〜〜 エッセイ『トイレの話』 July, 1994 〜〜
わたしはアメリカにきて4年になる障害者である。正確に言えば、Wheelchair riderといった方が私にぴったりくるかもしれない。とにかく電動車椅子で暴走するのが好きなのだ。
最近、日本からはるばる遊びに来る障害者も増えてきた。たまたまそういうしあわせな(彼らは、ハネムーンステージだけで帰ってしまう)人々に出くわ すと、次のような質問をされる。
「いろいろ見てきましたが、アメリカと日本の一番大きな違いって何でしょうね。」
私は、
「トイレにあるんじゃないでしょうか」
と答える。バートのエレベータも魅力的だし、車椅子でどの店にも入れる町も障害者の運動家が作った力作である。しかしトイレほどその違いをあらわしているものはない。
日本の最新鋭の公衆便所を思い出していただきたい.必ず、男子と女子の間に障害者用のトイレがついている。よく言えば障害者はそれだけ大事に保護されているわけだし、悪く言えば障害者は男でも女でもないわけである。「えっ、 東京で障害者用のトイレを見たことがないだって?」「山手線一周、くまなく探してもなかった? 僕。東京駅にあるの知ってるよ。」とにかく探せばあるし、カギもかかってなく物置になっていなければゆっくりできるわけだ。
アメリカはどうか。ほとんど絶対、男女それぞれのトイレの中にある。これこそアメリカが障害者先進国と言われる原点ではないか。白人も黒人もアジア人も 同じところでやるから障害者も、というわけである。そしてまたしかし、日本的にひがんでみれば「アメリカは土地が広いから、2つのトイレの壁をぶちぬいて 便器を一つはずせば、出来上がり。日本じゃ、あんな大きなもの2つも作ったら、土地代がかかってしょうがないよ」となる。わからなくもない、まあ、うなず ける。しかし、アメリカ側に軍配を上げたくなる私の気持ちも分かっていただきたい。
ところがところが、先頃、私は日本のトイレも進化することを知った。銀座のあるデパートで、男性と女性トイレの間の障害者用が救急や赤ん坊のおむつや授 乳にも使える多目的空間になったというのだ。なかなか良い、いかにも日本的なアイデアである。障害者と健常者の空間の共同利用をいう立場からも、かなりよ い。そうやって日本もアメリカの真似ばかりでなく、日本的に少しずつ発展していけば良いと思う。
ただ日本で各駅にエレベーターがつくまでは、私はアメリカで車椅子でカッ飛んでいようと思うのだ。
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