科学教育の支援
並木重宏(2019)科学教育における障害学生の支援について.特集:「サイエンスを民主化せよーインクルーシブデザインラボをめざしてー」 , リハビリテーション・エンジニアリング ,34巻4号:116-120.
並木重宏(2019)科学教育における障害学生の支援について.特集:「サイエンスを民主化せよーインクルーシブデザインラボをめざしてー」 , リハビリテーション・エンジニアリング ,34巻4号:116-120.
理工系への進学を希望しているにもかかわらず,バリアの存在によって進路を変更する学生は少なくない.大学での障害学生の支援において,講義における配慮についてはノウハウが確立しつつある一方,理工系分野の科目において,身体の感覚や運動機能が求められる実験,実習の場面での支援は立ち遅れている.例えば,科学教育では視覚的な教材が中心であり,視覚障害者のバリアとなっている.また車椅子の利用者は,実験機器や設備の多くを利用することができず,安全管理が適切に行われているとはいえない.こうした状況は,差別解消法や,雇用促進法のもと,障害のある学生のみならず教員・研究者に対しても,合理的配慮の提供義務を負う大学にとって,大きな課題になっている.ここでは,障害学生の理工系教育の支援に取り組むため,海外の研究教育機関の実践事例を調査した.これらの資料を参考に,国内で検討すべき課題についても述べる.
合理的配慮
障害者が社会のバリアによって,平等な機会を得ることができない場合,「合理的配慮」という手段でこれを解決する.例えば車椅子ユーザーが段差を乗り越えられない時,スロープを取り付けるといった対応が検討される.このとき,スロープを設置するという手続きが合理的配慮にあたる.2006年に採択された国連の「障害者の権利に関する条約」では,障害者が,他の人と平等に高等教育一般,職業訓練,成人教育及び生涯学習の機会を与えることを確保し,このための手段として,合理的配慮が障害者に提供されることを確保すると記載されている.条約に批准した日本では,2016年に施行された障害者差別解消法によって,同様の考え方が示されている.
合理的配慮は,障害者を含めあらゆる人々が,本来の能力を発揮することができる公正な競争環境を生み出そうとするしくみともいわれる1).公正を図るためには,評価の対象となる本質的な能力(essential function)と,それ以外の能力を分ける必要がある.例えば,読み書きに障害をもつ学生が,試験中に読み上げ機能をもつ支援機器を使用する,といったケースを考えた場合,ここで評価されるべき能力は,問題の内容を理解して回答することであり,視覚・聴覚など,問題の内容を取得する手段は「周辺的」なものである.
厚生労働省が2015年に策定した差別禁止指針では,雇用において能力要件を付すことが,業務遂行上で必要と認められる場合には差別にあたらず,能力の評価は,合理的配慮の提供が行われた状態で行われなければならないとされている.この場合,何が本質的な能力であるかは,必要とされる職務に依存する.アメリカでは採用時に職務の内容を明文化した職務記述書(job description)が作成されることが多いが,国内では職務が明確に示されないことが多い.こうした文書は,配慮についてトラブルが生じた場合に,何が本質的な機能であるかについての重要な判断材料となる.
高等教育機関において,合理的配慮が適切か否かを判断するためには,その教育プログラムにおける本質的な能力は何か,ということを定める必要がある.例えば,医療系専門職では,治療行為やその手技などに関わり,認定機関などの団体がこれを定めていることが多く,本質的な能力を定めることが可能である.しかし,科学教育プログラムにおいては,教育機関においても本質的な能力について明確に示されておらず,医療系専門職のような認定機関が存在していないことが多い.本質的な能力はそれぞれの学問分野によって異なり,また科学の発展に伴って変わりうる.
現在行われているもっとも有効な支援は,実験室における作業を支援する人員を配置することである.
海外の先行事例では,支援者の役割が定められていることが多い.支援者は,学生に指示された操作のみを行い,科目に置いて示されるべき本質的な能力(本質的要件,essential requirement;教育の分野で用いられる)を行うことはみとめられていない.実験のデザインや,結果の解析,解釈などの本質的な要件に相当する作業は,学生自身が行うことが求められる.実験室支援者は,例えば,車椅子を利用する学生のために器具を移動させたり,手が不自由な学生の代わりにフラスコの溶液を注いだり,視覚障害をもつ学生の代わりに実験を観察して結果を報告する.本質的要件ではなく,評価の対象とならない作業についての支援は,条件を平等にするための措置(level-the-playing-field)であって,不公平にはあたらないとされている.また,支援者は教員や周囲のティーチングアシスタントは,支援者を介することなく,直接学生とコミュニケーションしなければならない.
実験系の研究者が独立して研究室を構えた後に,自身では実験を行わない場合も多い.科学技術分野における支援者の利用の是非については長く議論されているが,実験室における作業を行うこと自体は,本質的なことなのだろうか?例えば,解剖学や生理学に着目する科目においては,動物の解剖は,科目の本質的な要件であると判断される場合が多いであろう.しかし,科目の内容が,遺伝子などミクロな物質をあつかう分子生物学に関わるような場合は,動物の解剖が本質的な要件とはならず,支援者による解剖の代替が合理的配慮としてみとめられるかもしれない.また,電気回路を理解することが,科目の目的である場合,電気回路の作成を支援者によって代替することは合理的配慮として認められるであろう.本質的な能力と,これを遂行する手段が混同されることがないようにしなければならない2)
それぞれの分野の内容とおよび個人の障害の多様性から,科学における統一的な本質的要件を定めることは難しい.このような状況においても,過去にどのような判断がなされ,どのような合理的配慮が行われてきたか,という事例を蓄積,共有することは有用であろう.アメリカにはこれまでにも視覚障害者が支援者を利用して,博士号の学位を取得した事例や,国内でも学部で物理学を専攻した事例があるが,あまり知られていない.障害をもつ学生自身や,周囲の関係者に対して,支援者の利用についての認知度の低さ,利用についてのバイアスや誤解などについても,事例を示して対応していく必要があると思われる.
実験室のアクセシビリティ
障害者の社会参加の支援において,合理的配慮は個別のニーズに応じた,事後の対応であるのに対し,アクセシビリティの整備は多くの人に有益な事前の対応であり,重要な役割をもつ.アクセシビリティに相当する言葉として,国内では基礎的環境整備という言葉が用いられている.以下の2章では,実験室の基礎的環境整備として,実験室のアクセシビリティと安全管理について述べる.
アメリカでは,障害当事者を構成員に含む政府系機関のアクセス委員会(Access Board)が,障害をもつアメリカ人法(Americans with Disabilities Act, ADA)に基づき,アクセシビリティの具体的な規格を示している.高等教育における教育用実験室の設計においては,ADAに準拠しなければならず,アメリカの文書で推奨されている実験室レイアウトはこの基準にもとづいている.アクセシブルな実験室のレイアウトや実験機器のデザインの基準として,他にも米国規格協会(American National Standards Institute, ANSI),国際安全機器協会(International Safety Equipment Association, ISEA)などによる資料がある.
アメリカ化学会,障害をもつ化学者委員会による資料「Accessibility in the Laboratory」では,ドアや通路の幅や配置,テーブルやドラフトの仕様,安全設備の配置など,ADAスタンダードに基づいた実験室設備の規格が具体的に示されている3).またカナダのオンタリオ大学協議会からも,アクセシブルな実験室の検討項目詳細なリストが作成されている2).
実際に構築されている実験室の事例としてアメリカ・パデュー大学のAccessible Biomedical Immersion Labなどがある4).生命科学の実験を想定しており,障害者を考慮した安全設備や,標識を用意している.作業ベンチ・シンク・ドラフトの3つを実験室における主要なスペースとして近接して配置している(ラボワーク・トライアングル).こうした配置はキッチンやその他の職場環境で,人間工学的に優れていることが分かっている.実験室の構築において,キッチンなどの,生活や暮らしのデザインを参考にすることができるかもしれない.
すべての障害に対応するデザインは困難であり,アクセッシブルな実験室のデザインについての統一的な見解は得られていない.文書に共通して指摘されていることを以下に述べる.下肢障害のためのデザインとして,ドア・通路は車椅子が移動可能なスペースを考慮すること,作業を行う実験テーブルは昇降が可能であること,車椅子のアクセスのため設備の下部にクリアランスを設ける事,車椅子で操作しやすいよう蛇口はシンクの手前に設置すること,移動がしやすいようテーブルや機器にはキャスターをつけることなどが指摘されていることが多い.視覚障害者に配慮したデザインの例として,壁や床と,装置のコントラストをつけて認識しやすくする,テーブルの天板の縁に隆起を取り付け,触覚によっても認識できるようにする,白杖で検知できない場所に突起物を設けないことなどが記載されている.視覚障害への対応として,種々の照明装置の配置や,アームをつけるなど,装置を可動式にすることなどの配慮の方法が記述されている.また発達障害では,光が強いストレスになることがある.設計段階での模型の作成など,照明のレベルを検討するプロセスが紹介されている.
国内では2006年に「高齢者,障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律施行令」によって,バリアフリー化の最低限の基準としての「利用円滑化基準」が定められており,大学などの特定建築物の増改築の際には,この基準への適合努力義務が生じる.また特別支援学校などの特別特定建築物においては,基準適合が義務化されている.さらに,より優れたバリアフリー化の基準として,利用円滑化誘導基準も定められている.アクセシブルな実験室を普及させるために,海外の事例を参考にしつつ,国内での法制や文化に合うガイドラインを作成する必要がある.これらの基準を満たし,さらに障害者の利用が可能な整備を施した実験室を実際に構築することにより,モデルとして示すことも有用であると思われる.
安全管理
科学分野の高等教育において,障害学生が実験室で作業する際,安全管理は最も重要であり,安全への懸念は,障害学生の参加を阻む大きな要因のひとつになっている5).実験室で作業を行う場合,例えば薬品を使用する場合に,労働安全衛生法などの法令によって対策を講じることが定められている.例えば毒性をもつ試薬を扱う際には,暴露した場合に速やかに洗浄する設備が用意されていなければならない.これは具体的には,緊急用シャワーと洗眼器を設置することで対応されている.緊急用シャワーの一般的な設備では,操作部となるハンドルが高い位置に取り付けられており,車椅子ユーザーや低身長の人は使用することができない.文字通り捉えると,通常の設備で車椅子ユーザーが実験を行うことは法令違反となってしまう.
実験室における障害学生の安全管理についても,合理的配慮の手続きと同様に,学生,教員,障害支援スタッフの相談の上で検討する.また,スケジュールが始まる前に,実験室を見学し,試薬や機器の場所,危険性,緊急時の避難経路などを確認しておくこと,とくに緊急時の対応については文書化しておくことが推奨されている.また学生本人に加えて支援者および周囲の学生についても安全が検討されなければならない.以下,文献でよく言及されている実験室の設備について述べる.
ドラフト ドラフトは室内の空気を吸気して,室外に出す装置のことで,有害性のある物質をあつかう際に用いる.アメリカの国立衛生学研究所を実験室のドラフト内外の気流の分析を行い,ドラフトからの漏れがどのような状況で生じるのかを報告している.車椅子利用者など,座位でドラフトを利用する場合に,ドラフトからの漏れが,作業者が息をする空間と一致していることから,利用の際にサッシを利用するなどの配慮の方法が示されている3).
緊急用シャワー・洗眼器 国内では薬品を使用する際に,暴露した時に備えて緊急用の洗浄設備の設置が,労働安全衛生法などの関連規則で義務づけられている.しかし,一般低に設置されているタイプの緊急用シャワーでは,車椅子利用者は操作ハンドルに手が届かず,利用することができない.安全装置のアクセシビリティ整備のための指針や,安価に実施できる配慮を提案・周知する必要がある.
警報装置 科学教育に限らないが,聴覚障害者が,音で伝える一般的な警報装置を利用できないという課題がよく指摘されている.これについて,一定間隔で発光する視覚的な警報装置の設置が推奨されている.国内では2016年,総務省消防庁により,聴覚障害者の火災安全対策としての光警報装置に係るガイドラインが作成されている6).
参加を支援するしくみ
障害者の科学研究への参加は権利である,という点に加えて,実際に成果につながるという主張もある.多様なバックグラウンドをもつ人材から構成される集団は,パフォーマンスが高いという考え方である7).この考え方のもとでは,障害もダイバーシティを構成する要素のひとつとみなされる.アメリカの主要な助成機関はダイバーシティの拡大についての説明を明確に示している.例えば,基礎科学の助成機関である国立衛生学研究所(National Institute of Health, NIH)が発表した論文では,科学環境における多様な人材と参加の平等性の確保は,国家の知的創造活動に必要不可欠であると述べられている8).国立科学財団(National Science Foundation, NSF)は,長く科学技術分野における参加の平等性の実現について取り組んできた歴史をもつ.財団の予算審査において,学術的な内容(Intellectual merit)に加えて,社会への影響(Broader impact)が評価の基準となっている.このなかでマイノリティの参加拡大(Broadening participation)は,重要な項目として位置づけられている9).最初にフォーカスされたのは女性,続いて民族,経済状況,出身地域などが考慮され,1991年には障害者の参画を支援するプログラムが開始された.現行のResearch in Disabilities Educationでは,障害者の科学技術分野への参加拡大を目的とするプログラムに対して助成を行っている.最初の助成対象は,ワシントン大学のDO-ITである.DO-ITが実施したプログラムAccessSTEMでは,理工系教育における配慮の事例700件がデータベースで公開されている.また,国立科学財団には,障害者が研究を行うための支援機器に対する助成という,日本にはない形式の予算がある (Facilitation Awards for Scientist and Engineers with Disabilities).支援機器助成のプログラムは,通常の競争的資金獲得のプロポーザルと合わせて取り扱われ,助成金はグラントの一部あるいは追加予算として申請することができる.特定の機器を操作するための補綴装具,音声を視覚的な信号に変換する装置,特定の場所へのアクセスや移動手段,プロジェクトに関連する特殊技能を有する支援者の人件費などがみとめられる.
フランス・国立農学研究所では,研究職を含めた幅広い職種について,障害者の採用枠を設けている.このポジションでは日常生活から研究上において,さまざまな支援を受けることができる.ある事例では,ウイルス学の分子生物学実験を行っていた研究員が,髄膜炎による後遺症でクラッチを使うようになり,これまでのようなウェットな実験を行うことができなくなった.その後同研究所に移り,オフィス環境を調整し,大学での3週間の所内教育プログラムおよび1,2ヶ月の系統解析プラグラムのトレーニングを経て,現在はウイルス学のアルゴリズム開発などに取り組んでいる.研究所のWEBサイトでは,他にもいくつかの事例が紹介されている.
アメリカ・イギリス・カナダでは,教育機関によって障害学生の科学技術分野におけるインクルージョンについての文書が発表されている.アメリカ化学会は基礎科学分野では最大規模の学会で,障害学生の参加について先駆的な取り組みを起こってきており,障害をもつ化学者も多く在籍している.化学会の委員会の一つ,障害をもつ化学者委員会Committee on Chemists with Disabilitiesでは,障害学生の科学教育についての法制,授業・実験室における配慮,安全衛生,アドボカシーなどがまとめられたガイドブックを出版しており,広く参照されている10).またアメリカ・ワシントン大学,ジョージア工科大学,カナダ・オンタリオ大学協議会,イギリス・王立協会などから体系的な資料が,その他には,視覚障害者の科学教育法(米パーキンス盲学校),自閉症スペクトラム症をもつ学生に対する物理教育のガイドライン(英・物理科学センター),聴覚障害学生の科学技術分野への参加に関するホワイトペーパー(米ギャローデット大学)など専門的な資料が公開されている.その他学協会においても,多様性を拡大する取り組みがあり,ジェンダーに加え,LGBTQ,民族や障害を対象にした部会をもつことが多い.対して国内では多様性拡大の取り組みはジェンダーのみを扱っていることが多い(男女共同参画など).
おわりに
障害学生の実験室の活動を支援したいという意志があっても,具体的な方法がわからず,対応がされないことも多い.また,国内外では障害者の科学教育に取り組んできた多くの実践がある.現在支援に関心をもつ人々にこうした方法や事例を共有できるプラットフォームが役に立つのではないか.障害学生の科学分野への参加を支援するために,実験室における合理的配慮や基礎的環境整備について,国内で利用できるリソースを作成すること,アクセシビリティを備えた実験室をつくり,実際に見学することができるようなモデルとして提案すること,学会など組織レベルでの支援の体制づくり,障害をもつ科学者による科学への貢献をアピールすることでキャリアの可能性を示すことなど,さまざまな対応に取り組んでいきたい.
参考文献
1) 星加良司:「合理的配慮と能力評価」川島聡ほか編『合理的配慮-対話を開く,対話が拓く』,有斐閣:89-106,2016年.
2) Council of Ontario Universities:Creating an Accessible Science Laboratory Environment for Students with Disabilities / Checklist for Making Science Labs Accessible for Students with Disabilities,2014年,URL:www.accessiblecampus.ca 和文翻訳へのリンク:http://idl.tk.rcast.u-tokyo.ac.jp/
3) Sweet E, Gower WS, Heltzel CE: Accessibility in the Laboratory. American Chemical Society, 2018年.
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/1640/00226226/hiakrikeihousoutigaidorain.pdf
4) Hilliard L. Dunston P. McGlothlin J. & Duerstock B. S. Designing beyond the ADA-creating an accessible research laboratory for students and scientists with physical disabilities. In RESNA Conference,2013年.URL: https://www.resna.org/sites/default/files/legacy/conference/proceedings/2013/JEA/Hilliard.html
5) McDaniel N. : Inclusion of Students with Disabilities in a College Chemistry Lab Course. Journal of Postsecondary Education and Disability, 11(1), 20-28, 1994年.
6) 総務省消防庁.消防予第264号 平成28年9月6日,光警報装置の設置に係るガイドラインの策定について(通知),7) スコット・ページ:「多様な意見」はなぜ正しいのか.日経BP社,2009年.
8) Valantine H. A. & Collins F. S. National Institutes of Health addresses the science of diversity. Proceedings of the National Academy of Sciences, 112(40), 12240-12242, 2015.
9) National Science Foundation: Broadening Participation at the National Science Foundation: A Framework for Action. 2008年,URL: https://www.nsf.gov/od/broadeningparticipation/nsf_frameworkforaction_0808.pdf
10) Pagano T, Ross AD: Teaching Chemistry to Students with Disabilities: A Manual for High Schools, Colleges, and Graduate Programs - Edition 4.1 , Committee on Chemists with Disabilities - American Chemical Society, 2015年. 和文翻訳へのリンク:http://idl.tk.rcast.u-tokyo.ac.jp/