虫にみる神経構築のレイアウト
2016年8月30日,2017年7月25日(PDF)
2016年8月30日,2017年7月25日(PDF)
神経系の形は,神経系の機能と動物進化のプロセスを探求するための,簡便で有用な手がかりである.本稿では,虫の神経系に見られる明瞭な神経構造を対象として,かたちとライフスタイルがどのように関係するかを検討した研究について述べ,今後期待される方向性をいくらか紹介する.
キーワード:神経系統学,グランドパターン,微小脳,神経形態,ホモロジー
虫は少なくとも一見知的で複雑にみえる行動を示す.すべての動物種のうちおよそ6割を,昆虫が占める(Grimaldi & Engel, 2005).虫の神経系が採用する経済的な設計には,工学的な利用を検討する価値があると考えられている.最近,遺伝子工学の発展によって,ニューロンの活動を単一細胞レベルで制御することが可能となっている.一連の研究によって,モデル生物であるキイロショウジョウバエDrosophila melanogasterの神経系全体にわたる機能解析が進み,脳の動作原理の記述も近いのではないかと思われる.しかし,これはいわば進化の一例に過ぎず,場所の情報を抽象化して伝達するセイヨウミツバチApis mellifera,個体の顔を識別するアシナガバチの一種Polistes fuscatus,世代をまたいで大陸を縦断するオオカバマダラDanaus plexippus等にみる驚くべき適応の例がある.
今からおよそ6億年前には,記憶能力を持つ動物が出現していたといわれている(Strausfeld, 2012). X線顕微鏡を用いた化石標本の観察から,昆虫型の神経系は,古生代シルル紀に,クモなどの鋏角亜門(Chelicerata)と分岐し,他の多くの節足動物と共通した設計を持っていることが分かってきた(Ma et al., 2012; Tanaka et al., 2013).この後デボン紀に昆虫の祖先が誕生したと見積もられている.図1に昆虫の中枢神経系の例として,カイコガの神経系の形状を示す(図1).脳を構成する基本的な構造は,現生昆虫に普遍的に観察されることから,デボン紀から受け継がれる共通した神経系のレイアウトの存在が示唆される.
相同性(homology)という言葉は,チャールズ・ダーウィン「種の起源」に先んじ,イギリスの生物学者リチャード・オーウェンによって提案され,現在では,異なる種間でみとめられる類似した形質が共通の祖先に由来するという意味で用いられる.一方で,収斂進化などによって,別個の系統群で同じ形質が独立に進化することを異源同構造(homoplasy)と呼ぶ.虫に広く見られる神経系の共通性は,相同性によるものであり,古生代デボン紀に,昆虫の共通の祖先種が獲得し,現生昆虫のすべてがこの基本的な設計を維持していると考えられている.
祖先から受け継がれた共通した基本設計は,神経系のグランドパターン(ground pattern)と呼ばれ,脳を構成する神経回路群のレイアウトや,神経回路の配線パターンなど,様々なレベルの形質について用いられる.同じ設計指針に基づき,きわめて多様な行動を実現していることになる.この場合,各モジュールの構造の差異と,昆虫が示す行動の対応を精査することによって,各脳領域の機能や,行動の構成原理を探求できると考えられる.
昆虫は体節動物であり,各体節にニューロンの集合体である神経節(ganglion)が存在している.それぞれの神経節はある程度独立して機能し,神経束を介した,他の神経節との協調によって,さまざまな行動を実現する.頭部の神経節は最も大きく,多くの感覚器からの入力を受け,他の神経節の働きを制御するニューロンが多く存在する.また頭部神経節には,学習やナビゲーション等,昆虫の知的な行動を担う領域が存在する.こうして頭部にある神経節は,昆虫の「脳」として区別されている.胸部に存在する胸部神経節は,各体節の付属肢の筋肉を支配する運動ニューロンを多く持ち,運動を制御することが主な役割であると考えられている.
神経系における機能的な単位は,しばしばモジュール(module)として参照される.解剖学的な領域について,あるいは抽象的な概念として用いられることがある.神経系の解剖学的なモジュール構造は,多くの動物の脳で観察される普遍的な特徴であり(Leise, 1990),機能的なモジュールに対応する場合が多い.昆虫の神経系における解剖学的なモジュールは,神経叢と呼ばれる.脊椎動物の脳内では,細胞核を含む細胞体は,軸索・樹状突起などの神経線維に囲まれている.一方昆虫の脳では,細胞体がモジュールの表層に配置され,それぞれのモジュールの内部は,神経繊維の集合として構成されている.これは,虫の小型化に伴う経済的な戦略であると考えられている(Hesse & Schreiber, 2015).
いずれの昆虫も,共通した神経叢のセットを有しており,異なる虫でも脳構造を比較することができる(Ito et al., 2014).例えば,すべての脊椎動物が,嗅球・海馬・大脳基底核などの脳領域を有するように,すべての昆虫において,触角葉・キノコ体・中心複合体などの神経叢が,共通して観察される(図2).それぞれの神経叢は,回路構築・遺伝子発現プロファイル・神経伝達物質などが共通しており,これらが相同性による場合,グランドパターンとして区別される.各神経叢にみられる種間の差異は,行動・生態の差異の要因となっている可能性がある.
マクロな形態学的特徴,すなわち脳領域のサイズや形状は,ミクロな形態学的特徴と比較して,容易にアクセスすることが可能である.筆者らは以前に,神経系について,「大事な領域が大きくなる」といったルールがある程度通用し,機能の比較や,進化について議論ができることを説明した(並木, 2014).本稿では,神経系のマクロな形態学的形質として,(1)容積の拡大(volume enlargement/augmentation)に加えて,(2)形状の発達ないしは精緻化(elaboration)に着目する.精緻化の例としては,折りたたみ(folding),しわの形成(gyration)など形状の複雑化を示すものがある.さまざまな虫を比較することによって,脳領域の機能が推定され,行動の理解に貢献するという具体例を,よく研究されている脳領域に着目して紹介する.
匂い物質は,触角に配置された嗅覚受容体という特定のセンサで検出されるが,同一タイプの嗅覚受容体を持つニューロンは,脳内で同一の領域に収束して,球状の構造を形成し,腎臓の構造と同名で,糸球体(glomeruli)と呼ばれる.この構造は昆虫をはじめとした節足動物に限らず,ヒトなど他の脊椎動物にも広くみとめられる.昆虫は40-300程度,ヒトでは5,500個ほどの糸球体を有する.糸球体の集合である脳領域は触角葉(antennal lobe)と呼ばれる(図1C).糸球体の数や大きさは嗅覚機能と関連する(並木・神崎, 2013).例えば,双翅目・鱗翅目では50-60程度であるが,より嗅覚に依存するハチ目では200-300程度と数が多い.
鱗翅目における触角葉の比較系統解析は示唆に富んでいる.ガ類の触角葉では拡大した糸球体のグループがみとめられ,この特徴はチョウではほとんど観察されない.ガ類は鳥を避けて夜に進出し,視覚ではなく主に嗅覚を手掛かりとしたコミュニケーションを発達させたとされる.ガ類の性フェロモンを処理する一群の糸球体は,大糸球体(Macroglomerular complex)と呼ばれる.様々な要因が大糸球体の拡大に寄与しうるが,なかでも,糸球体への入力量の増加は,実験的なエビデンスがある.筆者らは,ガ類の触角葉を比較解析することで,大きい,ないしは複雑化した触角をもつ種において,大糸球体の拡大が観察されることを見出した(図3A)(並木, 2014).嗅覚受容神経の数が増大し,糸球体へのこれらの神経の軸索投射の容積増大によって,大糸球体の拡大に至り,より高感度のフェロモン検出を実現されたと考えている.
触角葉における糸球体の配置にも種間で共通する傾向がいくらかある.全体として,進化的な新しさと触角葉の背腹軸が対応しているようである.例えば,フェロモンを処理する糸球体は常に最も背側,触角神経と脳の接続部直下に位置する.これまでに報告されているすべてのガ類において,フェロモンを処理する領域は最背側に位置し,腹側に植物臭などフェロモン以外の一般的な匂いを処理する糸球体が配置されている.CO2を処理する糸球体の位置も保存されている.タバコスズメガManduca sexta,カイコガBombyx moriにおいてCO2を処理する糸球体は最腹側に位置し,これはショウジョウバエでも同様である.また触角葉の深部では糸球体の形状が歪むという傾向も種間で一致している(Ignell et al., 2005; Kazawa et al., 2009; Laissue et al., 1999).こうした糸球体は,嗅覚以外のモダリティに応答する例が報告されている.
キノコの形をしたキノコ体(mushroom body)は, 1850年にフランスのフィリックス・ドゥージャーダンによって初めて記載され,その際すでに人間の大脳皮質との類似性が指摘されていた(Strausfeld, 2012).後方に向かってキノコの傘のような形をした傘部(calyx),前方に向かってキノコの根元の部分である葉部(lobe),これらをつなぐ柄部(pedunculus)から成り(図1D),学習と記憶に重要な役割をもつことが知られている.
膜翅目のハチ亜目(Apocrita)では,キノコ体の拡大および形状の複雑化がみとめられる.顕著に発達したミツバチのキノコ体は大脳皮質の脳回(gyrus)や脳溝(sulcus)を連想させる.繁殖が分業され,不妊のカーストが存在し,2世代以上で集団生活をする場合,真社会性(eusociality)をもつという.霊長類では,大脳新皮質のサイズが,群れなど,生活するグループ集団のサイズなどの社会性と相関する.社会性脳仮説(social brain hypothesis)として指摘されているように,昆虫においても,社会性の発達に伴う知能の獲得が,脳の発達と関連していると考えられてきた.
最近になって,膜翅目昆虫の体系的な比較によって,より詳細なストーリーが明らかになってきている.近縁の系統で,集団で生活するタイプと,単独で生活するタイプを比較すると,おおむね集団で生活するグループの方がキノコ体のサイズが大きく,形状も複雑化している.このように社会性昆虫では大きく発達していることが多いが,(1) 社会性を持つ昆虫でキノコ体が縮小している例,および (2) 社会性をもたない昆虫でキノコ体が拡大している例が存在しており,社会脳仮説は,虫では厳密には当てはまらないようである.
ウエストバージニア大学のサラ・ファリス博士らは,膜翅目昆虫のキノコ体を体系的に調査している(Farris and Schulmeister, 2011).膜翅目昆虫は,より原始的な広腰亜目(ハバチ亜目/Symphyta)と,比較的新しい細腰亜目(ハチ亜目/Apocrita)の2つの亜目に分類される.細腰亜目には,ハチ・アリなど,膜翅目のうちすべての真社会性昆虫を含む有剣下目(Aculeata)が含まれる.一部の植食性広腰亜目ではキノコ体の拡大がみとめられず,形状は例えば鱗翅目のものとよく似てシンプルである.一方で細腰亜目では拡大がみとめられ,これに伴って,脳溝の形成が観察される.原始的な真社会性の膜翅目昆虫において,小規模の集団では,各個体が採餌・清掃・警備・幼虫の世話に加え,必要に応じて産卵など,巣における各種のタスクをこなすことができるが,大規模な集団では分業化が進んでいる.小規模な集団を形成するアシナガバチの女王は拡大したキノコ体を有し(O’Donnell et al., 2011),逆に大規模な集団を形成するミツバチの女王ではキノコ体が縮小している(Roat and da Cruz Landim, 2008).霊長類では,社会性の発達が,新皮質の拡大と相関するが,膜翅目昆虫では,社会性の高度な発達に伴って,行動レパートリは減少することが多く,これがキノコ体サイズの減弱と対応している.
最近の研究では,空間学習など,視覚に基づくナビゲーション能力の獲得がキノコ体の拡大を引き起こすことが明らかになってきた.細腰亜目におけるキノコ体の拡大と発達は,キノコ体への視覚入力の有無と対応する(Gronenberg, 2001; Gronenberg and Hölldobler, 1999).この現象は,膜翅目に限らず,系統樹の各所で報告がある.興味深いことに多くの場合,この形質はランドマークとなる視覚特徴の学習によるナビゲーション行動の獲得と相関する.タテハチョウ科ドクチョウ属のHeliconius charitoniusはランドマークを使って資源の場所を学習するが,そのキノコ体は同属他種よりも拡大しており,膜翅目昆虫に匹敵する程である(Sivinski, 1989).キノコ体への視覚入力の増大は,近縁種で,キノコ体が拡大しているシロチョウ科,アゲハチョウ科でみとめられる(Kinoshita et al., 2015).現在では,感覚や認知機能に有利なキノコ体の拡大は,社会性獲得のための前適応であると考えられている(Farris, 2016).
続いてキノコ体の拡大・形状の複雑化が,食性と相関する事例を紹介する.前述のファリス博士らは,甲虫目のコガネムシ科に注目して調査し,キノコ体の形状を2種類に分類した(Farris et al., 2005).一つは,糞食性のフンコロガシなどにみられる傘部が楕円形に近い比較的シンプルな形状,もう一つは草食性のコガネムシにみられる脳溝(しわ)が観察される形状である(図3B).糞食性のコガネムシは単食性,草食性のコガネムシは多食性である.このケースにおいては,キノコ体の形状は,社会性と相関がなく,多くの餌を探索し,学習する能力との関連が指摘されている.こうした能力を獲得するために高度な視覚情報処理能力の獲得というイベントがあったのかもしれない.コガネムシ科のキノコ体への視覚入力経路の解析が待たれる.
視覚入力がキノコ体のサイズに関係することが明らかである適応の例として,水棲昆虫を取り上げる.嗅覚受容体の多くが機能しなくなっており,触角葉が確認されないことが多い.これと相関して,キノコ体,特に傘部の容積が小さく,観察されないこともある.ミズスマシは肉食性の昆虫で,水面を素早く移動する.複眼は,背腹軸に拡大しており,それぞれ水上用と水中用の利用に特化している.神経構造を分析すると,ミズスマシでは,水棲昆虫としては例外的に,キノコ体の拡大と脳溝が観察され,視覚系からの大きな入力が存在している(Lin and Strausfeld, 2012).キノコ体への視覚入力の増大は,ハンティングの能力と関係すると思われる.ミズスマシでは,キノコ体への本来の嗅覚入力が,視覚入力に置換されることにより,キノコ体のサイズが維持されていると考えられている.
社会性を示す一群のグループを有する等翅目シロアリ属は,建築など高度な協調行動を示し,創発現象のモデルシステムの一つとなっている.キノコ体も膜翅目と同様に拡大と発達がみとめられるが,興味深いことに発達のタイプが膜翅目とは異なる.膜翅目の場合,キノコ体の傘部が拡大するが,シロアリの場合は反対に,葉部の拡大が顕著である.現在あまり詳しい調査は行われていないが,等翅目の種群の体系的な比較解析によって,キノコ体の設計について有用な知識が得られるであろう.
脳の中心に,中心複合体(central complex)と呼ばれる神経叢のグループが存在する(図1E).陸上の生物でより複雑,水中の生物でよりシンプルな構造を持つ傾向がある.長く機能は不明であったが,高次視覚特徴の認識や,空間記憶への関与,ワーキングメモリ様の神経活動,コンパス情報に基づく定位行動への関与などの発見などが相次ぎ,注目されている脳領域である(Pfeiffer & Homberg, 2014; Turner-Evans & Jayaraman, 2016).中心複合体は,楕円体(ellipsoid body)・扇状体(fan-shaped body)・前大脳橋(protocerebral bridge)・小結節(noduli)の4領域から構成される(Ito et al., 2014).これらの用語は,ショウジョウバエにおいて用いられており,他の多くの昆虫では,扇状体・楕円体はそれぞれ中心体上部,中心体下部と呼ばれ,両者をまとめて中心体として参照される.
ある種の要因によって,神経回路構造が変化し,明瞭な解剖学的な構造を有することがあり,しばしばモジュールと形容される.触角葉における嗅覚糸球体はこの例である.視覚がより高度に発達した昆虫では,視覚の情報経路においても糸球体が形成されることがあり(Strausfeld and Okamura, 2007),モジュールの出現は,高度な情報処理と関連があると考えられている.中心体の形状は,どのような表現型と対応しているのだろうか.アリゾナ大学のニコラス・ストラスフェルド博士は,中心複合体にみられる内部構造の発達の程度が,脚節のうごきの器用さ(dexterity) に相関することを指摘している(Strausfeld, 2012).例えば,カイコガの中心体には,シナプス密度が高い領域としてモジュール構造を観察できる(図3C左).モジュール構造同士には重複があり,その境界は不明瞭である.このように,中心体の内部構造が明瞭でないケースが多い一方,脚節を器用に用いる昆虫では,中心体が顕著に発達している(図3C右).建築を行う営巣能力を持つハチ目昆虫では,モジュール構造が明瞭である.また,前脚で捕食を行うカマキリの中心体においても,顕著なモジュール構造が観察される(図3B右)(Strausfeld, 2012).一方で,あまり歩くことが無い昆虫では,明瞭なモジュール構造が存在しないことが多い.アメンボはとても効率よく水面を移動することができ,この移動能力に学んだマイクロロボットの開発も進められている.表面張力によって支持され,脚を漕ぐようにして高速移動し,この際左右の脚節はほぼ対称に動作する.アメンボの中心体は,他の多くの昆虫で観察されるような明瞭に区別できる解剖学的なモジュール構造が存在しない(Strausfeld, 2012).水面の裏を,長い後脚を漕ぐようにして移動するマツモムシにおいても同様に,中心体はモジュール構造を有していない(Strausfeld, 1999).
この10年間ほどは,神経科学と進化生態学のシンセシスである神経系統学(neurophylogeny)がめざましく発展し,節足動物における比較神経解剖学の黄金時代とも言われ,昆虫でない節足動物の神経構造について多くの報告が追加されている(Loesel et al., 2013). 水棲の昆虫は少ないが,他の節足動物では,水中を移動し,あまり歩くことがい場合には,一般的にサイズも小さくシンプルな構造を持つようである(Namiki and Kanzaki, 2016).例外的に鰓脚類のミジンコDaphnia pulexでは比較的大きな中心複合体が存在している(Kress et al., 2016).脚節を使って水流を起こし,採餌するなどの行動が知られているが,こうした脚の利用が中心複合体の拡大に寄与しているのだろうか.
脳から身体の方向へ情報を連絡するニューロンを下行性ニューロン(descending neurons)と呼ぶ(図1A).このうち神経束の途中で分岐し,胸部神経節には至らず,頸部の筋肉に出力するグループもある.脳から下行する神経束の断端から色素を注入することで,脳と身体を繋ぐニューロン集団の分布・形状を調べることができる.下行性ニューロンの脳内での配線の様式についても基本設計があるようである.細胞の総数や細胞体位置(細胞核がある部分)に加え,神経支配の特徴も類似している.これまで調べられたいずれの昆虫においても,樹状突起の分布は,脳後方・腹側部に集中している(Hsu and Bhandawat, 2016; Okada et al., 2003; Staudacher, 1998).この領域は脳の様々な領域と連絡を持つが,主要な入力源は,ロビュラプレート(lobula plate)と呼ばれる領域である.この領域は,視覚系の主要な神経叢の一つであり,ほ乳類の視覚皮質に相当する(Strausfeld, 2012).軸索が拡大したニューロンが存在することもあり,神経応答特性がよく調べられてきた.このニューロンは視野の動きのベクトル場,すなわちオプティカルフロー(optic flow)に応答性を示す.ロビュラプレートから入力を受け,オプティカルフローを伝達する下行性ニューロンが主要なポピュレーションであるということになる.昆虫の飛行は,衝突回避,速度・高度調節,隘路通過,着陸制御など,その大部分をオプティカルフローに頼っており,多様な役割に見合うリソースが割かれているのであろう(Egelhaaf et al., 2012; Floreano and Wood, 2015).
また,下行性ニューロンは,先に紹介したキノコ体・中心複合体には到達しないという特徴も,これまでに調査されたすべての種で共通している(Hsu and Bhandawat, 2016; Okada et al., 2003; Staudacher, 1998).哺乳類でも,キノコ体・中心複合体に類似した機能を持つとされる海馬・大脳基底核では,直接の下行性出力が少ない(Liang et al., 2011).海馬は記憶・学習に重要な役割を持つ.キノコ体の記憶への関与は以前から言及されていたが,最近になって中心複合体も特に,運動記憶について重要な役割を持つことが分かってきた.
触角葉や視覚中枢などの感覚中枢でさえも,少ないながらも直接の下行性ニューロンを有する一方で,重要な領域であると考えられている脳領域からの直接の出力が無い,ということは何を反映しているのであろうか.学習が起こるためには,神経回路が変化しなければならない.変化する回路に直接運動系を接続すると,実現できる行動のレパートリが不足してしまうのではないだろうか.複数の層を介することで,運動系に作用する司令信号のバリエーションが増える.処理時間が少し長くなるが,逃避行動などの特殊なケースを除けば,処理時間の多少の増大はあまり適応度に寄与しないであろう.これは昆虫など小規模な神経系のみであてはまるのかもしれない.あるいは,変化する回路に直接運動系を接続することはリスクが高く,常に複数の回路を介する,というような設計であるのかもしれない.
触角葉やキノコ体では,異なる昆虫種間で,適応の程度に応じてニューロンの数が変化し,細胞の数が,時には数オーダー異なることもあるが,こうした変化は,下行性ニューロンにはあまり顕著でない.これは下行性ニューロンの最終的な制御対象となる運動系のサイズが種間であまり変わらないことによるとするアイデアがある.昆虫の筋肉は,どの種においても通常1-3個のニューロンにより制御されており(Belanger, 2005),筋肉の数も,種間で大きな変化は無い.同様の傾向は,中心複合体のサイズにおいてもみとめられる.ミツバチとマルハナバチを用いて,身体の大きさと脳領域の大きさを比較したところ,大きい個体ではキノコ体傘部などの感覚系に拡大がみとめられたが,中心複合体の体積はおおむね変わらず,部位によっては相対的に減少することもある(Mares et al., 2005).
神経系の形態を形質として,系統関係を推察する神経系統学(neurophylogeny)は,分子系統と相補的な情報を与える(Strausfeld and Andrew, 2011).最近,計測技術のブレークスルーと,一部研究者の熟練によって,化石標本までがこの対象となり,神経古生物学(Paleoneurobiology)を冠して盛んに研究が進められている.
昆虫の化石は古生代デボン紀初期からみとめられる.核タンパクコーディング遺伝子を分析した研究では,ムカデエビ綱(Remipedia)が昆虫を含む六脚亜門に最も近い外群であることが示唆されており,この分岐は古生代オルドビス紀と推定されている(Misof et al., 2014).ムカデエビ綱は洞窟性の水生動物であり,甲殻亜門(Crustacea)の軟甲類(Malacostraca)の神経系と類似していることから,昆虫の祖先は軟甲類型ではないかと考えられていた.甲殻亜門・六脚亜門(Hexapoda)・多足亜門(Myriapoda)等を示す旧分類の名称である大顎亜門(Mandibulata)にちなみ,本稿ではこれらの群に共通した神経系の構築パターンをマンディブレート型として参照する.一方で,シンプルな神経系を有する,ミジンコなどを含む甲殻亜門・鰓脚綱(Branchiopod)に似た形の脳が,複雑化して昆虫型の脳になったとする仮説がある.化石の神経系を分析する試みによって,この議論についての結論が得られようとしている.
中国雲南省の澄江で発見された,約5億2000万年前のカンブリア紀初期の化石群は,澄江動物群(Chengjiang Fauna)と呼ばれ,カンブリア爆発におけるさまざまな種の出現をみることができる.古生物学者の間では長らく脳などの軟組織は化石化しないと信じられていたが,最近になって澄江動物群では,黄鉄鉱FeS2の鉱化作用による置換などによって,神経組織が化石化していることが分かってきた(Ma et al., 2015; Schiffbauer et al., 2014).神経組織は密度が高く,脂質に富み,疎水性が大きくなる.これが硬い外骨格構造とあいまって,変化のプロセスを遅らせると考えられている.ストラスフェルド博士は,ここで発掘された海棲の節足動物Fuxianhuia protensa の化石標本を用いて,その脳構造を分析している(Ma et al., 2012). 現生の節足動物では,ミジンコなど,しばしば昆虫よりもシンプルな脳構造を有する種がおり,こうしたタイプの脳が,より原始的であるとする考え方が従来検討されていたが,神経系を確認する最古の化石標本(2012年当時)の,F. protensaの神経系はむしろ現生の節足動物にみられる複雑化した構造を有しており,現存している昆虫にみられる神経構築のパターンがカンブリア紀初期から維持されているというアイデアをサポートする.マンディブレート型の脳が,モジュールの縮小などの変化を通じ,ミジンコ等にみられるシンプルな神経系ができたことになる.
古生代初期に繁栄し,その後クモ・サソリ・ダニ・カブトガニなどの分類群を構成する鋏角亜門は,昆虫をはじめ,他の多くの節足動物とは異なる神経系のアーキテクチャを有している.本稿ではこれをチェリセレート型とする.ストラスフェルド博士らは,化石標本を用い,大付属肢(great appendage)をもつ節足動物Alalcomenaeus属の生物種について,マイクロCTスキャン,エネルギー分散型蛍光X線分析装置を用いた鉄元素の分布分析などを行い,その構造が,マンディブレート型よりもむしろクモ・サソリなど現生の鋏角亜門に近い構成を持つことを新たに報告している(Tanaka et al., 2013).カンブリア紀初期に,すでに昆虫を含むマンディブレート型とチェリセレート型が共存し,さらに過去にさかのぼって両者の祖先種が存在すると考えられ,現在も研究チームによる探索が続けれらている.
ここでは特に,研究が進んでいる蛛形綱(クモ綱/Arachnid)の脳構築について紹介する.クモの脚節では主要な関節に伸筋が無く,体液の圧力を変化させて運動制御を行う等,ユニークな戦略がみとめられる.クモの神経系は,身体全体に占める神経系容積の割合が大きく,各神経節が融合して総神経節(synganglion)を形成する.頭部よりの3つの構造(neuromere)をまとめて,昆虫と同様に脳,あるいはsyncerebrumと呼ばれる.クモの頭胸部には,8つの目が2列に並んでいる.大型で,正面に配置されている一対の主眼(principal eyes)は,空間解像度が高く,色,奥行きを識別する.3対ある小型の側眼(secondary eyes)は,解像度が低く運動検出器の機能を持つ.それぞれの脳内の異なる視覚系の中枢に接続される.この後さらに側眼の信号はキノコ体へ,主眼の信号は,脳深部に位置する三次視覚神経叢に伝達される.このモジュールは現在では弓状体(arcuate body)と呼ばれることが多い.弓状体の細胞構築は,マンディブレート型脳における前大脳橋に近いが(Homberg, 2008),相同性については現在も議論が続いている(Lehmann et al., 2015).
マンディブレート型とは明らかに異なる感覚器官・運動制御を,神経系がどのようにコントロールしているかという課題は大変興味深い.しかし,チェリセレート型とマンディブレート型の比較解析は,断片的なものにとどまっており,両者のデザインの体系的な比較はまだ途上である.Hox遺伝子の発現解析や,神経発生学の研究に基づき,マンディブレート型の神経系と一部共通した特徴が指摘されている(Richter et al., 2013).キノコ体については,領域選択的に発現するタンパク質の比較系統学的な解析によって,マンディブレート型を含むさまざまな動物の構造と相同性を有することがわかった(Wolff and Strausfeld, 2015).社会性の膜翅目昆虫に多く見られるように,クモのキノコ体も顕著な発達をしている.蛛形綱の多くの種では,キノコ体はマンディブレート型のように嗅覚からも入力を受けているため,クモでは,感覚入力が視覚に置換されることにより,キノコ体の拡大が起こったと考えられている.加えて,網の形成は,最も興味深い適応の一つであるが,この神経相関は現在のところ明らかでない(Quesada et al., 2011; Weltzien and Barth, 1991).
多様な虫同士での比較,マンディブレート型とチェリセレート型の神経系を比較することで,動物が神経系を進化させ,多様な環境に適応プロセスの理解に役立つ.まだ道のりは長いが,ここから虫の設計思想を比較して知識化し,活用するための手がかりも見えてくるであろう.
図1.昆虫の神経系の構造.カイコガの例を示す.(A)神経系の位置.X線CTで撮影した画像データの3次元再構築.黒は神経系,灰色は外骨格と筋肉を示す.頭部の脳と胸部神経節が,神経束で連絡されている.脳から司令を送る下行性ニューロンが含まれている.(B)カイコガの脳内の主要な神経叢.(C)触角葉の三次元再構築像.背側にフェロモンを処理する大糸球体が存在する.(D)キノコ体の三次元再構築像.後方に傘部,前方に葉部があり柄部によって繋がれている.(E)中心複合体の三次元再構築像.4つのモジュールから成る.
図2.昆虫種間で共通する脳構造のレイアウト.昆虫脳を構成する脳領域(神経叢)の模式図を,バッタ(A),チョウ(B),ミツバチ(C)について示す.同一の明度・テクスチャで表示されている領域は,それぞれ相同する脳領域を示す.サイズや形状は異なるが,どの昆虫も基本的に同一の脳構造のセットを有する.
図3.神経叢の形の変化と生態.(A)触角と大糸球体のサイズ.ヤガ科など糸状の触角を持つ種(左)と比較して,カイコガ科など顕著に発達した触角を持つ種(右)では,大糸球体の触角葉における相対的な容積が増大している.(B)キノコ体のサイズと食性のエコロジー.糞を餌とする単食性のコガネムシでは,キノコ体は比較的シンプルな構造をしている.多くの植物を食料とする多食性のコガネムシでは,容積が拡大しており,これに伴って傘部に「しわ」ができる(*).(C)中心複合体のモジュール構造と脚節の器用さ.多くの昆虫では扇状体の区画は明瞭でないが(左,カイコガの例),捕食に前脚を用いるカマキリや(右),営巣能力をもつ膜翅目昆虫では,区画化が明瞭である.
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