2.笑いについて
笑いは人が快を受けて発する反射行動である。
人はいろいろな形で快を受けるが、
笑いを起こすのは、徐々に快を受けるのではなく、
急に、突発的に快をうけた時である。
快は喜びを生み出し、喜びは全身を活性化する。
それがまた、快を増幅するのである。
笑いの反射行動は、大きく三つに分けられる。
一つは、爆笑のような吹き出す激しい笑いである。
一つは、ハハハと声を出して笑うようなある程度制御した笑いである。
一つは、鼻で笑うような微かな笑いである。
これらは、受ける快の大きさと突発性、受ける者の反応性(性格)による 。
程度の差があれ、笑いを引き起こすのは、
脳内物質である。脳は楽しさに満たされ、ハイ状態となる。それが一瞬にして起るため、
笑うという反射行動が出るのである。
脳内物質を分泌するのは、思い出すこともあるが、主に外からの刺激による。
笑いを引き起こす「快」とは何であろうか?
一つは優越意識である。
自分に優越感を与える様子や行為を見た時や、相手を蔑んだ時に発生する「快」である。
いわゆるボケに対する笑いである。
一つは、想定の逆転である。
通常の思考とは違う発想を見せられたとき驚き、そして「快」を生む 。
他にも、なつかしさを引き出す「快」や(あるあるネタ)、
不利なものや劣るものが逆転する「快」、
そして単純に、楽しさに満たされる「快」がある。
ある状況が、人に「納得の快」や「新鮮の快」を与えると、その人は笑う。
それは脳が瞬時に発達したことによって得られた「快」である。
「快」に満たされ「喜び」が溢れ、「笑い」という反射行動を起こすのである。
笑いは、優越意識と想定の逆転、いろいろな快が絡み合って起こるのである。
たとえば「あるあるネタ」で人が笑うのは、「ある法則に従って人は動く」ことに対しての蔑視感(優越意識)と、
その法則の新たな発見と納得(想定の逆転)、そしてなつかしさによってである。
例えば「人がバナナの皮で滑る」で笑うのは、蔑視感である。
しかし「人がバナナの皮を踏んでも滑らない」で笑うのは、想定の逆転である。
ピエロは変な格好をして笑いを誘う(蔑視感)。
「ピエロがバナナの皮で滑らない」での笑いは、蔑視感と想定の逆転。
そして、不利なものや劣るものが逆転したからであろうか。
「人が繰り返しバナナの皮で滑る」ことは、初め想定の逆転で笑いを起こすが、繰り返されると笑いは薄れる。
すなわちリアリティがない、納得出来なくなるからである。
「ピエロが繰り返しバナナの皮で滑る」ことは、あり得る。
蔑視感が積み重ねられ、笑いは続く。
笑いは想定の逆転で起こる。
想定の逆転は、無理で納得できないものでは起こらない。
想定の逆転は「些細なものを大げさに、重大事を些細なことに喩える」や、
「厳格や厳密なものをラフに、またはその逆で喩える」などがある。
さらに想定の逆転の例を挙げよう。
「常識的なものを非常識に、またはその逆」「習慣的惰性的なものを特異なことに、または逆」。
そしてそれは瞬時に理解(納得)できなければならない。
あり得ないことであっても、あり得ると思われることでなければならない。
脳が快に満たされると喜びに溢れ、笑いの反射行動が出る。
激しい笑いは顔を上げ、目を細め、口を大きく開けて声をはき出す。
これは雄叫びである。勝利を誇る仕草である。
脳が受ける衝動が小さくなるほど、行動も小さくなっていく。
しかし笑いの原理は同じである。
雄叫びは、安心した状態から発せられる。
笑いも同じである。心に不安や不快のない、安定した状態の時に生まれる。
自分の優越と自分の脳の進展を感じて発せられるのである。
視野を見渡せ、また視野が広がった喜びで発せられるのである。
(2022.12)