板碑について

広徳寺ができたのは、1462年(寛正―かんしょう―3年)室町時代ですが、約100年以上前の1332年(鎌倉幕府の滅びる1年前)に、この地に石塔が作られておりました。現在の広徳寺のある土地から板碑というものが出土したのです。(いまは広徳寺に収蔵してあります。)

板碑は、親や親族など亡き人への追善供養や冥福を願うため、また自らの後生(亡くなった後の幸せ)を願うために造立されたものです。

材質は、埼玉県西部比企地方、群馬県西部地域からとれる緑泥片岩(りょくでいへんがん)を用いています。緑泥片岩は、薄く板状にはがれやすいので、加工がしやすいのです。

松戸市の板碑はすべて緑泥片岩を用いており「武蔵野型板碑」といわれております。

広徳寺の板碑は、阿弥陀一尊種子板碑(あみだいっそんしゅじいたび)と呼ばれています。板状に伐られた石の頭部を山形に整え、その下に二条の切り込みが入っています。二条線の下に梵字(キリーク・種子)で阿弥陀如来の種子(しゅじ)が彫ってあります。

右側が元徳4年・正慶4年4月(1332)、左側が康永元年・興国3年(1342)10月です。

このことにより、現在の広徳寺の地域が、お寺ができるずっと以前から、住民にとって、なんらかの宗教的霊場か、崇拝される霊地であったことが想像できます。

※参照『松戸市史上巻(改訂版)』