野間接骨院のホームページを開設するにあたりましては、創設者の野間佐吉のことを抜きにしては語れませんので、この場をお借りしてご紹介させて頂きます。
ここでは『全日本武鑑』に掲載されていることを記載いたしまして、個人的な感想等は『ブログ』にて漸次書き込みしていきたいと思います。
野間佐吉(1894~1983年)
講道館柔道 6段
職歴:講道館柔道師範 柔剣道連盟理事 警察署柔道師範
柔道整復師会理事 野間接骨院 院長
野間佐吉(27歳)1921年撮影
経歴 : 野間家の祖父彦左衛門氏は渋川流柔術免許皆伝を保持し、永年に亘って活躍した柔術家であった。
佐吉氏は、幼少の頃から、祖父の柔術師としての活躍を見聞し、その英姿に小さいながらも将来は柔術師として活躍を胸に秘めて成長したと思われる。
旧今治中学1年生の時に、柔道を志し、亀田先生に柔道の手ほどきを受け、逸早く大器としての片鱗を発揮した。
生来の不屈の根性と信念をもって、厳しい鍛錬に励み、寸暇を惜しんで努力研鑽。
県下中等学校柔道大会など数多くの大会に代表選手として出場、強豪に対しよく健闘、上位入賞を果たし猛者ぶりを発揮、心身技量共に大幅な成長を遂げていった。
明治42年、西条中学に於いての柔道大会に出場するや個人優勝を果たし将来を大いに嘱望され、卒業時は1級であった。
大阪で勤の傍ら、木葉幸四郎氏の元で、柔道の修業に励むと共に柔道整復術を学び、高度な術を習得していった。
大正3年、現役にて松山22連隊に入隊、1か年の教育を受けて満期除隊となった。
その後は、今治警察道場に於いて柔道の修行に励み、技量人格共に高く評価され、同署嘱託として署員の指導に精根を傾注、精力的な指導は高く評価された。
その活躍の傍ら、整復術を開業、九年にはかねての念願であった町道場、明徳道場を開設、今治に於ての町道場は当所が最初で、住民の多大な関心と共に期待をもたれ前途は洋々としていた。
後進の指導に情熱を注ぎ、斯界の発展に多大な役割を果たし、卓越した指導性と共に、豊富な経験と技量は全幅な信頼を得、盛況を極めた。
この道場から多くの門弟が育ち、優秀な人材が輩出、県内・外にて活躍、現(昭和五十二年八月当時)、県警柔道師範八木隣一七段も氏の』門弟の一人である。
氏は度々講道館柔道に出場し、多くの戦績を残し、将に当地柔道界の雄にふさわしい実力者。
二十一年の永年に亘って斯界の発展に貢献してきた道場を休場にし『ほねつぎ・接骨専門』一途に活躍現在に至る。
その傍ら、頭書の公職を兼任、充実した活動を展開、重鎮として重きをなしその発展に献身力を注ぎ大きな原動力となっている。
関係各位の信望はもとより地区の信望厚い当地の代表的人物として尊敬されている。
※ 全日本武鑑(四国版 第一巻)昭和五十二年八月十九日発行 編集兼発行人:加戸宏平 発行所:株式会社 地方人事調査会 より抜粋。記載内容は同書発行当時のものです。