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超絶短詩

今年の超絶短詩・大賞

今年の超絶短詩・大賞が決まりましたので、発表します。

おっ   都政 (オットセイ)

作者は、東京都の川村洋之さんです。
百晶近い応募作の中で秀逸でした。

超絶短詩とは
 
超絶短詩とは、 次の規則による短詩型です。
① ひとつの語句を、二つの語句に分解すること。
② 分解後のどちらか一方が、間投詞であること。間投詞とは、擬音語と擬態語を含む広義のそれである。

超絶短詩を作るにあたり望まれる準則は、次のとおり。
① 分解前と分解後とで、漢字の重複がないこと。
② 分解後のどちらか一方に漢字ひと文字を用いる場合、そのひと文字は、該当する読 みとともに、通常は、ひと文字で用いられるものであること。
 
超絶短詩集『吉田山百人一晶』について

 超絶短詩集『吉田山百人一晶』(篠原資明編著、七月堂)刊行されました。


史上最短の詩型を求めて

 昨年の暮れ近く、「冨田溪仙展」(京都市美術館)を見る機会があった。フランスの詩人・外交官、ポール・クローデルとの交遊でも知られる日本画家である。カタログによると、クローデルは京都の溪仙宅を訪ねたりもしていたらしい。あるときなど、夫人と娘同伴で訪れ、三畳間の書斎で何時間も過ごしたという。通訳を入れて、計五人がひしめいていたわけだ。なんだか、ほほえましいような、おかしいような光景だが、どうもクローデルには、日本の空間の、この種の狭苦しさを愛していたと思えるふしがある。
 駐日大使としての在任中に、クローデルは関東大震災を経験することになった。そのときのことに触れた文章の中で、この詩人は、なにかと大災害に見舞われやすい日本という土地柄を、地球上でもっとも危険なところとして認めた上で、次のように指摘している。「この動く大地の上では、日本人はただ一つの安全策しか見出さなかった。それは自らをできるだけ小さく、できるだけ軽くすることである。(中略) 日本人の家は紙の仕切り壁でできた一つの箱であり、その宝物は手の中に持つことができるもの、袖の内に隠すことができるものなのである」(『朝日の中の黒い鳥』内藤高訳、講談社学術文庫)と。これは鋭い観察だと思う。小さくなること、小さくすることに、消極的な意味だけでなく、大切なものほど小さく磨き上げるという、ある種の積極的な意味を見て取っているようにさえ思われるからだ。駐日大使在任中に『百扇帖』という、一種の短詩集をものしているのも、そのような日本的感性に感応した結果ではないかと、ぼくはひそかににらんでいる。ともあれ、「もっと短く、もっともっと短く」を標語に、超絶短詩にたどり着いたぼくにとって、このフランスの大詩人の「日本人の心を訪れる目」は、大きなはげまし以外のなにものでもない。
 超絶短詩とは、ひとつの語を、間投詞と、それ以外の言葉とに分割する詩型である。ちなみに、ここでいう間投詞とは、擬音語と擬態語を含めた広義の間投詞だ。いまのところ史上最短の詩型だと自負しているのだが、いかがなものだろうか。といえば、自信満々のように見えるかもしれない。でも最初は、すぐネタも尽きるだろうと思っていた。ところがところが、できるはできるはで、最初の一〇〇篇を絞り込むのに、ずいぶん往生したものだ。こうしてようやく、最初の超絶短詩集『物騒ぎ』(七月堂)の刊行にこぎつけることができたのが、昨年のこと。この詩型を思いつくきっかけともなった「嵐」を巻頭に、一頁に一篇ずつ、計一〇〇篇を五〇音順に配した。それぞれの頁では、短冊を思わせる枠の中、たっぷり空白をはさんで、語が上下にかち割られる。たとえば「嵐」は、次のような具合だ。
 
 あら   詩
 
 作る作業が一段落つけば、今度は論じる作業が待っている。短詩論をそろそろまとめなくてはならない。ということで、途中ワープロの故障に見舞われ、ついになれないパソコンに向かいながらも、ぼくにしては驚異的な(?)早さで仕上げ、『心にひびく短詩の世界』(講談社現代新書)を、なんとか昨年のうちに形にすることができた。超絶短詩集で明け、短詩論で暮れる。と思いきや、二冊目の超絶短詩集『水もの』(七月堂)が、その年も終わろうとする直前に刊行されることになった。いずれにせよ、著作刊行というレベルでは、短詩尽くしの一年だったわけだ。
 『心にひびく短詩の世界』では、今世紀日本の三六人の詩人から、短詩をひとつずつ選び論じる(いやむしろ愛玩する)というかたちをとった。ほとんどの作が、気になってしかたのないものばかりだったので、少なくとも一度は、曲がりなりにもしっかりと向かい合ってみたかったのだ。なかでも、草野心平の「冬眠」は、どうしても最初に置かれねばならなかった。それこそが、短い詩にひかれる遠因だったように思われるからだ。
しかしその詩篇は、やっかいな問題を提起してもいた。なにしろ大きな黒丸(●)だけでできた詩なのである。史上最短の詩型をめざすぼくにとって、これほどの障害はない。それ以上に短いものは、どうしても考えにくかったからだ。確かに、ぼくがめざすのは詩型であって、単発的な詩ではないのだから、同列に置いて、めげてしまう必要はないのかもしれない。しかし、それを手法として一般化することにより、詩型を引き出すこともできるのではないか。たとえば、記号詩とでもいうべき詩型。いま即興で作るなら、たとえば次のような詩だ。
 
   コロンブス転んだ
 
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 この詩篇「コロンブス転んだ」は、「冬眠」と同じ型をもつ。すなわち、ひとつの視覚記号だけでできた詩なのだ。この場合は、コロン(:)が、本来横書きの欧文で使われる方向からすると、九〇度回転されている。コロンが転んでいるわけだ。おまけにコロンブスの船出を助けたスペインでは、コロンブスは、ほかでもなくコロンと呼ばれる(コロンブスはコロンだ)。おまけにコロンブスは、アメリカをジパング(日本)と思い込んでいたのだから、みごとにこけた(転んだ)といえる。さらにいえば、日本語風に縦書きにすれば、コロン(:)は転ぶほかないのだから、ほんとうの日本に来ても、コロン(コロンブス)は転ぶほかないという哀しいおかしさまで匂ってきはしないか。
 と書けば、記号詩のほうが、最短詩型となりそうな気がしないでもない。しかし、この詩型には落とし穴がある。タイトルと詩が入れ替わっても、何の不都合もないという点だ。短さを競うなら、やはり詩本体がはっきりしないことには話にならない。そういえば、草野心平の詩には、黒丸(●)をタイトルとしたものもあるではないか。さらに自説に固執するなら、短さを競う以上、読み方の明確でないものは、やはり省くべきだろう。見た目に、一文字分のスペースしかなくても、「コロンブス転んだ」と読むほかなければ、その分長くなるのである。おまけに、視覚記号の数は限られているから、作品もすぐ尽きてしまい、一〇〇篇に達するどころではないだろうし、作り続けようとすれば、同じ記号につけるタイトルに変化を凝らすしか手はないだろう。 「コロンブス転んだ」にまつわる、そのような理屈を、『心にひびく短詩の世界』で述べ立てたわけではないのだが、その種の理屈も、ぼくにとっては大事な副産物ではあった。
 副産物といえば、『物騒ぎ』刊行後に寄せられた超絶短詩詩作の数々もまた、とてもうれしい贈り物だった。超絶短詩集以前から、ぼくの詩集にはマニュアルがつけてある。そのマニュアルに即して試作してほしいとの気持からだ。超絶短詩は、その簡便さもあってか、いくつもの試作が寄せられた。そのいくつかを紹介しよう。タイトルは括弧内に示す。 「拳固 う」(「原稿」)。「ち 酷」(「遅刻」)。この二篇は、産経新聞大阪本社文化部の河村直哉氏からのものだ。これには背景がある。ぼくの連載原稿を担当している河村氏は、要するにのろい原稿に泣かされがちなのだ。
 「う 毀誉」(「浮世」)。これを寄せてくれたのは、同僚の高橋由典氏(社会学専攻)。その少し前に、氏は著作を刊行したばかりで、おそらく世の中の毀誉褒貶が気になりかけていたのではないか。それが、ぼくの勝手な推測だ。
 これらの例からもわかるとおり、ひとつの語と、そのかち割り方だけでも、けっこうそれなりの思いを込めることができる。短く切りつめられているだけに、にじみ出るということもあるのだ。
 「遅刻」や「浮世」の作例は、『物騒ぎ』の規則から逸脱するものを示している。『物騒ぎ』は、物や物的現象にかかわる語が入っていることという規則に従っていたからだ。物や物的現象とは言い切れないものは、また別にまとめねばなるまい。これらの試作例は、そんな気持にもさせてくれる。最後に、刊行されたばかりの『水もの』から、いく篇か引いておこう。
 「井 じめ」(「苛め」)。「背 きらら」(「赤裸々」)。「和 びちゃ」(「侘び茶」)。深刻なテーマ、鮮やかなイメージ、ほほえみを誘うものという具合に、それぞれ異なった趣をもつ三篇を並べた。こういったものが一〇〇篇。ぼくとしては、言葉をかち割る喜びが、さらに広まらんことを願うばかりだ。
(篠原資明、講談社『本』1997年2月、のちに篠原資明『言霊ほぐし』五柳書院、所収)
 

超絶短詩集

篠原資明『物騒ぎ』1996年、七月堂
 同  『水もの』1996年、七月堂
 同  『桃数寄』1998年、七月堂
 同  『摘み分け源氏』1999年、七月堂
 同  『玉枝折り』2002年、七月堂
 同  『百人一滝』2003年、七月堂
 同  超絶短詩マンダラ『仏笑』2005年、私家版
 同  『星しぶき』2007年、七月堂
 同  『一』2013年、私家版(ポスター詩集)
 同  『京の空には蕪村星』2015年、私家版(ポスター詩集)
 篠原資明編  『吉田山百人一晶』2016年、七月堂

超絶短詩関連エッセイ

篠原資明『心にひびく短詩の世界』1996年、講談社現代新書
 同  『言霊ほぐし』2001年、五柳書院
 
 
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