花見川地峡の自然史と交通の記憶 65
2013.06.21記事「「戸(と、ど)」地名検討の状況報告」で、戸地名をGISにプロットして検討を始めたことを書きましたが、その記事の続報です。
八千代市と千葉市を対象に、大字と小字について、戸地名をGIS上の地図にプロットしました。
本来は印西市、佐倉市、酒々井町、栄町、成田市、四街道市なども含めて地図にプロットすべきところですが、これらの市町では場所情報について入手できる資料がないので、後日の作業とし、とりあえず八千代市と千葉市分で中間的に検討してみました。
戸地名リスト(角川地名大辞典等による)を地図にプロットする方法は八千代市と千葉市で異なるため、別記事で説明します。
1 戸地名の分布
八千代市と千葉市の戸地名分布図
赤字は大字(印西市、佐倉市、酒々井町、栄町、成田市、四街道市分を含む)、それ以外は小字
戸地名といってもいろいろな時代に別の意味でつけられたものが混じっているので、この分布図から有用な情報を汲み取るのは困難であることが判りました。
そこで、戸地名の分類を行ってみることにしました。
2 戸地名の分類
分布図に表現した戸地名をよく見ると、木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸が別の場所で沢山重複して出てきます。
これらの地名は何らかの共通した地物・事象に関連して生まれたものであり、私が検討しようとしているイメージ(※)とニュアンスが異なります。
※ 私が考える「戸」のイメージ:東京湾や香取の海が西方からやってきた人々(海の民)によって最初に開拓(植民)されたころ付けられた「戸」がつく地名。(2013.05.20記事「「戸」を構成する4つのイメージ」参照)
そこで、木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸とそれ以外の戸地名に分けてみました。
八千代市と千葉市の戸地名
※ 太字は大字、それ以外は小字
この場で明確な根拠を示すことは困難ですが、木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸は、植民された土地を農民が耕作するようになった以降に付けれれた地名であるように考えます。
ところが、それ以外の戸地名のなかには、海の民が土地を初めて植民しようとしたとき、つまりその付近の土地を自らのものであると宣言した時の地名が含まれているように考えます。
極めて主観的な分類ですがそれでよいと思っています。なんとなれば、地名の検討は自分自身の密かなかつ確信のある仮説(公表を前提としない心に秘めた仮説)を持つために行うのですから、自分以外の方に理路整然とした説明ができなくてもよいと思っています。
地名の検討はそれだけでは成果物としないこととしました。
地名の検討は、それで生まれた仮説をツールにして調査し、新たな発見等により事実が判明したとき、成果になると思います。
3 木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸以外の戸地名
木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸以外の戸地名分布図を作成してみました。
この分布図の中にはまだ木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸と同類の農民が土地を耕作するようになって以降の地名も含まれていますが、大半は海の民が土地を自らのものであると宣言した時の地名であると考えます。
木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸以外の戸地名分布図
この図を印西市、佐倉市、酒々井町、栄町、成田市、四街道市も含めて作成することにより、花見川地峡の交通に関する有力な仮説を生み出せると考えています。
(人に示すようなレベルにない、直感的な)仮説検討例
天戸の近くに三戸作があります。
この付近は花見川と犢橋川が合流する水運交通の要衝です。
天戸の天は海に通じ、海の民の植民場所として解釈できるようなストーリーが、今後情報を調べれば、展開できると直感できます。
三戸作の三戸は水戸であり、港(船着場)という意味です。
さらにこの場所に「なぎ」という小字もあります。渚という意味であり、高津にもあったように、岸部を港として利用しているため、その地形を意識して地名にしたものと考えます。
これらの情報から、天戸に航海にたけた海の民が植民し、港が出来ていたと仮説します。
4 木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸
それぞれ多数の地名があることから、それぞれの地名のでき方について検討すると有用な情報を得られると考えています。
特に木戸は軍事拠点、支配関係施設、重要施設などと関連するので貴重な情報源になりそうです。
つづく