【2024年度 HLCセミナー】
テーマ: 生成AIと言語学
日 時: 2025年3月21日(金)
会 場: 杏林大学井の頭キャンパス ※オンライン配信有り、会場ならびにZoom等の詳細は、参加申込くださった方々へメールでお知らせいたします。
参加費: 無料
参加申込フォーム:
https://forms.office.com/r/7pEgbKnN9Y
会場/オンラインの別を問わず、参加を希望される方は必ず事前参加申込をお願いいたします。
締切は2025年3月18日(火)です。
概 要:
◆研究発表(10:30-12:30)
【第1発表】
津島 心海(桜美林大学リベラルアーツ学群[学部])
「日本国内における英語表記サインの特徴と課題―鎌倉の訪日観光客向けサインを中心として―」
【第2発表】
井浦 星香(お茶の水女子大学[院])
「日本語学習者の日英翻訳における「文化」の表象―社会記号論的翻訳論の視座から―」
◆講演(14:00-16:00)
タイトル:
機能言語学的知見を活用した生成AIとの対話ガイド
講師:
佐野大樹(Google, Analytical Linguist)
講演要旨:
内容: 機能言語学では、人と人とのコミュニケーション手段としての言葉の役割を多様な側面から研究してきた。しかし、生成AIの普及と共に、言葉は人と人との間だけでなく、人と生成AIとの主なコミュニケーション手段としての役割も担うようになった。本発表では、言語学的アプローチ、特に、Systemic Functional Linguistics (SFL)を枠組みとして、人と生成AIの対話をより広く深くするためには、生成AIとの対話における言葉の「選択肢」の種類、及び、それぞれの選択肢を選ぶことの効果を明らかにすることが重要であることを示す。また、個人や社会の選択肢として、生成AIを捉えるひとつの視点として、「シェアード・ディスコース」という概念を提案する。
〈研究発表概要〉
【第1発表】
津島 心海(桜美林大学リベラルアーツ学群[学部])
「日本国内における英語表記サインの特徴と課題―鎌倉の訪日観光客向けサインを中心として―」
近年、日本の都市部を中心に、英語や韓国語、中国語など多言語で表記されたサイン(掲示や注意書きなど)を見かける機会が増加している。この背景には、訪日外国人観光客の増加、多文化共生社会の進展、国際イベントの開催などが影響していると考えられる。しかしながら、こうした多言語サインが十分に機能しているかについては、必ずしも検証されておらず、特に英語表記のサインに関しては、その表記方法や伝達の明確性に課題があると指摘されることが多い。本発表では英語表記サインに注目し、日本語表記サインとの比較を通じて、日本国内における英語表記サインの特徴と課題を明らかにすることを目的としている。観光地として、日本国内外から多くの訪問者を迎える古都鎌倉における444件のサインを収集し、それらの表記方法や視認性、情報伝達の有効性について分析した。さらに2023年から2024年に収集した、日本各地における様々な都市の135の事例も踏まえ、英語表記サインの特徴と課題をより包括的に検討した。その結果、日本国内の英語表記サインの課題として、表記の統一性の欠如や視認性の低さといった点が浮き彫りとなり、今後、これらの問題を解決するための具体的なガイドラインの策定が求められることを主張した。本研究のように、日英対照の観点から言語景観を分析する試みは、日本の公共空間における情報伝達の改善のみならず、日本文化の理解促進にも寄与することが期待される。今後は、他の地域や異なる環境における英語表記サインの事例を収集、分析することを通じて、より包括的な視点から効果的なサインデザインのあり方を探求していく必要がある。
【第2発表】
井浦 星香(お茶の水女子大学[院])
「日本語学習者の日英翻訳における「文化」の表象―社会記号論的翻訳論の視座から―」
従来の言語教育研究において、「文化」という概念は例えば「日本文化を学ぶ」というような文脈でごく当たり前に扱われていながら、その前提となっている認識、つまり「文化」とはそもそもどのようなものであるのかについての十分な議論や検討が行われているとは言えない。翻訳を通して学習者の言語や文化に対する気づきを促すことを目指す教室活動においても、国を単位に個別にカテゴリー化された本質主義的な「文化」観が窺える。個々の多様性を排除したそのような固定的・標準的な「文化」観は、学習者に特定の「〇〇文化」に対する固定的な見方を植え付ける恐れがある。
一方、近年の言語人類学において、「文化」は個々のコンテクストに根差した実践として理解されている(cf. Duranti, 1997)。本研究では、「文化」を実践の中で生まれたり変容したりするものと理解し、その実践の一つとして翻訳という行為を捉える社会記号論的翻訳論(小山, 2022)の視座から、日本語学習者の日英翻訳における原文/訳文テクストおよび関連するインタビューについて分析を行うことで、そこに「文化」がどのように表れるかを明らかにすることを目的とする。
調査では、英語を第一言語とする5名の上級日本語学習者を協力者とし、太宰治『斜陽』から抜粋した計7つの短い日本語テクストの英訳を行ってもらう翻訳タスクを実施した。また、各協力者の言語・文化背景などについて調査する事前インタビューと、タスク終了後に全体を通しての感想などに関する事後インタビューも併せて実施したほか、タスク中にも、特に翻訳しづらいと感じたところや興味深いと思ったところなどについて適宜インタビューを行った。
調査の結果および考察として、まず原文テクストにおいて、かず子や母の話し方からは貴族らしい気品や女性らしさなどが指標されており、『斜陽』が執筆された当時の「貴族」「日本女性」といった文化的概念がテクストの社会指標的機能により創出されていた。しかし、英訳に際し、そのような社会指標的意味は、「狐の嫁入りと鼠の嫁入り」のようにわかりやすく「文化的」な語彙、およびテクストの言及指示的内容への焦点化によって後景化され、協力者(翻訳者)の意識には上らないまま訳文において捨象される場合も見られた。ただし、そのような原文テクストにおける社会指標的意味は、必ずしも捨象されていたわけではなく、それらがテクストから受ける「イメージ」として認識され、そのイメージを訳文テクストにも反映させようとする工夫は、いずれの協力者の翻訳においても窺えた。そこでは、「貴族」「日本女性」について協力者が元々持っていたイメージや、タスク中の筆者とのやり取りを通して抱いたイメージが、文化的概念として参照され再生産されていたほか、場合によってはそのような「貴族らしさ」「日本女性らしさ」が、原文テクストが指標するものよりもさらに強調されるような形で翻訳が行われることもあり、文化的概念が翻訳という行為を通してさらに強化される様子が見られた。
続いて、上記のような原文テクストと訳文テクストの違いがなぜ生じるかについて考察するため、翻訳を規定するメタ語用的フレームの観点から分析を行った。本調査で見られたメタ語用的フレームとして、テクストのジャンルに対する意識と、翻訳実践に関するイデオロギーが挙げられる。前者に関しては、原文テクストの一つが登場人物による日記であったことから、そのジャンル的特性が意識され、日記の書き手の心情を訳文でも表現するべく多様な意訳が行われていた。後者の翻訳イデオロギーについては、「二十九のばあちゃん」のように、翻訳者にとって違和感を覚えるような原文の表現に対し、その異質性を英訳において残すかどうかの判断において、「翻訳とはこのようなものであるべき」という意識が働いていた。その結果として、『斜陽』が執筆されていた当時の価値観を示す原文テクストの表現は、その異質性を保持する形で訳出がなされていた。なお、当該箇所の翻訳に関しての筆者と調査者のやり取りでは、<「当時」対「現代」>および<「日本社会」対「英語圏の社会」>という二項対立的構図の喚起を通して原文テクストの解釈がなされ、英訳が行われていることが確認できた。
翻訳そのものを、「文化」を創出し変容させる実践として捉える視点に立てば、上記のようなメタ語用的フレーム、ならびに、そこで喚起される二項対立的な概念対は、それ自体が今ここの翻訳実践を通して指標される「文化」であると言える。そこで、翻訳実践における他の「文化」的側面にも目を向けたところ、自分の翻訳に対する評価において、「日本語母語話者」である筆者と「日本語非母語話者」である協力者という会話の参加者それぞれのアイデンティティの一側面が強調されたり、あるいは「日本人だったら」「イギリス人だったら」というようなステレオタイプ的なイメージが対比的に作り出されたりなど、相互行為を通して文化的概念が前提的/創出的に指標されている様子が窺え、翻訳の実践それ自体がより広い「文化」の中に埋め込まれたものであることが示された。
このように、本研究は、翻訳における「文化」を、テクストの言及指示的内容/社会指標的意味から指標されるものとしてだけでなく、翻訳という実践それ自体から前提的/創出的に指標されるものとして理解することの重要性を強く示唆するものであると言える。従来の言語教育における翻訳の実践研究では、学習者は対象言語の「文化」を自分の「文化」とは異なるものとして理解することが目指されていた。しかし、翻訳の実践そのものが「文化」の中に埋め込まれたものであるとすると、翻訳は対象文化の理解にとどまるものではなく、翻訳の実践を通して、学習者は自身の文化的実践を相対的・再帰的に捉え理解することに繋がっていくと考えられる。
【主な参考文献】
小山亘(編著)(2022). 翻訳とはなにか:記号論と翻訳論の地平―あるいは、世界を多様化する変換過程について. 三元社.
Duranti, Alessandro. (1997). Linguistic anthropology. Cambridge: Cambridge University Press.