
足至る・腰至る・刀至るといわれる。足は前を向き・撞木にならず、腰は丹田に力を入れ、刀は刃筋をとおすことである。これらは、時間的前後を説いているものではなく、同時になすべきものである。
④ 剣体の一致
切り間に入った時、我刀は敵に当たって(切り込んで)いなければならない。当方が切り間に入るということは、敵も切り間に入っているということである。少なくとも、相討ちに持ち込める(互角が通常であるから、相討ちも通常)。切り間に入る前に我刀が敵に当たると、浅手(悪ければ空振り)に終わり、切り間に入ってから抜き付けるのは遅い。
6. 居合道における芸術性・神道性
1~5においては、武道性を強調したが、以下のとおり芸術性・神道性も有しているのである。
① 芸術性
「位の田宮、美の田宮」と言われている。美とは、美しいであるが、無駄がないことであり(無駄は隙である)、誰もが、納得するもの・感激するものである。
② 神道性
居合の形で、天壌無窮(永遠)・世界平和・国家安寧・創生至福・五穀豊穣(米・麦・泡・稗・豆)を念じる例があり、また、15代宗家は、夜嵐の形で、四方払い(天皇陛下は毎日、四方払いをされているとのこと)をされるが、これは、神仏の嫌う不浄を払い・清め・聖地を創る行為であり、あたかもお祓いをする神主の如くであり、観武者はお祓いを受けるが如くである。この観点で、表の巻1~10本の残心に思いを致すと、上段においては天の神様、下段においては地の神様、正眼において不浄・血を払い給えと血振りすることになる。なお、陰陽道では、北東が表鬼門、南西が裏鬼門で、これらの方向から不浄・邪悪が入り込んでくるとされ、京都御所の北東の守りは、北東角に鬼門封じがされ、さらに、比叡山延暦寺が鬼門を封じており、南西の守りは、石清水八幡宮などが鬼門封じとされる。江戸城・皇居においては、北東の守りは、東叡山寛永寺、南西の守りは日枝(ヒエ)神社(比叡が変化したものか)である。
7. 介者剣法と素肌剣法
ここでは、剣法とは剣術と居合とし、介者剣法から素肌剣法=道場剣法に 変遷し、道場剣法の中の道場居合として正座居合が誕生したと説明するものである。
① 介者剣法
介者とは鎧を付けた者であり、介者剣術においては、敵を倒して鎧通を使用することになるが、太刀を使用するときには、武具の隙(関節部分)に切りつけることになり、介者居合においても武具の隙に抜き付けたのであろう。
② 素肌剣法
武具を付けない剣法である。天草の乱から戦(いくさ)がないため、介者剣法はすたれ、素肌剣法が流行する。介者剣術では、両足は、逆のハの形、腰を落とし、敵に対して斜めに構えていたが、素肌剣術では、正対、直立に近づく。また、兜・敵味方識別用の旗指物がなくなるので、上段・八双が深く・大きくなり、切りつける場所に制限がなくなる。このような変化の中で道場で練習が繰り返され、道場剣法になる。当時、道場でやり直す馬鹿がいると非難され(防具が誕生するので、真剣性が減少していくことに対する危惧)、素肌剣術・素肌居合は、介者に対しては無力ともいうべきものであるから、介者剣法からは、畳水練と非難されたかも知れない。そのような素肌居合・道場居合の中で、立膝がすたれ正座居合が誕生したもので、従前の形に、新たに正座居合を追加する流派、立膝の一部を正座に変える流派、立膝の全部を正座に変える流派に分かれたのであろう。
8. 居合
居合は、敵の不意の攻撃に対し、間をおくことなく、その攻撃に応じて、歩行・正座等の状態から日本刀を使用して我が身を防衛する所作である。田宮流居合術においては、25本の技があり、これを何回も練習することで、その奥義(あるいは、限りなく完成に近づくこと)を極めようとするものであるが、華道・茶道という他のお稽古ごとと同じように、次の、3つをこころがける必要があるものの、才能は必要ではなく、やる気があれば足りる。
9. 3つの心がけ
① 体・技・心(体ー正 技ー速強 心ー威 要点は、形より入り、練習を重ね、心を錬ることである)
イ:体
正しい形であり、静止状態を言い、誰もが同じあることが求められる(稲妻であれば、我と敵とは同じ身長であるので、抜き付けた角度は、誰も同じでなければならない)。
ロ:技
練習を重ねることで、強弱・遅速・間を会得することである。
・強弱 1つは、一本の技のなかの強の部分と弱の部分を覚えことである。他の1つは、強につき、自己の限界を高め・突き詰めることである。百の強さの演武が求められたときに、百の強さしか持っていなければ、見ていて危うい・ゆとりがない。百を超えた強さを修練・会得しなければならない。
・遅速 1つは、一本の技のなかの遅の部分と速の部分を覚えことである。他の1つは、速につき、自己の限界を高め・突き詰めることである。百の速さの演武が求められたときに、百の速さしか持っていなければ、見ていて危うい・ゆとりがない。百を超えた速さを修練・会得しなければならない。
・間 形を覚えると、動きが円滑になるが、単調に陥りやすい。間を会得するために、敵の想定をしっかりすることが必要となる。
ハ:心
心を錬ることであり、武威をもって敵を圧することができる。
② 守・破・離
イ:守
流儀の掟を守ることである。師匠の教えを体・技・心においてひたすら従い、守ることである。
ロ:破
守を破ることである。長年、守に努めてきても我流に成りがちなもので、自己の短所を直すとか、自己に無いものを探し出し、これを会得しなければならなくなる。
ハ:離
いろいろな解説はあるが、完成を意味する。守・破を繰り返して完成に至るのである。
③ 看取りげいこ・工夫げいこ・数げいこ
イ:看取りげいこ
まずは、抜き付け・切り下ろし・納刀の流れを看、次には、抜き付け等を正確に看取り、会得することである。
ロ:工夫げいこ
会得するために工夫することである。
ハ:数げいこ
継続は力なりである。週1回の練習日であっても、1週間は7日あるので、6日は、自宅で練習するのである(自宅では、天井等を傷つけるので、刀を抜く必要はなく、抜いたつもりで正確な形の練習を重ねれば良いのである。)
10. 居合術における「合」について
「合」の意味は、敵の動きに合わせるということである。
① 間(ま)
間については、序破急のうち、序破までは合わせるのである。序破の段階では、敵は、自分の思いのまま動けるのであり、その意味では、活人剣であり、敵の動きを封じ込める殺人刀(せつにんとう)ではない。勝つために、急の段階で、敵の動き見切るのであり、例えば、稲妻であれば、敵の動きの2分(ぶ)を、除身であれば、7分を見切ることになる(この場合、敵の刀が動き始め、我に届くまでが10分であり、動き始めると、1分、2分、・・・10分となる)。
② 強弱、遅速
強弱、遅速においても敵に合わせるのである。強弱・遅速において、我が劣っておれば、敵は勢いづき我は苦戦するか切られる。また、優っておれば、敵は必死になり火事場の力持ちになり我は切られる。
③ 転
転(新陰流では、まろばし)は、板状の上の球の動きである。板を傾けると球は、傾いた方向に、しかも、傾きの角度に応じた速さで、動くのである。あたかも、障子を開けると、日光・月光が部屋に入ってくるがごとく、あるいは、氷が溶けて水になるがごとくであり、そこには、何のためらいのないのである。このように、敵の動きに合わせるのである。
④「敵の胸中・我掌中にあり」
釈迦が掌中の孫悟空の動きを見ていたがごとくである。稲妻において、敵は、先手をとったつもりで、大上段から切り下ろすのであるが、我は、敵の胸中にあるものを察知し、先手を取られたのではなく、取らせたのであり、敵を思いのまま自由に動かせたのである。 かような思いがあるから、敵の動きに合わせることができるのである。
11. 気剣体の一致のうち、剣体の一致
① 我と敵は互角
宮本武蔵は、強い者には負け、弱い者には勝ち、互角の者に勝つために交合をしないと言った。強い者・弱い者は、それほど居るわけではなく、所詮、人間なんて生き物は、どんぐりの背比べに過ぎないのであるからと考えれば、我と敵とは、互角となる。
② 切り間
そうとすれば、我が前に踏み込んだ時、敵も前に踏み込んでおり、切り間ができ、その瞬間、刀が敵に届けば良いのであり、また、届いていければいけないのである。互角であるから、相打ちになる。もし、前に踏み込む前に、抜きつけて、刀が敵に当たってしまえば、踏み込みが浅く、浅手になる。逆に、前に踏み込んで後に、抜きつければ、敵の刀は、我に当たっており我は切られる。かようにして、前に踏み込んだ足が着地と同時に我の刀が敵に当たることが剣体の一致である。
12. 居合における礼
居合は、武道(武芸十八般)であるが故に、礼から始まり礼に終わる。我と敵は、礼を守って、最善を尽くすものであるから、勝残っても、礼を守り、勝ち誇ること、ガッツポーズはゆるされない。したがって、勝敗を決める大会の旗判定において、勝ちとの判定を受けても、表情に現すとか、身体を動かしてはいけない。これらをすると、勝ち誇ったのではないかと判断され、審判員合議の上、注意を受けるか・勝判定を取り消されることになろう。この点は、スポーツと異なる。
13. 柄の長さ
通常は、7~8寸であるが、1尺もあるとのこと。1尺の場合、右手を鍔近くにかけて、抜きつけ、切り下ろしの時、右手を2寸柄頭の方にずらせば、刀身が2寸伸びたと同じことになり、卑怯のそしりをまぬがれないのでは。
14. 柄を握るとの表現は正確ではない
鍔近くに右手をかけて、柄頭近くに左手の小指をかけて、小指・薬指・中指を締める(しぼる)のが正確な表現であるが、握った状態に似ているので、便宜上、柄を握ると簡潔に表現しているのである。なお、刃筋を通しやすくするためには、右手小指と左手親指の間は詰めてもよい。
15. 抜刀の教え
抜刀の方法として、敵にわからないよう極めて自然にとの教えもぢり太刀のように敵が背後にいる場合には、この教えのとおりであり、背後の敵に正対した時には、切っていなければならない。それ以外の多くの場合では、敵を火事場の力持ちにさせないように、序破の段階までは、敵の動き(強弱・遅速).に合わせ(活人剣)て抜きつけるのである。
16. 受け流しかぶりの教え
抜きつけ後の刀を振りかぶるときの教えであり、抜きつけ後、拳の位置を変えることなく、剣先が左こめかみ当たりを通って45度に振りかぶるのである。剣先が左こめかみ当たりにある時点では、刀中人(とうちゅうじん)ありとなり、刀で我が身を守っている形になっており、敵が切り下ろしてきても、受け流して守ることのできる状態になっているのである。
17. 真向(切り落とし)の意義
敵を倒すために、敵の頸動脈(首)を狙うのではなく、真向(切り下ろし)が多用される理由につき、新陰流(柳生延春)の論法を借用する。敵が人中路(正中線・整中線)を切り下ろしてくる場合と敵が斜めに切りつけてくる場合とに大別し、どちらの場合でも、当方が人中路を切り下ろせば勝つと説き、前者を合撃打ち(がっしうち)、後者を十文字の勝ちと名付けている。前者の場合、当方は、敵より少し遅れて切り下ろすのがコツ(極意)で、 当方の鎬が敵の鎬を外へ(半身)押し出すのである。一刀流にも同じ技があり、当方の鎬で敵の鎬を切り落とすと表現している。後者の場合、敵の両手は正中線を通過するので、その時、当方の刀が敵の拳を斬ることになる。敵との距離は、少し遠間であろう。
18. 鎧兜と刀(楯と鉾)
鎧兜を造る職人は、刀では斬る事のできないように、刀を造る職人は、どんな鎧兜でも斬れるように、それぞれ想いをこめて製造しているものである。刀を使用する者としては、鎧兜も斬れると信じて、使用すれば良い。
19. 家元制度
家元が、指さして、あのカラスは白いと言われた。弟子としてどう答えるべきかである。あのカラスは黒いと答えると、教訓にならない。白いですと答えるべきである。こうなると、家元は、信用を失わないように、あのカラスは、黒いと言えなくなる。しかし、灰色と言ってはいけないのか。許される表現の幅の問題である。武芸18般の流儀は、書面化されたものと、書面化が難しいので道場で技の伝授されたものとになる。流儀は、盗まれると、裏をかかれるので、非公開・お留流になり、宗家が引き継ぐことになる。この書面の解釈、技の伝授の引継ぎであるが、武士といえども、島原の乱以降実践を体験する機会がないので、また、剣術は、鎧兜着用から素肌剣法へ、刀は、太刀から差料へ、居合では、立技と立膝のところ正座が追加される変遷がみられるので、解釈・技の引継ぎに変遷を生じざるを得ないのである。したがって、宗家の表現に、幅がみられても、ごく自然のことである。
* * *
歴 史
第1. 夢想神伝流居合道(山蔦重吉、S49著) 明治に英信流より独立
1. 七代長谷川主税助英信 立膝と立業と想像される(正座居合はない)
刀を佩いた居合→帯刀した居合に変えた
2. 九代林六大夫守政 土佐四代藩主山内豊昌の臣
剣道の師神影流大森六郎左衛門は正座居合を考案
第2. 居合道入門(加茂治作、S55著)
1. 小田原市における第2回田宮流祖祭古武道大会に出場(計算では昭和
54年)
2. 田宮平兵衛成政、田宮は、家康・秀忠・家光に教えている。
3. 英信隆九代林守政 土佐四代藩主山内豊昌の料理人頭
元禄元年(五代綱吉)荒井勢哲から英信流を学び神蔭流
剣形のうち「鞘の中」という抜刀流五本の形に長谷川流と
小笠原流礼式の正座を加え、大森流を完成。
第3. 直心影流(鹿島神伝直心影流)
1. 松本備前守→13代男谷精一郎信友→14代榊原鍵吉→15代山田次朗吉
2. 鹿島神陰流(神陰は神のお陰)→鹿島神伝直心影流(神とは直き心、影は神仏の来臨を意味する影向(ようこう)からとった)。
第4. 新陰流居合
1. 柳生宗厳の与えた允可状に「居合分」との記載はあるが、20代柳生厳長が昭和10年代に伝えた業は、柳生家兵法補佐の長岡家の五左衛門房成(1763~1849)が整備したものである。
2. 血振りはない。(伯耆流では、血ぶりではなく、血流しという)
第5. 世代 年代については、諸説があるものもある
1549年 林崎甚助重信
1575年 片山伯耆守久安・伯耆流
1590年 小田原開城
1602年 7代 長谷川主税助英信
1649年 辻月丹資茂(号・無外)立膝の居合はない、無外流
1662年 英信流9代 林 守政
1763年 新陰流 長岡家の五左衛門房成
* * *
(上杉一美元剛 道場長著、令和6年10月1日)