広徳寺の由来
名 称 曹洞宗(そうとうしゅう)(禅宗)金龍山 広徳寺
開 創 寛正(かんしょう)3年(1462)3月8日
曹洞宗 曹洞宗は鎌倉時代の安貞元年‐嘉禄3年‐(1227)に高祖(こうそ)道元(どうげん)禅師(ぜんじ)様(28歳)が中国より日本に伝え、永平寺をお開きになり、四代目の太祖瑩山(たいそけいざん)禅師(ぜんじ)様が全国各地に教えを広められました。曹洞宗では、道元様、瑩山様を「両祖(りょうそ)」と申します。
ご本尊 おしゃかさま
両大本山 大本山永平寺(福井県) 高祖道元禅師様の御開山
大本山總持寺(横浜市鶴見) 太祖瑩山禅師様の御開山
御本寺 静岡県 袋井市 万松山 可睡斉 (總持寺の御直末のお寺)
末山寺院 千葉県と埼玉県に十ヵ寺の末寺(門葉御寺院)があります。
我孫子市興陽寺 松戸市幸谷福昌寺 松戸市八ヶ崎 金谷寺 松戸市小金原萬福寺
松戸市殿平賀の慶林寺 柏市長全寺。船橋市高根寺、東京都江戸川区梵音寺
埼玉県三郷市興禅寺、三郷市慈眼寺
元輪番地 全国の大本山總持寺の末寺より特に選ばれて短期間、本山の住職となることを輪住といい、
七世峰山雄鯨大和尚がこれに選出されました。
山 号 金龍山(きんりゅうざん)
御開山(ごかいさん) 大路一遵(だいろいちじゅん)大和尚 永正15年(1518)4月6日遷化(せんげ) 行年120歳
開基(かいき)様(さま) 広徳寺を最初に建てられた方 高城下野守胤吉公(たかぎしもつけのかみたねよしこう) (通称 高城公)
お寺の名前の由来 開基様(高城公)のお戒名からつけられました。廣徳寺殿傅照玄心大居士
高城公の墓所 松戸市指定史跡 お寺の西南の高台にあります。
恒規法要 毎年必ず行われる法要
開山忌法要 5月5日
(大路一遵大和尚様の命日にご供養し、檀信徒の身体健全をご祈祷します。)
施食会(せじきえ)法要(旧 せがき) 8月17日
(檀信徒の先亡諸精霊並びに有縁無縁の諸精霊をご供養します。)
境内地 元の境内は広大で樹木がたくさん茂っていましたが、
区画整理のため、狭くなり現在の広さ(約3000坪)になりました。
火 災 大正12年(1923)1月16日 3度目の火災にあい、本堂以下一切を焼失する。
住 職 現在の住職は三十三世 石川光学です。
月例行事 坐 禅 会 毎月 第2土曜日 朝6時半より8時