計測と制御, 63(2), 92-95.
属性や人格の違いにかかわらず,すべての人が尊重される社会のことを共生社会(inclusive society)と呼ぶ.1994年,カナダ・トロントで行われた国際会議において,英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのRoger Colemanは,共生社会を作り上げるためには,デザインが重要な役割を果たすという主張をしている(1).先進国で高齢化が進んでいく状況で,障害のある人の身体機能を考慮したデザインが必要となると認識されており,Colemanはデザインの対象に高齢者・障害者を含めることを提案している.障害者・高齢者のインクルージョンを考慮するこのアプローチに対して,初めて「インクルーシブデザイン(inclusive design)」という言葉が使われた.
インクルーシブデザインの誕生は,障害は人と環境の間の相互作用によって生じるという社会モデルと深く関係している.身体的・精神的な事由によって不自由が生じるのではなく,人の能力を充分に考慮しないデザインによって不自由が生じるというような,考え方の転換が生じた.人の生涯を考えると,障害は決して特別なことではなく,高齢化などで誰しも経験する普遍的なことであると認識するべきであり,いずれ経験するであろう障害を考慮することで,より多くのユーザに役立つデザインにつながる.「インクルーシブデザイン」という言葉はさまざまな文脈で使われているが,英国規格協会(British Standards Institute)ではつぎのように定義されている:「特別な設計を必要とせず,合理的に可能な限り多くの人々が利用でき,使用できるような,主流の製品やサービスを設計すること」(2).またカナダ・オンタリオ州立芸術大学のインクルーシブデザインリサーチセンターでは「能力,言葉,文化,性別,年齢,その他の違いについて,人間の多様性を全面的に考慮する」デザインであると紹介されている(3).本稿ではまずインクルーシブデザインが提案されたイギリスでの考え方を紹介し,最近の事例としてマイクロソフト,Googleでの取り扱いを紹介する.
1993年にスウェーデン・ストックホルムのデザインコンサルティング企業のMaria Benktzonが報告した取り組みは,人間工学による製品開発を行ったもので,インクルーシブデザインの最初の事例であるともいわれている(4).この文献でBenktzonは,関節炎患者など手や腕に制限がある人に向けて,日常生活で使われる道具であるカラトリー食器(ナイフ,フォーク,スプーン等の総称)や杖などのデザインを行い,その際どのように新しいデザインが生まれたのか,記録が掲載されている.どのケースにおいても共通していることは,試作品(プロトタイプ)を複数製作し,当事者による評価を行うことである.最初のデザインでは制約のある人による使用が想定され,試作品の評価は制約のある人が参加している.試作品の評価では当初想定されていなかったニーズが顕在化するなどして,デザインの改善につながっている.加えて航空会社から依頼を受けたコーヒーポット制作の事例も紹介されている.当時スカンジナビア航空では,手や腕の不調で病院にかかる客室乗務員が多く,これを改善するデザインについてBenktzonの会社に依頼があった.従来のデザインではコーヒーを提供する際に手のひらに強い圧力をかけ,かつ手首を曲げた状態で長時間握る必要があった.手首の負担を小さくするため,ハンドルと重心の距離を小さくするため,ハンドル形状や注ぎ口を改良したプロトタイプが多く製作され,客室乗務員によって評価され,新しいデザインができ上がった.健常者が手首を酷使するケースを改善することを意図したものであったが,手の力が弱いユーザなど他のグループにも使いやすいものとなった.
この報告の中で,インクルーシブデザインの考え方を整理するコンセプトとして,ユーザピラミッドの考え方が提案されている(図1).ピラミッドの下部には健常者と軽度の障害をもつ高齢者が含まれる.ピラミッドの中央部には病気による運動能力が低下したグループで,多くの高齢者や,国民の10%を占める障害者を含むが,このうちほとんどの人は自立生活を送り,あるいは最小限の支援で日常生活を送ることができる.ピラミッドの頂点に近いグループには,車椅子を利用したり,上肢の動きが限られていたり,日常生活に多くの支援を必要とする重度障害者が含まれている.ピラミッドの高い位置に所属するグループに対する製品を設計すれば,他のグループも使用できる製品につながると主張する.重度の障害のあるグループに注目する製品ほど,これを利用できる人の数が増えるため,こうしたグループを設計プロセスに取り込むことが重要である,としている.インクルーシブデザインではさらに,ユーザピラミッドの考え方を,感覚,運動,認知の能力の次元に拡張したモデル,インクルーシブデザインキューブを使っている(5).
図1 インクルーシブデザインの考え方
ユーザピラミッド中の明度はユーザのもつ障害の程度を表わす.デザインは世の中の大多数の「平均的」な能力を持つユーザに合わせて行われることが多い.インクルーシブデザインでは,制約が大きく従来のデザインを使うことができ ないユーザに注目する.制約の大きな人のためのデザインは,制約のより小さい他のすべてのユーザにも使うことができると考える.
ユニバーサルデザインという言葉は,小児まひにより車椅子を利用していたアメリカの建築学者Ronald Maceによって提案された.Maceはユニバーサルデザインという言葉に対し,「適応や特殊な設計を必要とせず,可能な限りすべての人が使用できるように製品や環境を設計すること」と定めている.この記述はすべての人に使える単一の製品を目指す,というように解釈することができる.これに対しインクルーシブデザインでは,すべての人に使えるような単一の製品は存在しないと考える.これは製品を使えないことがあるという認識を通じて,デザインによる排除(エクスクルージョン)の検討につながる.インクルージョンの程度を評価することは難しい一方,エクスクルージョンは定量的な評価ができるためである.インクルージョンが成功した事例を集めても,よりインクルージョンを高めるための知識につなげることは難しいが,エクスクルージョンの事例を検証することで,エクスクルージョンを減らす解決策につながる.ある製品について,そのデザインから排除されている状況に着目することが,ユニバーサルデザインやその他のデザインアプローチとは異なる,インクルーシブデザインに固有の特徴であるといわれる.
ここでは従来の英国のインクルーシブデザインにおける排除の評価方法を紹介する.ユーザ自身の能力と,製品を使うために求められる能力とを比較することで,ユーザが製品を使えるかどうか,すなわち製品のデザインから排除されているかどうかを判断される(図2).ユーザの能力レベルの測定データとしては,英国国家統計局(OfficeofNationalStatistics)によって行われた1996・1997年の障害追跡調査(Disability follow-up study,DFS)が最も参照されている.調査は障害手当を受給している人などを含む16~65歳の計7200名の成人を対象に,日常的な作業を行う能力を測定することを意図して質問が作成された.日常的な生活動作をおこなうことができるかを問うもので,自己申告によって回答する.13のカテゴリに分類される計300個の質問が設定された(6).そのうちの感覚・運動・認知に関わる7つのカテゴリ(Vision, Hearing, Thinking, Communication, Locomotion, Reach&Stretch, Dexterity)は,製品との相互作用に関わるもので,エクスクルージョンの計算に用いられる.たとえば器用さ(Dexterity)のカテゴリでは,「どちらの手でもカップをもって飲むことができない(D1)」,「瓶のふたが開けられない(D8)」,「カップを片方の手で持ち上げられるが,もう片方では持ち上げられない(D9)」,「安全ピンのような小さなものを片手で取ることができるが,もう片方の手では取ることができない(D11)」,「不自由なく手が使える」(D12)など,極端に低い能力から完全な能力まで,動作の難しさの順に12の設問が用意され,自己申告で回答が行われる.他のカテゴリについても同様に日常動作の質問のセットが用意されている.製品を使うために求められる能力レベルも同一の基準で算出することによって,特定の製品に対して,特定のユーザが使用することができるかどうかを推定することができる.ある製品やサービスを使用することから排除される人の数は,その製品やサービスが彼らの能力に対してどのような要求をするかによって決まる.製品を使用するにユーザに求められる能力について分析し,7つのカテゴリにおいて必要な能力レベルを求め,データベースを参照することにより,イギリス国民のなかで製品を利用することができる集団の数を推定する.これらの情報はデータベース化され,ケンブリッジ大学のサイトで公開されており(7),製品を使用するために必要とされる典型的な作業を行うことができない人の数,すなわちデザインから排除される人の数を推定するための情報源となっている.ケンブリッジ大学エンジニアリング・デザイン・センター(Engineering Design Centre, University of Cambridge)は,排除される潜在的なユーザの数に応じて,異なるデザイン決定や製品のインクルーシブ・メリットを定量的に評価できる分析ツールを開発しており,多くのリソースが集積されている.
図2 排除の評価:ヒトの能力障害と製品の能力要求の比較
ユーザの能力を日常動作を問う設問で評価をし(Capability),同時にプロダクトを使う動作に求められる能力レベル(Demand,能力要求)を求める.ユーザの能力が各項目のうちひとつでも,プロダクトの能力要求を下回った場合,プロダクトを使うことができない.DFSのデータを用いて英国全体での利用者の母集団を推定する.
マイクロソフトはデザインについて同社の考え方や取組をまとめたリソースを発表している(8).そのなかで,インクルーシブデザインは人間の多様性を最大限に引き出すデザインのアプローチであるとし,さまざまな視点をもつ人を取り込み,そこから学ぶことが重要であると記載されている.加えて,インクルーシブデザインに関わる3つの原則を提案している:①排除を認識すること(Recognize exclusion),障害は人と社会の相互作用によって生じ,両者のミスマッチが排除につながる.デザイナーはデザインがどのようにしてミスマッチを生じさせるか,認識する責任がある.ミスマッチによる排除はデザインに新しいアイデアにつながる.②多様性に学ぶこと(Learn from diversity),人は自分が経験したことがない視点を得ることで,これまで見逃していた課題が見えるようになる.カスタマーの考えを感じることができるよう対面での交流を通じ,あらかじめ備えておく必要がある.ユニークな生き方をしている人とつながることで,自然に創意工夫が生まれる.③一人のために解決し,それを拡張すること(Solve for one,extend many).ある人のために生み出されたデザインは,似た状況にある他の人々にも役に立つ.たとえば字幕は聴覚障害者のために作られたが,混雑した空港や教育に大きな恩恵を生んだ.片腕がない人のための道具は,手首を痛めた人や,赤ちゃんを抱いている人にも効果的である.
マイクロソフトCEOのSatya Nadellaは就任当初から,インクルーシブデザインを会社のビジネスモデルの戦略として位置付けている.通常製品のアクセシビリティは,販売後にユーザからの意見を受けて,支援技術を開発するなど,事後的な対応がされる.インクルーシブデザインの考え方のもとでは,アクセシビリティを設計の上流に取り込む.製品がまだコンセプトの段階から,あらゆる人々の能力が考慮され,その結果リリースの前に,誰にとってもアクセシブルであるように設計された製品が,事前的に用意される.マイクロソフトでは,障害のある人を雇用し,設計段階から当事者の意見を反映させるしくみとして,障害のある人がデザインに参加するコ・デザインのためのスペースとしてInclusive Tech Labが整備されている.このスペースには,あらゆる障害に対応するためのサポートがあり,床には視覚的なパターンが設けられ,木材の触感は杖による区別がつきやすく,また吸音パネルによる音響調整や,照明レベルのコントロールが可能で,通路幅・ドア・トイレのデザインも配慮されている.
同社のゲーム機Xboxのコントローラは洗練されたデザインであるが,2本の手,5本の指を動かす能力が求められ,上肢に障害があったり,脳性まひがある場合には,ゲームを操作することができなかった.Inclusive tech labで開発され,2018年に公開されたXboxアダプティブコントローラでは,障害のある人などがコンピュータを操作するための支援機器(スイッチ)を接続することで,ユーザがそれぞれ可能な動作でゲームを操作することができる.手を上手く動かせない場合,随意的に動かすことができる顎や上腕の動作を使って操作したり,足や舌で操作できるスイッチもある.障害のある人にゲームを楽しむ機会を提供したことで,インクルーシブデザインの代表的な事例であるとされている.
Googleでは製品開発のすべての段階で,これまで世の中のしくみから見過ごされてきた人々,これまで社会への参加の程度が少なかった人々(historically marginalized/underrepresented)の意見を取り入れるProduct inclusion and equityの取り組みを始めている.同社のミッションは,世界中の情報を整理し,文字どおり世界中すべての人がアクセスできるようにすること,とされている.あらゆる人々に役に立つ製品を提供していくために,潜在的なユーザを無意識に排除しないよう,製品デザインの過程で多様な人々の声を参考にする必要がある.そのために世の中の多様性を反映したチームであるべきとの考えのもと,製品の開発プロセスや組織の構成に関して,多様性の要素として,年齢,文化,障害,教育,民族,地域,性別,外見,人種,宗教,性的指向,社会的地位,ITスキルなどが考慮されている.GoogleのProduct inclusion and equity部門を統括するAnnie Jean-Baptisteは,同社のアプローチを“Building for everyone with everyone”と呼び,実現のために3つの点が重要であると述べている(9):①ユーザへの尊重(user),どのような人でも利用できる利便性の高い製品を開発すること.②機会の尊重(opportunity),これまで見過ごされてきた人々に焦点をあて,ビジネスの機会を尊重すること.③お互いの尊重(each other),常に少数派のユーザから意見を聞ける場を用意すること,彼らのフィードバックを速やかに開発に反映すること,こうした価値観を開発プロセス全体に浸透させることが重要であるとしている.
また独自の調査にもとづき,企業が製品開発において重視するべき要素として以下の4つのタッチポイントを明らかにしている:アイデア出しの際に多様な参加者を含むこと,ユーザのニーズを調査するユーザリサーチ,多様なユーザに製品を使ってもらい見落としを洗い出すユーザ評価を行うこと(ユーザテスト),マーケティングの際にマイノリティに対するステレオタイプやスティグマがないかどうかを確認すること.設計のそれぞれの段階でこのように多様性に考慮することを,インクルーシブレンズと呼んでいる.Googleでは,これまで参加が少なかったマイノリティを含む多様な意見を反映させるため,製品のプロトタイプのユーザ評価について,こうした属性をもつ2000名の世界中の多様なバックグラウンドをもつ社員からなる“Inclusion champions”というチーム体制を整え,同社の製品がすべての人に向けたデザインとなっているかどうかを確認している.伝統的なインクルーシブデザインでは先ず,特定の人が使うことができるデザインを探ることになるが,Googleが進めるProduct inclusionでは,特定の製品をあらゆる人に使えるようにするデザインしてゆく点がきわめて特徴的である.
デザインにおいてインクルージョンとエクイティを考慮することの必要性と価値についても強く指摘されている(10).これまで社会から排除されてきた人々のために取り組む事業は結果的にすべての人々に良い結果をもたらす「縁石効果(curb-cut effect)」として語られることも多い.たとえば歩道の縁石(スロープ)は車椅子利用者のためにつくられたデザインであるが,自転車やベビーカー,スーツケースを使う人にとっても便利である.聴覚障害者のニーズにもとづいてつくられた字幕は,外国語映画の視聴や空港などノイズの大きい環境での情報伝達など,聴者にも広く使われている.あるいは電子機器のリモコンは肢体不自由者のニーズ,自動車の自動運転は視覚障害者のニーズが起点となった技術など,枚挙にいとまがない.排除されている人のためデザインすることが結果的にすべての人の役に立つと考えられており,インクルーシブデザインはイノベーションの駆動力として認識されている.
インクルーシブデザインという言葉はさまざまな場面で使われているが,共通する点として,デザインによって排除されているユーザを起点としていること,また多くの事例で排除されたユーザ自身がデザインのプロセスに参加していることがあげられる.また注目したデザインによるイノベーションが起こり,他の多くの人々や社会に拡がることが期待されている.
1) R. Coleman: The Case for Inclusive Design–An Overview, Proceedings of the 12th Triennial Congress, International Ergonomics Association and the Human Factors Association, Canada (1994)
2) British Standards Institute: BS 7000-6 - Design management systems, Managing inclusive design Guide (2005)
3) Inclusive Design Research Centre: Philosophy, https:// idrc.ocadu.ca/about/philosophy/
4) M. Benktzon: Designing for Our Future Selves: The Swedish Experience, Appl. Ergon., 24, 19/27 (1993)
5) F. B. Alvarenga and G. Franco: The Principles of Inclusive Design, Proceedings of COBEM 2005 18th International Congress of Mechanical Engineering November 6–11, 2005, Ouro Preto, MG (2005)
6) S. D. Waller, P. M. Langdon, and P. J. Clarkson: Using Disability Data to Estimate Design Exclusion, Universal Access in the Information Society, 9, 195/207 (2010)
7) P. J. Clarkson, R. Coleman, I. Hosking, and S.Waller: Inclusive Design Toolkit, Cambridge University, http://www. inclusivedesigntoolkit.com/ (2007)
8) Microsoft: Microsoft Inclusive Design, https://inclusive. microsoft.design/
9) Google: Introduction to Google’s Product Inclusion, http s://www.youtube.com/watch?v=GjPmhlmENYk (2022)
10) A. Jean-Baptiste: Making Product Inclusion and Equity a Core Part of Tech, McKinsey & Company (2022)